本日の”ドラッカー 365の金言”は、我々が”自由”と”安全”の両立が期待できない場合、”自由”を放棄し、”安全”を選択してしまうことについて触れられている。
このページはドラッカー教授が若干29歳で発表した処女作「経済人の終わり(1939年)」からの抜粋であり、ナチス・ドイツ勃興によるファシズム全体主義が台頭する最中で出版された。
ちなみに、全体主義に馴染みのない方もいらっしゃると思う。下記リンクから大筋の説明をお読みいただければ、現代にも通じる何かを感じることができるのではないだろうか。
「全体主義とは、民衆一人一人の自由、権利を無視しても国家の利益、全体の利益が優先される政治原理、およびその原理からなされる主張のことである。」(Wikipedia「全体主義」)
ナチス・ドイツによる全体主義勃興も、何もヒトラー1人が個人的によるものではなく、何らかの明確な意図に基づいてシナリオが作られた様だ。
ではヒトラーが現れる直前には何が起きたのか?そこにはニューヨークの株価暴落に端を発した世界恐慌(1929年)があった。中でもドイツ国内におけるダメージは甚大で、失業率は30%を上回っていたらしい。
各国、それぞれの方法で恐慌から抜け出す道を模索する中、ドイツやイタリア、日本は戦争に活路を見いだしてしまったのだ。(とはいっても、この3国だけの意図で戦争が勃発したとは信じ難いが。)
全くといって良いほど稼働しなくなっていた工場で働いていた膨大な数の失業者達は兵器の生産や兵士になることで職にありつける様になったのだ。
自らが選んだ政党が、後にこのような信じられない暴挙に出ようとは、当時の国民は誰も想像もしなかっただろう。しかし、これこそが極限的な状況の中で”安全”を優先し、”自由”を放棄してしまった結末なのだろう。
こうして書いていて、当時の状況が今とあらゆる面で酷似していることに気づき、ある意味非常に不安になった。ナチス・ドイツによる全体主義に較べるとよほどマイルドに感じられるが、それだけに我々が気づかぬ内にシナリオが進行しているようにも思える。
それでは今、我々にできることはなにか?
一人ひとりが、自らが本来自由な存在であることを再認識し、”責任ある選択”によってそれを守り抜くことができることを共有することが大切なのかもしれない。
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12月28日”世界中においてほとんどの企業が同族企業である。”
明後日もお楽しみに。
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