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2010年1月10日日曜日

”自立した組織に変わるものは全体主義による独裁である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメント」からの抜粋。

我々の組織が自立を失うと、たちまち全体主義(Wiki参照)による独裁が蔓延る。我々一人ひとりが明日の自由に向け、責任ある選択を続けることの重要性について触れられている。

重要な箇所なので、引用しておこう。

組織が自立性を失うならば、個人はありえず、自己実現を可能とする社会もありえない。自立性を許さない全体主義が押しつけられる。自由どころか民主主義も不可能となり、スターリン主義だけとなる。自立した組織に代わるものは、全体主義による独裁である。


”自立によって勝ち取る自由と尊厳”という考え方はドラッカー・マネジメントの根底に脈々と流れる基本概念だと思う。

しかし、残念なことに”自立した組織の育成”は、実際のところはそう簡単ではない。なぜなら、昨年12月26日のページで触れた通り、”自由と安全が両立しないならば大衆は安全を選ぶ。”からだ。

つまり、”自立”を前提とした”自由”を選ぶぐらいなら、”依存”することで短期的な”身の安全”を選んでしまい、結果的には自由を放棄してしまうのが大衆の心理であるからだ。

我々はその心の隙を突いてくる一部の強力な勢力から自らの自由を守らなければならない。

12月26日の記事のように、”命の安全”が選択肢というのは極論になってしまい、命のためには自由の放棄も当然と思うかもしれない。しかし、実は”自由の放棄”は非常に日常的な場面に存在する。

即答できないような場面には、自らの思考をスローダウンまたは停止してまで何らかの依存対象を探し、その責任において判断してしまう傾向がある。

例えば職場においては、

・自己評価しなさいと言われ…
 →過大評価または過小評価してしまう。
 →拒否してしまう。

・目標設定をしなさいと言われ…
 →小さすぎるまたは大きすぎる目標にしてしまう。
 →他人の目標と較べてしまう。

・同僚の問題行動を目にして…
 →直接は注意せず、他の人間に報告(または放置)してしまう。
 →あの人が許されるなら、と自分も真似してしまう。

・注意されて…
 →「あの人だって…」と言ってしまう。
 →「ルールが無いから悪い」と言ってしまう。

・立候補で昇進が決まると言われ…
 →「そんな事は上部が決めないのはおかしい」と言ってしまう。
 →本来自分が適任だと分かっていても、他の人を推薦してしまう。

プライベートでも様々なシーンでこのような自由の放棄が行われている。

我々は自由(自らの選択)を放棄することによって、自分ではない他の「何者か」に人生を預けてしまいがちなのだ。これではドラッカー教授やキェルケゴールが言った通り、その人の存在自身が危機にさらされることになる。

このような理由から、私は仕事を通じて、”自ら考え抜いて、自ら責任持って選択できる人(自由な人)”を一人でも多くしたいと考えている。

そのためには意思決定の場数を踏むしかない。

権限委譲したり、意識的に選択肢を増やしたり、それらを選択した際に予想されるメリット&デメリットを明確に提示することで、”選ぶ力=自由になる力”が必ずついてくると感じている。

一人のスタッフが自分で選べるようになってくると、彼(または彼女)の目つきは変わり、周囲(勿論、私も含め)に大きな影響を及ぼすようになってくる。この光景を目の当たりできることこそ、組織を運営する者の醍醐味といえる。

人に判断を委ねることなく、自らの人生を自らの責任において謳歌し、真の意味で”存在”し続けよう。


Today's Question.
Q:あなたの良心の下に選択できていますか?

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1月13日”意思決定の前提とすべきものが「すでに起こった未来」である。”
明日(1/12)は本日の説明と重複するため、お休みさせて頂きます。明後日をお楽しみに。

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