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2009年10月31日土曜日

”NPOにおいて理事とは、地位ではなく責任である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”では、NPOにおける理事の役割について触れられている。ドラッカー教授は、「理事とは、地位ではなく責任である。」とし、使命、有給スタッフ、ボランティアに対して責任を負う様、伝えている。

NPO法人(特定非営利活動法人)ではなくても、誰もが何らかの非営利組織において理事や役員などの”リーダー的役割”を担当しなければならない場面が出てくると思う。私自身も現在、厚生年金基金や幼稚園、地元地域等の非営利組織において理事や役員をしている。

そうした活動の中で判断に迷った時、本日のページのメッセージを意識するだけで、より正しい意思決定ができるようになるので、みなさんにもお勧めしたい。

まず、非営利活動の理事や役員といった役割は、一般的に、自ら申し出ることによってその役割に就く事はまず無いのではないかと思う。ある日突然、「○○さん、あなたに是非ともお願いしたいのですが。」と言われ、大抵の場合は、それを免れることはできない。

自ら積極的に選択したわけではない組織から声がかかった時、人は色々理由を言って反射的にそれを躊躇してしまうが、これには若干の矛盾を感じる。

選出の方法は様々なので、一概には言えないかも知れないが、少なくとも、「この人であれば間違いないだろう。」という判断から自らの所に話が来ているはずだ。それを忙しくなるからという理由だけで無碍に断るのは、”結婚式の祝辞を頼まれて断るような行為”と同様ではないだろうか。

勿論、本業を脅かしてはいけないが、日頃その相手(非営利組織)の活動による恩恵を(間接的にも)受けて来たわけで、その活動を運営する側に立つ機会を与えられたのであれば、まずは謹んで受け、倍返しするために尽力するのが、人として当然であると思うのだ。

逆に考えれば、”自分だけが良ければ良い”と思って行動を徹底している人に、そのような役柄はなかなか廻ってこない筈だ。その様な声は、”来るべくして自分に来ているのだ”と思い、せっかく受けるからには、その組織の使命を深く理解し、自らをその下に置いて全力で貢献していきたい。

もう一点、非営利組織の理事会または役員会に入った際に注意すべき事は、その組織の活動について、自分に知識があろうとなかろうと、自分が「重要な意志決定者の一人」であるということだ。よく分からないからといって意見を言わないと、まったく貢献することができないし、かえって組織の足手まといにもなりかねない。

せっかく貴重な時間を割いて参加するのであれば、その時間を”未来の時間(明日をつくる時間)”で満たしたい。

私にとっては、先述の厚生年金基金の理事会から学ばせていただくことは計り知れない。何千人もの加入員とその事業主によって積み立てられる莫大な資産の運用を決定する場であるが、金融取引に全くの素人だった私でも、”いかに理事会がより良い決定をできるか”を追求する点は、企業のそれと同じであることが最近実感できてきた。

「使命達成のため、より正しい意思決定のために、今、何が必要なのか?」「それはどの様にして得られるのか?」

このような、誰にでも考えられるような幾つかの問いを、他の理事や役員と共に愚直に考え、行動し続けることにより、より持続的に成果を上げられる非営利組織を、我々自身の手で育んでいくことができるのだと思う。

Today's Questions.
Q:あなたは現時点で、いくつの非営利組織の運営に関わっていますか?(見落としている可能性があります。)
Q:あなたの生活は、いくつの非営利組織の恩恵を受けているでしょうか。

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11月1日”象はノミと違って身長の何倍も飛び上がることはできない。”
何でもできるわけではありません。全ては集中力に鍵が。お楽しみに。

2009年10月30日金曜日

”募金とは資金源開拓のことである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、NPOの資金源開拓について。募金による資金繰りが仕事になってしまいがちなNPOについて注意すべき点が描かれている。

このページで触れられている通り、NPOの主たる資金源は募金から成り、企業や政府の資金源とは異なる。

残念ながら、個人的には数十万程度の募金活動しか経験がないため、細かい点については分かりかねるが、相手に非営利組織の存在意義を理解してもらい、多額の募金をしてもらうというのは本当に大変な事だと思う。

募金してもらえるか否かによって、そのNPOの存在価値が明確になってしまうのだ。「この活動を支援すべきだ。」と思ってもらうには、昨日の投稿でも触れた通り、強力なマーケティングが必要だろう。

マーケティングとは相手の側に立つことが必要、というわけで、本日は支援企業側として考察してみたいと思う。NPOといっても活動内容は様々なので、全てに当てはまることではないかも知れないが、個人的な意見としてお読みいただき、皆さんからの意見や感想などもいただければと思う。

もし私が支援企業の側であるなら、募金を単なる資金援助では終わらせないだろう。募金はある意味、自らの組織に新たな事業部を設置することと同じ意味を持つのだと思う。

当社の資金というリソースと、NPOが保有するリソースを融合させることで、当社の使命達成能力を強化させることができるからだ。

私なら、

・いかにそのNPOが当社の使命を理解しているか?
・当社の使命達成に拍車をかけるのに最適なNPOか?
・最も成果を上げられるNPOか?
・社会的に見て、その事業を、そのNPOにリードさせるべきか?
・自らの子供をそのNPOで活動させたいと思うか?
・ステイクホルダー(組織の利害関係者)にも同様に理解を得られるか?

などを自らに問うことによって、どの程度の投資をすべきかを決定していくだろう。

上記の事から、NPOは企業の使命達成請負人の役割も担うことが理解できる。だとすると、NPOは本質的には企業にとって、「外部の人間」であってはならないのかも知れない。


Today's Questions.
Q:あなたのNPOは、支援企業の事業部として機能し得ますか?
Q:少しずつでも多くの企業から支援してもらえれば良いと思っていませんか?

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10月31日”NPOにおいて理事とは、地位ではなく責任である。”
理事は責任を伴った選択をする義務があります。お楽しみに。

2009年10月29日木曜日

ブログにTweetボタンを設置しました!(Drucker365)

 
いつもDrucker365をご愛読いただき、誠にありがとうございます。

毎日、Twitterを通じて多くの方々においでいただき、日々感想をいただけることは、私にとってこの上ない幸せでございます。

しかし、実は一点、8月にブログを開始してから私がずっと気になってきた事があったのです。それは、せっかくお読みいただいてもどうしても一方通行になってしまいがちで、お読みになった方同士でお互いの意見や感想を交わしたり、考えを深め合ったりすることが困難な点でした。

そこで、当ブログの読者の大半はTwitterユーザであることから、各Postの後に「Tweetボタン」を設置させていただきました。このボタンによって、各PostへのTweet数を把握したり、他の方々の感想を読んだり、それにReplyしたりが自由にできるようになりました。

ご投稿いただくことで、ボタンにTweet数が表示されるようになりますので、その数が多い場合はその分、議論が白熱した(?)ことがある程度把握できます。

これで、ネットを通じた「毎日開催!『ドラッカー 365の金言』ワークショップ」の出来上がりです。(笑)このように、誰もが、いつでも参加できるドラッカーのワークショップは、まだ国内に存在しませんので、心おきなく闊達な意見交換をしていければと存じます。

最初はTweetボタンを押した後、英語が多いので、心配される方も多いかも知れませんが、「Tweetmeme」という急成長している米国のサービスですので、安心していただけるかと思います。

なお、本件につきまして、ご不明な点はTwitterを通じてお受けいたしますので、お気軽によろしくお願いいたします。

注:Twitterのアカウントをお持ちでない方は、こちらからご登録ください。

それではまた明日、これからはみんなでDrucker365でお会いしましょう! ;-)

”マーケティングとはサービスの受け手の側に立つことである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、非営利組織(以下、NPO)のマーケティングについて。営利目的の営業活動にくらべ、非営利活動には、より相手の立場に立ったマーケティングが不可欠となる。

原著「The Daily Drucker」の本日のページで、ドラッカー教授は、非営利組織について以下のように説明している。非常に興味深い箇所なので、引用したい。

The nonprofit institution is not merely delivering a service. It wants the end user to be not a user but a doer. It uses a service to bring about a change in human beings. It attempts to become a part of the recipient rather than merely a supplier.(P.F. Drucker, "The Daily Drucker", p.329, Harper Business)

NPOは、単にサービスを提供するするのではなく、ユーザーに利用者としてだけでなく、行動する人になってもらうことを目的としている。NPOは、人間に変化をもたらすためにサービスを活用し、サービスの提供者としてだけでなく、同時に受益者になろうとする。(同上 中村克海訳)


ここで感じたのは、非営利活動だとしても、”価値”としての”Profit(利益)”を目論んで活動していることを、相手にしっかりと伝えなければいけない、というメッセージだ。

NPO活動において、周囲に協力を要請したり、サービスを提供すると、必ずと言っていいほど耳にするのは、「なぜ(ボランティアで)そんな事をしているの?」といった一種の猜疑心から発される質問だ。

せっかくこちらから今までにない素晴らしいサービスを提案しても、協力者やユーザーの「なんで?」という猜疑心を取り払うのに時間がかかり、プロジェクトがスローダウンしてしまう、ということを今まで何度か経験してきた。

このページに登場する有名な詐欺師の言葉、「ブルックリン橋は、贈るより売る方がやさしい。」からも分かる通り、我々はどこかで「ただより高いものはない。」という意識を持っている。

そのため、この”猜疑心”を取り払うためのマーケティングなしには、良くできた非営利サービスも円滑に広めることが困難だ。優れた商品を値札無しに陳列しても評判にはならないのだ。

マーケティングとは、相手(受け手)に乗り移ることによって、自らの組織(提供者)にしてほしいことをそのまま感じ取り、実行するまでのプロセス全体を指す。

マーケティング不在のNPOは、つい「我々はみな、こういうところで困ってるんです。だから、こういうサービスがあったら便利じゃないですか。どう考えてもあなたにはリスクがないのに、なぜ協力(または利用)してくれないんですか?」と自らの都合を前面に出して相手を追い詰めてしまう。これではエゴ丸出しの押し売り(sales)だ。

なぜそうした活動を始めるに至ったのか?サービスの提供者と受益者、双方のメリットとデメリットは?この辺りを率直に見える化できれば、”無形の支払い”を済ませる事ができる。

まずはその”無形の支払い”を済ませ、より円滑に豊かな社会を構築していこう。

追記:そういえば、当ブログについてもその辺を明確にしておく必要がありますね。後日、明記したいと思います。


Today's Questions.
Q:「無償の愛」は存在するのでしょうか?
Q:NPOであることによって、気持ちの上で相手の上に立ってしまっていませんか?

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10月30日”募金とは資金源開拓のことである。”
本日は投稿が遅くなりまして、ご迷惑をお掛けいたしました。明日は、募金による資金繰りが仕事になってしまいがちなNPOについて注意すべき点が描かれています。明日もどうぞお楽しみに。

2009年10月28日水曜日

”顧客以外のステイクホルダーに対しては政治的に対応しなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、顧客以外のステイクホルダーとの関わり方について。ドラッカー教授は、主たる顧客の満足を追求する一方で、その他のステイクホルダー(利害関係者)の満足をバランスさせる必要がある、と説いている。

自らの主たる使命に関しては最適化を求めなければならない。何が受け入れられるかではなく、何が正しいかを考えなければならない。しかし、顧客以外のステイクホルダー(利害当事者)に関しては、拒否権を行使されないよう政治的に対応し、満足化を求めなければならない。(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「乱気流時代の経営」より、ダイヤモンド社)


ステイクホルダーとは:組織において、その活動に影響を受ける個人または法人、団体を指す。一般企業の場合、顧客、消費者、従業員、労働組合、株主、投資家、債権者、金融機関、関連企業、取引企業、競争企業、業界団体、行政、監督官庁、地域住民などがステークホルダーである。

「経営者に贈る 5つの質問」の中で、顧客には①「主たる顧客」と②「パートナーとしての顧客」の2つがあるといった説明がある。この後者が、本日の内容で言う、「顧客以外のステイクホルダー」だ。上に挙げたように、一口に”ステイクホルダー”といってもそこには極めて多様な人々が含まれることを改めて注意したい。

われわれの組織の貢献は、こうした「パートナーとしての顧客」の貢献によって実現している。

よって、組織のトップが「主たる顧客」との関係を優先させるが故に「パートナーとしての顧客」に対し、過剰に犠牲を強いる状態が続くと、組織の弱体化を招く恐れがある。

それぞれのステイクホルダーが、組織に何を求めているのか?彼等(または彼女達)が組織に求めているものを、一概に「お金だ。」と言い切るのはあまりにも安直すぎる。お金だけで満足させることができるのはごく一部の人であり、そうしたステイクホルダーは、組織にとって永続的な”真のパートナー”にはなり得ないだろう。

”良きステイクホルダー”は、「(自分の存在が)組織の邪魔になってはいけない。」ことを無意識の内によく理解していると同時に、その組織に対し、崇高な意味での”価値”を期待しているように感じられる。

その組織は、「自らの成長や夢の実現に役立てられる組織なのか?」を常に見極めようとしている。

われわれは、そうした組織を支える人の大きな期待を意識しつつ、それぞれのステイクホルダーが満足していただける様なカタチにバランスさせていく必要がある。

ツイている組織は、組織とステイクホルダーが一つの家族の様に団結して見え、そこに関わるすべての人が、それぞれの強みを結集している。

今日も仕事を通じて関わる”すべての人”と強みを結集し、よりよい明日を築いていこう。


Today's Questions.
Q:パートナーとしての顧客は、あなたの組織にそれぞれどのような価値を期待していますか?

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10月29日”マーケティングとはサービスの受け手の側に立つことである。”
真のマーケティングとは?明日もお楽しみに。

2009年10月27日火曜日

”知識労働者とは同じ1つの階層である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「新しい現実」からの抜粋だ。知識労働者の政治的位置づけについての説明となっている。

多数派でありながら、いかなる政治勢力とも無縁で自由な存在である知識労働者。収入に違いがあるとしても、経済的社会的には同じ一つの階層に属する、とドラッカー教授は言っている。

いかなる職種であろうと、人に事細かに指示を受け、その通りに仕事をこなせばよいという仕事に就いている人は少ない。日々の仕事の中で様々な選択を強いられるわけで、そうした意味において、先進国で仕事に就く殆どの人が、知識労働者であると言える。

一人ひとりがセルフ・マネージャーであり、自らの経営責任を担っているのだ。

また、資本家という意味においても、われわれ知識労働者は組織の一員として年金基金を通じ、莫大な資産を間接的に運用する立場にある。

われわれは、知識と資本を有する資産家であると言える。

しかし、原著”The Daily Drucker”のACTION POINTにあるように、この巨大な”知識労働者層”を支持者の対象とした政党が存在しないのはなぜだろうか。

そのような政党が存在した場合、どの様な施策を提案するのか? 
この点については、もうしばらく考えてみようと思う。

Today's Questions.
Q:”知識労働者党(仮称)の党首として、あなたならどのようなマニフェストを策定しますか?”

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10月28日”顧客以外のステイクホルダーに対しては政治的に対応しなければならない。”
いかにして顧客以外のステイクホルダーに満足してもらうべきか。お楽しみに。

2009年10月26日月曜日

”労働組合が活力を取り戻すには自ら根本的に変身しなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、労働組合の存在意義について。この中で、ドラッカー教授は「強力なマネジメントを必要とする現代社会においては、強力な労働組合が必要である。」とし、急速に変化する労働環境に即した労働組合活動が必要であることを示している。

労働組合の目的は、労働者の雇用環境の向上や諸条件の維持改善にある。しかし、近年は著しくその存在感が薄れてきており、全労働者に占める組合員の比率も、戦後は半数を超えていたが、現在では20%に満たない状態で、今なお低下し続けている。

では、どのような変化が労働組合員の弱体化を招いているのだろうか。

・組合のネガティブなイメージ
・特定政党への投票
・社会保障制度の一般化
・国内の生活水準向上
・非正規雇用者層の増大
・組合の要求内容と現実との乖離
・労働基準法等、法令遵守の意識向上
・ワンマン経営の減少
・経営状況の可視化
・会社側による雇用環境向上

少し考えてみても様々な要素が考えられる。

上記のそれぞれが労働組合の組織率の低下を招いていることは容易に想像できるが、個人的にこの中で特に問題として大きいと思うのは、労働組合が、急増するパート・アルバイト・派遣・契約・嘱託といった非正規労働者にとってメリットのある組織になっていない点だ。

過去20年間において、非正規雇用者の割合の推移を見ると、男性が8%だったのが20%近くに、女性では38%だったのが、今では半数以上に急増している。

しかし、労働組合の多くは中高年の正規雇用者で構成されており、積極的な非正規雇用者の保護は、自らの首を絞めることになると考えてしまうため、肥大するそれらの労働者を守ることができずにここまで来てしまったという感じだ。

以前に比べ、従業員を大切にする経営者も増え、一見労働組合は不要に見えるかも知れないが、検討すべき課題は従来とは異なる場所で発生している。その辺りについて建設的に意見を交わせる労働組合は組織全体にとってもメリットが大きい。

改めて労働組合の使命は何か?、顧客は誰か?、顧客にとっての価値は?といった問いについて整理する必要があるのではないだろうか。


Today's Questions.
Q:労働組合でなければ実現しないことは何ですか?

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10月27日”知識労働者とは同じ1つの階層である。”
知識労働者の政治性とは?明日もお楽しみに。

2009年10月25日日曜日

”環境保護を目的とする援助こそ最も生産的な国際協力にちがいない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、環境保全における国際協力のあり方について描かれている。原著”The Daily Drucker”の本日のタイトルは、”Government in the International Sphere”となっており、”球体”としての地球全体を見据えた、強い意思決定機関の必要性を伺える。

われわれは、海洋汚染、地球温暖化、オゾン層破壊など、人類の生存環境の破壊をともなって生産された財の貿易を禁ずることにより、それらの行為を事実上禁止することができる。(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「断絶の時代」より、ダイヤモンド社)


このページで重要なのは、地球がこのような機関を手にするには「国家主権の犠牲が必要である。」という点だ。地球を意識して意思決定をするためには、「国」という概念を捨てる必要があるのだ。

たしかに、国という「壁」を無視して考えることができると、我々の取り組みは大きく変化するはずだ。地球全体を住みやすい場所に戻すためには、各国の強みを最大限に活用する必要がある。

しかし、なぜこの実現が難しいのか?

われわれは他者に協力しないための「壁」を作る(あるいは見つける)のに長けている。「壁」は、国だけでなく、先日の記事で登場した宗教や政党のほか、性別、人種、学歴、会社、部署、思想、収入・・・等々、様々なカテゴリーによって作られ、人々はそれに依存することで、自分自身の良心の声から身を隠してしまう。

「あの人(または人達)は(私とは異なる)○○だから。」と言って逃げる。

では、なぜ協力から逃げるのだろうか?

ひょっとすると、我々は資本主義によって世界の全てが「ゼロサム・ゲーム」でしかないのだと、信じて疑わなくなってしまっているのかも知れない。

特に政治家の国家間交渉からは、それを強く感じさせられる。未だに「私の国からこれをあげるから、あなたの国からはこれをよこしなさい。」などといつまでもやっているのだ。問題が悪化するスピードの方がよほど早いのは当然だ。

今世界が必要としているのは、全地球規模で意思決定できるリーダーである。自国の利益を最優先させる国には難しい。この点において新しい米政権は従来より賢く映るが、強烈な愛国心を植え付けられたアメリカ国民には地球レベルの意思決定など極めて難しいはずだ。

私は、これまで世界中の方と付き合ってきた経験から、冷静且つ客観的に考えても、われわれ日本人がこの仕事の中心的役割を担うべきであると考えている。

これは決して私の愛国心から来る安易な”希望”ではなく、この国の歴史、気質、風土、地理的環境など、様々な視点から見て、思うところなのだ。まずは我々が地球規模の意思決定を始める事で、地球が「ノン・ゼロサム」である事を立証できると信じている。


Today's Questions.
Q:地球規模の意思決定において、真の愛国心をどのような行動で活かすことができますか。

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10月26日”労働組合が活力を取り戻すには自ら根本的に変身しなければならない。”
労働組合の存在価値とは?お楽しみに。

2009年10月23日金曜日

”民営化の目的は政府の再生にある。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”も、「断絶の時代」より。タイトルが”民営化の目的”となっているが、原著”The Daily Drucker”では”Government Decentralization(政府の分散化)”というタイトルとなっている。

Decentralization(ディセントラライゼーション)という言葉は、Centralization(中央集権化、中央集約化)の反対で、分権化、分散化などの意味である。

分散化というと、政府の弱体化を招くのでは、との印象があるが、実際はそうではない。政府は”頭脳”として重要な意思決定をより適切に下す一方、事業などの「実行」に関わるあらゆる部分については民間に委託すべく進めることで、”明日をつくる”組織を作ることができるはずだ。

これは会社組織においても全く同様だ。「社員には任せられないから…。」と言いつつ、いつまでも社長が事細かな仕事をしていれば、大局で見る機会を失い、どれも中途半端に終わってしまう。脳は脳として、手足は手足として役割に徹することで組織は前に歩き出すのだと思う。

また分権化、分散化というと、”丸投げ”と誤解してしまいがちだが、仕事や権限を委譲する側は、成果を公正に評価する事が前提となる。

このDecentralization(ディセントラライゼーション)は、今後の組織運営改革の要になってくるのではないかと思う。フラットで柔軟な体制をつくり、いかにしてより多くの重要な権限を委譲し、今までにない成果を上げる一方で、未来を見つめ続けられる組織にできるか。

静かなカリスマ性を持った次世代型組織(および、リーダー)が、社会に必要とされている。


Today's Questions.
Q:政府が存在しなかったら、何に困りますか?それはなぜですか?
Q:政府の仕事で民営化できない仕事は何ですか?本当に民営化できませんか?
Q:成果の公正な評価なしに、丸投げして終わっていませんか?

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10月25日”環境保護を目的とする援助こそ最も生産的な国際協力にちがいない”
明日はお休みさせていただきます。明後日をお楽しみに。

2009年10月22日木曜日

”政府は形式を重視する。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「断絶の時代」からの抜粋。「政府はお粗末な経営者である」という一文から始まる本日のページは、政府の役割について説明されています。

政府の役割は、重要かつ意味ある意思決定を行うことである。社会のエネルギーを結集することである。問題を明示することである。選択を提示することである。すなわち、統治することである。(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「断絶の時代」より、ダイヤモンド社)


政治について疎い私にも、かつての政治ニュースは読むに堪えない内容の議論ばかりだった。税金を浪費しながら、延々と低レベルな論争にうつつを抜かし、まさに”重要かつ意味ある意思決定”が全くと言っていい程なされていなかった様に思う。

しかし、政権交代後は話題の質が一変した。議論の内容が個々の”意思決定”についての論争に変わってきている。多少荒削りだが、今の政党は前を向いている。前政権に較べ、未来の時間(明日をつくる時間)が圧倒的に多いように見えるのだ。

”社会のエネルギーを結集する”および、”問題を明示する”という意味においては、体制がある程度整い次第、党を越えて公平公正な見解で意見を交わし、協力しながらよりよい意思決定ができる様な環境の構築を期待したい。

10月17日の記事で宗教について触れた。タイトルは、”宗教は、神の王国を捨ててまで社会を受け入れることはできない。”というものだった。これを政治に変えてみると、分かり易い。

”政治家は、政党を捨ててまで社会を受け入れることはできない。”

宗教と同様に、社会は政党に関係なく、有機的に絶え間ない変化を続けている。より正しい意思決定のため、全ての議員から、政党という依存対象を排除しなければ、本当の”エネルギーの結集”は実現できないのではないだろうか。

議員数は大幅に削減し、近い将来、国の意思決定においても民間の非営利組織がその大半を担う日が来るかも知れない。


Today's Questions.
Q:あなたがこの国のリーダーだとしたら、最初に取りかかる仕事は何ですか?

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10月23日”民営化の目的は政府の再生にある。”
引き続き、民営化についてのお話です。お楽しみに。

2009年10月21日水曜日

”政府は制定者、促進者、保険者、支給者ではなくなった。自ら実行者、運営者となった。(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、イギリスの国民健康保険制度を政府主導の制度改革の可能性について書かれている。このページで紹介されている、ドイツ帝国の初代宰相オットー・フォン・ビスマルク(1815-1898)(Wiki)と社会保険制度の成り立ちについてWikipediaに端的な説明があった。興味深いので、引用しておこう。

社会保険制度の創設
世界で最初の社会保険制度は、1880年代に創設されたドイツの社会保険制度である。当時、イギリス等に比べて経済的に後進国であったドイツは、急速に産業革命を進め経済的発展を図るために、労働運動を抑圧する必要があり社会主義者鎮圧法が制定された。その反面で、労働者にアメを与えること(福祉向上)とし、宰相オットー・フォン・ビスマルクは、1883年に疾病保険法、1884年に災害保険法、1889年に老齢疾病保険法を制定する飴と鞭政策を採った。イギリスは、古くから「友愛組合」という名の共済組合が発達しており、労働者の生活もわりあい恵まれていた。しかし、20世紀に入り、ドイツ、アメリカ等の後進資本主義国が発展し、世界経済市場で競争が激化し、労働者の生活も圧迫されたため、デビッド・ロイド・ジョージは、1911年に国民保険法(健康保険と失業保険)を制定した。失業保険は、世界で最初の制度である。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパの多数の国々で社会保険制度が整備された。(ウィキペディア(Wikipedia):「社会保険」


今日、日本を含め、世界の先進国において無くてはならない社会保険制度の基礎は、この”鉄血政策”で有名なビスマルクによって発案されたという事実には驚いた。彼の人柄を表す逸話があったので、こちらも紹介したい。

沼に嵌って溺れている友人から助けを求められたところ、銃を向け「その沼は底なし沼なので助けようとすれば二人とも溺れ死んでしまう。せめてもの友情で苦しまないよう一発で殺してやる」と言い放った。驚いた友人は、懸命に泳ぎ自力で沼から這い上がってきたといわれる。この話が実話かどうかは確認されていないが、冷静で計算高く目的のためには荒っぽい手段も辞さないビスマルクの手腕を示す逸話として残っている。

一見、酷く乱暴な話だが、我々が彼から学べることは多い。方法云々は別として、彼はいかなる場面においても瞬時に成果を出している。

ビスマルクについて調べてみると、彼がいかに優れた交渉力の持ち主だったのかを実感することができた。彼は一瞬にして相手よりも相手を理解し、必ず相手に何らかのメリットを提供することで自らの組織の目的を果たしていた様だ。

「政治主導」「国の介入」「政府主体」という言葉には思わず拒否反応を起こしてしまいがちだが、それは単に我が国の政府が、民間や非営利に較べ、”目的を達成し得ない意思決定機関である”と認知された結果だ。

社会の構造改革に一番近い立場の「政府」が、国民や社会全体に対し、”なされるべき事をする”気高い意思決定機関であれば、我々日本人はグローバル社会においてより重要な任務に就くことができるのではないかと思う。そして新しい日本として生まれ変わるのは今からでも決して遅くはない。

ドラッカー教授は生前、世界をリードするべき国として日本に大きな期待をしていた。われわれ一人ひとりがその意味を改めてよく考える必要があると思う。


Today's Questions.
Q:どの様にすれば、現政権が正しい意思決定ができるようサポートできますか?

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10月22日”政府は形式を重視する。”
タイトルどおりの内容です。本日の内容にも関連する内容です。お楽しみ下さい。

2009年10月20日火曜日

”利潤動機は物に対する支配欲を満足させる”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「企業とは何か」からの抜粋で、利潤動機による”物”に対する支配欲の妥当性と、人に対する支配欲の危険性についての説明となっている。

このページを通じて、我々がまず受け入れなくてはならないのは、”経営者の意思決定が組織を変え、社会の何千何万という人の人生に良くも悪くも深く影響を及ぼす”という紛れもない事実であろう。

社員、社員の家族や知人、顧客、取引先、地域住民等、そしてその子孫と、それが小さな組織であったとしても、その組織に直接的、間接的に接触する人の数は我々の想像を大きく上回る。

組織としての一つ一つの意思決定が、それらの人の行動を変化させるものであることを肝に銘じなければならない。だからこそ、組織の意思決定は、自由や平等といった人の根源的欲求に基づくものであり、一種暴力的な独裁によって人の心や生活を支配することは、社会的にも許されない事であると思う。

「暴力的独裁」というと非日常的なフレーズに聞こえるかも知れないが、実際は殆どの組織において、毎日のように発生している事ではないかと思う。

私の解釈では、経営者(または意志決定者)が「われわれは」ではなく、「私は」を起点に考えられた意思決定は、その全てが何らかの形で「暴力的独裁」に繋がる危険性を持ち合わせていると考えている。

組織において絶大な権力を持った経営者は「私はこうしたい。」と、公器としての組織を個人的な希望だけで意思決定を行ってしまう。雇われる側からすれば、その指示に従わなくてはならない一方で、経営者の”趣味”に人生を切り売りすることの無価値感に襲われているはずだ。

そうした組織は、遅かれ早かれ、”知識労働者不在の組織”になるだろう。

組織は、何千何万という人々を自由にも、不自由にもする力を持ってる。経営者は、組織を自らの上に置くべきであり、万が一、自らの下に置くのであれば、いかに有能であろうとも、社会から拒絶されることになるはずだ。


Today's Questions.
Q:あなた(意志決定者)は、組織の上にいますか?下にいますか?

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10月21日”政府は制定者、促進者、保険者、支給者ではなくなった。自ら実行者、運営者となった。”
イギリスの保険制度の運営についての解説。月末に向け、非営利組織についての話が続きます。お楽しみに。

2009年10月19日月曜日

”経営陣が大金を懐に入れつつレイオフを行うことは社会的にも道義的にも許されない”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、経営陣の報酬について。資本主義といえども、経営者が一方では人をクビにしながらも、所得格差を20倍以上つけることの愚かさ、危険性について説明されている。

組織内の所得格差を二〇倍以上にするなと何度もいってきた。これを越えると憤りとしらけが蔓延する。(中略)人間として生き、人間として遇されるということの意味は、資本主義の金銭的な計算では表せない。金銭などという近視眼的な基準が、人生と生活の全局面を支配するなどということは許されざることである。(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「ネクスト・ソサイエティ」より、ダイヤモンド社)


グローバル企業の役員報酬について調べてみると、欧米の主要企業における役員報酬はストックオプション等も含め、一般的な社員の実に200倍以上にもおよぶことが珍しくないとのことだった。

多くの欧米企業では、オーナーと経営責任者(CEO)が異なり、優秀なCEOを高額な報酬を餌に迎え入れることで、短期的な利益の最大化に重きを置いている。また従業員よりも株主が重要であるとして、当たり前のように人員削減しながら利益を拡大させることにより、株価を上昇させ、当然自らの報酬も上げることになる。

一般社員との所得格差は広がるばかりで、この辺りが本当の意味で問題視されるようになってきたのはつい最近のことだと思う。

一方、日本の経営者はオーナーの場合が多く、海外に較べ、経営者の流動性が極めて少ない。また社員、株主、取引先等のステークホルダーの他、社会との調和を考慮すると、報酬を上げすぎると諸問題に繋がることを知っているし、そもそも欧米企業の様な高額な報酬を望む経営者自体、少ないのではないだろうか。

日本の経営者について、この辺りが海外の経営者にとって全く理解の及ばない神秘であり、日本企業の強みの一つだと思う。

2006年の時点で、GMの役員報酬が約7億に対し、トヨタの役員報酬は約8千万程度。この差は大きいが、トヨタ生産方式を学ぶと、この額にはある意味、納得できる。トヨタでは多能工化を促し、限定した専門家が育つことを良しとしない。よって優秀な1人の人材よりも一般社員10人による知恵を大切にする。

意思決定の機会を分散することで、組織で結論を見いだすからだ。

日本の中小規模の企業においても、オーナー経営者のリスクが大きいからといって、組織内にあまり大きな所得格差を作ってしまうと、その分運営に悪影響が発生すると思われるので、十分に注意したい。また、いかに自らの報酬額を内密にしようと努力してもあまり意味がないと考えた方がよい。

より正しい意思決定のためにも、自らの報酬額には一定の上限を設けておくのが賢明だ。

最後に、少し極端な例かもしれないが、参考までに新渡戸稲造の「武士道」より、私が好きな部分を引用して終わりにしたい。

どんな仕事においても報酬を払う今日のやり方は、武士道の信奉者の間では広まらなかった。なぜなら、武士道は無報酬、無償であるところに仕事の価値があると信じていたからだ。精神的な価値にかかわる仕事は、僧侶にしろ、教師にしろ、その報酬は金銀で支払われるべきものではなかった。それは価値がないからではなく、金銭では計れない価値があったからである。(新渡戸稲造著、岬龍一郎訳「武士道」PHP研究所


”富は知恵を妨げる”という知恵は、武士の間では常識だったのだ。


Today's Questions.
Q:あなたの報酬が組織にしらけを生んでいませんか?
Q:報酬の他にも、あなたの特権が組織の知恵を妨げているとしたら、それはどの特権ですか?

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10月20日”利潤動機は物に対する支配欲を満足させる”
利益至上主義が、人と物に対する支配を加速させる、というお話です。お楽しみに。

2009年10月17日土曜日

”宗教は、神の王国を捨ててまで社会を受け入れることはできない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「経済人の終わり」より、宗教の弱みについての説明が紹介されている。センシティブなメッセージなので、まずは特に重要な箇所を引用しておきたい。

宗教は、いかなる社会においても良心たりうる。しかし宗教は、神とともにある魂の王国、神の王国を捨ててまで社会を受け入れることはできない。この点にこそ、社会における良心としての宗教の強みがあるとともに、社会における政治勢力、社会勢力としての、いかんともしがたい弱みがある。(PFドラッカー著、上田惇生訳「経済人の終わり」、ダイヤモンド社)


ここで、私個人が学生時代に経験した極端なエピソードをご紹介したい。

私が卒業した大学は、米ヴァージニア州の田舎町にある小さなプライベート・カレッジであったが、主力となる学部のユニークさから、この大学には全米から一芸に秀でた学生が集まっていた。私の記憶では全学生のおよそ1/3が地元の学生で、残り2/3が他州や海外からの生徒だったように思う。

アメリカ南部の田舎町(特に私が居た地域)といえば、全米でも最も信仰心が非常に強い家庭が多く(多くはプロテスタントのバプティスト派)、在学中、度々地元の学生とその他の学生の間で終わりのない激しい宗教論争が繰り返されていた。

この際、私が感じたのは、信仰心が強い生徒達にとって宗教は、両親を通じて今までずっとその人を育ててきた大きな”心の支え”であり、聖書が”社会の生々しい現実から身を守るための”楯”になってしまっている、ということだ。

同時に、彼等(または彼女達)にとって、日曜礼拝に行かない人や、無神論、無宗教の人間などもってのほか、といった感じであり、その様な人は「いくら笑顔でいい人に見えても、いずれは地獄に堕ちるべき、道徳心のない者」という態度が私にも垣間見えた。

冗談のようだが、これが今も米国のような先進国で起きている現実なのである。

確かに宗教によって我々のあるべき姿を提示したり、心の平安を提供することができるかも知れない。しかしそもそもの目的が人の幸せを願う者なのであれば、それが人々の思考を拘束し、自由や平等を奪うような事は絶対にあってはならないと思う。


Today's Questions.
Q:現代における、宗教の強みとは何ですか?

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10月19日”経営陣が大金を懐に入れつつレイオフを行うことは社会的にも道義的にも許されない”明日はお休みさせていただきます。明後日またお会いしましょう。

2009年10月16日金曜日

”決定的な権力が正統性を欠くとき、社会は社会として機能しない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「産業人の未来」からの抜粋で、自由、平等、気高い権力に基づく組織制度こそが、自由、平等、気高い社会を生むことができる、といった説明となっている。

当社の組織運営に関わり始めてから、10年が経とうとしているが、その間には、”性悪説”に基く意思決定を社員に押しつけ、失敗した経験も多々ある。

各プロジェクトがうまく進まないことを社員のせいにして、懲罰的な制度を設けたり、くだらない理由で人の配置を変えることで、問題の再発防止を期待する一方、社員との信頼関係を大きく傷つけ、成果から自らの組織を大きく引き離していた。

しかし、コミュニケーションや心理学について学ぶ中で、”強みに焦点を合わせる”ドラッカー思想と出会い、「やはり、そうなのか。本当に”社員は社長(経営者)の鏡”だったのだ。」と痛感した。

組織においては、一つ一つの意思決定に、それを行う者(多くの場合は、経営者や幹部)の魂が宿る。何らかの制度を発表する場合、それを言い渡されたスタッフは、制度そのものの目的に加え、非常に多くのことを直感的に感じ取る力を”全員が”持っている。

・それは私たちにとって、どの様なメリット(自由&平等、収入増、成長、深い絆、安定等)があるのか?
・なぜ経営者はそうした制度を作るに至ったのか?
・経営者は何を目論んでいるのか?
・会社の将来にとってどうなのか? 等々...

もちろん、一つ一つの意思決定にこれらを整理して考察するようなスタッフはいないが、そうした制度を発表されたスタッフの表情を見れば何らかの違和感に気付くはずだ。

その”違和感”に嫌悪感が帯びているように感じられるのであれば、意志決定者は、それがどこから来ているのかを再考する必要があるだろう。なぜなら、もしそれが、社員の自由、平等、気高さを脅かすものであるならば、遅かれ早かれ、その意思決定は無駄に終わるからだ。

さて、経営者でも幹部でもないという方は、先程の”社員は社長の鏡である”という言葉を見て少々がっかりしてしまったかもしれない。しかしドラッカー教授は、成長においては、”上司と部下の距離は一定である”といった言葉も残している。

「自分(上司)はさておき、部下の成長を。」というのは成立しないということだ。よって、部下が気高い意思決定を継続することによって、いつしか上司もそれに従い、正しい意思決定をするようになるものと信じている。

以上のことから、より自由で平等な、気高い社会を望む人は、まずは自らが属する最も身近な組織(家族、会社、非営利組織、地域等)において、これらを重んじることから始めよう。その小さな活動が、いつしか社会全体を動かす事に繋がるはずだ。

個人的には、この数年で、世界中で急速にその兆候が見え始めてきた様にも感じられる。


Today's Questions.
Q:より自由で平等な、気高い社会のため、あなたにはどの様な貢献ができますか?

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10月17日”宗教は、神の王国を捨ててまで社会を受け入れることはできない。”
宗教の役割についての説明です。お楽しみに。

2009年10月15日木曜日

”意思決定のレベルには、2つの原則がある。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”では、意思決定を”行動に近いレベル”で行うことの重要性について説明されている。

われわれは、つい高いレベルに居座りながら、現場の意思決定を行ったり、低いレベルに居座りながら、高いレベルの意思決定をしてしまいがちだが、ドラッカー教授は、問題の中身をよく見ながら、視点の高低を柔軟に変化させ、なるべく行動に近い低いレベルで意思決定することが重要だ、としている。

一眼レフのカメラで例えると、常に単焦点レンズを使うのではなく、ズームレンズを使い、対象物によって最も理想的な状態で見える場所を探しましょう、という感じではないだろうか。

そして、意思決定の対象となる問題を、以下の4つの分類に分けて検討し、どの程度のレベルで意思決定すべきかを考えることを勧めている。

①意思決定が影響する時間の長さ
②意思決定が影響する範囲(部門、分野等)
③定性的要因の数(価値観、信条)
④問題の連続性(例外的・一般的)

以前、9月3日の記事において「リーダーは時として、部下達と共に戦っていた”戦場”に背を向け、一人丘の上に向かわなければならない。そしてそこから戦場をしばし観察する必要がある。」と書いたことがある。

まさにこの時が、”ズーム”を変える瞬間だ。現状維持を続けることによって、問題が深刻化したり、機会を逸する場合は新たな意思決定が必要となり、リーダーは視点のレベルを変える(この場合はズームアウトする)必要があるのだ。

経験上、日本には「低いレベル」に居座りたいリーダー、海外では「高いレベル」に居座りたいリーダーが多い様に思う。対応する相手(問題)に合わせ、われわれは心地よい場所に執着することなく、視点を変えることで大きな成果を生む事ができるのだと感じた。

以前、NHKの「プロフェッショナル」に登場した、京都市立堀川高等学校の荒瀬克己校長は、良き黒子として場の空気を感じ取る名人に見えた。そして彼は最後に、「プロフェッショナルとは、『やるべきときにやるべき場所にいて、やるべきことをしっかりする人。そして人事を尽くして天命を待つ。そういう人だと思います。』」という言葉を残してくれた。


Today's Questions.
Q:常にズームを変えて、対象となる問題を見ていますか?

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10月16日”決定的な権力が正統性を欠くとき、社会は社会として機能しない。”
組織の正統性についての説明です。お楽しみに。

2009年10月14日水曜日

”フィードバックが並の人間に一流の仕事をさせる。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、重要な意思決定の継続的レベルアップについて紹介されている。ドラッカー教授は、期待する成果を記録しておき、9ヶ月後あるいは1年後にそれを現実の成果と対比(フィードバック)させる事で、継続的に意思決定において一流になることができると伝えている。

個人的に思うのは、目標が達成できる時と、できない時の違いは、「組織のメンバーが目標となる『より魅力的な状態』をいかにありありとイメージできているか」という点ではないかと思う。そのイメージが定量的であれ、定性的なものであれ、リアル感に欠けたり、魅力あるカタチで理解されていないと、その目標を達成するのは難しい場合が多い。

この点において、当社ではまだまだ仕組み化が十分で無い様に思うが、今まで実践してきたのは、マインドマップで目標とする状態を共有したり、それに向けた個々の状態を”振り返りシート”という名の、○(良かった点)と!(改善するための具体的行動)が書かれているだけのシートを毎月の締日に書いてもらう、という方法だ。

大人数の部下を持つプレイング・マネージャーが、部下の一人ひとりとコーチングで目標の達成状況の把握やフィードバックを行うには限界があるし、無駄が多い。真の成長とは、誰かに演出してもらうのではなく、一人ひとりが自分の成長と真っ正面から向き合うことで実現するのだと思う。

決してコーチングの効果を否定するわけではないが、克己心が強い日本人には、過度のコーチングはかえって邪魔になってしまうのではないかと思う。日本人は外国人に較べ、自らの成長や精神状態に第三者が介入することを生理的に嫌う傾向が強いと思うのだ。そのため、フィードバックは主として自分で行える環境を整備してあげた方が、本人の自信にも繋がってくることを実感している。

さて、先程の「振り返りシート」だが、なぜ○と×ではなく、○と!なのかは、このブログを読まれてきた方には、なんとなくご理解いただけるのではないかと思う。フィードバックにおいては、×(良くなかった点)を詳細に明文化しても意味がないと考えるからだ。

×(良くなかった点)を探すことで、脳が逃げてしまい、言い訳じみてくるため、真因は闇に葬られる。その結果、この思考は”過去の時間(明日を創ることのない時間)”となってしまう。×ではなく、!(改善するための具体的行動)を自分への”誓い”として考えることで、目指す状態との乖離を埋める方法を積極的に考え、”未来の時間(明日を創る時間)”にできる。

この「振り返りシート」の運用で注意すべき点は、①「特になし」という記入を許可しない事と、②○と!を可能な限り同じ量を書く事である。いずれも自分の成長具合に、文字通り”真っ正面から”向き合うために必要不可欠な条件だと思う。

さて、当社では色々な場面で「それ、○と!で教えて。」と言えば、大抵「え〜、…分かりました。」という反応でA4一枚にまとめてくれるようになってきた。かたくなに拒否されないのは、このシートによる”セルフコーチング”によって、思いがけない発見があることを本人達が理解しているからではないだろうか。

自己管理によって、人は初めて前に向かって着実に踏み出すことができるのだと思う。


Today's Questions.
Q:目標達成時の光景を、組織でイメージできていますか?
Q:自分の成長に責任を持たせていますか?

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10月15日”意思決定のレベルには、2つの原則がある。”
明日のDrucker365は、行動に近いレベルで意思決定することの重要性について。お楽しみに。

2009年10月13日火曜日

”アイクもかわいそうに これからは命令どおりにはいかないだろう。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、”意思決定の前提”の陳腐化を自らが現場に出向いて確認する大切さについて説明されている。

タイトルは、ドワイト・アイゼンハワー(愛称:アイク)が大統領に当選した際、前任のハリー・トルーマンから出た言葉で、大統領として、これまでアイゼンハワーが大切にしてきた”現場主義”を貫く事の難しさを語ったものだ。

本日のページが引用されている箇所を読み進むと、以下の説明がある。

自ら出かけ確かめることは、決定の前提となっていたものが有効か、それとも陳腐化しており決定そのものを再検討する必要があるかどうかを知るための、唯一ではなくとも最善の方法である。われわれは意思決定の前提というものが、遅かれ早かれ必ず陳腐化することを知らなければならない。現実は長い間変化しないでいられるものではない。(PFドラッカー著、上田惇生訳「経営者の条件」、ダイヤモンド社)


われわれ、知識労働者にとって最も重要な仕事の一つ、意思決定には必ず”決定の根拠”が必要となる。そして、”決定の根拠”は、選択した直後から腐り始めるということだ。”決定の根拠”の腐り具合によっては、”決定”そのものがその意味を失うことにもなる。

よって、われわれにとって、意思決定が重要な仕事であるように、”決定の根拠”の腐り具合の確認も、同様に重要な仕事であると言える。最終的な意思決定は自らが行うのと同様、”決定の根拠”すなわち現場・現物・現実の確認も自らが行うのが理想的だ。

この点については製造業が進んでいる。トヨタ生産方式では「三現主義(現場・現物・現実)」あるいは「現場現物主義」と呼ばれ、トップ自ら即座に現地に出向き、五感を駆使して現物・現状を見ながら本質を見極め、素早く意思決定することの大切さが徹底されている。

ITの進化により、意思決定の現場は危険にさらされている。より生産的且つ責任ある選択のためには、それが非合理と言われても顧客や現場に自ら足を運び、生の情報を掴みたい。


Today's Questions.
Q:決定の根拠は、自分で得た情報で構成されていますか?
Q:以前の意思決定の根拠が、もう腐っていませんか?
Q:自然の中で五感を磨いていますか?

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10月14日”フィードバックが並の人間に一流の仕事をさせる。”
明日は意思決定の継続学習についての紹介です。お楽しみに。

2009年10月12日月曜日

”意思決定を行ってからその中身を売り込むのでは満足な実行は期待できない。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメントー課題、責任、実践」からの抜粋。意思決定において、関係のある人全てを巻き込むことの重要性について説明されている。

本日のページでドラッカー教授は、「この点では日本的経営に見習うべきである。日本では最初から全員を巻き込む。」と、日本企業の紹介をしている。

我々の様に、国内の組織運営にどっぷり浸かっていると、まだまだ情報共有が不足しているように思えるが、海外の組織と比較すると、日本の組織のメンバーに伝わる情報量は圧倒的に多いことが分かる。

中国の製造業を例に取ると、トップと現場の作業員の年収は100倍以上も異なることも全く珍しくなく、そうした人達の間で、日本の様に対等な立場で十分なコミュニケーションが交わされること自体、非常に稀だ。

そうした職場では、悲しい程に両者のラポール(信頼関係)は築かれていない。上司は「部下に情報を教えるのであれば、自分の仕事の存在価値が危うくなる。」と思い、部下は「自分にそれほど大事な情報を渡すのであれば、まずは給料を上げてくれ。」と思ってしまうようだ。

よって中国の他、世界中の殆どの国では旧態依然としたトップダウン式のピラミッド型組織構造が当たり前で、部下が自ら考えて行動するような事自体、海外では御法度に近いものになっている。

そのため、海外の会社の多くでは”Job Description(職務記述書)”といった書類に極めて詳細に職務内容や、行ってはいけない事を記してそれを守らせる方法がとられてきた。

しかし、この手法も、急速に変化を続ける社会に順応するためには邪魔な存在になりつつあり、機械的なピラミッド型組織から、より有機的でフラットな組織への取り組みが先進的な組織で見られるようになってきた。

”Job Description(職務記述書)”から、”Position Description(職位記述書)”に変更し、役割を明確にしながら部署間を柔軟に動けるようにしたり、Googleの様に、完全に自由な時間を増やしたりすることで、開発を加速させる企業も急増している。

話を元に戻そう。こうした、有機的でスピーディーな組織には”知りたい情報にいつでもアクセスできる状態”というのが、極めて重要だ。

例えば、「ちょっとしたことを調べるのに、職場のパソコンやネットは使えず、図書館に行かなくてはならない。しかも事前に調査許可を役所からもらえないと本を貸してもらえない。」というのでは、調べる方も許可する方も疲弊してしまう。

知識労働には個々に必ず”選択”が伴う。選択が増えれば増えるほど、雇う側も、雇われる側も、大方では同じ方向を向いている、ということを信じ、お互いを信頼し、”なるべく早い段階から”情報をオープンにしなければならない。それによって初めて組織の絆も強まり、加速度的に成果を出しやすい有機的組織が育っていくように思う。

ハーバード・ビジネス・レビュー(ダイヤモンド社)の2008年8月号に「フェア・プロセス:協力と信頼の源泉」という論文は、非常に参考になった。中でも印象的だったのが、危機的経営状況において再建を狙う工場の話だった。

この話に登場する会社の経営者層は、社員に余計な心配をさせない様、社員に経緯を説明せず、生産性向上のコンサルタントに調査させていた。ろくに挨拶もしない無言でメモを取るコンサルタント達に、工場のスタッフは「きっと、リストラが始まるんだ。」という噂が蔓延してしまう。結果、トップへの不信感を募らせてしまった。

その後、改善活動が上手く進まず、その原因がフェア・プロセス(経緯の開示といった意味だろうか)の欠如にあったことに気付いたトップが、全員に向かって謝罪し、それから徹底的に情報を開示することで危機的状況を乗り越えることができた、という話だった。

世界中、起きていることは同じなのだな、とつくづく感じつつ、「”性悪説”に基づいて運営する組織は近い将来、完全に淘汰される」ことを確信した。


Today's Questions.
Q:部下や上司を信じる前に、自分自身を信じていますか?
Q:「だったらもっと早く言ってくれれば良かったのに。」と言われていませんか?
Q:重要な情報を扱う部下の真剣な眼差しを見ていますか?
Q:半年後、部下に今までより重要な情報にアクセスさせることができますか?

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10月13日”アイクもかわいそうに これからは命令どおりにはいかないだろう。”
アイゼンハワーが大統領に当選したとき、前任のトルーマンがこう言ったそうです。それはなぜか?明日もお楽しみに。

2009年10月10日土曜日

”間違った問題提起への正しい答えほど修正の難しいものはない。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、誤った問題提起に対応する危険性について説明されている。

本日のページでは、労働災害についてデータの集計方法を誤った工場が紹介されている。組織運営の場においては、こうした”問題提起そのものが間違っている”場面というのは極めて多く、組織の時間を浪費させ、急速に弱体化させる大きな原因になりかねないので注意していきたい。

我々に持ち込まれる様々な問題は、そのそれぞれが「なるほど、そういう問題もあるのだろうな。」というもので、相談される側に中途半端に問題解決力があったり、面倒見が良かったりすると、「よし、分かった。そういう時はね…。」と、早速問題解決に乗り出してしまう。私自身にもこの傾向が非常に強かった。

一方、私の兄は、何か質問すると、すぐには教えず、「調べてごらん。」というタイプで、部下から持ちかけられた問題を聞いても、まず「本当に?本当にそうなの?」と問い返す。真因が掴めないと動かないのだ。私としてはそれに苛立つことも多々あったが、結果として彼の方法がより効率的であることに気付いた。

幸い(?)、最近では彼と話さなくても、頭の中で「本当に?」というささやきが聞こえる様になってきてしまった。

表面化している問題(あなたの下に持ち寄られた問題)は、海面上に見えた氷山の一角であって、そこを取り除いたとしても、異なる部分が浮かび上がってくるだけなのだ。このそれぞれを個別に対処していたのでは埒があかない。

また、こちらの依頼無しに、いつも詳細なデータ作成をしているスタッフには特に注意したい。まず、なぜそういった行動(統計を取る)に至ったのか?を確認していくと、単に時間をもてあましている場合や、何らかの交渉のために膨大な時間をデータ作成に費やしている場合が殆どだ。いずれにしても、直ちに現作業を中断させ、”未来の時間(明日を作る時間)”に置き換える必要がある。

これまでの経験からして、”間違った問題提起”の大半は、”個人的な期待や願い”から生まれる事が多い。真の問題とは言えない問題に、組織の多くの人が貴重な時間を割くようなことがあってはならない。


Today's Questions.
Q:その問題は本物ですか?
Q:明日に繋がるデータが作られていますか?

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10月12日”意思決定を行ってからその中身を売り込むのでは満足な実行は期待できない。”
明日はお休みさせていただきます。明後日は、実行に関わりのある人全てを巻き込む大切さについての紹介です。お楽しみに。

2009年10月9日金曜日

”最も多く見られる誤りは一般的な問題を例外の連続とすることである。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、意思決定における、問題の種類の見極め方について紹介されている。問題がどの種類に属するのかを把握できないと、いつしか(昨日紹介した様な)大規模な外科手術が必要になってしまうからだ。

個人的にも、この”見極め”ができるようになってから、時間の使い方が大きく変化したように実感している。

ここでドラッカー教授は、問題には大きく分けて2つの種類、”一般的な問題”と”例外的な問題”があるとしている。

そして、”一般的な問題”については原則と手順を通じて解決し、”例外的な問題”については、その状況に従い、個別の問題として解決しなければならない、とし、この2つを更に4つの種類に細分化して説明している。

①一般的な問題の兆候に過ぎない問題
②当事者にとっては例外的だが、実際には一般的な問題
③本当に例外的で特殊な問題
④例外的に見えるが、一般的な問題の始まりでしかない問題

まず①だが、職場で起こる殆どの問題がこの種類だ。各職場で日々、膨大な数の問題に対処しているが、その問題の真因は実は別の部署に潜んでおり、問題が発生している職場だけではそれを根本から解決することができない。組織全体を見た上で解決をしないことには、問題はいつまでも組織全体を蝕む。

②は、当事者にとっては馴染みのない問題で、対処に困るが、見る人によっては当たり前、という問題だ。「経営者の条件」では”合併の申し入れを受けた”場合が紹介されているが、他にも様々な場面で見られる。

トヨタ生産方式等のカイゼン活動では、当事者が「もう何を工夫しても絶対無理だ。」とパニックに陥っていても、専門家からすると「なぁに、そんな時はこういう方法もありますよ?」といくつも引き出しがあることに心から驚く。このように、②の場合は、他から学べば良い。

③は、本当の意味で”あり得ない”問題を指す。”全く予測できなかった問題”や”誰もが気づきも、考えもしなかった問題”と考えればよいだろう。よって、大地震さえも(地域によって異なるが、)「真のイレギュラー(例外)か?」と聞かれると、素直には頷けない。事前にダメージを予測し、ある程度はそれに準備できることだからだ。こうした問題は個別に対処する必要がある。

④は、③の様な例外的問題に見えて、今後連続して表れてくる一般的問題だ。基本原則さえ押さえれば一挙に解決する問題にも関わらず、「特殊な問題だ。」と個別に対処することで、常に火消しに廻ることになってしまう。

この様に、本当に例外的な問題というのは極めて少なく、殆どの問題は基本的な原則によって対処可能な”一般的な問題”ということが分かる。きめ細かい意思決定をしなければならない状態は、問題を”例外”として捉えているからであって、”一般的な問題”であることを認めない限り、永遠に同じ場に居ることになるのだ。

「経営者の条件」の同じ箇所で、ドラッカー教授は、「成果をあげるエグゼクティブは、多くの意思決定は行わない。(中略)原則や方針によって一般的な状況を解決していく。」と言っている。


Today's Questions.
Q:その問題は、本当の意味においてイレギュラー(例外)と言えますか?
Q:どの様にすれば再発を予防できますか?

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10月10日”間違った問題提起への正しい答えほど修正の難しいものはない。”
正確な情報によって行動しないと、大きな過ちに繋がるといった内容です。お楽しみに。

2009年10月8日木曜日

「高校生にドラッカーを贈る」(9月分集計結果)

 
いつも当ブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。
先月のアフィリエイト集計結果が出ましたので、ご案内申し上げます。

[9月分]
発送済み商品合計:9
紹介料合計:¥647

お買い上げ、誠にありがとうございました!

今回特に嬉しかったのは、当ブログの教材である「ドラッカー 365の金言」が4冊もご注文いただけたことです。日々の生活にドラッカー思想を積極的に取り入れようとされる方が増えてきたことを肌で感じております。この場をお借りして心よりお礼申し上げます。

ブログ上でもご案内の通り、紹介料合計はドラッカー学会の「高校生にドラッカーを贈る」運動に全額寄付させていただきます。この運動の詳細については近日紹介予定ですが、噂によると、年内に出版予定の高校生にも親しみやすいドラッカー本を贈ることになる模様です。学会にて発表がありましたら、皆さんにもお知らせいたします。

会社等、組織でドラッカー本を多数ご購入される場合は、是非とも当ブログよりご注文ください!

”優れた外科医が不要な手術を行わないように不要な意思決定を行ってはならない。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”では、意思決定の必要性を精査することの大切さについて、外科医の手術を例に説明されている。手術には機能低下等のリスクが伴うので、手当たり次第にメスを入れてはならない、という内容だ。

ところで、本日のページで紹介されている内容のように、自らの組織を、社会の中で生活する一人の人間に例えると、それまでとは異なるかたちで”なされるべき事”が見えてくる。

その人(自組織)が、どの様な環境で、誰に、何を期待され、それに対し、その人は何を考え、どの様に行動しているのか?また、どの様な行動をすべきなのか?

こうした視点で自らの組織を、(組織の)内側からではなく、外側から擬人化して見てみると、誤った感情を伴わずに客観視できる。”その人”がたった一人で生活するのであれば見過ごせる事も、社会の一員として生活することを冷静に考えてみると、時には手術が必要になる。

ただし、このページで言われているように、手術は必ず何らかのリスクを伴う。生産性が一時的に低下したり、組織内に衝突が生まれたり、場合によっては辞めていく人も出るかも知れない。それを覚悟した上で、施術の必要性を問わなくてはならない。

このページでは外科医が施術の判断する際の3つの基準が紹介されている。

①自然治癒したり、安定する見込みがあるのであれば、定期的にチェックすればよい。
②進行性の病で、手術しなければ生命の危険があるのであれば、直ちに手術を行う。
③進行性のものでもなく、生命に危険もないが、自然治癒するわけでもない場合は、機会とリスクを比較し、手術の必要性を検討する。

ここで、興味深いのは最後の③だ。ドラッカー教授は、「これが最も多く見られるケースだが、この時の判断に一流の外科医と並の外科医の差が表れる。」と言っている。

確かに、今までの経験から感じるのは、②の様な緊急性が高い問題への対処は他の理解も得やすく、比較的円滑に進む。また、その”手術”は非常に忙しいため、それに関わる人は「これこそが仕事だ。」と、陶酔してしまいがちだ。

しかしこれは非常に無駄が多いし、組織全体の体力を著しく低下させる。こうした手術をしながら、我々が自らに問わなくてはならないのは、「本当にこの手術は避けられなかったのだろうか?もし避けられたとしたら、どの時点で、誰が、どのように手を打っておけば良かったのか?」という問いだ。

重大な問題の多くは、ずっと前からその兆候があったにも関わらず、何らかの理由で見逃されてきたはずだ。そしてその結果、今、患者(自組織)が目の前の手術台に乗っているだけなのだ。

「すでに起こった未来」は、問題の発見にも活用できる。いかに目の前で起きていることを敏感に知覚し、その意味を問うことによって、日夜問題の”火消し作業”に翻弄されることから免れ、より多くの時間を”未来の時間(明日をつくる時間)”に充てることができるのだろう。

そして大切なのは、問題の兆候を察知するのは、その組織を構成する”全ての人”であり、日々の健康チェックを通じて何らかの変化を知覚することができる。外科医だけでこうしたわずかな変化を把握するのは極めて難しいのだ。

Today's Questions.
Q:大規模な手術を密かに楽しむことで、本当の”為されるべき事”から逃げていませんか?

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10月9日”最も多く見られる誤りは一般的な問題を例外の連続とすることである。”
今年も残すページが少なくなってきましたね。明日は、問題の種類についての説明です。どうぞお楽しみに。

2009年10月7日水曜日

”1つでも必要なステップを省くと意思決定はできの悪い壁のように崩れる。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、意思決定プロセスのリスクを低減するために踏むべきステップについて紹介されています。

意思決定には以下の6つのステップがある、としています。

①意思決定を行うべきときを知る
②本当の問題についてのみ行う
③問題を正しく定義する
④何が正しいかを考え、何が受け入れられやすいのかを考えない
⑤やがて妥協が必要になることを覚悟しておく
⑥実行の手配がすむまでは決定したことにならないことを知っておく

①について、ドラッカー教授は、「意思決定は外科手術である。」(「経営者の条件」)としている。必要ない外科手術をすると組織そのものの体力を消耗させてしまうので、本当に必要と思われるとき、すなわち放置しておくと事態が悪化する場合や機会を逃してしまう場合に思い切って行わないといけない。

②③については、「なぜ?」を繰り返し、問題の心因を突き止めることで、”問題の種類”を見極めることから始める。問題の種類については「経営者の条件」のP.165より4種類の問題の紹介があるので、そちらを参照いただきたい。

④⑤については先の投稿でも説明させていただいた通り、”正しい”ことを徹底的に追求することが大切である。また、どこかの時点で妥協が必要になるが、それが”正しい妥協”なのか、誤ったものなのかを見極めましょう、という意味だ。

⑥は、意思決定は実行をもって初めて”意思決定した”ことになる、ということだ。こちらについても先日の投稿で紹介してきたが、実行を担うのは、殆どの場合、意志決定者とは異なる人間であるため、その者がしっかりと理解し、能力に見合った行動に落とし込まないと、成果が出にくい、という事になる。

個人的に最もクリティカル(致命的)だと思うのは、やはり最初の「意思決定を行うべきときを知る」だろう。これを見誤ったり、部下に十分な説明をせず進めようとすると、結果として大きな妥協を強いられることが多い。どの様な意思決定にもリスクが伴うので、丁寧に取り組みたい。


Today's Questions.
Q:これまで行ってきた重要な意思決定を、上記のプロセスに照らし合わせるとどの辺りに改善の余地がありますか?
Q:手当たり次第にメスを入れて組織が弱っていませんか?

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10月8日”優れた外科医が不要な手術を行わないように不要な意思決定を行ってはならない。”
少し前後しますが、本日の①にあたる内容です。お楽しみに。

2009年10月6日火曜日

”意思決定においては意見の対立がなければならない”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、意思決定における対立の重要性について紹介されている。我々は日頃、何らかの決断をする際に議論に参加する全員の意見が一致するようファシリテイトしてしまう。しかし、本日のページで紹介されているGMのアルフレッド・スローン Jr.(1875〜1966)のファシリテイト(議事進行)は全くの逆だ。意図的に意見が対立する様、議論を進めさせている。

そして、その目的は以下の3つにあると、ドラッカー教授は言っている。

①組織の囚人になることを防ぐ
②代案を手にする
③想像力を引き出す

たしかに、何らかの結論が出てしまうと、我々は全く考えようとしなくなってしまう。何となく落ち着いてしまい、他の方法や、隠れたリスクに目が行かなくなってしまう。

以前、「脳は、欠けている部分を無意識の内に埋めようとする。」といった話を聞いたことがあるが、その例として、商品の価格付けについての話があった。

我々がよく目にする1,980円、39,800円といった、半端な数。プライスタグをこのように半端な数に設定することで、脳は一種の不快感を示し、「あと少しでぴったりになるのに。」と、その数を埋めよう(安定させよう)とする作用が働くらしいのだ。

その結果、自らが購入することによって、その数を補填しようとしてしまうらしい。これらの価格がもし、2,000円や40,000円だったとすると、その状態で満たされているため、新たな行動(この場合、買うという行動)に繋がらないというのだ。

議論の場でも同じ事が言える。声が大きい者の、”何となく正しそうな”意見に従うことによって、周囲との衝突を避け、その決断によるメリット&デメリットや、他の方法を考え抜くことから無意識に逃げてしまう。

しかし、安易に固めようとせず、”不安定な状態を楽しめる組織”というのは、実は極めて難しい。日頃よりトップが問題や意見の対立を期待し、自由な議論を奨励する環境を作り続けなければならない。

個人的には、議論の場で、誰かが最もらしい意見を言った際、それを聞いている人たちの表情をよく観察し、反対意見を引き出す様に工夫している。

議論の際、口火を切る者が決まってくるが、その意見を聞いた周囲の人が若干目線を落として、頷いていたのが止まる人が見つかる。そんな時、きっと頭の中では「(でもなぁ・・・・・・・・。)」という思考が展開しているのだろう。

そうしたときは、私が「え〜〜〜〜、本当にそうかなぁ・・・・。○○さんだったら、どうします?」という具合に聞いてあげると、その人から反対意見が出やすくなる。まずは出た意見に軽く反対してしまうのがオススメだ。

他にも、あえて下座や部下と同じ場所に座ったり、自分の椅子を少し後ろにずらして座る事によって、自分の発言力を意図的に低下させたり、なるべくスーツを着て参加しない、安易に時計を見ない、腕を組まない等々、小技はたくさんやってきた。

しかし肝心なのは、全員が均等に反対意見を出し合える雰囲気をつくり、全員で考え抜けるような場を提供することで、それを継続することによって、組織の自立を促すことができるのだと思う。


Today's Questions.
Q:”やるため”の衝突ではなく、”やらないため”の衝突になっていませんか?
Q:正しい意思決定より会議の終了時間を優先させていませんか?
Q:意思決定の際に意見を言わず、後々不満を言うことを許していませんか?

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10月7日”1つでも必要なステップを省くと意思決定はできの悪いかべのように崩れる。”
意思決定のステップについての説明が続きます。明日もお楽しみに。

2009年10月5日月曜日

”誰かの仕事として期限を定めない限りいかなる意思決定もないに等しい。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「経営者の条件」より、意思決定を行動に変えるための注意すべき点が抜粋されている。

いまさらではあるが、意思決定とは「ある目標を達成するために、複数の選択可能な代替的手段の中から最適なものを選ぶこと。(「大辞林」)」を指す。

更に、”意思決定”については、Wikipediaで以下のように説明されている。

意思決定の思考方法とは正しい目標の認識や必要な情報の収集、目標達成のための方策案の考案と比較、最善の方策の選択と実行計画の立案、計画の実施の監督を包括するものである。(Wikipedia「意思決定」

”意思決定”とはPDCAで言うPlanだけを指すのではない。PDCAにおけるプロセスのサイクルそのものを指す。よって、新たな意思決定とは、新たな行動を始める事を意味する。

ドラッカー教授は、「意思決定とは行動を約束することである。起こるべきことが起こらなければ、意思決定したことにはならない。」とし、期限を定めることの他に、以下の様な点について注意しなければならないと伝えている。

・誰がこの意思決定を知るべきか?
・何がなされるべきか?
・誰が担当すべきか?
・担当者が行動できる様にするためには、どのようなものにすべきか?

特に、最後の項目については注意が必要だ。どれだけ計画が良かったとしても、担当者にとって不可能なものであれば、成果には繋がらない。担当者が経験豊かな人であっても、本人が不安に思う部分が多い様子なら、「君ならきっとできるはずだ。」と任せて放ってしまうのではなく、多少過保護にでも支援すべきであると思う。

ドラッカー教授も言っているように、「ほとんどの場合、行動する役目の者は、意思決定を行った者ではない」ということである。

知識労働の現場における意思決定で、自ら率いる組織が成果を上げられるかどうかは、部下の精神的な状況を、上司がその状況に即したカタチで把握できるかどうか、にかかっていると思う。

この点、ダイヤモンド社で定期的に開かれている、「シチュエーショナル・リーダーシップ」の研修に参加し、「いままで私自身がいかに”成果が出ない”事を、部下や環境のせいにしてきたのか」を痛感させられた。

当社の管理職に対しても、直ちに社内講習を開催するほど、インパクトのある内容だったので、皆さんにも受講を是非お薦めしたい。


Today's Questions.
Q:起こるべき時に、起こるべき事が起きていますか?

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10月6日”意思決定においては意見の対立がなければならない”
本日はなにか記事広告のような感じで終わってしまいましたが、本当にお薦めしたかったので。(笑)明日は、全員一致では意思決定してはいけないとの内容です。お楽しみに。

2009年10月3日土曜日

”何が受け入れられやすいかではなく何が正しいかを考えなければならない。”

 
昨日の内容と大きく重なる部分があるが、本日の”ドラッカー 365の金言”は、正しい事から始めることの大切さについての記述となっている。この場合の「正しい事」は、「なされるべき事」に繋がると考えて良いだろう。妥協にも種類があるという点も大変参考になるページだ。

本日のページの引用先は「経営者の条件(ダイヤモンド社)」だが、この他に以下のような記述がある。残酷な表現も含まれているので、嫌悪感をも感じるかも知れないが、我々の目的は”二つの妥協の違い”の見極め方なので、この意味合いに注目しよう。

妥協には二つの種類がある。一つは古い諺の「半切れのパンでも、ないよりはまし」であり、もう一つはソロモン王の裁きの「半分の赤ん坊は、いないより悪い」という認識に基づく。前者では半分は必要条件を満たす。パンの目的は食用であり半切れのパンは食用となる。しかし半分の赤ん坊は必要条件を満たさない。半分の赤ん坊は命あるものとしての子供の半分ではなく、二つに分けられた赤ん坊の死骸である。

そもそも「何が受け入れられやすいか」「何が反対を招くからいうべきでないか」を心配することは無益であって時間の無駄である。

(中略)

「何が受け入れられやすいか」からスタートしても得るところはない。それどころか通常この問いに答える過程において大切なことを犠牲にし、正しい答えはもちろん成果に結びつく可能性のある答えを得る望みさえ失う。(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「経営者の条件」、ダイヤモンド社)


「僅かでも使命の達成に向け、前進できていない妥協は、”正しい妥協”ではない。」ということだ。

以前、”意思決定に深刻なダメージを及ぼしうる3つの原因”についての紹介をした日があった。単純に言うと、我々は往々にして①怒った時、②焦った時、③目立った時、に誤った判断(意思決定)をしてしまう。一瞬にして目的を見失ってしまうことさえある。

その様なときこそ、誰かが「それは違うんじゃないか。我々の目的は…」と言える場づくりが大切だ。組織外の方でも良いので、真の意味で、組織の使命を理解し、忠告してくれる顧問を持とう。

以下は、何らかの目的で外部コンサルタントと契約している(または契約する予定のある方)場合に考慮したい点だ。

各種コンサルタントは、先程のような忠告をすることも義務だろうが、その多くは”契約解除”を恐れ、プロとして忠告することから逃げてしまいがちだ。この原因は双方にある。

①契約者側(特にトップ)が使命達成に本気でない
②契約者側(特にトップ)の本気度が相手に伝わっていない
③コンサルタントによるプロ意識の欠如

この様な場合は、(勿論、もしあなたが使命の達成に本気なら…)改めて組織の使命を説明し、くだらない妥協抜きに少しでも前進したい気持ちを伝えることだ。その過程で、ストイックに「何が正しいか」を話し合うことがコンサルタントの重要な任務であることも繰り返し強く伝えておく必要がある。

この話し合いができれば、きっと彼等は今までになく真剣にあなたの組織を見てくれるに違いない。

万が一、このような話し合いをしても言動や行動が一変しないコンサルタントが居たとしたら、それ以上、費用を払ってまで付き合う必要はない。


Today's Questions.
Q:難しい選択に迫られたとき、正しい妥協を助言してくれる人は誰ですか?

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10月5日”誰かの仕事として期限を定めない限りいかなる意思決定もないに等しい。”
明日は本日の内容と重複するので、お休みさせていただきます。明後日は、「期限を定めることの大切さ」について。お楽しみに。

2009年10月2日金曜日

”意思決定が成果をあげるには満たすべき要件を明確にしておく必要がある。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、満たすべき要件を明確にする重要性について説明されている。

目標達成のために物事を決定する際、常に”ここは押さえておかなければならない”という、最低限必要となる基本ルールが存在する。そこを曖昧にしていたり、個々の捉え方にズレが生じていると、たちまち成果が出しにくい組織になってしまう。

目標を明確にすると、我々はしばしば「何ができるか?」から話し合ってしまう。現時点において可能なことから考え始めてしまうが、これは結果として無駄に終わる場合が多い。

この「何ができるか?」という問いからスタートすることによって、目標を達成するための要件がたちまち曖昧な物になってしまい、なされるべき意思決定から遠退いてしまうのだ。そこには個々の甘えによる妥協の産物しか生まれない。

意思決定において重要なのは、「どの様にすれば〜できるか?」から考え始める、ということだ。同じように思えるかも知れないが、「何ができるか?」とは、全く異なる行動に繋がる。

「どの様にすれば〜できるか?」

この問いは、全ての者に目標実現のために、最低限必要な条件を明確にさせてくれる。ここで挙がる具体的な行動項目は、それなしには目標の達成が不可能な項目であるはずで、全員が一丸となってそれらに取り組む必要があることが明確になる。

とはいっても、”できない理由”や”やらない理由”の沼はなかなか手強い。

単純なことだが、議論を始める前に「どの様にすれば〜できるか?」と、ホワイトボード等、全員が見える場所に大きく書いておくことによって、議論に参加する全員を”沼”から遠ざけたい。


Today's Questions.
Q:どの様にすれば、「どの様にすれば、〜できるか?」の思考を全員に徹底できますか?

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10月3日”何が受け入れられやすいかではなく何が正しいかを考えなければならない。”
本日の内容と繋がるお話しです。お楽しみに。

2009年10月1日木曜日

”神々が見ている。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、完全の追求について。紀元前440年頃のギリシャの彫刻家、フェイディアスの言葉を例に取り、本日のページでドラッカー教授は「いかに難しくとも、仕事に完全を求めて下さい。」と、アクション・ポイントで述べている。

昨今、解明されつつある脳の可能性について、池谷裕二氏の研究が興味深いが、彼の話の中で、我々の脳の中に存在する「死ぬまで永久に進化し続ける部位」について説明されており、非常に腑に落ちる点があった。

ことに知識労働の場においては、高年齢層のスタッフによる経験値が計り知れない武器になることが多々ある。論理的には説明できない、無意識から来る直感力や危機察知能力、雰囲気などは若年層のスタッフがいかに優秀であっても到底かなわない場合がある。

また、社会における当社の役割と、われわれにとって「なすべき事」等を話すと、素早く理解し、惜しみなく力を発揮し協力してくれるのは高齢のスタッフに多い気がする。若年スタッフは、経験の浅さから、そこに自らの全体重を乗せてしまって良いか分からず、躊躇する姿をよく眼にする。

この点において、晩年期のドラッカー教授が「『これまでで最高の著作はどれですか?』と聞かれると、いつもスマイルして『次の作品ですよ。』と答えている。」と言っている意味はよく理解できる。

意識レベルにおいて「次の作品が今までの最高であるはずだし、実際もそうでなければならない。」という強い意志の下に臨んでいたドラッカー教授のプロフェッショナリズムに、多くの問題を抱えた社会に対する力強い使命感が感じられる一ページだった。

自らが感じたことに対し、これだけ率直な生き方をできるよう、常に完全を目指して淡々と取り組んでいきたいと思う。


Today's Questions.
Q:どの様にすれば、一日に未来の時間(明日をつくる時間)を増やすことができますか?


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10月2日”意思決定が成果をあげるには満たすべき要件を明確にしておく必要がある。”
意思決定に本当に必要なことは?お楽しみに。