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2009年11月17日火曜日

”社会的な事象のなかで真に意味のあるものは定量化になじまない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、定量化(Quantification)の限界について。ドラッカー教授は、大切なことは往々にして数値化(定量化)できないとし、ヘンリー・フォードによる自動車の大量生産と低価格化が我々の社会に及ぼした、”計り知れない”影響について紹介している。

The most important reason why I am not a quantifier is that in social affairs, events that matter cannot be quantified. (P.F. Drucker, "The Daily Drucker", p.351, Harper Business)

私が”数字屋”ではない最も重要な理由は、社会で最も重要な事柄は数値化(定量化)できないからである。(同上 中村克海訳)


我々が毎日目にするニュース、新聞記事、広告、包装、資料、検査結果等々、身の回りで目に飛び込んでくる数字の一つ一つをじっくりと観察してみよう。

その大半は純粋に起きていることをそのままを表現するために生まれたのではなく、”特定の人が、特定の人に、特定のメッセージを伝えるために集計された数字”であることが容易に感じ取れるはずだ。

数字は、人の意思決定に甚大な影響を及ぼす。人は数字に依存し、”その数字に責任を負わせる”ことで、重大な意思決定を下している。

我々は、映画を興行成績で選んだり、車は燃費で選んだり、マンションは面積で、会社は資本金で、デジカメは画素数で、美味しい店はメディアで紹介された回数で、みかんは糖度で選んだりしてしまう。

作られた数字による洗脳によって、我々の脳は”感じる→考える”のプロセスを半ば強制的にスキップさせられ、即座に”行動する”ことを急かされているのだ。

このような環境下、我々の知覚能力は急激に退化しているに違いない。

数字という、情報のかけらだけを信じ込むのではなく、今そこで起きていること全てを感じ取る力を、今一度取り戻す必要がある。そのために、今できることは何だろうか?

個人的にお勧めしたいのは、しばし”数字のない世界”に身を置いてみること。できれば自然の中で時計も持たずにのんびりしてみると良いと思う。都会にいてそれがなかなか難しいのであれば、カフェでのんびりしながら歩いている人達を観察するのも良いかもしれない。

電車の中であれば一切の広告に目を向けない努力をしてみるか、それが難しければ、車内吊りの情報を見て、そのままを受信するのではなく、「誰が、誰に向け、何の目的でこの数字をここに提示しているのか?(そして或る答えを見いだせたら)…だとすると、将来の社会にどういう影響があるのだろうか?」と考えてみるのも良いかもしれない。

とにかく、一旦目を閉じ、耳を済ましてみると、今まで聞こえなかった未来の足音が聞こえてくるのだと思う。


Today's Questions.
Q:無添加の情報を全身で感じ取っていますか?

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11月18日”階層の終わりなる言葉を耳にする。あきれた馬鹿馬鹿しさである。”
真の平等とは?明日もお楽しみに。

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