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2009年10月8日木曜日

”優れた外科医が不要な手術を行わないように不要な意思決定を行ってはならない。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”では、意思決定の必要性を精査することの大切さについて、外科医の手術を例に説明されている。手術には機能低下等のリスクが伴うので、手当たり次第にメスを入れてはならない、という内容だ。

ところで、本日のページで紹介されている内容のように、自らの組織を、社会の中で生活する一人の人間に例えると、それまでとは異なるかたちで”なされるべき事”が見えてくる。

その人(自組織)が、どの様な環境で、誰に、何を期待され、それに対し、その人は何を考え、どの様に行動しているのか?また、どの様な行動をすべきなのか?

こうした視点で自らの組織を、(組織の)内側からではなく、外側から擬人化して見てみると、誤った感情を伴わずに客観視できる。”その人”がたった一人で生活するのであれば見過ごせる事も、社会の一員として生活することを冷静に考えてみると、時には手術が必要になる。

ただし、このページで言われているように、手術は必ず何らかのリスクを伴う。生産性が一時的に低下したり、組織内に衝突が生まれたり、場合によっては辞めていく人も出るかも知れない。それを覚悟した上で、施術の必要性を問わなくてはならない。

このページでは外科医が施術の判断する際の3つの基準が紹介されている。

①自然治癒したり、安定する見込みがあるのであれば、定期的にチェックすればよい。
②進行性の病で、手術しなければ生命の危険があるのであれば、直ちに手術を行う。
③進行性のものでもなく、生命に危険もないが、自然治癒するわけでもない場合は、機会とリスクを比較し、手術の必要性を検討する。

ここで、興味深いのは最後の③だ。ドラッカー教授は、「これが最も多く見られるケースだが、この時の判断に一流の外科医と並の外科医の差が表れる。」と言っている。

確かに、今までの経験から感じるのは、②の様な緊急性が高い問題への対処は他の理解も得やすく、比較的円滑に進む。また、その”手術”は非常に忙しいため、それに関わる人は「これこそが仕事だ。」と、陶酔してしまいがちだ。

しかしこれは非常に無駄が多いし、組織全体の体力を著しく低下させる。こうした手術をしながら、我々が自らに問わなくてはならないのは、「本当にこの手術は避けられなかったのだろうか?もし避けられたとしたら、どの時点で、誰が、どのように手を打っておけば良かったのか?」という問いだ。

重大な問題の多くは、ずっと前からその兆候があったにも関わらず、何らかの理由で見逃されてきたはずだ。そしてその結果、今、患者(自組織)が目の前の手術台に乗っているだけなのだ。

「すでに起こった未来」は、問題の発見にも活用できる。いかに目の前で起きていることを敏感に知覚し、その意味を問うことによって、日夜問題の”火消し作業”に翻弄されることから免れ、より多くの時間を”未来の時間(明日をつくる時間)”に充てることができるのだろう。

そして大切なのは、問題の兆候を察知するのは、その組織を構成する”全ての人”であり、日々の健康チェックを通じて何らかの変化を知覚することができる。外科医だけでこうしたわずかな変化を把握するのは極めて難しいのだ。

Today's Questions.
Q:大規模な手術を密かに楽しむことで、本当の”為されるべき事”から逃げていませんか?

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10月9日”最も多く見られる誤りは一般的な問題を例外の連続とすることである。”
今年も残すページが少なくなってきましたね。明日は、問題の種類についての説明です。どうぞお楽しみに。

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