本日の”ドラッカー 365の金言”は、イギリスの国民健康保険制度を政府主導の制度改革の可能性について書かれている。このページで紹介されている、ドイツ帝国の初代宰相オットー・フォン・ビスマルク(1815-1898)(Wiki)と社会保険制度の成り立ちについてWikipediaに端的な説明があった。興味深いので、引用しておこう。
社会保険制度の創設
世界で最初の社会保険制度は、1880年代に創設されたドイツの社会保険制度である。当時、イギリス等に比べて経済的に後進国であったドイツは、急速に産業革命を進め経済的発展を図るために、労働運動を抑圧する必要があり社会主義者鎮圧法が制定された。その反面で、労働者にアメを与えること(福祉向上)とし、宰相オットー・フォン・ビスマルクは、1883年に疾病保険法、1884年に災害保険法、1889年に老齢疾病保険法を制定する飴と鞭政策を採った。イギリスは、古くから「友愛組合」という名の共済組合が発達しており、労働者の生活もわりあい恵まれていた。しかし、20世紀に入り、ドイツ、アメリカ等の後進資本主義国が発展し、世界経済市場で競争が激化し、労働者の生活も圧迫されたため、デビッド・ロイド・ジョージは、1911年に国民保険法(健康保険と失業保険)を制定した。失業保険は、世界で最初の制度である。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパの多数の国々で社会保険制度が整備された。(ウィキペディア(Wikipedia):「社会保険」)
今日、日本を含め、世界の先進国において無くてはならない社会保険制度の基礎は、この”鉄血政策”で有名なビスマルクによって発案されたという事実には驚いた。彼の人柄を表す逸話があったので、こちらも紹介したい。
沼に嵌って溺れている友人から助けを求められたところ、銃を向け「その沼は底なし沼なので助けようとすれば二人とも溺れ死んでしまう。せめてもの友情で苦しまないよう一発で殺してやる」と言い放った。驚いた友人は、懸命に泳ぎ自力で沼から這い上がってきたといわれる。この話が実話かどうかは確認されていないが、冷静で計算高く目的のためには荒っぽい手段も辞さないビスマルクの手腕を示す逸話として残っている。
一見、酷く乱暴な話だが、我々が彼から学べることは多い。方法云々は別として、彼はいかなる場面においても瞬時に成果を出している。
ビスマルクについて調べてみると、彼がいかに優れた交渉力の持ち主だったのかを実感することができた。彼は一瞬にして相手よりも相手を理解し、必ず相手に何らかのメリットを提供することで自らの組織の目的を果たしていた様だ。
「政治主導」「国の介入」「政府主体」という言葉には思わず拒否反応を起こしてしまいがちだが、それは単に我が国の政府が、民間や非営利に較べ、”目的を達成し得ない意思決定機関である”と認知された結果だ。
社会の構造改革に一番近い立場の「政府」が、国民や社会全体に対し、”なされるべき事をする”気高い意思決定機関であれば、我々日本人はグローバル社会においてより重要な任務に就くことができるのではないかと思う。そして新しい日本として生まれ変わるのは今からでも決して遅くはない。
ドラッカー教授は生前、世界をリードするべき国として日本に大きな期待をしていた。われわれ一人ひとりがその意味を改めてよく考える必要があると思う。
Today's Questions.
Q:どの様にすれば、現政権が正しい意思決定ができるようサポートできますか?
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10月22日”政府は形式を重視する。”
タイトルどおりの内容です。本日の内容にも関連する内容です。お楽しみ下さい。
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