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2009年12月24日木曜日

”人間の実存は、個と市民という2つの実存の緊張状態においてのみ可能である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、処女作「経済人の終わり(原著1939年、日本版1963年)」からの抜粋で、人の実存についてのお話。

原著では、「キェルケゴール(1813-1855)は、人の存在(実存)は、魂を持つ”個”と、社会における”市民”との狭間に生じる緊張状態によってのみ実現する。」といった説明から始まっている。

このページで話されているとおり、「人が樹木における一枚の葉であったり、社会という肉体の一つの細胞でしかない」と考えれば、人の死について理解することはできる。しかし、それを簡単に受け入れられるかと問われれば、そう単純ではない。

ここでドラッカー教授(執筆当時、なんと29歳!)は、信仰(Faith)によって人は存在する」としている。(個人的にはここで使われているFaithという言葉は”信仰”といった宗教的な概念よりも”信念”や”確信”に近い意味ではないかと思う。)

理性や理屈を超えて「不可能は可能になる」という確信や、「時間と永遠が一体となって生と死には意味がある」という確信によって初めて人は存在しているのだ、としているのだ。

こうして書いていて、小学校の頃に仲良くしていた女の子が、中学に進学してまもなく白血病で亡くなった時の事を鮮明に思い出した。

彼女は小学2年生の頃、イギリスから帰国して私がいたクラスに転入してきた。とても色白で目がブラウンだったため、英語しか喋ることができない彼女が本当に日本人なのか疑ってしまうほど、その姿はイギリス人そのものだった。

そんな彼女は転入後、クラスの全員が信じられないほどの努力を重ね、4年生の時点で国語を含む全ての成績がクラスのトップになっていた。ミニバスにも熱心で、あらゆる事に対して全身全霊で努力する姿はみんなのお手本だった。

英語も話せず、成績もスポーツもそこそこだった私に「Katsumiがクラスで一番好き。」と全員の前で言ってくれた彼女。「将来はスウェーデンの大学を出て、国連で働きたい。」という明確な目標を持っていた彼女がなぜ、病に苦しんだあげく、命を落としてしまったのかは未だに理解ができない。

しかし、彼女はたしかに今も存在している。何事にもひたむきだった彼女の生き様は、それに触れた者全員を通じて社会に受け継がれている。


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12月25日”信仰は人に死ぬ覚悟を与える。しかし、同時に生きる覚悟を与える。”

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