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2010年2月12日金曜日

”傍観者には役者と観客には見えないものが見える。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「傍観者の時代」からの抜粋。

本日のページでは、”傍観者(Bystander)”は役者にも観客にも見えないものを自分の目で観察および解釈し、それを伝えることができるとしている。

このページの終わりにあるとおり、ドラッカー教授は常に少し離れたところから社会を見て、今何が起こっているのかを考え、それがいかなる”すでに起こった未来”なのかを感じ取り、本を通じて世界に伝えていた。

”傍らで観る者”と書く”傍観者”の”傍観”の意味は、大辞林を覗くと「かかずらうことなく、そばで見ていること。物事のなりゆきを自分の力で変えようとせず、何もしないで見ていること。」と説明されていた。(かかずらう:面倒なことに関わりをもつ。関係する。拘る。従事する。つきまとう。等の意味)

ちなみに英英辞典(The American Heritage)では、”Bystander”を、”A person who in present at an event without participating in it.”と定義しており、「イベントそのものには参加しないでその場にいる者」という意味になる。

個人的に、この”傍観者”という言葉には以前から違和感を感じざるを得ない。その言葉の意味自体からは”社会に何ら影響力を持たない人”というイメージがあるからだ。

しかし確かに、彼の本はあらゆる現実をつぶさに観察する事から始まっている。

①今、世の中ではこういう事が起こっています。
②それは、こういう意味を持っています。その証拠に……(実例)。
③…ということは、これからはこうなってくることが分かります。
④我々は今後こういう事に取り組む必要があるでしょう。
⑤しかし、それをするにはこういう問題が出てくるはずです。
⑥なぜなら、こういう事情があるからです。(実例)
⑦よって、それを解決するには、まずこうする必要があります。
⑧その結果、こういう効果が得られるでしょう。

彼の思考の流れを見て分かるとおり、ドラッカー教授は傍観するだけで完結していたわけではない。

私が感じる彼の最も偉大な点は、”知覚することから生じる大きな責任”から逃げず、次なる一手のヒントも与えてくれた。瞬時に陳腐化する小手先のテクニックではなく、汎用性の高い”考え方”をサポートしてくれた。

現実を見て、感情的にそれらをシャットアウトすることは簡単だ。傍観する事で、普通なら知りたくもない様な世の中の問題から目を反らさず、彼はそれをなんとかしようと力を尽くしてくれた。


Today's Question.
Q:事業の継続において、もっとも話したくないタブーは何ですか?
Q:それと向き合うために必要な人は誰ですか?

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2月13日”自由とは選択の責任である。”
明日もお楽しみに。

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