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2009年10月17日土曜日

”宗教は、神の王国を捨ててまで社会を受け入れることはできない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「経済人の終わり」より、宗教の弱みについての説明が紹介されている。センシティブなメッセージなので、まずは特に重要な箇所を引用しておきたい。

宗教は、いかなる社会においても良心たりうる。しかし宗教は、神とともにある魂の王国、神の王国を捨ててまで社会を受け入れることはできない。この点にこそ、社会における良心としての宗教の強みがあるとともに、社会における政治勢力、社会勢力としての、いかんともしがたい弱みがある。(PFドラッカー著、上田惇生訳「経済人の終わり」、ダイヤモンド社)


ここで、私個人が学生時代に経験した極端なエピソードをご紹介したい。

私が卒業した大学は、米ヴァージニア州の田舎町にある小さなプライベート・カレッジであったが、主力となる学部のユニークさから、この大学には全米から一芸に秀でた学生が集まっていた。私の記憶では全学生のおよそ1/3が地元の学生で、残り2/3が他州や海外からの生徒だったように思う。

アメリカ南部の田舎町(特に私が居た地域)といえば、全米でも最も信仰心が非常に強い家庭が多く(多くはプロテスタントのバプティスト派)、在学中、度々地元の学生とその他の学生の間で終わりのない激しい宗教論争が繰り返されていた。

この際、私が感じたのは、信仰心が強い生徒達にとって宗教は、両親を通じて今までずっとその人を育ててきた大きな”心の支え”であり、聖書が”社会の生々しい現実から身を守るための”楯”になってしまっている、ということだ。

同時に、彼等(または彼女達)にとって、日曜礼拝に行かない人や、無神論、無宗教の人間などもってのほか、といった感じであり、その様な人は「いくら笑顔でいい人に見えても、いずれは地獄に堕ちるべき、道徳心のない者」という態度が私にも垣間見えた。

冗談のようだが、これが今も米国のような先進国で起きている現実なのである。

確かに宗教によって我々のあるべき姿を提示したり、心の平安を提供することができるかも知れない。しかしそもそもの目的が人の幸せを願う者なのであれば、それが人々の思考を拘束し、自由や平等を奪うような事は絶対にあってはならないと思う。


Today's Questions.
Q:現代における、宗教の強みとは何ですか?

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10月19日”経営陣が大金を懐に入れつつレイオフを行うことは社会的にも道義的にも許されない”明日はお休みさせていただきます。明後日またお会いしましょう。

2 件のコメント:

  1. おはようございます。

    かつみさんも彼らにとっては、間違いなく“地獄に堕ちる”方の分類ですね。
    何事も狂信はいかんですね。
    信じるのは自由ですが、それを信じたから守られるというものでもなく、信じた上でおもいっきりこの俗世間を頑張って渡るんだって感じがいいかもしれないです。

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  2. コメント、ありがとうございます。

    勿論宗教には学ぶところがたくさんありますので、謙虚な気持ちで受け入れ、それこそ「責任ある選択」をしながら自分の中の自由な宗教に取り入れていく必要があるのでしょうね。

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