#d365】←こちらからご覧頂けます。みなさんのご参加、心よりお待ちしております。

2009年12月23日水曜日

”救いたりうるものは万物への愛 すなわち精神的なものへの信仰である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、今からちょうど50年前に出版された「変貌する産業社会(1959年)」からの抜粋。精神的な価値への回帰について書かれている。

多くの人にとって物質的豊かさの実現が現実のものとなりつつ中で、再び精神的な価値への回帰が必要とされている事を告げている。

1959年という年は終戦から14年後、1973年のオイルショックまで続く長い高度経済成長期が始まりつつあった年である。

1956年には日本の経済白書で「もはや戦後ではない」といった表現が使われ、宇宙ロケットの発射やバービー人形発売など、爆発的に”物”に対しての価値感が高まっていたという背景がある。

また経済的な急成長の一方で、全体主義者等の支配的洗脳を通じて脅迫や暴力、紛争が絶えず繰り返され、一人ひとりの人権が損なわれていることも想像できる。ドラッカーはそうした中でこそ、「人間とは何か」を改めて問い直す必要性があるとしていた。

人間は単に生物学的・心理学的存在であるだけでなく、神の定めた目的を達成するための創造物であり、神の意志に従う精神的存在であることを再認識してはじめて、現状の中で人間として生き長らえることができるから、人間個人にとっても精神的なものの価値を重んずることが再び必要となってきている。そうすることによってはじめて、肉体的に人類の絶滅が差し迫ってきても個人の存在、目的、責任はその価値を失わないで済むことになる。(P.F.ドラッカー著、現代経営研究会訳「変貌する産業社会」ダイヤモンド社)


”神”という言葉が出てきて違和感を感じる方が多いと思うが、この後の説明では「宗教に帰れ」というメッセージはそう単純な話ではない、としている。

私の解釈では、ドラッカーがこの章を通じて最も伝えたかったことは、人類が「真の自由」を勝ち得るためには体や頭だけでなく、心を重んじる必要がある、といったメッセージだ。

”神の意志”を意識する多くの宗教のように、人として取り組むべき根源的なテーマと向き合うことで、はじめて我々は自らの力で歩み出すことができる。力や知識を誇示したり、なにかに流されたり、権利を主張したりするのではなく、”責任を受諾”することによってはじめてその人の尊厳が保たれ、真の自由や幸福を手にすることができるのだ。

さて、ドラッカーがこの本を書いたちょうど50年前の状態、今の社会とどれほどの違いがあるのだろうか。

以前、”歴史は高次のものとなって螺旋状に動く(12月3日参照)”というページがあったが、まさにその通りであると実感している。一見平和であるように見える今も、全体主義的支配力はより巧みに仕組まれ、今まで以上に「目に見えない力」となって一人ひとりの心さえも支配してしまっているようにも思える。

心の支配から逃れ、一人でも多くの人が「人はどこに向かうべきなのか?」という問いに対する自分なりの考えと自らの強みを持ち寄り、その実現に向けてみんなで切磋琢磨することで真の自由な社会、すなわち”責任ある選択”のできる社会を目指したいものだ。


Next Page is...
12月24日”人間の実存は、個と市民という2つの実存の緊張状態においてのみ可能である。”

0 件のコメント:

コメントを投稿