本日の”ドラッカー 365の金言”は、「バージニア・クォータリー・レビュー誌(1942年)収載『産業人の自由』」からの抜粋。
本日のページのタイトルは「自由の本質(The Nature of Freedom)」となっており、”真の自由”についてドラッカー教授が定義している。
自由とは楽しいものではない。幸福、安心、平和、進歩のいずれでもない。それは選択の責任である。(中略)楽しいどころか重荷である。それは、自らの行動と社会の行動にかかわる選択の責任である。(P.F. ドラッカー)
実はドラッカーの数多い言葉の中で、私が最も好きなのが、この「自由とは責任ある選択である。(Freedom is a responsible choice.)」という言葉だ。
この言葉に出会った瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けたのを今でもはっきりと記憶している。
「そうか、そうだったのか!」と強く納得すると同時に、それまでの様々な体験が走馬燈のように頭の中を駆け巡った。
この言葉のおかげで、真の自由は自分との葛藤の末、勝ち取るものなのだということが明確に理解できた。何かから逃げて得る権利ではなく、自ら進んで”選択する”義務なのだ。
自分自身の問題も、組織で発生する人間関係等の問題も、これまで判断がおぼつかなかったあらゆる事柄が、”責任ある選択ができているか?”という視点をもって見つめ直すことができるようになった。
誰もが生まれながらに持っている良心は、いかなる時も「今、なされるべきことは○○だ。」と教えてくれている。その心の声に基づいて、どれだけその人が”選べる”か?
”選べる人”には必ず道が開かれる。周囲の人々は「彼(または彼女)ならきっと期待に応えてくれる。」と機会を委ねる。それは日頃の行動から判断して、彼等が”責任ある選択”をする人だと無意識に理解しているからだろう。
反対に、”選べない人”は、いつも自分との葛藤に苦しんでいる。本来やるべき事はよく分かっている。しかし、一度”責任ある選択”に足を踏み込んだら、もう後に引けないことを無意識で理解しているようだ。誰かを思いやる事に重い責任伴う事を知っている。
しかしだからこそ、日頃”選べない人”ほど、自由”の本当の意味を深く理解していたりもする。我々の仕事は、その様な人に”選ぶ”機会をどれだけ提供できるかという事かもしれない。
ただ漠然と選択する機会を提供するのではない。責任を伴って選ぶことで勝ち取る”真の自由”と、それを選ばないことによって生じる”不自由”、2つの選択肢をありありとイメージしてもらうことが重要だと感じている。
もちろん、”責任ある選択”はイバラの道だ。しかし、イバラの道を抜けた後には、全く新しい自由な世界が広がっているはずだ。何に依存することもなく、お互いを常に思いやり、惜しみなく力を持ち寄り、本当の笑顔をつなぐ人たちの世界。
責任ある選択ができる人は、委ねられ、自由となる。
そして、自由な人はより多くの”自由な人”を育て始める。
これこそがマネジメントの醍醐味だと感じている。
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2月14日”カリスマを警戒せよ。”
明日もお楽しみに。
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