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2010年2月27日土曜日

”重要なことは自らの事業は何かを知ることである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメント」からの抜粋。

自らの事業が何なのか?

本日のページは、単純に思えるこの問いへの答えについて、自らが簡単に決められることではなく、顧客に直接聞くことで再定義されるべきものである、といった内容となっている。

スーパー、タクシー、警察、バイク屋、ラーメン屋等々、世の中にはありとあらゆる職種が存在し、その種類も急速に多様化している様に感じる。

例えば、「私は警察官です。」というのと、「私は町内の皆さんの安全を確保します。」というのでは、日々の生活やタスクの優先順位が全く異なってくる。

実は一昨日、息子が通う幼稚園のハイキングに同行した。子供達と一緒に乗り込んだバスの中で、先生が「みんな、○○君(息子)のお父さんはどんなお仕事しているのか聞いてみましょう!」という流れになり、咄嗟に考える事になってしまった。

勿論、子供達の手前、回りくどい回答は避け、「○○の部品を作っているんだよぉ。」と説明したが、この回答には自分自身、非常に違和感を感じた。組織自体は純粋な製造業であっても、私は日頃製品の加工には直接関わっていないからだ。

そうした意味で、この問いのおかげで改めて自分自身について考え直す機会をいただくことができたのだ。

「自分は何をしているのだろう?」
「どの様に貢献できているのだろう?」
「周囲は自分に何を期待しているのだろう?」

こうした問いを自らの組織に当てはめてじっくりと考えてみると、そこには今まで見えなかった機会やイノベーションが半ば自動的に表出してくるはずだ。

既存の製品やサービスの提供は、あくまでもそれらを提供した結果、顧客の側で発生する”価値”を導くためのツールに過ぎない場合がある。ひょっとすると、今までとは全く異なる方法でその価値を最大化できるのかもしれないのだ。

顧客に直接聞いてみよう。

「なぜ、当社(または私)と取引してくれているのでしょうか?」
「我々(または私)が改善すべき課題をお教えいただけますでしょうか?」


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3月1日”変化をコントロールする最善の方法は自ら変化をつくりだすことである。”
明日もお楽しみに。

2010年2月25日木曜日

”資金ではなく知識が統治の主体となったとき 資本主義とはいかなる体制を意味することになるのか。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「明日を支配するもの」からの抜粋。

本日の内容は、知識労働の興隆によって社会の主体が資金から知識に移行しつつあることについて説明されている。

我々の価値観は日々変化している。

先進国では特にお金やモノに対しての信頼感、期待感が刻一刻と失われ、一通りの贅はやり尽くした我々の世代(30代〜)と、そうした贅沢を体験したいとも思わない若者達(〜20代)が次に向かうところは全く別の世界に存在する様だ。

非常に極端な例ではあるが、ウォーレン・バフェット、ビル・ゲイツ、ジャッキー・チェン等の大富豪達には、自分が最低限生活できるだけのわずかな資金を残し、残りの全額を寄付する動きが見られる。(具体的な額を見れば、それが単なる税金対策ではないことは確か。)

彼等は子供達に遺産を残さずに全額寄付することについて、このように話している。

「長者の父に会って、終生何もしなくてもいいほど多くの財産を譲り受けるのは、子女から達成感を奪うことと同じだ」(ウォーレン・バフェット)

「息子に能力があれば、父のお金は必要ない。能力のない息子に、父の財産をむなしく使わせるわけにもいかない」(ジャッキー・チェン)

彼等は自らの子供達の本当の幸せを祈ったり、世界の問題を見つめた時、手元にあるほぼ全てのお金を手放す意思決定をしたのだ。ビル・ゲイツについては40代半ばでその決断をしているところから、本人の価値観が人生半ばにおいて大きくシフトしたことがよく分かる。

こうした流れは我々の生活にも同様に起きている。秋葉原や大型家電量販店に行っても、以前の様にときめくことはなくなった。本当に必要なモノを買ったらさっさと帰る様になった。

当社の職場でも”残業”と”帰宅”を較べて(本来、較べるものでもないが…)、”残業”を選ぶ者は少ない。意思決定の主たる基準が”カネ”から”価値感”に移動した証拠は他にも数多く見られる。

”カネ”の様に、限定された価値を世界中で取り合いする社会は終わりつつあることは確かだといえるだろう。では、社会、組織、個人において、”価値観”を流通させ、無限に増大させるにはいかなる取り組みが必要だろうか。


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2月27日”重要なことは自らの事業は何かを知ることである。”
明日はお休みをいただきます。明後日またお会いしましょう。

2010年2月24日水曜日

”権力は正統でないかぎり永続しない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「産業人の未来」からの抜粋。

”いかなる権力も、正統(legitimate)でないかぎり永続しない”という言葉から始まる本日のページ。いかなる組織であっても、その組織を構成する一人ひとりが意義ある役割を与えられていなければ、いずれは崩壊する、といった内容だ。

大衆は反逆しない。しらけるのみである。自由にともなう責任から逃れるだけである。自由とは、そこに社会的な意味がなければ負担と脅威以外の何ものでもない。(P.F.ドラッカー)


人が人として尊重されない組織や社会において、人は金銭等によって最低限の生活の安全さえ守ることができるのであればよいと、貢献による達成感や絆を諦めることになってしまう。

結果として、そうした組織では「マネジメント三つの役割(以下参照)」を果たすことができず、単に”働く人の給料確保のみを目的とする組織”として迷走することになる。

①自らの組織に特有の使命を果たす。マネジメントは、組織に特有の使命、すなわちそれぞれの目的を果たすために存在する。

②仕事を通じて働く人たちを生かす。現代社会においては、組織こそ、一人ひとりの人間にとって、生活の資(かて)、社会的な地位、コミュニティとの絆を手にし、自己実現を図る手段である。当然、働く人を生かすことが重要な意味を持つ。

③自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する。マネジメントには、自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題の解決に貢献する役割がある。(「マネジメント─基本と原則」P.F.ドラッカー)


しかし、こうした議論の前に我々が最も注意しなければならないのは、組織を構成する一人ひとりが、組織で働いていながら、「組織とは何なのか?」「マネジメントは何か?」「なぜ必要なのか?」という問いについて全くといって良いほど回答できる状態になっていないという現実だ。

こうした現状に対し、トップの人間だけがドラッカー・マネジメントを学び、”正統性”等についてスタッフを戒めたところで、その行為自体がマネジメントを理解していないの同じであり、無用な乱気流を組織内に生むだけだろう。

まずは”組織”という言葉の意味を一人ひとりが理解し、それに同意した上で、次に”自らの組織”の使命を明確にし、いかにして個の強みを結集し、社会問題の解決に取り組むのかを議論するといった手順が良いのではないだろうか。

組織のメンバーが”組織”の意味について同意できるのであれば、自由はすぐそこにあるようなものだ。

当社にかなり多くの課題が残っていることを痛感したページだった。


Today's Questions.
Q:組織とは何ですか?
Q:人とは?

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2月25日”資金ではなく知識が統治の主体となったとき 資本主義とはいかなる体制を意味することになるのか。”
明日もお楽しみに。

2010年2月23日火曜日

”諸々の新しい課題が違う形の政府を必要とする。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ポスト資本主義社会(原著初版:1993年)」からの抜粋。

ドラッカー教授は、政府の新たな課題の例として”テロの脅威”を挙げ、変化する課題(この場合、国際化するテロ組織への対応)に準じて柔軟に対応できる組織の必要性を説いている。

なぜテロなのか?実はこの本が出版された1993年(2月26日)に、ニューヨークの世界貿易センター爆破事件が発生している。

アメリカがテロ対策国家として認知されだしたのは、2001年9月11日(通称:911)のアメリカ同時多発テロ事件以降と一般的に考えられているが、実際にはそれよりずっと前、遅くとも第二次世界大戦前(1930年代)から”攻撃されたと見せかけて戦争に持ち込む景気対策”はスタートしていると言える。

経済への直接的関与が危険視される政府は、一般人には理解できないような領域で刺激策を常に模索している。世界的なエコブームもその一つといえるだろう。

最も重大なミスマッチは、彼等(政府)の主たる目的が”経済”であって、我々の主たる目的が”経済”でない点にあると思う。

彼等のそうした手法に自らの価値観を揺るがされない様、常に一定の距離を保ちつつ観察することが大切だ。次々と生じる出来事に一喜一憂することなく、遠目で潮流を捉えながら対処する習慣を身につけよう。


Today's Questions.
Q:今、目の前で起きていることの本質は?
Q:その受益者は誰でしょう?
Q:どのようなシナリオが潜んでいると考えられますか?
Q:それがもし正しいとしたら、今後どうなっていくのでしょう?

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2月24日”権力は正統でないかぎり永続しない。”
明日もお楽しみに。

2010年2月21日日曜日

”中央の計画によって経済を動かす社会は全て滅びる。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「現代の経営」からの抜粋。

”今日では、一般社員とされている人たちの多くがマネジメントの仕事を行わなければならない。”と始まる本日のページ。

従来の様に、一部のカリスマ的リーダーが運営する中央指令型組織の危険性は環境順応能力にあると言えるだろう。組織全体の能力が一人(または少数)のリーダーの能力に依存してしまいがちなこうした組織では、環境の変化に対する知覚神経(センサー)が不足し、社会に鈍感になってしまう傾向がある。

昨今の通り、乱気流の時代を乗り切るには、組織内(そして可能であれば、取引業者、社員の家族等々、その組織に関わる全ての人)が変化をつぶさに感じ取るセンサーとして機能し、知覚した情報の本質を理解し、淡々と対応策を実施し続けなればならない。

環境変化に対応できない小さな中枢神経によって、巨大な体をコントロールしようとした恐竜と同じように滅びる。(P.F.ドラッカー)


以前も書いたとおり、この時代、組織の”鈍感”は死に直結する。鈍感には大きく分けて2種類の鈍感が存在すると感じている。「知覚なしの鈍感」と「知覚ありの鈍感」だ。

まず前者は、単純に能力不足による鈍感。変化を変化として捉える能力が無い組織だ。通念では予想外の出来事、予期せぬ成功や失敗の他、直感的に「ん?」と感じた事には大抵何らかの理由が深いところに隠れている。しかしそれを「これは”すでに起こった未来”である」と受け取れなければ、遅かれ早かれ全く理解できないままに大きな乱気流に飲み込まれることになるだろう。

そして、後者「知覚ありの鈍感」には、主に2種類のケースが存在すると見ている。

①一部のスタッフは知覚しているにも関わらず、意思決定者に伝達されない場合
②意思決定者が知覚しているにも関わらず、現状を維持してしまう場合

①の原因は、知覚したスタッフ自身が現実逃避してしまって、意思決定者に伝達しないままになってしまう場合と、意思決定者がスタッフからの報告を自らの意思決定に活かせていない場合が考えられる。

②の原因は、意思決定者が”なされるべきこと”に基づいておらず、自らの好き嫌いで意思決定する結果であるといえるだろう。「そんなはずはない」「こうなるはずだ」といった現実逃避や、「こうであって欲しい」「こうしたい」といった根拠のない期待や個人の好みで組織を煽動してしまうパターンだ。

いずれも、物理的には楽かもしれないが、精神的には「このままでは変化に順応できない」と誰もが感じるため、常に良心の呵責に苦しむことになってしまい、結果的に強いストレスが伴う。

こうした状況を避けるためには、トップ自らが方針転換しないと難しい。「今後は私の独断ではなく、全員で意思決定したい」と伝え、実践する必要がある。

しかし、(多くの場合)高齢のトップがその様に大きな方向転換をするのは極めて困難だ。その場合は、部下から”責任ある選択”を始め、規模は小さくとも今居る組織を自立させ、成果を出すほかないだろう。

”なされるべきこと”に明確にし、”私は”ではなく、”われわれは”と習慣的に考え、行動し始める必要がある。

チームで責任ある選択を追求するスリル、その努力の結果、勝ち取る”真の自由”、楽しさを身をもって経験ことで、必ず周りにとっても憧れの存在になるはずだ。

あなたの行動でそこまで周囲を牽引することができたとすれば、それが全体に浸透するまでにそう長い時間は必要としないだろう。


Today's Question.
Q:緊急性は低いが、やがてくる大きな変化の波に、あなたは今どの様な行動を始めればよいのでしょうか?


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2月23日”諸々の新しい課題が違う形の政府を必要とする。”
明日はお休みとなります。明後日(2/23)またお会いしましょう。

2010年2月20日土曜日

”発展途上国など存在しない。あるのはマネジメント途上国である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「すでに起こった未来」からの抜粋。

経済発展は、経済的な富によってもたらされるのではなく、人間のエネルギーがマネジメントを通じて結集されることによって生み出されるのだ、と説明している。

本日のページには”一四〇年前の日本”、つまり我が国の明治維新による社会構造の大変革が、優れたマネジメントの成功事例として挙げられている。

当時の日本は、意思決定の中心を幕府から朝廷へと移し、欧米の植民地政策には抵抗しながらも、国際貿易による経済発展と軍の強化、身分制度改革、教育制度改革、あらゆる側面での大改革を建設的な議論を通じて極めて短期間の内に成し遂げたと伝えられている。

そうした改革の中で、明治政府が基本方針として1868年(明治元年)に示した「五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)」の役割はその後の日本の発展に重要な役割を示したと思われる。

※五箇条の御誓文は様々な視点に基づく解釈が存在するため、下記の【現代表記】はあくまでも参考としてご覧いただきたい。

一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
【現代表記】広く会議を興し、万機(あらゆる重要事項)公論に決すべし。

一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
【現代表記】上下心を一にして、さかんに経綸(国家政策の全般)を行うべし。

一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
【現代表記】官武一途(朝廷と諸侯が一体となって)庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。

一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
【現代表記】旧来の陋習(閉鎖性・封建性)を破り、天地の公道(人の道)に基づくべし。

一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
【現代表記】智識を世界に求め、大いに皇基(天皇が国を治める基礎)を振起すべし。


当時の改革者達が、保守的かつ不平等な幕府の政治を徹底的に廃し、国を開き、国内のリソースを最大限に活かすことで真剣に欧米列強に追いつこうと必死だったことがこの五箇条の御誓文からひしひしと伝わってくる。


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2月21日”中央の計画によって経済を動かす社会は全て滅びる。”
明日もお楽しみに。

2010年2月19日金曜日

”企業が優れている最大の理由は赤字の機能にある”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「断絶の時代」からの抜粋。

本日のページは”再民営化”というテーマについて説明されている。この”再民営化(reprivatization)”とは、一旦政府が着手した仕事を民間企業に移管することを指す。

ドラッカー教授はこのページで、企業の最も優れた点は”活動を縮小したり、潰れることができる”ところにある、としているのだ。

”企業は社会が消滅を許す唯一の組織である。”(P.F. ドラッカー)


営利非営利にかかわらず、”顧客に選ばれないサービス”はそのままの規模で生き残ることができず、遅かれ早かれ規模を縮小、または市場から退場を余儀なくされる。

”消費者は製品がどれだけ役に立つかだけを考える。役に立たなければ、それをつくった企業が消滅しても残念とは思わない。”(P.F. ドラッカー)


市場の競争にさらされる”企業”というツールをもって、社会にとって本当に必要なサービスだけを浮き彫りにしていく事が可能なのだ。

政府や役所のサービスの多くは、真のニーズからは生まれたものではなく、国や地方の思惑や予算の関係性から捻出された企画が多い。

こうした状況の中、我々”顧客”であるはずの者にとってサービスを選択する余地は与えられない場合が殆どで、その点で考えると我々は本質的には”顧客”ではない、とも言えるのではないだろうか。

我々は彼等が作ったサービスの”受け手”でしかなく、そのサービスの質向上のために建設的に参加することが極めて難しい状況に置かれている。

結果として、我々サービスの”受け手”はこの点で”社会への参加”を阻まれている。無論、一概に政府や役所が悪いのではない。システムがこのような状態を生んだだけだ。

一方、政府や役所の職場には”安定”が存在したとしても、評価から得られる達成感、市民との絆、相互の承認等、労働する上で致命的な要素が大きく欠如してしまっている。(勿論、最近はそれも変わりつつあるようだが。)

市民から「本来なら別で受けたい」と思われるようなサービスを提供しながらでは、自信をもって”社会に参加している”とは彼等も言えないはずだ。

政府はよかれと思って”雇用創出”しているのかもしれないが、社会としての使命を明確にしなければ、自信の無い人、自らを押し殺す人を創出し続けることになってしまう。

政府や役所の運営が、市民へのサービス提供という大義名分を通じ、とにかく雇用確保を目的とするのか?それとも民間への業務移管を通じて人を社会に返し、本当に使えるサービスを全員で拡充していくのか?

まずは使命(ミッション)を選ぶところからスタートしなければならない。


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2月20日”発展途上国など存在しない。あるのはマネジメント途上国である。”
明日もお楽しみに。

2010年2月18日木曜日

”政府は成果をあげる能力を取り戻さなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ポスト資本主義社会」からの抜粋。

本日のページでは政府再建の必要性について語られており、そのための3つのステップが紹介されている。

①機能しないもの、今まで一度も機能しなかったものの廃棄
②成果をあげ、組織の能力を高め、機能するものに集中する
③半分成功し、半分失敗していることを分析する

政府の活動においても選択と集中が重要であるという、本日の内容は一見意外にも思えるが、政府の活動が無駄の固まりであることについては誰もが知っている。

では政府や役所の強みって何だろう?とふと考えたところ、Twitterで知り合うことができた或るNPO法人代表の言葉が瞬時に頭に浮かんだ。

「行政はほんと、決まったことを執行管理する力はあります。発想して決めるのが苦手だったり。得意不得意を協働で組み合わせていければいいなと思ってます。」(@fuchan_gifu


これは非常にパワフルなコメントだと感じた。

固定観念に縛られた役所との協働を通じ、あらたな未来を切り拓く事は決して容易ではないはずだ。しかし彼はまず相手(役所)の立場に立ち、じっくりと”強み”に集中することで、役所の心をオープン化し、見事にそれまで誰も成し得なかったイノベーションを創出している。

上からでもなく、下からでもない視線が、この様な協働を可能にし、より生産的な社会をつくるヒントとなるのだろう。


Today's Questions.
Q:あなたの地元の役所は、何が得意でしょうか?
Q:国会が得意とする事は何でしょう?
Q:どの様にすれば国会はその”強み”に集中できますか?

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2月19日”企業が優れている最大の理由は赤字の機能にある”
明日もお楽しみに。

2010年2月17日水曜日

”今日の産業社会に理念のないことが最大の問題である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「企業とは何か(1946年)」からの抜粋。

本日の内容は、”経済発展”が我々にとって最高の目的でないことが分かった以上、真の目的を明確にし、新たな理念に基づいて社会の明日を創造していく必要がある、といった説明となっている。

我々の目的は、経済発展でないとすれば、一体何なのか?

ドラッカー教授は、その答えは哲学あるいは形而上学の様な領域に探さなければなりませんよ、と説明している。

本日のタイトル、”今日の産業社会に理念のないことが最大の問題である。”を見てもよく分かるが、目的が明確になっていないにもかかわらず、物事の効率化に必死になる事ほど無駄なことはない。

また世界的な恐慌の渦中に居る我々は、本来の目的を見失いやすい状況にあることを理解しておく必要がある。

生活の維持のためには、どうしても倫理が揺さぶられやすい不安定な状態になってしまう。身の安全確保のためには自らを失ってしまい、依存する対象を無意識に探したり、目先の利益に囚われてしまうのだ。

正直、個人的には2008年のリーマン・ショックはある意味嬉しかった。本業の製造業にとってはもちろん厳しい試練となることが容易に想像できたが、社会にとっては価値観を見直す大きなきっかけになるのではないかと感じたからだ。

カネへの信頼が著しく失われ、遂にマネーゲームは終焉を迎えた結果、世界中の人が”真の目的”を探求する時代がやってくるものと思われた。

あれから約1年半経とうとしている今、それとは少し異なる状態を感じている。

これはあくまでも個人的な観察だが、主に人生の転機を迎えている人(入学、就職、転職、冠婚葬祭など)においては、大きな価値観の変化が見られる。

大きな意思決定や出費が伴う場合に「みんなどうしているのか?」といった一般論に沿うだけではなく、「自分としては、ここで何を重んじるべきか?」を見直す機会がとても増えた様に感じる。

就職先としてNPOを選ぶ学生が増えた、というニュースもその一例だろう。

しかし一方で、岐路に立たされていない人に見られるのは、現状(生活の安全)を何とかして維持するための”イズム(○○主義)探し”や、”カリスマ探し”等の依存体質の強化だ。

自分ではない”他の何か”に人生を委ねていては、本当の自由を得ることは難しい。自らが考え抜いて、少しでも自己欺瞞(自分を欺くこと)なしに行動することに意味があるのではないだろうか。

とはいえ、社会が迷走する時代に生まれたのは喜ばしいことでもあると言える。一種のパニック状態にある今ほど、我々一人ひとりの意見が尊重される時代は珍しいと思うのだ。

考えているだけでなく、真摯に意見を何らかの方法でアウトプットし続けることで、仲間と共に生きた証を残していこう。


Today's Questions.
Q:感じ、考えたことを発し、行動していますか?
Q:なぜ、私たちは生きているのでしょう?
Q:”生きる”こととはどういう状態を意味するのでしょう?

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2月19日”政府は成果をあげる能力を取り戻さなければならない。”
明日もお楽しみに。

2010年2月14日日曜日

”カリスマを警戒せよ。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「新しい現実」からの抜粋。

このページでドラッカー教授は、カリスマ待望は集団自殺願望である、と言っている。”困ったときの神頼み”ではないが、自ら判断することが難しいからといって、その判断を放棄し、カリスマに委ねるのはあまりにも危険だ。

世界恐慌の苦しみから逃れるため、カリスマ性の高いヒトラーを支持してしまった人々は、その後の”全権委任法”の制定等による独裁体制の確立に「まさか、こんなことになってしまうとは…」と自分の目を疑っていたはずだ。

「重要なのはカリスマ性の有無ではない。正しい方向に導くか、間違った方向に導くかである。」(P.F. ドラッカー)

カリスマの台頭が危険なのは、周囲の人の存在が危険にさらされてしまうからだ。なされるべきことを考えるのを放棄することにより、社会においてその人の存在意義が失われてしまうのだ。著しい没個性化により、その人が本来持っている”社会に対する影響力”を失い、当人が存在しなくてもよい社会となってしまう。

カリスマに判断を委任することによって、そのカリスマの目論見に従って生きるほかなくなってしまう。これではいつまで経ってもその人が自由を掴むことはできない。

組織においても、誤ったカリスマの勝手を許してしまうと、全体が一瞬にして壊死してゆく。しかし、ここで大切なのは、単にこのカリスマ本人が悪いわけではない、という事だ。

カリスマと周囲の人間が”共依存”の関係を強めてしまい、カリスマが周囲の人間に暗黙の内に操られている可能性もあるからだ。その時、カリスマ(多くの場合、カリスマにならざるを得なかった)本人は、孤独な中で一人判断せざるを得ない状態に追い込まれてしまうことも多々ある。

私はこの様な現象の原因について、組織に”何が正しく、何が誤っているのか?”といった基本的な倫理感や使命が浸透していないからではないかと感じている。

組織内の全員とはいかずとも、大半の人がその組織において正しい選択がしやすい環境を提供すれば、組織全体の迷走を防ぎ、より多くの人が責任ある選択のできる組織作りに参加できるのではないだろうか。


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2月17日”今日の産業社会に理念のないことが最大の問題である。”
明日、明後日とお休みをいただきます。17日(水)、またここでお会いしましょう。

2010年2月13日土曜日

”自由とは選択の責任である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「バージニア・クォータリー・レビュー誌(1942年)収載『産業人の自由』」からの抜粋。

本日のページのタイトルは「自由の本質(The Nature of Freedom)」となっており、”真の自由”についてドラッカー教授が定義している。

自由とは楽しいものではない。幸福、安心、平和、進歩のいずれでもない。それは選択の責任である。(中略)楽しいどころか重荷である。それは、自らの行動と社会の行動にかかわる選択の責任である。(P.F. ドラッカー)


実はドラッカーの数多い言葉の中で、私が最も好きなのが、この「自由とは責任ある選択である。(Freedom is a responsible choice.)」という言葉だ。

この言葉に出会った瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けたのを今でもはっきりと記憶している。

「そうか、そうだったのか!」と強く納得すると同時に、それまでの様々な体験が走馬燈のように頭の中を駆け巡った。

この言葉のおかげで、真の自由は自分との葛藤の末、勝ち取るものなのだということが明確に理解できた。何かから逃げて得る権利ではなく、自ら進んで”選択する”義務なのだ。

自分自身の問題も、組織で発生する人間関係等の問題も、これまで判断がおぼつかなかったあらゆる事柄が、”責任ある選択ができているか?”という視点をもって見つめ直すことができるようになった。

誰もが生まれながらに持っている良心は、いかなる時も「今、なされるべきことは○○だ。」と教えてくれている。その心の声に基づいて、どれだけその人が”選べる”か?

”選べる人”には必ず道が開かれる。周囲の人々は「彼(または彼女)ならきっと期待に応えてくれる。」と機会を委ねる。それは日頃の行動から判断して、彼等が”責任ある選択”をする人だと無意識に理解しているからだろう。

反対に、”選べない人”は、いつも自分との葛藤に苦しんでいる。本来やるべき事はよく分かっている。しかし、一度”責任ある選択”に足を踏み込んだら、もう後に引けないことを無意識で理解しているようだ。誰かを思いやる事に重い責任伴う事を知っている。

しかしだからこそ、日頃”選べない人”ほど、自由”の本当の意味を深く理解していたりもする。我々の仕事は、その様な人に”選ぶ”機会をどれだけ提供できるかという事かもしれない。

ただ漠然と選択する機会を提供するのではない。責任を伴って選ぶことで勝ち取る”真の自由”と、それを選ばないことによって生じる”不自由”、2つの選択肢をありありとイメージしてもらうことが重要だと感じている。

もちろん、”責任ある選択”はイバラの道だ。しかし、イバラの道を抜けた後には、全く新しい自由な世界が広がっているはずだ。何に依存することもなく、お互いを常に思いやり、惜しみなく力を持ち寄り、本当の笑顔をつなぐ人たちの世界。

責任ある選択ができる人は、委ねられ、自由となる。
そして、自由な人はより多くの”自由な人”を育て始める。

これこそがマネジメントの醍醐味だと感じている。


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2月14日”カリスマを警戒せよ。”
明日もお楽しみに。

2010年2月12日金曜日

”傍観者には役者と観客には見えないものが見える。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「傍観者の時代」からの抜粋。

本日のページでは、”傍観者(Bystander)”は役者にも観客にも見えないものを自分の目で観察および解釈し、それを伝えることができるとしている。

このページの終わりにあるとおり、ドラッカー教授は常に少し離れたところから社会を見て、今何が起こっているのかを考え、それがいかなる”すでに起こった未来”なのかを感じ取り、本を通じて世界に伝えていた。

”傍らで観る者”と書く”傍観者”の”傍観”の意味は、大辞林を覗くと「かかずらうことなく、そばで見ていること。物事のなりゆきを自分の力で変えようとせず、何もしないで見ていること。」と説明されていた。(かかずらう:面倒なことに関わりをもつ。関係する。拘る。従事する。つきまとう。等の意味)

ちなみに英英辞典(The American Heritage)では、”Bystander”を、”A person who in present at an event without participating in it.”と定義しており、「イベントそのものには参加しないでその場にいる者」という意味になる。

個人的に、この”傍観者”という言葉には以前から違和感を感じざるを得ない。その言葉の意味自体からは”社会に何ら影響力を持たない人”というイメージがあるからだ。

しかし確かに、彼の本はあらゆる現実をつぶさに観察する事から始まっている。

①今、世の中ではこういう事が起こっています。
②それは、こういう意味を持っています。その証拠に……(実例)。
③…ということは、これからはこうなってくることが分かります。
④我々は今後こういう事に取り組む必要があるでしょう。
⑤しかし、それをするにはこういう問題が出てくるはずです。
⑥なぜなら、こういう事情があるからです。(実例)
⑦よって、それを解決するには、まずこうする必要があります。
⑧その結果、こういう効果が得られるでしょう。

彼の思考の流れを見て分かるとおり、ドラッカー教授は傍観するだけで完結していたわけではない。

私が感じる彼の最も偉大な点は、”知覚することから生じる大きな責任”から逃げず、次なる一手のヒントも与えてくれた。瞬時に陳腐化する小手先のテクニックではなく、汎用性の高い”考え方”をサポートしてくれた。

現実を見て、感情的にそれらをシャットアウトすることは簡単だ。傍観する事で、普通なら知りたくもない様な世の中の問題から目を反らさず、彼はそれをなんとかしようと力を尽くしてくれた。


Today's Question.
Q:事業の継続において、もっとも話したくないタブーは何ですか?
Q:それと向き合うために必要な人は誰ですか?

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2月13日”自由とは選択の責任である。”
明日もお楽しみに。

2010年2月11日木曜日

”マネジメントとは人にかかわることである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「新しい現実(The New Realities)」という本からの抜粋。

本日のタイトルは”マネジメントの人間的側面”となっており、人と人が力(強み)を合わせて成果を上げることによって、そこにいる一人ひとりの”弱み”は無意味なものとするのが”マネジメント”であり、組織の目的である、との説明がなされている。

そして、ドラッカー教授は、”だからこそ、マネジメントは(社会にとって)重大であり、決定的な要素である。”と言う。

次に、マネジメントが個人の意思決定(判断や選択)を基盤としているからこそ、お互いに”相手にとって何が得意で、何をしようとしているのか”を深く理解し合っている必要がある、と説明している。

組織の一員である以上、たとえトップマネジメント(経営者層)であっても、自分にない強みを他の誰かが発揮することによって生活が成り立っている。

組織を構成する人が持つ貴重なリソース(資源)を最大限に活かすには、お互いのリソースをまずは理解するのが先決だ。

お互いの”強み”を求め合い、見つかったそれらに全員で心から感謝し、丁寧に組織に織り込んでいくことによって、組織の(社会に対する)新たな貢献力に寄与するはずだ。

また組織の使命達成のため、自らのリソース(その人が持つ強み)を惜しみなく提供する人や、他の”強み”を引き出すことに尽力する人は、組織にとって”現物出資者”と同様の価値がある。

そうした人こそが常に高く評価され、常に最大限の支援を受けられる組織でなければならないと思う。


Today's Questions.
Q:あなたの強みはなんですか?
Q:他の人はそれらをどの程度知っているでしょう?
Q:他の人の強みを、あなたはどの程度知っているでしょう?
Q:プライベートの強みなんて仕事に活用できないと過小評価していませんか?

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2月12日”傍観者には役者と観客には見えないものが見える。”
明日もお楽しみに。

2010年2月10日水曜日

”動的な不均衡状態にある社会だけが安定性と一体性を堅持する。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「イノベーションと企業家精神」「すでに起こった未来」「未来への決断」からの抜粋。

コミュニティと家族は”安定”を求めるが、企業、政府、大学、労組、軍等の社会的機関が”安定”するための唯一の方法は、自らを陳腐化し、体系的に”不安定化”するほかないと説明している。

以前、”綱渡り”の例について触れた。不安定な綱の上を、バランスを保ちながら進むには、自らの全身を不安定に保つ必要がある、という話だ。重心のズレを敏感に感じなければ(または感じようとしなければ)たちまち綱から落ちることになる。

新たに決める→続ける→ズレを感じる→壊す(棄てる)を継続できない”安定した組織”は、不安定な環境に順応し続けることができない。

一方、これ(イノベーション)を楽しめる組織は、激変する環境下でもしぶとく生き残ることができるのだろう。

日本には200年以上続く老舗企業が約3000社も存在し、その総数は世界の40%を占めると言われている。日本は世界でも突出した長寿企業大国である。

こうした老舗企業について学んでみると、比較的長いスパンで時代の変化を受容し、”老舗”特有の古くさいイメージとは全く異なる柔軟性に富んだ対応力、つまりイノベーションを続ける姿が印象的だ。

個人的にここで重要だと思うのは、権限委譲の力だ。社長自らが現場の作業ばかりしていては、時代の変化を大局で感じ、次の一手を選択することが難しくなってしまう。

自らの手で作業することで、その仕事や方法に偏愛してしまいがちだからだ。これでは、”やりたい”ことをやる組織になってしまい、”なされるべき”ことから逃げてしまう組織になってしまう。

「使命の決定・修正、戦略の決定および重要なリソースの配分」以外については極力部下に委譲することで、少し離れたところから組織が社会の変化から乖離していく様を観察し、対応したい。

心は熱く、しかし頭では冷静に変化を楽しめる組織でありたいと思う。


Today's Question.
Q:一度イノベーションをして、陳腐化し始めていませんか?
Q:陳腐化を計り、定期的に修正する手段がありますか?

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2月11日”マネジメントとは人にかかわることである。”
明日もお楽しみに。

2010年2月9日火曜日

”組織の論理がコミュニティの価値と衝突するとき 組織の論理が優先する。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ポスト資本主義社会」からの抜粋。

本日のページはタイトルの通り、組織が地域住民などの”コミュニティ”と衝突した際には、組織の論理が優先されるべき、といった深い内容。

組織は、高齢者を解雇して人材の若返りに取り組んだり、人が住んでいる場所を買収して建物を店舗を建てたり、時として地域コミュニティから見たら”非人道的”とも感じ取れる論理に基づいて活動しなければならない。

しかし、本日の内容を通じて、”それでも自らの組織の貢献を信じなさい”というドラッカー教授のメッセージが伝わってくる。

”病院、学校、企業は、自らが行っていることが不可欠の貢献であることを信じられなければならない。”(P.F. ドラッカー「ポスト資本主義社会」より)


そして、原著「The Daily Drucker」のACTION POINTにはこう書かれていた。

”もし、ウォルマートがあなたが住む地域への進出を試みて、地域住民から反発を受けたら、彼等はどの様なアクションを取るべきでしょうか?どの時点で出店を諦めるのが賢明と言えるでしょうか?”

※ウォルマートとは米国の郊外に多数存在する巨大なスーパーマーケット。日本のイオン、イトーヨーカドー等と似ている。

これはとても難しい質問だ。

まずウォルマート側の人が自らの組織の貢献について深く理解する必要があるだろう。そして、いかにウォルマートが地域を活性化しうるのかをコミュニティに対して十分に説明できるのかが出店の鍵を握ることは明白だ。

事業の目的は”顧客の創造”であるので、最終的に顧客から選ばれないのであれば、出店を取りやめるべきだろう。

しかし、十分な説明をしたにも関わらず、受け入れられないのであれば社会と組織の使命が乖離している可能性も考えられる。どのような理由で反対されたのか真因を追求する必要があるだろう。


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2月10日”動的な不均衡状態にある社会だけが安定性と一体性を堅持する。”
明日もお楽しみに。

2010年2月8日月曜日

”変革が常態となったからには継続性の基盤を堅固にしなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「明日を支配するもの」からの抜粋。

本日のページは”変革と継続の両立”というタイトルで、変革が常となった組織でこそ、価値観や情報の共有と継続が必要であると説明されている。

知識労働といえども、全員が自由気ままに仕事をすれば良いわけではない。むしろ、従来以上に組織の使命と価値観と自他の仕事の照合を頻繁に行う必要がある。”自由”と”放任”は全くの別物なのだ。

全員が勝手気ままに動く”放任”の組織では、選択の基準が本人の”好き嫌い”に依存しがちで、”うわべだけのコミュニケーション”をやり取りすることでお互いの領域を侵さぬことが暗黙の了解となっていたりする。

このようなグループでは「○○だと思っていたのに……。」といった誤解や、誤認識のトラブルが途絶えず、「だからもうコミュニケーションをとっても無駄だ。」といいつつ、出口の見えない現実逃避の泥沼に陥ってしまう。

一方、プロ意識が芽生えてくれば来るほど、組織としての使命や価値観に対する、様々な本質的な質問が湧き出てくる。「この事に対して、組織としてどう考えるのか?(または考えるべきか?)」という議論が絶えない。

組織の本質的な価値への理解は、行動の変革に直結する。

逆に考えると、各自が”現状を変えよう!”と強く思わない限り、組織の使命や価値を深く理解する必要が生じないのかもしれない。本質と向き合うチームは、チェンジ・リーダー組織となり、真の自由と責任を委ねられることになる。

この様なチームは、自らの意思決定を無駄にしない。与えられた指示ではなく、自らが捻出した決定が無駄になることを惜しむため、お互いの行動を良い意味で確認し合う。一度決定されたことに敬意を払う雰囲気がある。一度決まった事は遵守しつつ、違和感が生じた瞬間、それを共有し、自己修正することができる。

情報の不足と信頼性の欠如ほど、継続性を損ない関係を傷つけるものはない。したがってあらゆる組織が、あらゆる変化について誰に知らせるかを考えなければならない。(P.F. ドラッカー「明日を支配するもの」より)



Today's Questions.
Q:決められた事を守り、柔軟に修正できる組織ですか?
Q:組織が本質的な話し合いに時間を割けていますか?
Q:問題について、誰もが平等に話す機会を与えられていますか?

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2月9日”組織の議論がコミュニティの価値と衝突するとき 組織の論理が優先する。”
明日もお楽しみに

2010年2月5日金曜日

”ネクスト・ソサエティは目前にある。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ネクスト・ソサイエティ」からの抜粋。

本日のページで、ドラッカー教授は先進国における若年人口の急激な減少に触れ、我々に今後の対応を迫っている。

”これまで先進国では、国内市場は家族形成の増大によって成長してきた。”とドラッカー教授が言うとおり、日本の人口減少による国内市場の冷え込み方は深刻なものがある。

日本の出生率は現時点で約1.4人に満たず、人口維持に必要な2.1人という数を大幅に下回る状態が続いている。このまま今の状態が続くと、2055年には国内の人口は9000万人を割る予定だ。

年齢構成については現時点から2055年までに65歳以上が20%から40%へ、18歳〜64歳が66%から51%へ、17歳以下が14%から8%に変化することが推測される。

先進国ではみんなそうじゃないか。

そう思われがちだが、これほど極端な人口減少が始まっている国は実は日本しかない。他の国では外国人労働者や移民を積極的に受け入れることで人口の急速な減少をスローダウンすることに成功しているのだ。

移民の受け入れを殆どせずに、日本はいかにしてこの局面を乗り切るつもりなのか?

歴史的にも例のないこの状態に対し、日本の対応が欧米の先進各国の手本になる可能性がある、といった事をドラッカー教授は話していた。

地球全体の人口は途上国の人口増加により、少しずつ増えている一方で、日本の人口は加速度的に減少している。

現在、メディアでは少子高齢化をどうするか?外国人の投票権をどうするか?といった表面的な議論ばかりが行われているが、まずは世界で日本としてどういった使命を果たしていくのか?を明確にしなければ無駄な議論が続くだけだ。

われわれ国民全員が今すぐ答えを見いだすべき、5つの質問は以下となる。

①日本の使命は何か?
②日本の顧客は誰か?
③顧客が価値あるものとするのは?
④日本の成果は何か?
⑤日本の計画は何か?


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2月8日”変革が常態となったからには継続性の基盤を堅固にしなければならない。”
今週末は2日間、お休みをいただきます。来週月曜日にまたお会いしましょう。

2010年2月4日木曜日

”これからの新技術はあらゆる種類の知識からもたらされる。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「断絶の時代」からの抜粋。

本日のページでは、これまで個々の製品やサービスなど、専門分野別に縦割りであった知識構造が崩れつつあり、今後は多種多様な分野の知識によるイノベーションが主流となることについて触れられている。

今日ようやく、知識とその探求が、専門分野ではなく利用分野別に組織されるようになった。(中略)知識が自らを最終目的にするものから、何らかの成果をもたらすための手段に移行したことの結果だった。(P.F. ドラッカー「断絶の時代より」)


”使う側としての知識”に重きを置くのではなく、使われる先、つまり”顧客や用途に応じて必要な知識”を仕入れなければならない。

以前も触れたが、専門技術戦略に基づいてコア技術を高める事に没頭している内に、顧客心理が変化し、その技術自体が”無用の長物”になってしまう可能性がある。

多くの会社にとって、”専門技術”を高める目的は、他の同業者に負けない技術を獲得することによる、価格下落の回避だったりする。しかし、ここには大きな盲点が存在する。

現代の顧客は、我々の同業者以外からの調達を優先して模索する、という点だ。

なぜなら、既存の調達ルートに固執していては大きなコストダウンが不可能であると知っているからだ。真の競合は同業者ではなく、別の業界からやってくると考えた方が賢明だろう。

例えば、現在の光学式マウスの製造方法は、従来のボールを使用したマウスの工場とは全く異なる。従来の工場でいかにボールをスムーズに動くように研究したところで、市場が選ぶのはコストも抑えられ、メンテナンスフリーの光学式マウスだったのだ。

このような大きな需要の転換が一夜にして起きることも考えられる時代と言える。その様な状況で生き残るためには、顧客の声に耳を傾けながら、自らの事業を自らの手で陳腐化させるしかない。

今までの知識やノウハウに感謝し、既存のビジネスモデルを静かに手放すこともできなければならないのだろう。


Today's Questions.
Q:顧客があなたの製品(またはサービス)に不満を持っているとしたら、どの部分ですか?(品質・コスト・納期など)
Q:あなたが顧客なら、どの様な方法でその不満を解消するでしょうか?

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2月5日”ネクスト・ソサエティは目前にある。”
明日もお楽しみに。

2010年2月3日水曜日

”今日において重要なのは肉体労働者でない人たちの生産性である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ポスト資本主義社会」からの抜粋。

本日のページでは、製造現場における生産性を科学的に分析し改善する「科学的管理法」で有名なアメリカのフレデリック・ウィンズロー・テイラー(1856 - 1915)が登場している。

弁護士のあとを継ぐ予定だったテイラーは、ハーバード大の法学部に入学するも、目の病にかかり、弁護士への道を断念。工場現場で働くことになった彼は、肉体労働の生産性の低さに驚き、設備や行程の改善活動を通じてそれを”Taylor Shop System”という管理手法として体系化した。

この、カイゼンの父とも言える、フレデリック・テイラーは”肉体労働に知識”を適用することに成功し、大幅な生産性向上を実現した。これにより、ビジネスの主役は肉体労働から知識労働へと移行し始めたのだ。

しかし、この成功の結果、今度は知識労働の生産性を向上する必要が出てきた。

”成果を生むために既存の知識をいかに適用するかを知るための知識がマネジメントである。”(P.F. ドラッカー)


ムダな知識労働を排除し、いかにリソースを最大化し、より大きな成果を生み出すのがマネジメントだ。

今の仕事の効率化を考えるだけでなく、「本当にその仕事が必要なのか?」「そもそも、何のための仕事なのか?」といった事を追求することで、不要な仕事を廃棄しながら明日につながる仕事により多くの時間を割くことで、知識労働の生産性を継続的に高める必要がある。


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2月4日”これからの新技術はあらゆる種類の知識からもたらされる。”
明日もお楽しみに。

2010年2月2日火曜日

”新しい現実を機会としなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「乱気流時代の経営(原著:Managing in Turbulent Times)」からの抜粋。

ここでドラッカー教授は、”新しい現実(new realities)”は、誰かの期待や幻想によるものではなく、一方的かつ自動的にやってくるものであり、それと正面から向き合うことができる者のみが大きな成果をあげられる、といった説明をしている。

新しい現実、つまり社会の変化は、勝手にやってくる。
それ自体は我々のように感情を持たない。

未来の社会が「今のままであってほしい。」「こうであってほしい。」「こうあるべきだ。」と(特にリーダー達が)強く願ったとしても、”より危険な乱気流”を生じさせ、周囲を路頭に迷わせるだけだ。

合気道の如く、相手(この場合、”新しい現実”)の本質を理解し、受け入れ、応用することでより粘り強い組織にすることができる。

…と言うのは簡単だが、自分だけでなく、組織全体でこれを実現するのは実際の所、至難の業である。

なぜなら、そもそも我々は動物であり、”現状維持”の機能、いわゆるホメオスタシス(恒常性)が体の機能として備わっている。

他の動物のように自らの”生命の危機”を感じた時は、反撃や逃走等、異なる行動に出ることができるが、ビジネス組織においては”生命の危機”ではなく、”組織の危険”に基づいて早い段階から従来と異なる行動を始めなければならない。

組織でこれを実現するには、まず全体がこうした事を認知することが大切だ。

①”新しい現実”は感情なしに一方的にやってくる
②感情だけではね除けようとしても、新たな矛盾が生じるだけである
③変化からの回避は、人に備わった当然の機能である
④ビジネスでは生命の危機ではなく、組織の危険に基づく必要がある
⑤変化と向き合えた者(又は組織)だけが、それを武器にすることができる
⑥変化への順応を楽しむことも可能である

我々の脳は、まずは”新しい現実”を拒否する。しかし、仲間と勇気をもって正面から観察してみると、そこには必ず次の一手につながるチャンスが見えてくるはずだ。


Today's Question.
Q:レクリエーションなど、何らかの活動の運営を任せることで、組織が”新しい現実”と親しむ方法がありますか?

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2月3日”今日において重要なのは肉体労働者でない人たちの生産性である。”
明日もお楽しみに。

2010年2月1日月曜日

”われわれは新しい現実へのわたる峠を越えつつある。”(P.F.ドラッカー)

 
(1/27〜30の間、中国に出張しておりましたが、中国当局による検閲のため、当ブログサービス”Blogger”全体へのアクセスが全くできず、更新が滞ってしまいました。読者の皆様には大変ご迷惑をおかけ致しましたこと、深くお詫び申し上げます。)

本日の”ドラッカー 365の金言”は、「断絶の時代(1968,1969)」「新しい現実(1989)」「ポスト資本主義社会(1993)」からの抜粋。

このページでは、我々が今まさに目の当たりにしている”数百年に一度”の時代の大転換が、世界的なビジネスの構造変化と共に訪れることについて説明されている。

ドラッカー教授は、我々の世界観、価値観、社会構造、政治構造、芸術、制度は数十年で少しずつ変化しながら、次の全く新しい世界に移行する準備をする、としており、人口動態に見る労働力の変化についても触れられている。人口動態の確認は世界のトレンドを掴むためにとても有効であるとしていた。現時点の出生状況が労働力に影響し始めるまでおよそ20年かかり、それまでに備えることが可能だからだ。

生前、ドラッカー教授は特に先進国における出生率の低下による深刻な労働力不足を予測し、先進国は、知識労働の生産性向上(つまり”工夫による効率化”)と外国人の受け入れによって不足した労働力を補うことになるだろう、としていた。

そのため、学生が減る方向にある高等教育機関にて社会人が学び、知識労働の生産性を向上できるような環境整備が必要であるとしていた。

今後、日本を含む先進国では少子高齢化が急速に進み、発展途上国では人口は増え続け、2050年には世界の総人口は90億人に増えるとの見通しがされている。1950年の時点では25億人だったので、このたった100年間で世界の人口が約3.6倍に増える計算だ。

人口についてはネット上に様々な視点でグラフが存在するので、それらを確認し、今後の意思決定に大いに役立てたい。


Today's Question.
Q:急速に進む少子高齢化。あなたの事業に今後どの様な影響を及ボス可能性がありますか?

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2月2日”新しい現実を機会としなければならない。”
やがて訪れる新しい現実を敵とするか、見方とするか?明日もお楽しみに。