本日の”ドラッカー 365の金言”は、「企業とは何か」からの抜粋で、利潤動機による”物”に対する支配欲の妥当性と、人に対する支配欲の危険性についての説明となっている。
このページを通じて、我々がまず受け入れなくてはならないのは、”経営者の意思決定が組織を変え、社会の何千何万という人の人生に良くも悪くも深く影響を及ぼす”という紛れもない事実であろう。
社員、社員の家族や知人、顧客、取引先、地域住民等、そしてその子孫と、それが小さな組織であったとしても、その組織に直接的、間接的に接触する人の数は我々の想像を大きく上回る。
組織としての一つ一つの意思決定が、それらの人の行動を変化させるものであることを肝に銘じなければならない。だからこそ、組織の意思決定は、自由や平等といった人の根源的欲求に基づくものであり、一種暴力的な独裁によって人の心や生活を支配することは、社会的にも許されない事であると思う。
「暴力的独裁」というと非日常的なフレーズに聞こえるかも知れないが、実際は殆どの組織において、毎日のように発生している事ではないかと思う。
私の解釈では、経営者(または意志決定者)が「われわれは」ではなく、「私は」を起点に考えられた意思決定は、その全てが何らかの形で「暴力的独裁」に繋がる危険性を持ち合わせていると考えている。
組織において絶大な権力を持った経営者は「私はこうしたい。」と、公器としての組織を個人的な希望だけで意思決定を行ってしまう。雇われる側からすれば、その指示に従わなくてはならない一方で、経営者の”趣味”に人生を切り売りすることの無価値感に襲われているはずだ。
そうした組織は、遅かれ早かれ、”知識労働者不在の組織”になるだろう。
組織は、何千何万という人々を自由にも、不自由にもする力を持ってる。経営者は、組織を自らの上に置くべきであり、万が一、自らの下に置くのであれば、いかに有能であろうとも、社会から拒絶されることになるはずだ。
Today's Questions.
Q:あなた(意志決定者)は、組織の上にいますか?下にいますか?
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10月21日”政府は制定者、促進者、保険者、支給者ではなくなった。自ら実行者、運営者となった。”
イギリスの保険制度の運営についての解説。月末に向け、非営利組織についての話が続きます。お楽しみに。
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