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2010年1月26日火曜日

”継続と変革の両立こそ 文明にかかわる中核の問題である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「すでに起こった未来」からの抜粋。

本日のページには「アメリカの民主政治」の著者でありフランスの政治思想家、アレクシス・ド・トクヴィル(1805 - 1859)(Wiki)や、イギリスのジャーナリストで思想家のウォルター・バジョット(1826 - 1877)(Wiki)が登場し、ドラッカー教授自らが名付けた「社会生態学(social ecology)」のルーツはこの2名の姿勢や思考、手法にあった事が説明されている。

ドラッカーの言う”社会生態学者(social ecologist)”は、”物見の役”の様な存在を指している。社会や人にやがて訪れる変化の兆しを誰よりも早く知覚し、それが真の変化であることを確認する。そしてその変化を機会として多くの人に知らせる。

”社会生物学(sociobiology)”という言葉をWikipediaで調べてみたところ、ドラッカー教授によく似たエピソードを発見した。自らが見張り役になることで群れをライオンから守るシマウマの話だ。興味深いので下に引用しよう。

またシマウマの群れでは見張り役がいて、ライオンの接近を鳴き声や身振りで群れに知らせるという。そのような目立つ行動を取ることは、まず敵の注意を引くので危険であると考えられる。それに、敵を見つけたら、黙って逃げ出した方が早く逃れられるし、他の仲間を身代わりにすることもできるであろうとも思われる。このように、自分を犠牲にして他者を助ける行動を利他的行動とよび、その例は多い。(「Wikipedia」”社会生物学”)


上の話は本日のページを理解する上でとても分かり易い。見張り役のシマウマは、群れの存続のために状況の変化をいち早く察知して「ここに居てはならない!」と、(この場合、逃げるといった)新たな行動を他に知らせている。

仲間達が寝ていたり、草を食べていたりと、安心している時にそれを中断させてでもすみやかに逃げる様に伝える役柄は、色々な意味でリスクが大きい。用心深いだけでは遅かれ早かれ仲間の信頼を損なうだろうし、鈍感であれば仲間は安心できない。失敗の結果、仲間に排除される可能性もある。

天敵が少しずつ攻撃を進化させてくると同時にそれを自らがまず理解し、群れに正確な情報を知らせる必要がある。

人と社会も常に連鎖して変化を続けている。その中で、すでに起こった未来を多元的に受け入れ、そこにチャンスを見いだす方法をドラッカー教授が教えてくれている。精度の高い変革を継続し、自らの群れ(組織)を守り切りたいと思う。


Today's Question.
Q:今のままで持続可能でしょうか?
Q:仲間の反感を恐れ、組織を不安定な状態にすることから逃げていませんか?

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1月28日”ヘンリー・フォードは 事業にマネジメントは必要ないとの信念ゆえに失敗した。”
明日はお休みとなります。明後日の「Drucker365」をお楽しみに。

2010年1月25日月曜日

”知識労働者は自らの成長に責任をもつ。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「創生の時」からの抜粋。

「創生の時(Drucker on Asia)」という本は、ダイエー創業者の中内功氏とドラッカー教授が1994〜95年に渡って手紙でやり取りした内容を往復書簡としてまとめている。

個人、企業、社会に今後いかなる変化が訪れるのか、といった点について二人が率直な意見を交わす様子が新鮮な一冊だ。

さて、本日のページには「自己再生」というタイトルが付いている。”技能”より”知識”を重んじる現代の労働において、知識の価値は急速に陳腐化してしまうので、常に自らを再生(reinvent)する必要がある、といった内容だ。

ドラッカー教授がここで、「活性化(revitalize)ではなく、あえて再生(reinvent)という言葉と使いたい。」という様に、「より良く…」だけでは通用しない時代が既に訪れている。

現在携わっている仕事が5年後も同じやり方であると自信を持って言える様な仕事など殆どないように感じられる。長年働くことを考えれば、たしかに”自己再生”し続ける必要がある。

理屈では理解できる。しかし、そう簡単に自己再生といっても、人はいくつも全く違うことができるわけではない。よって、仕事自体が数年で様変わりしていくのは、本人にとって非常に大きなストレスとなりかねない。個人的に感じるのは、仕事にプライドを持って取り組む人ほど、変化に対しての精神的ダメージが大きい。

なぜなら、今まで培ってきた技術や知識が、変化の波に全否定されたかのように捉えてしまいがちだからだ。この点、仕事を与える側も十分に注意しておかなければならないと感じている。

強みに基づいた”自己再生”でないと、失敗する可能性が高い。

例えば、当社の工場ではここ数年、現場作業のローテーションをかなり本格的に行っている。これまでは各工程をベテランの力だけに頼っていた20種類近くの異なる仕事を、その部署の作業者全員が担当できるようにしている。

このような管理方法を改善により、生産性向上はもとより、パートの方が比較的平等に休めるようになったり、苦労を分かち合う事でチーム感が高まったりと様々なメリットがある。

しかし、これだけだとベテランにとっては”活躍しにくい職場”になってしまい、比較的ベテランが辞めてしまいがちなことが判明した。本人にとっては「あなたが居ないと困る。」と言われていたのが、(極端に言えば、)「あなたが居なくても大丈夫。」と言われているようなものだからだ。

この経験から、我々管理者には、作業者本人の”喜びの本質”がどこにあるのか?を見定める必要もあるということを学んだ。

他の作業員に較べ、難しい作業を圧倒的なスピードでこなす人にはそれなりの目的や理由が存在する。何らかの強迫観念に駆られている場合はその必要がないことを理解してもらう必要があるし、それを楽しんでいる場合には他の仕事を通じて同様の喜びを得てもらう必要がある。

大変な仕事を担当しているからといって、その負担を軽減するだけではその人の喜びの本質を理解できてないということだ。まずはその人の強みが今の仕事にどう活きているのか?という点を見定め、新たにその強みを発揮できる場所を探す必要があるのだ。

確かに本人の”生まれ変わる”意志は重要だと思うが、「本人の強みをもって取り組めば今まで以上に活躍できるはず」であると上司が信じられなければ、”自己再生”は非常に難しい様に思う。

今までと全く異なる仕事をすることになった人には、少なくとも「あなたのこういう強みを、次のこの仕事で、このように活かして欲しいと思っている。」としっかり伝える必要があると思う。


Today's Questions.
Q:強みに基づいた人事異動をしていますか?
Q:仕事が数年で様変わりする可能性を全員に伝えていますか?

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1月26日”継続と変革の両立こそ 文明にかかわる中核の問題である。”
明日は”社会生態学”について。お楽しみに。

2010年1月22日金曜日

”ケインズは財の動きに関心をもち 私は人の行動に関心を持った。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”も、「すでに起こった未来」からの抜粋。

一昨日(1月20日)の記事と同様、ドラッカー教授は”経済”の重要性には理解を示しながらも、それがあくまでも手段に過ぎず、目的にしてはならないことを伝えている。

経済は絶対的な決定要因ではなく、制約要因に過ぎない。経済的な欲求や満足は、重要ではあっても絶対ではない。そして何よりも、経済活動、経済機関、経済合理性は、それ自体が目的ではなく、非経済的な目的のための手段にすぎない。(「すでに起こった未来」より)


上の引用で気になるのは「非経済的な目的」という言葉。原著「The Daily Drucker」では「noneconomic (that is, human or social)」とある。

要するに、”経済学”という一つの側面しか見ない机上の学問をもって、”人と社会”といった常に揺れ動く存在を完全に説明することはできないことをドラッカー教授は伝えたかったのではないだろうか。

このページに登場するジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)。ケインズの”有効需要創出”理論では、景気が悪いのは需要が低下しているからであり、新たな需要の創出に政府が関与することで、雇用や経済を回復することができる、としていた。

実はアメリカの第32代大統領フランクリン・D・ルーズベルト(任期:1933-1945)によって実現した”ニューディール政策”は、世界恐慌に苦しむアメリカがそこから脱出を図るため、このケインズの理論に基づいて実行されたものだった。

世界中で今まさに行われているとおり、やみくもに国債を発行しつつ、公共事業を増やし、法律を変えた。

学生時代、私たちはこの”ニューディール政策”について、政府主導の景気回復策として希に見る成功事例として華々しいストーリーのみを教えられたが、事実はそれより程遠いものだったようだ。

失業率は1930年代後半になっても失業率は依然として低下せず、過剰な生産設備は動かないままの状態が続いた。

結果、ケインズが恐れていたとおり、1941年12月8日、ルーズベルトも真珠湾攻撃に端を発する太平洋戦争を通じて戦争による需要創出に乗り出してしまった。

(無論、アメリカだけが悪かったわけではなく、世界中が戦争を通じて大量な犠牲者を生みながらも雇用の確保するに至った。)

ナチスドイツの勃興を目の当たりにしてロンドンに移住したばかりのドラッカー(当時は投資銀行勤務)が、ケインズの講義を聴講したのは1934年のこと。彼はアメリカの未来も予測していたに違いない。

今、世界はまた同じ様な悲鳴を上げながら、当時と同じ様な道を歩んでいる。

「誰のための、経済なのか?」

我々、一人ひとりが問われている。


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1月25日”知識労働者は自らの成長に責任をもつ。”
明日、明後日の2日間はお休みとなります。次回は25日(月)となりますので、ご了承下さい。ではみなさん、よい週末を。

2010年1月21日木曜日

”今日利益をあげている事業が明日は金食い虫になる。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「すでに起こった未来」からの抜粋。

「イノベーションこそ経済の本質である」と説いたシュンペーターを紹介しながら、彼の有名な言葉「創造的破壊(creative destraction)」について説明している。

変化とイノベーションの経済にあっては、利益は、マルクスとその理論がいうような労働者から搾取した余剰価値ではない。それどころか、利益は雇用と所得の唯一の厳選である。シュンペーターの経済発展の理論は、イノベーターだけが真の利益を生み出すとした。ただし、そのイノベーターの利益は短命であるとした。(「すでに起こった未来」より)


よく「企業とは利益を追求する組織である」と言われるが、一見もっともらしく聞こえるが、昨日の内容の通り”人の本性(または本質)”を踏まえて考えると、その定義には様々な矛盾が生じてくる。

ドラッカー教授は、組織の目的が利益なのではなく、利益は組織を維持発展させるのに必要な”条件”である、といった説明をしている。

我々は往々にして「細かいことは良いから、まずはとことん利益を上げてから、その利益に従って新たにやることを考える」という手順を踏んでしまいがちだ。

しかし、ドラッカー流には、「組織の使命達成のため、来期いかなる取り組みが必要か?という視点から今期の創出すべき利益を算出する」という順番となるのだ。

「変化はコントロールできない。できるのはその先頭に立つ事だけである。」というドラッカーの言葉はあまりにも有名だが、シュンペーターが説いたとおり、イノベーションが他を陳腐化し、社会に変化をもたらす。

利益を明日のイノベーションに投下することで、従来のあらゆるリソースを自らが積極的に陳腐化し、初めて変化の先頭に立つことができる。


Today's Question.
Q:昨日を棄て、明日をつくるために十分な投資ができていますか?

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1月22日”ケインズは財の動きに興味を持ち、私は人の行動に関心を持った。”
明日もお楽しみに。

2010年1月20日水曜日

”人の本性と、その社会における役割と位置づけについての理念が、社会を規定する。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「経済人」からの抜粋で、人の本性について。

ここで紹介されているブルジョア資本主義もマルクス社会主義も、あらゆる人が経済のために生き、働き、戦い、死ぬのが当然といった思想の上で成り立っていた。

今でこそ、この思想がばかばかしく聞こえてしまうが、果たして今回の世界同時不況に陥る寸前(今からたった1年程前)も同じようにばかばかしく聞こえただろうか?

たしかにお金は動機の一つではある。しかし、この1年で我々の価値観は大きく変わらざるを得なくなった。お金に対しての信頼感が失われると同時に贅沢品の購入意欲も低下し、最低限の生活ができるだけの収入があればよいと思う人が爆発的に増えた様に感じる。

そういえば、先日当社の社員(30代後半)にこんなことを聞いてみた。

「今から3年前に買いたかった車があったでしょ?その車、今でも欲しいと思いますか?」

彼は、

「あ、いや、要らないですねぇ。」

と、苦笑いしながら即答した。「その車が無くても、自分は幸せでいられる」というのが率直なところだろう。

さて、次に頭に浮かんでくるのは、

「給料を2割増やすが、一切働いてはいけない。」

といった場合、(先程の彼には聞いていないが)いったいどうなるのか?

この辺りが”人の本質”が何であるかを確認するための問いになるのではないかと思う。

反対に、

「給料は2割減額になるが、より重要なポストに就いてほしい。」

というのはどうだろう?自分だったら即答はできない。

ハーバードビジネスレビュー(2008年10月号)で「新しい動機づけ理論」という論文が紹介されていた。組織において以下4種類の欲動をバランスさせることでスタッフのモチベーションを効率的に高められるといった内容だった。

①獲得(報酬、学びなど)
②絆(チーム感など)
③理解(説明、承認など)
④防御(安心、安全など)

これらは人の本質的な部分に強く関連している。①の獲得には金銭的報酬だけでなく、学びなども含まれ、人の動機の中で金銭的報酬がごく一部であることが深く理解できた。

今ほど金銭以外の価値観が重んじられる時代は今まで無かったのではないだろうか。今後、高い給料だけでは本当に優秀な人は寄りつかなくなるだろう。急激な価値観の変化を必然と受け止め、それを機会にできる環境を築いていこう。


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1月21日”今日利益をあげている事業が明日は金食い虫になる。”
明日もお楽しみに。

2010年1月19日火曜日

”位置づけと役割を持たなければ 見捨てられし者、根なし草である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「産業人の未来」からの抜粋。社会的位置づけと役割の大切さについて説明されている。

For the individual there is no society unless he has social status and function.("The Future of Industrial Man"より)

個人にとって、社会的地位や役割がなければ、社会が存在しないのも同然だ。(同上、中村克海訳)


本日のページには以下の様な興味深い言葉もあった。

He sees only demoniac forces, half sensible, half meaningless, half in light and half in darkness, but never predictable.("The Future of Industrial Man"より)

彼(又は彼女)には、半分賢明で、半分無益、半分明るく、半分 暗い、予想し得ない悪魔的勢力しか見えない。(同上、中村克海訳)


これは明確な社会的地位や役割が無い場合、社会に対して何ら影響力を持つことができないため、常に受け身にならざるを得ないという意味ではないだろうか。

今日のACTION POINTには「退職した人にメールを送ったり、一緒に昼食をとってください。」とある。

もう随分前の事だが、団塊の世代が少しずつ定年退職を迎える中、長年仕事一途でやってきた人の退職後を想像すると、とても心配になることがあった。

「これからこの人は、どういう人達と何をして暮らしていくのだろう?」

多くの場合、本人は「退職したら、これがやりたい」という夢があるが、それはまるで「宝くじが当たったら○○したい」と同じような一過性の内容で、残念なことに建設的な内容であることは極めて少ない。

また「退職してからでないと、それには手を付けられない」と信じ込んでいる事も多く、在職中には全く準備していない様にも見受けられる。

ここで、「(会社として)退職した後の人生は『知りませんよ』でいいのか?」という疑問が浮かんだ。勿論、私の答えはノー。それでは会社という組織がその人の人生を食い潰してしまっているのと同じだと思うのだ。

本人にとってはある意味、大きなお世話かもしれないが、当社に勤めた方には、在職中も含めて何らかの方法で家族や社会に貢献できる人になって欲しいと思うし、常に他の人に必要とされる人でいて欲しいと願っている。

仕事を通じて学ぶことが可能なマネジメント、チーム作り、スピーチ、モチベーション、コミュニケーション、品質管理、カイゼン、問題解決、発想法等々、これらどれもが仕事の生産性を上げると同時に、プライベートにそのまま役立つものばかりだ。

職場で学んでもらうことを、職場ではすぐに使えなくても、プライベートで使い始めるという事もあるだろう。

以前、朝礼の3分間スピーチの場で、女性社員が進路に悩むお嬢さんとの話し合いに(以前、私が講座を開いた)マインドマップを活用したエピソードを披露してくれた。

こうした小さな成功を少しずつ増やしていくコツは、意外と単純な所にあると書いていて気づくことができた。

それは「全ての教育を”プライベートでの活用”を視野に入れて、提供する」という何とも単純な視点だ。

企画する時点で、「スタッフの家族や知人、町内会などで活用できないスキルや知識が仕事で活用できるはずがない」と考えて教育プログラムを組めば、より主体的に学んでくれる状態を創出できるのではないだろうか。

今後も会社を「人に必要とされる人を創出する機関」として活用し、人と社会をつないでいきたい。


Today's Questions.
Q:トップ自身がプライベートの時間を楽しめていますか?
Q:スタッフのみなさんはプライベートで輝いていますか?

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1月20日”人の本性と、その社会における役割と位置づけについての理念が、社会を規定する。”
明日もお楽しみに。

2010年1月17日日曜日

”企業以外の組織は 企業の利益に相当する評価基準を必要とする。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「すでに起こった未来」からの抜粋。

企業以外の組織(主に非営利組織)における評価基準の重要性について書かれている。

ここで説明されているとおり、非営利組織が企業のマネジメントから学べることは多いが、そのままを非営利組織に移植することは難しい。むしろ、金銭的な尺度(予算、募金額、利益、報酬等)だけで活動の成果を評価しにくい非営利組織には、むしろより高度なマネジメントや評価基準が必要である。

人にも色々な人がいる。お金に強い関心を持つ人もいれば、それ以外に興味を持つ人もいる。

前者、”お金に強い関心を持つ人”に「あなたは今、幸せですか?」と問えば、その質問に答える際に意識する評価基準は、銀行の預金残高や資産の合計額等、多くが定量的な(数値化可能な)ものを指すことになるだろう。

しかし、後者、”お金以外に興味を持つ人”に「あなたは今、幸せですか?」と同じ質問をしたら、どうだろう?その人の評価基準は本人の直感に基づいており、確固とした基準とは異なる、抽象的かつ複合的なものに違いない。

私を含め、”数値化できない何か”に対してより高い価値や可能性を感じる人にとっては、数値で管理する評価基準など基本的には不要であり、日々数値化できない価値を見つけることに喜びを感じているのだ。

よって、自分自身が”一人で幸せになる為には”定量的評価基準は必ずしも必要とされないと思う。

しかし、”人”と”組織”は異なる。必ず他人が関わる”組織”においては、現状の評価をそこに関わる人と共に共通の認識として持てなければならない。

スタッフの一人が「とても効果的に社会に貢献できている」と感じる一方で、一人は「全く社会のために貢献できていない」と感じていては、手足がバラバラに動いてしまう組織になってしまう。

営利組織であれば、(それが十分ではないと言っても)”利益”が皆に共通認識される評価基準としてそれなりの役目を果たすかもしれない。しかし、非営利組織については評価基準を他に探す必要から免れることができない。

組織の使命が達成されているかどうかをリアルタイムに把握できる評価基準を設ける必要がある。

しかし、ここで一つの落とし穴ができる。

使命や評価基準を決め、目標を設定することで、組織全体がそこに依存することを我々は忘れてはならない。

常にうごめく社会の中で、組織のあり方や役割、顧客のニーズは常に変化するため、使命や成果の評価基準も常に見直しながら、修正または変更していく必要があるのだ。

非常に骨の折れる作業ではあるが、ドラッカー教授は組織の命運を分ける最も重要とも言えるこの作業を「5つの質問」というかたちで体系化してくれた。

ドラッカー「5つの質問」
①われわれのミッション(使命)は何か?
②われわれの顧客は誰か?
③顧客にとっての価値は何か?
④われわれにとっての成果は何か?
⑤われわれの計画は何か?

常にこれらの質問を意識し、④の「われわれにとっての成果は何か?」に答えるため、より適切な評価基準を探り続けたい。


Today's Question.
Q:使命の達成状況をいかにして可視化できるでしょうか?

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1月19日”位置づけと役割を持たなければ 見捨てられし者、根なし草である。”
明日のページの説明は本日の内容と重複しますので、お休みさせていただきます。明後日の「Drucker365」をお楽しみに。

2010年1月16日土曜日

”マネジメントは成果をもたらすことに責任を持つ。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメント」からの抜粋。

マネジメントは成果を上げる責任をもつ、といった内容となっている。今日は比較的分かり易い内容なので、細かな説明は必要ないと思うが、”マネジメント”の定義が分かり易く記されているのでこれを引用し、少し本日の主題から脱線してみよう。

(マネジメントとは、)ジャン=バティスト・セイのいう起業家であり、ビジョンと資源を成果と貢献に向けて動員する存在である。(P.F. ドラッカー)


ドラッカー教授が「マネジメント=起業家(entrepreneur;アントレプレナー)」としている点が非常に興味深い。

ここで登場する、ジャン=バティスト・セイ(Wiki)(1767 - 1832年)はフランスの経済学者で、「供給はそれ自身の需要を創造する」という「セイの法則」で知られているそうだ。

実はこのJ.B.セイ、「イノベーションと企業家精神」第1章の冒頭にも登場している。

(以前、この本のタイトルは「イノベーションと起業家精神(/)」だったが、エターナル・コレクションから「イノベーションと企業家精神」と変更されている。おそらく、「entrepreneur;アントレプレナー」という単語の解釈が時代を経て”起業家”のみならず”企業家”全般を指す様になってきたからだろう。この点は後日上田先生に確認しようと思う。)

J.B.セイは、「企業家(起業家)は、経済的な資源を生産性が低いところから高いところへ、収益が小さなところから大きなところへ移す」とした。

「イノベーションと企業家精神」を読み進めると、ドラッカー教授は、

企業家は変化を当然かつ健全なものとする。彼等自身は、それらの変化を引き起こさないかもしれない。しかし、変化を探し、変化に対応し、変化を機会として利用する。これが企業家および企業家精神の定義である。
(P.F. ドラッカー、上田惇生訳、「イノベーションと企業家精神」ダイヤモンド社)


としており、先程の通り、マネジメント=企業家と考えるのであれば、マネジメントは”変化を利する者”すなわち、”イノベーター”であるといった結論に行き着く。

マネジメントという言葉は、どうしても現状を維持するものとして誤解してしまいがちだが、実際は不確実性の中で常に”創造的破壊”を実行し続ける者を指すというのは、ある意味”目から鱗”だった。


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1月17日”企業以外の組織は 企業の利益に相当する評価基準を必要とする。”
非営利組織の評価についてのお話です。明日もお楽しみに。

2010年1月15日金曜日

”重要なことはできない事ではなくて、できることである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「現代の経営」、「経営者の条件」からの抜粋で、組織の精神(The Spirit of an Organization)というタイトル。

組織にとって「強み」に集中することの大切さについて語られている。本ページでは、”鋼鉄王”と呼ばれたアンドリュー・カーネギーやルーズベルト大統領の特別顧問、ハリー・ホプキンズが登場し、彼等が部下や同僚の”強み”に集中したからこそ成功したとの説明がされている。

以前、某社長の話で、「パートで部長」になった人の話を聞いたことがある。非常に優秀だったそのパートさんはご主人の扶養から外れないことを条件に、就労時間を短縮することで年収を103万円以内に押さえ、課長に就任。その後、更に就労時間を1日30分と短縮することで部長に昇進したそうだ。

「1日たった30分しか出社できないこのパート部長の仕事ぶりはまさに芸術的ともいえるもので、周りの社員達はその状態について何も不平不満を言うことができない程、見事なものだった」とその社長は語っていた。

元々、このパートさんは周囲から「生意気である」と敬遠されていたところ、社長は本人の”強み”に着目し、重要なポストを任せられるようになった。

部長といえば、経営者と共に組織の重要な意思決定に参加する役柄である。着目点の違いによっては、クビにされていた恐れもあったパートさんが、仕事のできる部長になり得た、というこの話。いかに”強み”に焦点を合わせるべきかを教訓として教えてくれる。

不況の今だからこそ、我々に改めて問われているのは、「いかに今手持ちの資源から最大限の効果を生み出すのか?」という課題だ。

一見ネガティブに思えるものも、それが持つ”強み”に集中して真っさらな気持ちで見つめ直すことで、思いがけない機会(Opportunities)が見えてくるのかもしれない。


Today's Question.
Q:できないことより、できることを口にしていますか?

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1月16日”マネジメントは成果をもたらすことに責任を持つ。”
明日もお楽しみに。

2010年1月13日水曜日

”マネジメントとは一般教養である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”も「新しい現実」からの抜粋。

この内容でドラッカー教授は、組織の活動を効果的にしたり、よりよい成果を出すためには”マネジメント”を我々の一般教養として認識することが大切であることを説明している。

マネジメントについて理解を深めるには、彼の著作「マネジメント」を覗いてみると、その冒頭部では”マネジメントの三つの役割”が以下の通り挙げられている。

①自らの組織に特有の使命を果たす。
②仕事を通じて働く人たちを生かす。
③社会の問題について貢献する。
(「マネジメント(エッセンシャル版)」P.9 ダイヤモンド社)

このように、マネジメントの役割は仕事の能率を向上させる目的だけに限定されているわけではない。

ドラッカー教授は、本日のページで、マネジメントは社会との関連性に基づいた、人にかかわるものであるからこそ、人間性と社会科学、心理学と哲学、経済学と歴史、自然科学と倫理といった幅広い分野において知識と洞察を身につけなければならない、と説明している。

組織にとっての”一般教養(Liberal Arts)”という捉え方をするならば、マネジメントの役割や意思決定プロセスについては組織のすべての人がある程度理解している必要がある。

なぜなら、すべての人が昇進と共に”人にかかわる仕事”の割合が増してくるからだ。ごく一般的に、経営者や幹部の意思決定プロセスは隠されてしまう傾向があると認識している。

その理由が何であるかは別として、こうした運営では部下にとってマネジメントの意味を理解する機会が極端に少なく、いざ権限委譲することができる段階になって、本人に全く基礎知識が無いゼロの状態からスタートしなければならない。

また、一部の上層部だけがマネジメントを理解し、下に具体的な指示を出しても、その指示が意味するところである目的がその他の者には全く理解できず、”考えることとやること”に矛盾が生じてしまいがちだ。

1日たった3分間で良いので、組織の全員に対してマネジメントの理解を深める教育に時間を割く事を個人的にお薦めしたい。

当社では朝礼時に「ドラッカー 365の金言」を朗読し、私が内容について簡単な説明をする手法をとっているが、これはどの様な方法でも構わない。最初は難しいと思っても、ドラッカー・マネジメントを少し背伸びした方法でみんなで学ぶのが良いと思う。

当初は「なぜ我々が経営の仕事を理解しなければならないんだ。」といった反対も多いかも知れないが、1年間続けるだけで皆どことなくその意味を感じ取り、真剣に耳を傾けるようになるのにあなた自身、驚くことになるのではないだろうか。

※組織へのドラッカーマネジメント教育の導入について、随時質問に応じます。


Today's Question.
Q:固定概念に囚われ、学びの幅を狭めてしまっていませんか?

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1月15日”重要なことはできない事ではなくて、できることである。”
明日のページに対する説明は本日の内容と重複するため、明日はお休みさせていただきます。明後日は「強み」について。お楽しみに。

2010年1月12日火曜日

”意思決定の前提とすべきものが「すでに起こった未来」である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「新しい現実」からの抜粋。

理論を傾倒するのではなく、”すでに起こった未来”を前提とした実践を重んじることが何よりも大切であることを伝えている。

我々はどうしても”カタチあるもの”を過度に信頼してしまいがちだ。ぼんやりとした捕らえ所のない情報を、誰かが”カタチあるもの(理論やデータ)”に体系化すると、絶大な安心感を抱き、それらに依存してしまう。

しかし、「理論が実践に先行することはない。理論の役割は、すでに有効性を確認された実態を体系化することにある。」と本日のページでドラッカー教授が言うように、すでに起こった一連の事実が理論を形成する。

つまり、今目の前で起きていることが理論として体系化された頃には既に陳腐化している可能性が高いということだ。

今、目の前で起きている変化の”かけら(兆候)”、すなわち”すでに起こった未来”が光だとすると、理論が音のように追いかけてくる。しかし、必ず全ての事象について理論が体系化されるかどうかは、事象が発生している際には分からない事が多い。

ドラッカー教授の本が一部の人に胡散臭い、具体性に欠けると揶揄される理由のひとつに「理論や数字、グラフを提示しない」というのがある。

当ブログの読者ならきっとお気づきだろう。

もちろん、彼は読者の思考を枠組みで拘束しないよう、そうしたデータをあえて用いていない。読者が視覚的に依存する対象を可能な限り取り除くことで、読者の力に対して絶対的な信頼を寄せているのがドラッカー作品の特徴でもあり、重要な魅力の一つだ。

ドラッカーは私たちを信じている。

だからこそ、読んでいて自分でも気づかない内に涙がこぼれたり、ほっと安心したり、自分の内なるパワーがふつふつと沸いてきたりするのではないかと私は感じている。

「今起きていることをそのまま全身で受け止めてください。そしてあなたの力でその意味を考え抜き、自ら行動してください。」

今は亡きおじいちゃんの様に、常に近くで見守りながら、そうささやいているように感じるのは私だけだろうか?

さて、今日はどんな「すでに起こった未来」に出逢えるだろうか。


参考記事:
”情報は、事業の定義が前提としているものの有効性を知るために必要とされる。”
”もしそれが意味ある変化であるならばいかなる機会をもたらすか。”


Today's Question.
Q:”今”と、うまく付き合えていますか?

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1月13日”マネジメントとは一般教養である。”
明日もお楽しみに。

2010年1月10日日曜日

”自立した組織に変わるものは全体主義による独裁である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメント」からの抜粋。

我々の組織が自立を失うと、たちまち全体主義(Wiki参照)による独裁が蔓延る。我々一人ひとりが明日の自由に向け、責任ある選択を続けることの重要性について触れられている。

重要な箇所なので、引用しておこう。

組織が自立性を失うならば、個人はありえず、自己実現を可能とする社会もありえない。自立性を許さない全体主義が押しつけられる。自由どころか民主主義も不可能となり、スターリン主義だけとなる。自立した組織に代わるものは、全体主義による独裁である。


”自立によって勝ち取る自由と尊厳”という考え方はドラッカー・マネジメントの根底に脈々と流れる基本概念だと思う。

しかし、残念なことに”自立した組織の育成”は、実際のところはそう簡単ではない。なぜなら、昨年12月26日のページで触れた通り、”自由と安全が両立しないならば大衆は安全を選ぶ。”からだ。

つまり、”自立”を前提とした”自由”を選ぶぐらいなら、”依存”することで短期的な”身の安全”を選んでしまい、結果的には自由を放棄してしまうのが大衆の心理であるからだ。

我々はその心の隙を突いてくる一部の強力な勢力から自らの自由を守らなければならない。

12月26日の記事のように、”命の安全”が選択肢というのは極論になってしまい、命のためには自由の放棄も当然と思うかもしれない。しかし、実は”自由の放棄”は非常に日常的な場面に存在する。

即答できないような場面には、自らの思考をスローダウンまたは停止してまで何らかの依存対象を探し、その責任において判断してしまう傾向がある。

例えば職場においては、

・自己評価しなさいと言われ…
 →過大評価または過小評価してしまう。
 →拒否してしまう。

・目標設定をしなさいと言われ…
 →小さすぎるまたは大きすぎる目標にしてしまう。
 →他人の目標と較べてしまう。

・同僚の問題行動を目にして…
 →直接は注意せず、他の人間に報告(または放置)してしまう。
 →あの人が許されるなら、と自分も真似してしまう。

・注意されて…
 →「あの人だって…」と言ってしまう。
 →「ルールが無いから悪い」と言ってしまう。

・立候補で昇進が決まると言われ…
 →「そんな事は上部が決めないのはおかしい」と言ってしまう。
 →本来自分が適任だと分かっていても、他の人を推薦してしまう。

プライベートでも様々なシーンでこのような自由の放棄が行われている。

我々は自由(自らの選択)を放棄することによって、自分ではない他の「何者か」に人生を預けてしまいがちなのだ。これではドラッカー教授やキェルケゴールが言った通り、その人の存在自身が危機にさらされることになる。

このような理由から、私は仕事を通じて、”自ら考え抜いて、自ら責任持って選択できる人(自由な人)”を一人でも多くしたいと考えている。

そのためには意思決定の場数を踏むしかない。

権限委譲したり、意識的に選択肢を増やしたり、それらを選択した際に予想されるメリット&デメリットを明確に提示することで、”選ぶ力=自由になる力”が必ずついてくると感じている。

一人のスタッフが自分で選べるようになってくると、彼(または彼女)の目つきは変わり、周囲(勿論、私も含め)に大きな影響を及ぼすようになってくる。この光景を目の当たりできることこそ、組織を運営する者の醍醐味といえる。

人に判断を委ねることなく、自らの人生を自らの責任において謳歌し、真の意味で”存在”し続けよう。


Today's Question.
Q:あなたの良心の下に選択できていますか?

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1月13日”意思決定の前提とすべきものが「すでに起こった未来」である。”
明日(1/12)は本日の説明と重複するため、お休みさせて頂きます。明後日をお楽しみに。

2010年1月9日土曜日

”トップマネジメント以外はすべてアウトソーシングできる。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ネクスト・ソサイエティ」からの抜粋で、トップマネジメントが集中すべき仕事について。

”トップマネジメント以外はすべてアウトソーシングできる。”というタイトルになっているが、アウトソーシングの推奨についての説明ではなく、根底にあるメッセージは、「使命や価値観の確立と主要資源の保全に集中せよ」というものだ。

2002年に出版された本書「ネクスト・ソサイエティ」によると、トップマネジメント(最高経営者層)の責務は、下記の通りである。

方向、戦略、価値、原則、構造、内部関係、外部提携、パートナーシップ、合弁、研究、開発、設計、イノベーション、人と金のマネジメント、政府・世論・マスコミ・労組との関わり


トップマネジメントは上記全てを調整しつつ、組織の3つの側面(①経済機関、②人的機関、③社会機関)をバランスさせることにより、組織を一人の人として社会に存続させることが可能となる。

このページで説明されているとおり、これまで富と雇用の創出が主な目的だったのに対し、ネクスト・ソサイエティ(次なる時代)における組織では、社会機関としての役割がより重要視されてくる。

よって、「組織に魂を吹き込む」のが我々の仕事となってくる。

トップマネジメントにとって、未熟な組織を”一人の自立した社会人”に育て、社会に送り出すのが主たる仕事となってくるのだと思う。

組織運営に必要となる、他のいずれの仕事もアウトソーシングできるが、この”魂を吹き込む”仕事、すなわち使命や価値観、ビジョンの確立についてはトップマネジメントの専管とすべき仕事である。

当ブログの読者には、トップマネジメント以外の方も多いと思う。本日の内容を読んで、いかなる感情が生まれただろうか?

もし、あなたが”アウトソースされるべき他の仕事”ではなく、”組織に魂を吹き込む”トップマネジメントの仕事に少しでも興味を持ったのであれば、それがどんなに小さな組織でも構わない、今すぐその道を踏み出して欲しい。

社会には一人でも多くの”自立した人(組織)”が必要とされているのだ。
良き組織を育成する情熱さえあれば、スキルは必ず後からついてくる。


Today's Question.
Q:誰にもアウトソーシングできないような仕事をしていますか?

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1月10日”自立した組織に変わるものは全体主義による独裁である。”
自由の尊厳のためにも、成果を上げるマネジメントが必要です。明日もお楽しみに。

2010年1月8日金曜日

”知識労働者には自律性と責任がともなう。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「明日を支配するもの」からの抜粋。

知識労働に不可欠な”自律(autonomy)”と”説明責任(accountability)”について説明されている。

昨日の説明の通り、知識労働においては、労働者が”知識”という資産を保有している。組織はそれらの知識を必要とし、労働者もまたそうした知識を発揮できる組織を必要とする。

労働者が保有する資産である”知識”は、意識的に可視化(見える化)しなければ、周囲から把握することが非常に難しい”ブラックボックス”の様な存在と言える。

知識労働者は、組織において知識を発揮させることで報酬を得ているため、そうした”ブラックボックス”を自ら開示し、「自分が今持っているリソース(知識)はこんな感じだけど、他に何がいつ頃までに必要ですか?」と言えなければならない。

また自分だけでなく、周囲の強みにも焦点を合わせ、「この課題にはあなたの力が必要だ。もう少しこれについて知識を得て欲しい。」と言える必要がある。

サッカーを例に見ると、日本代表は異なるチームから選抜されている。同じサッカー選手といえどもそれぞれの専門は異なる。またたとえ同じポジションといえども、それぞれの強みは異なる。

「彼には○○を期待していたのに、実際はできなかった。」といった認識のズレや盲点を埋めるよう、スポーツの世界では強化合宿をする。プレースタイルや技術だけでなく、物事の判断基準や考え方の把握、あらゆる意識の統一を図る。

しかし、何回”強化合宿”を開催したとしても、組織と本人の両方が”自律”と”説明責任”が義務であることを理解していなければ、”本人の存在価値”は組織から欠落し、本人も組織も本来の強みを発揮できなくなってしまう。

試合中のサッカー選手の動きも思い起こして欲しい。(敵味方は関係なく)一人の動きの変化に合わせて、半ば自動的に他の全ての選手の動きが決定される。お互いの動きが見えるからこそ、常に選手一人ひとりが相互の動きを影響し合っているのだ。

自ら感じ、考え、行動し、伝えよう。


Today's Questions.
Q:自分の状況をもっとも詳しく知っているのは誰ですか?それはなぜですか?
Q:組織全体にあなたが考えていることの多くが伝わっていますか?

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1月9日”トップマネジメント以外はすべてアウトソーシングできる。”
明日もお楽しみに。

2010年1月7日木曜日

”資産の保全こそマネジメントの責務である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、昨日と同じく「明日を支配するもの」からの抜粋。

”資産の保全”はマネジメントの責務だが、本日のページで説明されている”資産”はモノまたはカネなどではなく、組織にとって最も重要な資産といえる「ヒト」しかも”知識労働者”についての内容となっている。

ドラッカー教授は、「人は資産であり、コストではない。」と説いた。

機械等の設備を生産手段とする”肉体労働”に較べ、”知識労働”の生産手段は知識であり、彼等”知識労働者”の頭の中にあり、その許容量はある意味で”無限”といえる。

組織はこれら知識労働者が所有する生産財、”知識”の上に成り立っている。資産の保全や再配分あるいは増強を責務とするマネジメント(特にトップマネジメント)は、いかにしてそうした資産を持つ知識労働者を惹きつけ留まってもらうのかを真剣に検討しなければならない。


Today's Questions.
Q:優れた知識労働者にとって魅力的な環境とは?
Q:今、働いている方々にとって、報酬以外に価値あるものは?
Q:これから働きたい方が報酬以外に組織に望むことは?

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1月8日”知識労働者には自律性と責任がともなう。”
自己管理能力が知識労働者の生産性を高めます。明日もお楽しみに。

2010年1月6日水曜日

”まだ行っていなかったとして 今これを始めるかを問わなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「明日を支配するもの」からの抜粋で、体系的廃棄を実施する際に便利な問い「まだ行っていなかったとして、今これを始めるか?」について説明されている。

大変有名な問いなので、念のため原著の引用もしておこう。

"If we did not do this already, would we, knowing what we know, go into now?"
(P.F. Drucker, "Management Challenges for the 21st Century
")

まだ行っていなかったとして、かつ今知っていることを全て知っていたとして、今これを始めるか?(「明日を支配するもの ー 21世紀のマネジメント革命」、上田惇生訳)


本日のページでは、直ちに活動を停止すべき3つについても触れている。

①製品、サービス、プロセス、市場の寿命があと数年の場合
②製品、サービス、プロセス、市場が”償却済み(コストがかからない)”であるから続けている場合
③製品、サービス、プロセス、市場が、未来のそれらの邪魔になる場合

そして本日のACTION POINTには、これらの問いを通じて最初の問い、「まだ行っていなかったとして、今これを始めるか?」への答えがノーであれば、いかに愛着があろうとも廃棄の決断をするよう記してある。

実際、当社の製品などにこの問いを照らし合わせると、かなり多くの製品に「ノー」が出てしまうのが現状だ。

これらの問題を薄々は感じてはいるものの、「必要最低限の売上を確保するために……。」といいつつ、こうした衰退期を迎えている市場にダラダラと貴重なリソースを割いてしまっている様に思う。

当社の場合、事業の体系的廃棄は、社員の側から提案される事が多い。実際、最も不毛な戦いを強いられているのは現場であり、彼等自身、何とかしてそこから脱出し、将来のための仕事を少しでも増やしたいと感じているようだ。

私個人、今年の抱負は「見極める」としたが、事業の選択と集中のためにも上記の問いを用いて”見極めて”いくことが今年の命題であると感じている。


Today's Question.
Q:まだ行っていなかったとして、今これを始めますか?
Q:優秀な人が上記3つの様な事業を任されていませんか?

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1月7日”資産の保全こそマネジメントの責務である。”
明日もお楽しみに。

2010年1月5日火曜日

”死臭を防ぐことほど手間のかかる無意味なことはない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、体系的廃棄について。

経営者の条件」、「乱気流時代の経営」、「未来への決断」、「明日を支配するもの」からの抜粋ということからも分かる通り、”体系的廃棄”という作業はドラッカー・マネジメントにおける真骨頂の一つともいえるだろう。

このページでドラッカー教授は、人の強みを”第一級の資源”とし、優秀な者を優先して”昨日の活動”から引き揚げ、”明日の機会”に充てなければならないことを示唆している。

時間という資源(リソース)はみな同じ。24時間/人しかない。

しかし、知識労働は肉体労働に較べ、仕事量が見えにくく、あっという間に一日の時間は何かの”後処理的作業”で奪われて行ってしまう。過去に対する処理作業で埋まってしまうのだ。

これでは時間の収支が全くの”赤字”となる。

時間の黒字化を目指すため、すなわち”明日をつくる時間”を捻出するためにも、ドラッカー教授は「優秀な者を明日の機会に充てなさい。」と説くのだ。明日の機会とは新たな顧客を創造する活動(マーケティング&イノベーション)を指す。

そして、そのためには”昨日の廃棄”を体系的に行う必要がある。

定期的に事業を見直し、資源が浪費されている活動や顧客を棄てることで、組織内に時間的余裕を生むのだ。

ある意味、”やめる”という決断は、”やる”以上に勇気が要るものだが、組織の維持発展の為にも、浪費されている優秀な人の為にも、トップが率先し勇気を持って下すべき決断ではないかと思う。

本書「ドラッカー 365の金言」と原著「The Daily Drucker
」両方のカバーに砂時計が描かれていることからも、「汝の時間を知れ」というドラッカー教授の強いメッセージが伝わってくる。


Today's Questions.
Q:今日、メールの確認に何分費やしますか?
Q:その内、何通のメールがあなたの組織の”明日をつくる”メールでしょうか?

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1月6日”まだ行っていなかったとして 今これを始めるかを問わなければならない。”
体系的廃棄の際に使われる判断基準のお話です。明日もお楽しみに。

2010年1月4日月曜日

”あらゆる組織が活動の評価尺度を必要とする。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「断絶の時代」からの抜粋で、活動に評価尺度を持つ重要性について。

営利・非営利に関わらず、あらゆる組織は何らかの目的すなわち”使命”を持っている。組織を取り囲む環境は刻一刻と変化するため、活動自体がそれと同時に陳腐化し、瞬く間に環境にそぐわないものになってしまう。

この”組織の惰性”を防ぐには、自らの組織がどの程度の成果を上げているのかを常に明確にする必要があり、そうした”組織の健康チェック”のためにも、まずは活動を評価するための”ものさし(評価基準)”が必要なのだ。

このページにもあるとおり、「収益性」というものさしは一つの客観的評価基準と言える。企業の場合、「主たる顧客に選ばれているか?」という答えが収益性に”比較的”ダイレクトに現れるため、評価しやすい。個々の活動を収益性という視点で見える化することで、著しく非生産的な活動を体系的に廃棄することも可能だ。

しかし、非営利活動の評価については少し注意が必要だ。なぜなら非営利組織の収益基盤は、一般的な企業のそれとは大きく異なる。一般企業は通常、直接的なお客様、すなわち”主たる顧客”から収益を得る一方で、多くの非営利組織は、スポンサーや市民等からの募金等、”パートナーとしての顧客”からの支援が収益基盤である場合が多い。

よって、収益性やどの程度の予算で活動しているのかというものさしだけでは、その非営利活動の成果をダイレクトに評価するには至らない可能性が高い。

つまり、非営利活動においては、製品やサービスを直接提供する相手となる”主たる顧客”が減少した際、その影響が収益性や予算に現れるまでの”時差”が致命的に長くなってしまうのだ。収益性の悪化を確認した時には”時すでに遅し”ということもあり得る。

もちろん、企業においても同様の事が言える。収益性という評価尺度だけでは十分とは言えず、使命の達成に向け、いかなる評価尺度を設ける必要があるのか、逆に言えば、「いかなる評価尺度があれば、使命の達成レベルが確認できるのか」を問う必要がある。

そうなってくると、組織の使命を再び考え直す必要が出てくるのではないだろうか?あわせて、顧客を誰に定めていくのか?という問いも浮上してくるかもしれない。

ドラッカー教授は、非営利活動が自らの活動を顧みるために、これらの問いを「ドラッカー5つの質問」としてまとめた。

①われわれのミッション(使命)は何か?
②われわれの顧客は誰か?
③顧客にとっての価値は何か?
④われわれにとっての成果は何か?
⑤われわれの計画は何か?

本日のキーワード、”評価尺度”を定めるにあたり、まずはこの「5つの質問」に対する答えを探す旅に(できれば同じ組織の方と共に)出る必要がある。誤った評価尺度を定めてしまうと、経営資源をあっという間に浪費してしまうからだ。

私も本年最初の読書として、この「経営者に贈る 5つの質問」を読み直し、今後の組織の方向性を再検討したいと思う。


Today's Question.
Q:使命と評価尺度がリンクしていますか?
Q:あなたの顧客が価値を感じる瞬間はどこにあり、それをどの様にすれば見える化できますか?

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1月5日”死臭を防ぐことほど手間のかかる無意味なことはない。”
体系的な廃棄のお話です。明日もお楽しみに。

2010年1月3日日曜日

”二葉の草を育てる者こそ人類の福祉に貢献する者である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「現代の経営[上]
」の第1章、冒頭部からの抜粋。成果を上げるマネジメントこそが、自由な社会を創造する、といった内容だ。

このページに現れるジョナサン・スイフト(Jonathan Swift、1667 - 1745)という人物は、かの有名な「ガリヴァー(ガリバー)旅行記」の著者として知られる諷刺作家。我々にとって、「ガリヴァー旅行記」は子供向けの物語という認識しかないが、実は当時の不条理な社会に対して警鐘を鳴らすために描かれた風刺文学(当時、匿名にて出版)であったそうだ。

Wikipediaでは、このガリヴァー旅行記を「全歴史を通じた偉大かつ不朽の風刺文学の一つとして、これまでに書かれた最高の政治学入門書の一つとして、確固として成立している。法における判例上の対立、数理哲学、不死の追求、男性性、動物を含めた弱者の権利等、今日の数多くの議論が、本作には予見されていた。」と説明されている。

まさか「現代の経営」の冒頭部が”ガリヴァー”に繋がるとは思わなかったが、今でも挿絵が目に浮かぶほど好きだった”ガリヴァー旅行記”を、今一度読んでみたくなった。

さて、話を戻そう。

ジョナサン・スイフトの言葉は、膨大な知識で頭でっかちになりがちな我々にとって重くのしかかる。

Whoever makes two blades of grass grow where only one grew before deserves better of mankind than any speculative philosopher or metaphysical system builder.(Jonathan Swift)

推論的な哲学者や難解な体系家に較べ、たった一つの葉しか育たなかった場所で二つの葉を芽生えさせられる者こそ、真の意味において人類に貢献する者である。(同上、中村克海訳)


ドラッカー教授は、”マネジメント”を”資源を生産的なものにすることを託された機関”としている通り、組織のマネジメントをより深く学んでいくことで、それまでは当社の経営資源(リソース:ヒト・モノ・カネ・情報等)を見て「これだけしかないのか…」と社員共々ため息をついていたのが、今では「これだけあれば、なんとかなりそうだね。」という雰囲気になってくる。

全員でマネジメントを学ぶことによって得られる組織全体の精神的安定感の根底には、必ず信頼と絆が生まれる。

組織がそれまでのバラバラの状態ではなく、少しずつ一体感を増し、まるで一つの大家族でいるような不思議な安心感と使命感が芽生えてくるのだ。そしてこの不思議な感覚を他の組織や今まで知り合えなかった方々と共に味わいたくなってくる。

マネジメントは、愛を昇華させるのだ。


Today's Question.
Q:今年、どの様にして組織のマネジメントを強化しますか?

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1月4日”あらゆる組織が活動の評価尺度を必要とする。”
明日もお楽しみに。

2010年1月1日金曜日

”組織の精神はトップから生まれる。”(P.F.ドラッカー)

 
新年明けましておめでとうございます。
本年も当ブログ「Drucker365」をよろしくお願い申し上げます。

本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメント
」からの抜粋で、リーダーの真摯さ(Integrity)について。

人事において、”その人の強みに焦点を合わせなければならない”とするドラッカー教授も、”真摯さの欠如”については唯一の弱みとして、「真摯さに欠ける人間を上司にしてはならない」と言う。(2009/9/20 参照)本日の内容は、もちろんトップの人事においてもそれが当てはまる、という説明だ。

何も複雑なことではない。「『真摯さの欠如』を許さない」という方針からトップだけを除外して適用してはならない。トップを含めた全員を組織の下に置かなければならないのだ。

組織の精神はトップから生まれるからである。組織が偉大たりうるのは、トップが偉大だからである。組織が腐るのはトップが腐るからである。「木は梢から枯れる」との言葉どおりである。(「マネジメント」より)

注:梢(こずえ)は木の幹の先端、木のてっぺんを指す。


実は松下幸之助も、これにとても似た事を説いていた。

絶対に必要なのは熱意や。まず経営者であれば、社員が百人いて皆が熱心だとしても、社長は熱意にかけては最高やないといかん。

(中略)

したがって自分は、知識は最近、だんだんとなくなってきたけれども、この松下電器を経営していこうという熱意だけは、何万という人がいても、いちばん最高のものをもっていないといかんと考えています。もしこれに欠けたら、自分はもう松下電器を辞めないといかん。熱意のない者が最高の地位にいたらあかん、ということを思っています。

(松下幸之助述、PHP総合研究所編「社長になる人に知っておいてほしいこと
」1978年、サロン・ド・関西講演会の質疑より)


組織が社会における”ひとりの人”であると考えれば、その人が社会に向けて放つオーラが輝いてこそ、周囲のあらゆる人を魅了し”強み”を結集することができるのだと思う。

今年も気持ちを新たに、初心で新たな挑戦に挑んでいきたいと思う。


Today's Question.
Q:組織でもっとも真摯なのは、あなたですか?

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1月3日”二葉の草を育てる者こそ人類の福祉に貢献する者である。”
明日はお休みです。明後日のDrucker365は、”マネジメント”が社会を変える、といった内容です。お楽しみに。