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2010年2月14日日曜日

”カリスマを警戒せよ。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「新しい現実」からの抜粋。

このページでドラッカー教授は、カリスマ待望は集団自殺願望である、と言っている。”困ったときの神頼み”ではないが、自ら判断することが難しいからといって、その判断を放棄し、カリスマに委ねるのはあまりにも危険だ。

世界恐慌の苦しみから逃れるため、カリスマ性の高いヒトラーを支持してしまった人々は、その後の”全権委任法”の制定等による独裁体制の確立に「まさか、こんなことになってしまうとは…」と自分の目を疑っていたはずだ。

「重要なのはカリスマ性の有無ではない。正しい方向に導くか、間違った方向に導くかである。」(P.F. ドラッカー)

カリスマの台頭が危険なのは、周囲の人の存在が危険にさらされてしまうからだ。なされるべきことを考えるのを放棄することにより、社会においてその人の存在意義が失われてしまうのだ。著しい没個性化により、その人が本来持っている”社会に対する影響力”を失い、当人が存在しなくてもよい社会となってしまう。

カリスマに判断を委任することによって、そのカリスマの目論見に従って生きるほかなくなってしまう。これではいつまで経ってもその人が自由を掴むことはできない。

組織においても、誤ったカリスマの勝手を許してしまうと、全体が一瞬にして壊死してゆく。しかし、ここで大切なのは、単にこのカリスマ本人が悪いわけではない、という事だ。

カリスマと周囲の人間が”共依存”の関係を強めてしまい、カリスマが周囲の人間に暗黙の内に操られている可能性もあるからだ。その時、カリスマ(多くの場合、カリスマにならざるを得なかった)本人は、孤独な中で一人判断せざるを得ない状態に追い込まれてしまうことも多々ある。

私はこの様な現象の原因について、組織に”何が正しく、何が誤っているのか?”といった基本的な倫理感や使命が浸透していないからではないかと感じている。

組織内の全員とはいかずとも、大半の人がその組織において正しい選択がしやすい環境を提供すれば、組織全体の迷走を防ぎ、より多くの人が責任ある選択のできる組織作りに参加できるのではないだろうか。


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2月17日”今日の産業社会に理念のないことが最大の問題である。”
明日、明後日とお休みをいただきます。17日(水)、またここでお会いしましょう。

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