本日の”ドラッカー 365の金言”では、データ化できないもの、定性的な分析の大切さについて触れられている。表やグラフなど、我々は良くできた”データ”を眼にすると、それに依存してしまいがちだが、ドラッカー教授は、そうした定量的な情報だけに捕らわれるのは怠慢である、と伝えている。
「データ化できないものを考えなければならない。データ化できないものについての配慮を忘れたデータ化は、組織を間違った方向へ導く。ところが、データ化に成功するほど、それらデータ化したものにとらわれる。したがって、優れたデータを手にしているように見えるほど、マネジメントが行われていない恐れがある。」(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「マネジメントー課題、責任、実践」、ダイヤモンド社)
この一ヶ月、当社では半期に一度の人事評価を実施してきたので、そこで感じたことを紹介したい。
人事評価といっても、約3年前に導入したこの評価システムの評価基準は金額やパーセンテージなど、数値を基本とする定量的な視点による評価の要素は、今や殆ど無くなってしまった。
評価の仕組みを煮詰めれば煮詰めるほど、定量的な評価基準のもろさが露呈してくるのだ。数字は、無数の異なる要因が複雑に絡まり合って生まれた結果であり、その数字に最も近かった者だけを高く評価するのはあまりにも馬鹿げている、ということが分かったのだ。
組織を体に例えれば、心拍数だけを見て、心臓を褒める人はいないはずだ。
勿論、各評価項目に対し、0〜5の評定(点)を決めるわけだが、それを決め方は至って定性的(感覚的)な視点に変化してきた。言葉ではなかなか説明しにくいが、被評価者の以下のような変化を他部署の上司達も含めて議論する「評価調整会」という場を作っている。
- 自分の良かった点(○)、カイゼンすべき点(!)を客観的に自己評価し、なされるべきことに向き合えているか?(また、毎月の”振り返りシート”がバランスよく書けているか?)
- 結果がどうであれ、踏み込めているか?(リスクを負って挑戦できているか?)
- 部署を越えた視点で発言、行動できているか?
上記はほんの一部だが、被評価者の成長を、こうした”感覚的な”視点によって、上司全員が集り話し合う。自己評価や直属の上司による評価をプロジェクタで映しながら、丸一日議論する。そして、ここでは”脱線”も自由だ。
この調整会には大変な労力が必要だが、これによって、会社の方向性、上司(育てる者の)の責任、そこで働く者に求められる心構え、与えるべき機会、個々の心境の変化等を組織全体で一辺に共通認識することが可能になった。
また、半年に一度、この評価期間が訪れる度に調整会の後に評価者と「前回(半年前)と比較し、今回の評価で変わったこと」について必ず話し合うことにしている。
今回、全員で驚いた変化は、調整会の時間が大幅に短縮できたこと。これは、被評価者一人ひとりの「自己評価の精度の高さ」の賜物であった。従来は上司がいかに正確に部下の評価をするのかを懸命に工夫していたが、昨年より「いかに自分自身の成長と向き合うか?」というテーマで自己評価の精度向上を推進してきた。
結果、上司達による管理の時間が大幅に短縮することができ、被評価者である部下達もより主体的な目標設定や自己管理ができるようになったのだ。
人事評価に限らず、当社で行ってきたカイゼンの多くは、こうした定性的視点から仮説を立てて取り組んで得られた結果が多い。残業や不良率の大幅削減において、定量的アプローチだけでは多少のカイゼンは可能だろうが、より根本的な部分にメスを入れ、修正を加えるには右脳の積極的活用が不可欠であると信じている。
Today's Questions.
Q:あなたの組織は定量的分析と定性的分析、どちらを重視していますか?
Q:数値データなしに行動しようとする人を責める組織になっていませんか?
Q:定性的な事柄を数値として把握するには、何を集計すれば良いですか?
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9月28日”マネジメントに携わる者は石臼に鼻を押しつけながら丘の上を見なければならない。”
明日はお休みをいただきます。明後日は、短期的視点と長期的視点のバランスについて。どうぞお楽しみに。
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