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2010年5月23日日曜日
2010年3月2日火曜日
”顧客への貢献によってイノベーションを評価する。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメント・フロンティア」「明日を支配するもの」からの抜粋。
本日のページでは、”イノベーション”の評価は、奇抜な新しさではなく、顧客への貢献によって下されなければならない、といった説明で、イノベーションに関わる人にとって大変重要な視点について触れられている。
ACTION POINTには、「あなたの製品のうち、顧客への価値を生むことなく新奇であっただけのものを振り返って下さい。」とある。
以前、商用ウェブサイトのプロデュースをしていた頃、新規事業創出関連の助成金を申請するため、ビジネスモデルのコンテストに参加したことがある。
それまで様々なコンテンツを手がけていたため、”新しい技術”ではなく、”いかに多くの人に使われるか”を追求し、なるべくシンプルなビジネスモデルをプレゼンした。
プレゼン終了後、審査員である大学の教授(実質、審査員長であった方)からこのような質問を受けた。
「なるほど、よく分かりました。しかし、技術的には新しいのはどの辺りでしょうか?」
私は、
「新たな技術を投入すると、ユーザはそれを学ぶ時間が必要になります。よって、あえてその様な新技術は使用していません。」
と丁寧に返答したところ、部屋が一瞬にして重苦しい空気に包まれた。(笑)
その瞬間、私は全く場違いな人間であった事に気づいた。
Today's Questions.
Q:自ら”これはイノベーションだ!”と言っていませんか?
Q:顧客が喜ぶイノベーションを生み出す仕組みがありますか?
2010年3月1日月曜日
”変化をコントロールする最善の方法は自ら変化をつくりだすことである。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「明日を支配するもの」「ネクスト・ソサイエティ」からの抜粋。
本日の内容は”チェンジ・リーダー”についての説明となっているが、読んで字の如くといった感があるので、少し長いが冒頭の有名な箇所を引用しておこうと思う。
変化はコントロールできない。できるのは、変化の先頭に立つことだけである。今日のような乱気流の時代にあたっては、変化が常態である。変化はリスクに満ち、楽ではない。悪戦苦闘を強いられる。だが、変化の先頭に立たないかぎり、生き残ることはできない。急激な構造変化の時代を生き残れるのは、チェンジ・リーダーとなる者だけである。(P.F.ドラッカー)
チェンジ・リーダーは、刻々と移りゆく社会が発するかすかな声に耳を傾け、そこで感じ取った情報を次なる行動に活かす役割を担っている。
変化し続ける外界と組織の間にあるギャップを埋め、更には自らが率先して新しい潮流を生み出す取り組みを続けることで変化の先頭に立つことが可能となる。
しかし、誰もが変革の必要性には気づいていても、実際の行動に移すには大きな労力や抵抗が伴う。多くの人がその課題を頭の片隅には抱きながらも”タブー視”され、時間だけが過ぎてしまうというのは良くあることだ。
「変革=辛い」というネガティブなイメージを打破できないと、いつまで経っても変化を常とする”チェンジ・リーダー的組織”を作ることができない。
そのために、まずはメンバーにとってある程度納得性の高い小さな改革から始める事をお薦めしたい。既存のシステムを白紙から考え直し、そこに関わる者にとって今までより”楽で、楽しく、効果的な方法”に(失敗を恐れず)変更してしまおう。
新たな方法で運用が始まったら、進捗を”○(良い点)”と”!(改善すべき点)”の両視点から客観的に検証する。可能な限り、具体的なシステム修正の権限も部下に委譲し、その後の運用も任せる。
この際に注意すべき点は、個々のプロジェクトの目的をしつこいほど明確にするということ。経験上、目的を明確にしていないと、単に楽な方法や楽しい方法等誤った方向に脱線していってしまうからだ。
最終目的をはっきりさせた上でプロジェクトをゲーム感覚で運用できるよう部下に任せることで、より効果的に組織内でチェンジ・リーダーを育成することが可能になるのではないだろうか。
Today's Question.
Q:どの様にすれば、スタッフが”変化”を楽しめるようにできるでしょうか?
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3月2日”顧客への貢献によってイノベーションを評価する。”
明日もお楽しみに。
2010年2月27日土曜日
”重要なことは自らの事業は何かを知ることである。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメント」からの抜粋。
自らの事業が何なのか?
本日のページは、単純に思えるこの問いへの答えについて、自らが簡単に決められることではなく、顧客に直接聞くことで再定義されるべきものである、といった内容となっている。
スーパー、タクシー、警察、バイク屋、ラーメン屋等々、世の中にはありとあらゆる職種が存在し、その種類も急速に多様化している様に感じる。
例えば、「私は警察官です。」というのと、「私は町内の皆さんの安全を確保します。」というのでは、日々の生活やタスクの優先順位が全く異なってくる。
実は一昨日、息子が通う幼稚園のハイキングに同行した。子供達と一緒に乗り込んだバスの中で、先生が「みんな、○○君(息子)のお父さんはどんなお仕事しているのか聞いてみましょう!」という流れになり、咄嗟に考える事になってしまった。
勿論、子供達の手前、回りくどい回答は避け、「○○の部品を作っているんだよぉ。」と説明したが、この回答には自分自身、非常に違和感を感じた。組織自体は純粋な製造業であっても、私は日頃製品の加工には直接関わっていないからだ。
そうした意味で、この問いのおかげで改めて自分自身について考え直す機会をいただくことができたのだ。
「自分は何をしているのだろう?」
「どの様に貢献できているのだろう?」
「周囲は自分に何を期待しているのだろう?」
こうした問いを自らの組織に当てはめてじっくりと考えてみると、そこには今まで見えなかった機会やイノベーションが半ば自動的に表出してくるはずだ。
既存の製品やサービスの提供は、あくまでもそれらを提供した結果、顧客の側で発生する”価値”を導くためのツールに過ぎない場合がある。ひょっとすると、今までとは全く異なる方法でその価値を最大化できるのかもしれないのだ。
顧客に直接聞いてみよう。
「なぜ、当社(または私)と取引してくれているのでしょうか?」
「我々(または私)が改善すべき課題をお教えいただけますでしょうか?」
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3月1日”変化をコントロールする最善の方法は自ら変化をつくりだすことである。”
明日もお楽しみに。
2010年2月25日木曜日
”資金ではなく知識が統治の主体となったとき 資本主義とはいかなる体制を意味することになるのか。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「明日を支配するもの」からの抜粋。
本日の内容は、知識労働の興隆によって社会の主体が資金から知識に移行しつつあることについて説明されている。
我々の価値観は日々変化している。
先進国では特にお金やモノに対しての信頼感、期待感が刻一刻と失われ、一通りの贅はやり尽くした我々の世代(30代〜)と、そうした贅沢を体験したいとも思わない若者達(〜20代)が次に向かうところは全く別の世界に存在する様だ。
非常に極端な例ではあるが、ウォーレン・バフェット、ビル・ゲイツ、ジャッキー・チェン等の大富豪達には、自分が最低限生活できるだけのわずかな資金を残し、残りの全額を寄付する動きが見られる。(具体的な額を見れば、それが単なる税金対策ではないことは確か。)
彼等は子供達に遺産を残さずに全額寄付することについて、このように話している。
「長者の父に会って、終生何もしなくてもいいほど多くの財産を譲り受けるのは、子女から達成感を奪うことと同じだ」(ウォーレン・バフェット)
「息子に能力があれば、父のお金は必要ない。能力のない息子に、父の財産をむなしく使わせるわけにもいかない」(ジャッキー・チェン)
彼等は自らの子供達の本当の幸せを祈ったり、世界の問題を見つめた時、手元にあるほぼ全てのお金を手放す意思決定をしたのだ。ビル・ゲイツについては40代半ばでその決断をしているところから、本人の価値観が人生半ばにおいて大きくシフトしたことがよく分かる。
こうした流れは我々の生活にも同様に起きている。秋葉原や大型家電量販店に行っても、以前の様にときめくことはなくなった。本当に必要なモノを買ったらさっさと帰る様になった。
当社の職場でも”残業”と”帰宅”を較べて(本来、較べるものでもないが…)、”残業”を選ぶ者は少ない。意思決定の主たる基準が”カネ”から”価値感”に移動した証拠は他にも数多く見られる。
”カネ”の様に、限定された価値を世界中で取り合いする社会は終わりつつあることは確かだといえるだろう。では、社会、組織、個人において、”価値観”を流通させ、無限に増大させるにはいかなる取り組みが必要だろうか。
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2月27日”重要なことは自らの事業は何かを知ることである。”
明日はお休みをいただきます。明後日またお会いしましょう。
2010年2月24日水曜日
”権力は正統でないかぎり永続しない。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「産業人の未来」からの抜粋。
”いかなる権力も、正統(legitimate)でないかぎり永続しない”という言葉から始まる本日のページ。いかなる組織であっても、その組織を構成する一人ひとりが意義ある役割を与えられていなければ、いずれは崩壊する、といった内容だ。
大衆は反逆しない。しらけるのみである。自由にともなう責任から逃れるだけである。自由とは、そこに社会的な意味がなければ負担と脅威以外の何ものでもない。(P.F.ドラッカー)
人が人として尊重されない組織や社会において、人は金銭等によって最低限の生活の安全さえ守ることができるのであればよいと、貢献による達成感や絆を諦めることになってしまう。
結果として、そうした組織では「マネジメント三つの役割(以下参照)」を果たすことができず、単に”働く人の給料確保のみを目的とする組織”として迷走することになる。
①自らの組織に特有の使命を果たす。マネジメントは、組織に特有の使命、すなわちそれぞれの目的を果たすために存在する。
②仕事を通じて働く人たちを生かす。現代社会においては、組織こそ、一人ひとりの人間にとって、生活の資(かて)、社会的な地位、コミュニティとの絆を手にし、自己実現を図る手段である。当然、働く人を生かすことが重要な意味を持つ。
③自らが社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題について貢献する。マネジメントには、自らの組織が社会に与える影響を処理するとともに、社会の問題の解決に貢献する役割がある。(「マネジメント─基本と原則」P.F.ドラッカー)
しかし、こうした議論の前に我々が最も注意しなければならないのは、組織を構成する一人ひとりが、組織で働いていながら、「組織とは何なのか?」「マネジメントは何か?」「なぜ必要なのか?」という問いについて全くといって良いほど回答できる状態になっていないという現実だ。
こうした現状に対し、トップの人間だけがドラッカー・マネジメントを学び、”正統性”等についてスタッフを戒めたところで、その行為自体がマネジメントを理解していないの同じであり、無用な乱気流を組織内に生むだけだろう。
まずは”組織”という言葉の意味を一人ひとりが理解し、それに同意した上で、次に”自らの組織”の使命を明確にし、いかにして個の強みを結集し、社会問題の解決に取り組むのかを議論するといった手順が良いのではないだろうか。
組織のメンバーが”組織”の意味について同意できるのであれば、自由はすぐそこにあるようなものだ。
当社にかなり多くの課題が残っていることを痛感したページだった。
Today's Questions.
Q:組織とは何ですか?
Q:人とは?
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2月25日”資金ではなく知識が統治の主体となったとき 資本主義とはいかなる体制を意味することになるのか。”
明日もお楽しみに。
2010年2月23日火曜日
”諸々の新しい課題が違う形の政府を必要とする。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ポスト資本主義社会(原著初版:1993年)」からの抜粋。
ドラッカー教授は、政府の新たな課題の例として”テロの脅威”を挙げ、変化する課題(この場合、国際化するテロ組織への対応)に準じて柔軟に対応できる組織の必要性を説いている。
なぜテロなのか?実はこの本が出版された1993年(2月26日)に、ニューヨークの世界貿易センター爆破事件が発生している。
アメリカがテロ対策国家として認知されだしたのは、2001年9月11日(通称:911)のアメリカ同時多発テロ事件以降と一般的に考えられているが、実際にはそれよりずっと前、遅くとも第二次世界大戦前(1930年代)から”攻撃されたと見せかけて戦争に持ち込む景気対策”はスタートしていると言える。
経済への直接的関与が危険視される政府は、一般人には理解できないような領域で刺激策を常に模索している。世界的なエコブームもその一つといえるだろう。
最も重大なミスマッチは、彼等(政府)の主たる目的が”経済”であって、我々の主たる目的が”経済”でない点にあると思う。
彼等のそうした手法に自らの価値観を揺るがされない様、常に一定の距離を保ちつつ観察することが大切だ。次々と生じる出来事に一喜一憂することなく、遠目で潮流を捉えながら対処する習慣を身につけよう。
Today's Questions.
Q:今、目の前で起きていることの本質は?
Q:その受益者は誰でしょう?
Q:どのようなシナリオが潜んでいると考えられますか?
Q:それがもし正しいとしたら、今後どうなっていくのでしょう?
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2月24日”権力は正統でないかぎり永続しない。”
明日もお楽しみに。
2010年2月21日日曜日
”中央の計画によって経済を動かす社会は全て滅びる。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「現代の経営」からの抜粋。
”今日では、一般社員とされている人たちの多くがマネジメントの仕事を行わなければならない。”と始まる本日のページ。
従来の様に、一部のカリスマ的リーダーが運営する中央指令型組織の危険性は環境順応能力にあると言えるだろう。組織全体の能力が一人(または少数)のリーダーの能力に依存してしまいがちなこうした組織では、環境の変化に対する知覚神経(センサー)が不足し、社会に鈍感になってしまう傾向がある。
昨今の通り、乱気流の時代を乗り切るには、組織内(そして可能であれば、取引業者、社員の家族等々、その組織に関わる全ての人)が変化をつぶさに感じ取るセンサーとして機能し、知覚した情報の本質を理解し、淡々と対応策を実施し続けなればならない。
環境変化に対応できない小さな中枢神経によって、巨大な体をコントロールしようとした恐竜と同じように滅びる。(P.F.ドラッカー)
以前も書いたとおり、この時代、組織の”鈍感”は死に直結する。鈍感には大きく分けて2種類の鈍感が存在すると感じている。「知覚なしの鈍感」と「知覚ありの鈍感」だ。
まず前者は、単純に能力不足による鈍感。変化を変化として捉える能力が無い組織だ。通念では予想外の出来事、予期せぬ成功や失敗の他、直感的に「ん?」と感じた事には大抵何らかの理由が深いところに隠れている。しかしそれを「これは”すでに起こった未来”である」と受け取れなければ、遅かれ早かれ全く理解できないままに大きな乱気流に飲み込まれることになるだろう。
そして、後者「知覚ありの鈍感」には、主に2種類のケースが存在すると見ている。
①一部のスタッフは知覚しているにも関わらず、意思決定者に伝達されない場合
②意思決定者が知覚しているにも関わらず、現状を維持してしまう場合
①の原因は、知覚したスタッフ自身が現実逃避してしまって、意思決定者に伝達しないままになってしまう場合と、意思決定者がスタッフからの報告を自らの意思決定に活かせていない場合が考えられる。
②の原因は、意思決定者が”なされるべきこと”に基づいておらず、自らの好き嫌いで意思決定する結果であるといえるだろう。「そんなはずはない」「こうなるはずだ」といった現実逃避や、「こうであって欲しい」「こうしたい」といった根拠のない期待や個人の好みで組織を煽動してしまうパターンだ。
いずれも、物理的には楽かもしれないが、精神的には「このままでは変化に順応できない」と誰もが感じるため、常に良心の呵責に苦しむことになってしまい、結果的に強いストレスが伴う。
こうした状況を避けるためには、トップ自らが方針転換しないと難しい。「今後は私の独断ではなく、全員で意思決定したい」と伝え、実践する必要がある。
しかし、(多くの場合)高齢のトップがその様に大きな方向転換をするのは極めて困難だ。その場合は、部下から”責任ある選択”を始め、規模は小さくとも今居る組織を自立させ、成果を出すほかないだろう。
”なされるべきこと”に明確にし、”私は”ではなく、”われわれは”と習慣的に考え、行動し始める必要がある。
チームで責任ある選択を追求するスリル、その努力の結果、勝ち取る”真の自由”、楽しさを身をもって経験ことで、必ず周りにとっても憧れの存在になるはずだ。
あなたの行動でそこまで周囲を牽引することができたとすれば、それが全体に浸透するまでにそう長い時間は必要としないだろう。
Today's Question.
Q:緊急性は低いが、やがてくる大きな変化の波に、あなたは今どの様な行動を始めればよいのでしょうか?
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2月23日”諸々の新しい課題が違う形の政府を必要とする。”
明日はお休みとなります。明後日(2/23)またお会いしましょう。
2010年2月20日土曜日
”発展途上国など存在しない。あるのはマネジメント途上国である。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「すでに起こった未来」からの抜粋。
経済発展は、経済的な富によってもたらされるのではなく、人間のエネルギーがマネジメントを通じて結集されることによって生み出されるのだ、と説明している。
本日のページには”一四〇年前の日本”、つまり我が国の明治維新による社会構造の大変革が、優れたマネジメントの成功事例として挙げられている。
当時の日本は、意思決定の中心を幕府から朝廷へと移し、欧米の植民地政策には抵抗しながらも、国際貿易による経済発展と軍の強化、身分制度改革、教育制度改革、あらゆる側面での大改革を建設的な議論を通じて極めて短期間の内に成し遂げたと伝えられている。
そうした改革の中で、明治政府が基本方針として1868年(明治元年)に示した「五箇条の御誓文(ごかじょうのごせいもん)」の役割はその後の日本の発展に重要な役割を示したと思われる。
※五箇条の御誓文は様々な視点に基づく解釈が存在するため、下記の【現代表記】はあくまでも参考としてご覧いただきたい。
一 広ク会議ヲ興シ万機公論ニ決スヘシ
【現代表記】広く会議を興し、万機(あらゆる重要事項)公論に決すべし。
一 上下心ヲ一ニシテ盛ニ経綸ヲ行フヘシ
【現代表記】上下心を一にして、さかんに経綸(国家政策の全般)を行うべし。
一 官武一途庶民ニ至ル迄各其志ヲ遂ケ人心ヲシテ倦マサラシメン事ヲ要ス
【現代表記】官武一途(朝廷と諸侯が一体となって)庶民にいたるまで、おのおのその志を遂げ、人心をして倦まざらしめんことを要す。
一 旧来ノ陋習ヲ破リ天地ノ公道ニ基クヘシ
【現代表記】旧来の陋習(閉鎖性・封建性)を破り、天地の公道(人の道)に基づくべし。
一 智識ヲ世界ニ求メ大ニ皇基ヲ振起スヘシ
【現代表記】智識を世界に求め、大いに皇基(天皇が国を治める基礎)を振起すべし。
当時の改革者達が、保守的かつ不平等な幕府の政治を徹底的に廃し、国を開き、国内のリソースを最大限に活かすことで真剣に欧米列強に追いつこうと必死だったことがこの五箇条の御誓文からひしひしと伝わってくる。
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2月21日”中央の計画によって経済を動かす社会は全て滅びる。”
明日もお楽しみに。
2010年2月19日金曜日
”企業が優れている最大の理由は赤字の機能にある”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「断絶の時代」からの抜粋。
本日のページは”再民営化”というテーマについて説明されている。この”再民営化(reprivatization)”とは、一旦政府が着手した仕事を民間企業に移管することを指す。
ドラッカー教授はこのページで、企業の最も優れた点は”活動を縮小したり、潰れることができる”ところにある、としているのだ。
”企業は社会が消滅を許す唯一の組織である。”(P.F. ドラッカー)
営利非営利にかかわらず、”顧客に選ばれないサービス”はそのままの規模で生き残ることができず、遅かれ早かれ規模を縮小、または市場から退場を余儀なくされる。
”消費者は製品がどれだけ役に立つかだけを考える。役に立たなければ、それをつくった企業が消滅しても残念とは思わない。”(P.F. ドラッカー)
市場の競争にさらされる”企業”というツールをもって、社会にとって本当に必要なサービスだけを浮き彫りにしていく事が可能なのだ。
政府や役所のサービスの多くは、真のニーズからは生まれたものではなく、国や地方の思惑や予算の関係性から捻出された企画が多い。
こうした状況の中、我々”顧客”であるはずの者にとってサービスを選択する余地は与えられない場合が殆どで、その点で考えると我々は本質的には”顧客”ではない、とも言えるのではないだろうか。
我々は彼等が作ったサービスの”受け手”でしかなく、そのサービスの質向上のために建設的に参加することが極めて難しい状況に置かれている。
結果として、我々サービスの”受け手”はこの点で”社会への参加”を阻まれている。無論、一概に政府や役所が悪いのではない。システムがこのような状態を生んだだけだ。
一方、政府や役所の職場には”安定”が存在したとしても、評価から得られる達成感、市民との絆、相互の承認等、労働する上で致命的な要素が大きく欠如してしまっている。(勿論、最近はそれも変わりつつあるようだが。)
市民から「本来なら別で受けたい」と思われるようなサービスを提供しながらでは、自信をもって”社会に参加している”とは彼等も言えないはずだ。
政府はよかれと思って”雇用創出”しているのかもしれないが、社会としての使命を明確にしなければ、自信の無い人、自らを押し殺す人を創出し続けることになってしまう。
政府や役所の運営が、市民へのサービス提供という大義名分を通じ、とにかく雇用確保を目的とするのか?それとも民間への業務移管を通じて人を社会に返し、本当に使えるサービスを全員で拡充していくのか?
まずは使命(ミッション)を選ぶところからスタートしなければならない。
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2月20日”発展途上国など存在しない。あるのはマネジメント途上国である。”
明日もお楽しみに。
2010年2月18日木曜日
”政府は成果をあげる能力を取り戻さなければならない。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ポスト資本主義社会」からの抜粋。
本日のページでは政府再建の必要性について語られており、そのための3つのステップが紹介されている。
①機能しないもの、今まで一度も機能しなかったものの廃棄
②成果をあげ、組織の能力を高め、機能するものに集中する
③半分成功し、半分失敗していることを分析する
政府の活動においても選択と集中が重要であるという、本日の内容は一見意外にも思えるが、政府の活動が無駄の固まりであることについては誰もが知っている。
では政府や役所の強みって何だろう?とふと考えたところ、Twitterで知り合うことができた或るNPO法人代表の言葉が瞬時に頭に浮かんだ。
「行政はほんと、決まったことを執行管理する力はあります。発想して決めるのが苦手だったり。得意不得意を協働で組み合わせていければいいなと思ってます。」(@fuchan_gifu)
これは非常にパワフルなコメントだと感じた。
固定観念に縛られた役所との協働を通じ、あらたな未来を切り拓く事は決して容易ではないはずだ。しかし彼はまず相手(役所)の立場に立ち、じっくりと”強み”に集中することで、役所の心をオープン化し、見事にそれまで誰も成し得なかったイノベーションを創出している。
上からでもなく、下からでもない視線が、この様な協働を可能にし、より生産的な社会をつくるヒントとなるのだろう。
Today's Questions.
Q:あなたの地元の役所は、何が得意でしょうか?
Q:国会が得意とする事は何でしょう?
Q:どの様にすれば国会はその”強み”に集中できますか?
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2月19日”企業が優れている最大の理由は赤字の機能にある”
明日もお楽しみに。
2010年2月17日水曜日
”今日の産業社会に理念のないことが最大の問題である。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「企業とは何か(1946年)」からの抜粋。
本日の内容は、”経済発展”が我々にとって最高の目的でないことが分かった以上、真の目的を明確にし、新たな理念に基づいて社会の明日を創造していく必要がある、といった説明となっている。
我々の目的は、経済発展でないとすれば、一体何なのか?
ドラッカー教授は、その答えは哲学あるいは形而上学の様な領域に探さなければなりませんよ、と説明している。
本日のタイトル、”今日の産業社会に理念のないことが最大の問題である。”を見てもよく分かるが、目的が明確になっていないにもかかわらず、物事の効率化に必死になる事ほど無駄なことはない。
また世界的な恐慌の渦中に居る我々は、本来の目的を見失いやすい状況にあることを理解しておく必要がある。
生活の維持のためには、どうしても倫理が揺さぶられやすい不安定な状態になってしまう。身の安全確保のためには自らを失ってしまい、依存する対象を無意識に探したり、目先の利益に囚われてしまうのだ。
正直、個人的には2008年のリーマン・ショックはある意味嬉しかった。本業の製造業にとってはもちろん厳しい試練となることが容易に想像できたが、社会にとっては価値観を見直す大きなきっかけになるのではないかと感じたからだ。
カネへの信頼が著しく失われ、遂にマネーゲームは終焉を迎えた結果、世界中の人が”真の目的”を探求する時代がやってくるものと思われた。
あれから約1年半経とうとしている今、それとは少し異なる状態を感じている。
これはあくまでも個人的な観察だが、主に人生の転機を迎えている人(入学、就職、転職、冠婚葬祭など)においては、大きな価値観の変化が見られる。
大きな意思決定や出費が伴う場合に「みんなどうしているのか?」といった一般論に沿うだけではなく、「自分としては、ここで何を重んじるべきか?」を見直す機会がとても増えた様に感じる。
就職先としてNPOを選ぶ学生が増えた、というニュースもその一例だろう。
しかし一方で、岐路に立たされていない人に見られるのは、現状(生活の安全)を何とかして維持するための”イズム(○○主義)探し”や、”カリスマ探し”等の依存体質の強化だ。
自分ではない”他の何か”に人生を委ねていては、本当の自由を得ることは難しい。自らが考え抜いて、少しでも自己欺瞞(自分を欺くこと)なしに行動することに意味があるのではないだろうか。
とはいえ、社会が迷走する時代に生まれたのは喜ばしいことでもあると言える。一種のパニック状態にある今ほど、我々一人ひとりの意見が尊重される時代は珍しいと思うのだ。
考えているだけでなく、真摯に意見を何らかの方法でアウトプットし続けることで、仲間と共に生きた証を残していこう。
Today's Questions.
Q:感じ、考えたことを発し、行動していますか?
Q:なぜ、私たちは生きているのでしょう?
Q:”生きる”こととはどういう状態を意味するのでしょう?
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2月19日”政府は成果をあげる能力を取り戻さなければならない。”
明日もお楽しみに。
2010年2月14日日曜日
”カリスマを警戒せよ。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「新しい現実」からの抜粋。
このページでドラッカー教授は、カリスマ待望は集団自殺願望である、と言っている。”困ったときの神頼み”ではないが、自ら判断することが難しいからといって、その判断を放棄し、カリスマに委ねるのはあまりにも危険だ。
世界恐慌の苦しみから逃れるため、カリスマ性の高いヒトラーを支持してしまった人々は、その後の”全権委任法”の制定等による独裁体制の確立に「まさか、こんなことになってしまうとは…」と自分の目を疑っていたはずだ。
「重要なのはカリスマ性の有無ではない。正しい方向に導くか、間違った方向に導くかである。」(P.F. ドラッカー)
カリスマの台頭が危険なのは、周囲の人の存在が危険にさらされてしまうからだ。なされるべきことを考えるのを放棄することにより、社会においてその人の存在意義が失われてしまうのだ。著しい没個性化により、その人が本来持っている”社会に対する影響力”を失い、当人が存在しなくてもよい社会となってしまう。
カリスマに判断を委任することによって、そのカリスマの目論見に従って生きるほかなくなってしまう。これではいつまで経ってもその人が自由を掴むことはできない。
組織においても、誤ったカリスマの勝手を許してしまうと、全体が一瞬にして壊死してゆく。しかし、ここで大切なのは、単にこのカリスマ本人が悪いわけではない、という事だ。
カリスマと周囲の人間が”共依存”の関係を強めてしまい、カリスマが周囲の人間に暗黙の内に操られている可能性もあるからだ。その時、カリスマ(多くの場合、カリスマにならざるを得なかった)本人は、孤独な中で一人判断せざるを得ない状態に追い込まれてしまうことも多々ある。
私はこの様な現象の原因について、組織に”何が正しく、何が誤っているのか?”といった基本的な倫理感や使命が浸透していないからではないかと感じている。
組織内の全員とはいかずとも、大半の人がその組織において正しい選択がしやすい環境を提供すれば、組織全体の迷走を防ぎ、より多くの人が責任ある選択のできる組織作りに参加できるのではないだろうか。
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2月17日”今日の産業社会に理念のないことが最大の問題である。”
明日、明後日とお休みをいただきます。17日(水)、またここでお会いしましょう。
2010年2月13日土曜日
”自由とは選択の責任である。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「バージニア・クォータリー・レビュー誌(1942年)収載『産業人の自由』」からの抜粋。
本日のページのタイトルは「自由の本質(The Nature of Freedom)」となっており、”真の自由”についてドラッカー教授が定義している。
自由とは楽しいものではない。幸福、安心、平和、進歩のいずれでもない。それは選択の責任である。(中略)楽しいどころか重荷である。それは、自らの行動と社会の行動にかかわる選択の責任である。(P.F. ドラッカー)
実はドラッカーの数多い言葉の中で、私が最も好きなのが、この「自由とは責任ある選択である。(Freedom is a responsible choice.)」という言葉だ。
この言葉に出会った瞬間、雷に打たれたような衝撃を受けたのを今でもはっきりと記憶している。
「そうか、そうだったのか!」と強く納得すると同時に、それまでの様々な体験が走馬燈のように頭の中を駆け巡った。
この言葉のおかげで、真の自由は自分との葛藤の末、勝ち取るものなのだということが明確に理解できた。何かから逃げて得る権利ではなく、自ら進んで”選択する”義務なのだ。
自分自身の問題も、組織で発生する人間関係等の問題も、これまで判断がおぼつかなかったあらゆる事柄が、”責任ある選択ができているか?”という視点をもって見つめ直すことができるようになった。
誰もが生まれながらに持っている良心は、いかなる時も「今、なされるべきことは○○だ。」と教えてくれている。その心の声に基づいて、どれだけその人が”選べる”か?
”選べる人”には必ず道が開かれる。周囲の人々は「彼(または彼女)ならきっと期待に応えてくれる。」と機会を委ねる。それは日頃の行動から判断して、彼等が”責任ある選択”をする人だと無意識に理解しているからだろう。
反対に、”選べない人”は、いつも自分との葛藤に苦しんでいる。本来やるべき事はよく分かっている。しかし、一度”責任ある選択”に足を踏み込んだら、もう後に引けないことを無意識で理解しているようだ。誰かを思いやる事に重い責任伴う事を知っている。
しかしだからこそ、日頃”選べない人”ほど、自由”の本当の意味を深く理解していたりもする。我々の仕事は、その様な人に”選ぶ”機会をどれだけ提供できるかという事かもしれない。
ただ漠然と選択する機会を提供するのではない。責任を伴って選ぶことで勝ち取る”真の自由”と、それを選ばないことによって生じる”不自由”、2つの選択肢をありありとイメージしてもらうことが重要だと感じている。
もちろん、”責任ある選択”はイバラの道だ。しかし、イバラの道を抜けた後には、全く新しい自由な世界が広がっているはずだ。何に依存することもなく、お互いを常に思いやり、惜しみなく力を持ち寄り、本当の笑顔をつなぐ人たちの世界。
責任ある選択ができる人は、委ねられ、自由となる。
そして、自由な人はより多くの”自由な人”を育て始める。
これこそがマネジメントの醍醐味だと感じている。
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2月14日”カリスマを警戒せよ。”
明日もお楽しみに。
2010年2月12日金曜日
”傍観者には役者と観客には見えないものが見える。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「傍観者の時代」からの抜粋。
本日のページでは、”傍観者(Bystander)”は役者にも観客にも見えないものを自分の目で観察および解釈し、それを伝えることができるとしている。
このページの終わりにあるとおり、ドラッカー教授は常に少し離れたところから社会を見て、今何が起こっているのかを考え、それがいかなる”すでに起こった未来”なのかを感じ取り、本を通じて世界に伝えていた。
”傍らで観る者”と書く”傍観者”の”傍観”の意味は、大辞林を覗くと「かかずらうことなく、そばで見ていること。物事のなりゆきを自分の力で変えようとせず、何もしないで見ていること。」と説明されていた。(かかずらう:面倒なことに関わりをもつ。関係する。拘る。従事する。つきまとう。等の意味)
ちなみに英英辞典(The American Heritage)では、”Bystander”を、”A person who in present at an event without participating in it.”と定義しており、「イベントそのものには参加しないでその場にいる者」という意味になる。
個人的に、この”傍観者”という言葉には以前から違和感を感じざるを得ない。その言葉の意味自体からは”社会に何ら影響力を持たない人”というイメージがあるからだ。
しかし確かに、彼の本はあらゆる現実をつぶさに観察する事から始まっている。
①今、世の中ではこういう事が起こっています。
②それは、こういう意味を持っています。その証拠に……(実例)。
③…ということは、これからはこうなってくることが分かります。
④我々は今後こういう事に取り組む必要があるでしょう。
⑤しかし、それをするにはこういう問題が出てくるはずです。
⑥なぜなら、こういう事情があるからです。(実例)
⑦よって、それを解決するには、まずこうする必要があります。
⑧その結果、こういう効果が得られるでしょう。
彼の思考の流れを見て分かるとおり、ドラッカー教授は傍観するだけで完結していたわけではない。
私が感じる彼の最も偉大な点は、”知覚することから生じる大きな責任”から逃げず、次なる一手のヒントも与えてくれた。瞬時に陳腐化する小手先のテクニックではなく、汎用性の高い”考え方”をサポートしてくれた。
現実を見て、感情的にそれらをシャットアウトすることは簡単だ。傍観する事で、普通なら知りたくもない様な世の中の問題から目を反らさず、彼はそれをなんとかしようと力を尽くしてくれた。
Today's Question.
Q:事業の継続において、もっとも話したくないタブーは何ですか?
Q:それと向き合うために必要な人は誰ですか?
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2月13日”自由とは選択の責任である。”
明日もお楽しみに。
2010年2月11日木曜日
”マネジメントとは人にかかわることである。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「新しい現実(The New Realities)」という本からの抜粋。
本日のタイトルは”マネジメントの人間的側面”となっており、人と人が力(強み)を合わせて成果を上げることによって、そこにいる一人ひとりの”弱み”は無意味なものとするのが”マネジメント”であり、組織の目的である、との説明がなされている。
そして、ドラッカー教授は、”だからこそ、マネジメントは(社会にとって)重大であり、決定的な要素である。”と言う。
次に、マネジメントが個人の意思決定(判断や選択)を基盤としているからこそ、お互いに”相手にとって何が得意で、何をしようとしているのか”を深く理解し合っている必要がある、と説明している。
組織の一員である以上、たとえトップマネジメント(経営者層)であっても、自分にない強みを他の誰かが発揮することによって生活が成り立っている。
組織を構成する人が持つ貴重なリソース(資源)を最大限に活かすには、お互いのリソースをまずは理解するのが先決だ。
お互いの”強み”を求め合い、見つかったそれらに全員で心から感謝し、丁寧に組織に織り込んでいくことによって、組織の(社会に対する)新たな貢献力に寄与するはずだ。
また組織の使命達成のため、自らのリソース(その人が持つ強み)を惜しみなく提供する人や、他の”強み”を引き出すことに尽力する人は、組織にとって”現物出資者”と同様の価値がある。
そうした人こそが常に高く評価され、常に最大限の支援を受けられる組織でなければならないと思う。
Today's Questions.
Q:あなたの強みはなんですか?
Q:他の人はそれらをどの程度知っているでしょう?
Q:他の人の強みを、あなたはどの程度知っているでしょう?
Q:プライベートの強みなんて仕事に活用できないと過小評価していませんか?
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2月12日”傍観者には役者と観客には見えないものが見える。”
明日もお楽しみに。
2010年2月10日水曜日
”動的な不均衡状態にある社会だけが安定性と一体性を堅持する。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「イノベーションと企業家精神」「すでに起こった未来」「未来への決断」からの抜粋。
コミュニティと家族は”安定”を求めるが、企業、政府、大学、労組、軍等の社会的機関が”安定”するための唯一の方法は、自らを陳腐化し、体系的に”不安定化”するほかないと説明している。
以前、”綱渡り”の例について触れた。不安定な綱の上を、バランスを保ちながら進むには、自らの全身を不安定に保つ必要がある、という話だ。重心のズレを敏感に感じなければ(または感じようとしなければ)たちまち綱から落ちることになる。
新たに決める→続ける→ズレを感じる→壊す(棄てる)を継続できない”安定した組織”は、不安定な環境に順応し続けることができない。
一方、これ(イノベーション)を楽しめる組織は、激変する環境下でもしぶとく生き残ることができるのだろう。
日本には200年以上続く老舗企業が約3000社も存在し、その総数は世界の40%を占めると言われている。日本は世界でも突出した長寿企業大国である。
こうした老舗企業について学んでみると、比較的長いスパンで時代の変化を受容し、”老舗”特有の古くさいイメージとは全く異なる柔軟性に富んだ対応力、つまりイノベーションを続ける姿が印象的だ。
個人的にここで重要だと思うのは、権限委譲の力だ。社長自らが現場の作業ばかりしていては、時代の変化を大局で感じ、次の一手を選択することが難しくなってしまう。
自らの手で作業することで、その仕事や方法に偏愛してしまいがちだからだ。これでは、”やりたい”ことをやる組織になってしまい、”なされるべき”ことから逃げてしまう組織になってしまう。
「使命の決定・修正、戦略の決定および重要なリソースの配分」以外については極力部下に委譲することで、少し離れたところから組織が社会の変化から乖離していく様を観察し、対応したい。
心は熱く、しかし頭では冷静に変化を楽しめる組織でありたいと思う。
Today's Question.
Q:一度イノベーションをして、陳腐化し始めていませんか?
Q:陳腐化を計り、定期的に修正する手段がありますか?
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2月11日”マネジメントとは人にかかわることである。”
明日もお楽しみに。
2010年2月9日火曜日
”組織の論理がコミュニティの価値と衝突するとき 組織の論理が優先する。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ポスト資本主義社会」からの抜粋。
本日のページはタイトルの通り、組織が地域住民などの”コミュニティ”と衝突した際には、組織の論理が優先されるべき、といった深い内容。
組織は、高齢者を解雇して人材の若返りに取り組んだり、人が住んでいる場所を買収して建物を店舗を建てたり、時として地域コミュニティから見たら”非人道的”とも感じ取れる論理に基づいて活動しなければならない。
しかし、本日の内容を通じて、”それでも自らの組織の貢献を信じなさい”というドラッカー教授のメッセージが伝わってくる。
”病院、学校、企業は、自らが行っていることが不可欠の貢献であることを信じられなければならない。”(P.F. ドラッカー「ポスト資本主義社会」より)
そして、原著「The Daily Drucker」のACTION POINTにはこう書かれていた。
”もし、ウォルマートがあなたが住む地域への進出を試みて、地域住民から反発を受けたら、彼等はどの様なアクションを取るべきでしょうか?どの時点で出店を諦めるのが賢明と言えるでしょうか?”
※ウォルマートとは米国の郊外に多数存在する巨大なスーパーマーケット。日本のイオン、イトーヨーカドー等と似ている。
これはとても難しい質問だ。
まずウォルマート側の人が自らの組織の貢献について深く理解する必要があるだろう。そして、いかにウォルマートが地域を活性化しうるのかをコミュニティに対して十分に説明できるのかが出店の鍵を握ることは明白だ。
事業の目的は”顧客の創造”であるので、最終的に顧客から選ばれないのであれば、出店を取りやめるべきだろう。
しかし、十分な説明をしたにも関わらず、受け入れられないのであれば社会と組織の使命が乖離している可能性も考えられる。どのような理由で反対されたのか真因を追求する必要があるだろう。
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2月10日”動的な不均衡状態にある社会だけが安定性と一体性を堅持する。”
明日もお楽しみに。
2010年2月8日月曜日
”変革が常態となったからには継続性の基盤を堅固にしなければならない。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「明日を支配するもの」からの抜粋。
本日のページは”変革と継続の両立”というタイトルで、変革が常となった組織でこそ、価値観や情報の共有と継続が必要であると説明されている。
知識労働といえども、全員が自由気ままに仕事をすれば良いわけではない。むしろ、従来以上に組織の使命と価値観と自他の仕事の照合を頻繁に行う必要がある。”自由”と”放任”は全くの別物なのだ。
全員が勝手気ままに動く”放任”の組織では、選択の基準が本人の”好き嫌い”に依存しがちで、”うわべだけのコミュニケーション”をやり取りすることでお互いの領域を侵さぬことが暗黙の了解となっていたりする。
このようなグループでは「○○だと思っていたのに……。」といった誤解や、誤認識のトラブルが途絶えず、「だからもうコミュニケーションをとっても無駄だ。」といいつつ、出口の見えない現実逃避の泥沼に陥ってしまう。
一方、プロ意識が芽生えてくれば来るほど、組織としての使命や価値観に対する、様々な本質的な質問が湧き出てくる。「この事に対して、組織としてどう考えるのか?(または考えるべきか?)」という議論が絶えない。
組織の本質的な価値への理解は、行動の変革に直結する。
逆に考えると、各自が”現状を変えよう!”と強く思わない限り、組織の使命や価値を深く理解する必要が生じないのかもしれない。本質と向き合うチームは、チェンジ・リーダー組織となり、真の自由と責任を委ねられることになる。
この様なチームは、自らの意思決定を無駄にしない。与えられた指示ではなく、自らが捻出した決定が無駄になることを惜しむため、お互いの行動を良い意味で確認し合う。一度決定されたことに敬意を払う雰囲気がある。一度決まった事は遵守しつつ、違和感が生じた瞬間、それを共有し、自己修正することができる。
情報の不足と信頼性の欠如ほど、継続性を損ない関係を傷つけるものはない。したがってあらゆる組織が、あらゆる変化について誰に知らせるかを考えなければならない。(P.F. ドラッカー「明日を支配するもの」より)
Today's Questions.
Q:決められた事を守り、柔軟に修正できる組織ですか?
Q:組織が本質的な話し合いに時間を割けていますか?
Q:問題について、誰もが平等に話す機会を与えられていますか?
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2月9日”組織の議論がコミュニティの価値と衝突するとき 組織の論理が優先する。”
明日もお楽しみに
2010年2月5日金曜日
”ネクスト・ソサエティは目前にある。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ネクスト・ソサイエティ」からの抜粋。
本日のページで、ドラッカー教授は先進国における若年人口の急激な減少に触れ、我々に今後の対応を迫っている。
”これまで先進国では、国内市場は家族形成の増大によって成長してきた。”とドラッカー教授が言うとおり、日本の人口減少による国内市場の冷え込み方は深刻なものがある。
日本の出生率は現時点で約1.4人に満たず、人口維持に必要な2.1人という数を大幅に下回る状態が続いている。このまま今の状態が続くと、2055年には国内の人口は9000万人を割る予定だ。
年齢構成については現時点から2055年までに65歳以上が20%から40%へ、18歳〜64歳が66%から51%へ、17歳以下が14%から8%に変化することが推測される。
先進国ではみんなそうじゃないか。
そう思われがちだが、これほど極端な人口減少が始まっている国は実は日本しかない。他の国では外国人労働者や移民を積極的に受け入れることで人口の急速な減少をスローダウンすることに成功しているのだ。
移民の受け入れを殆どせずに、日本はいかにしてこの局面を乗り切るつもりなのか?
歴史的にも例のないこの状態に対し、日本の対応が欧米の先進各国の手本になる可能性がある、といった事をドラッカー教授は話していた。
地球全体の人口は途上国の人口増加により、少しずつ増えている一方で、日本の人口は加速度的に減少している。
現在、メディアでは少子高齢化をどうするか?外国人の投票権をどうするか?といった表面的な議論ばかりが行われているが、まずは世界で日本としてどういった使命を果たしていくのか?を明確にしなければ無駄な議論が続くだけだ。
われわれ国民全員が今すぐ答えを見いだすべき、5つの質問は以下となる。
①日本の使命は何か?
②日本の顧客は誰か?
③顧客が価値あるものとするのは?
④日本の成果は何か?
⑤日本の計画は何か?
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2月8日”変革が常態となったからには継続性の基盤を堅固にしなければならない。”
今週末は2日間、お休みをいただきます。来週月曜日にまたお会いしましょう。
2010年2月4日木曜日
”これからの新技術はあらゆる種類の知識からもたらされる。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「断絶の時代」からの抜粋。
本日のページでは、これまで個々の製品やサービスなど、専門分野別に縦割りであった知識構造が崩れつつあり、今後は多種多様な分野の知識によるイノベーションが主流となることについて触れられている。
今日ようやく、知識とその探求が、専門分野ではなく利用分野別に組織されるようになった。(中略)知識が自らを最終目的にするものから、何らかの成果をもたらすための手段に移行したことの結果だった。(P.F. ドラッカー「断絶の時代より」)
”使う側としての知識”に重きを置くのではなく、使われる先、つまり”顧客や用途に応じて必要な知識”を仕入れなければならない。
以前も触れたが、専門技術戦略に基づいてコア技術を高める事に没頭している内に、顧客心理が変化し、その技術自体が”無用の長物”になってしまう可能性がある。
多くの会社にとって、”専門技術”を高める目的は、他の同業者に負けない技術を獲得することによる、価格下落の回避だったりする。しかし、ここには大きな盲点が存在する。
現代の顧客は、我々の同業者以外からの調達を優先して模索する、という点だ。
なぜなら、既存の調達ルートに固執していては大きなコストダウンが不可能であると知っているからだ。真の競合は同業者ではなく、別の業界からやってくると考えた方が賢明だろう。
例えば、現在の光学式マウスの製造方法は、従来のボールを使用したマウスの工場とは全く異なる。従来の工場でいかにボールをスムーズに動くように研究したところで、市場が選ぶのはコストも抑えられ、メンテナンスフリーの光学式マウスだったのだ。
このような大きな需要の転換が一夜にして起きることも考えられる時代と言える。その様な状況で生き残るためには、顧客の声に耳を傾けながら、自らの事業を自らの手で陳腐化させるしかない。
今までの知識やノウハウに感謝し、既存のビジネスモデルを静かに手放すこともできなければならないのだろう。
Today's Questions.
Q:顧客があなたの製品(またはサービス)に不満を持っているとしたら、どの部分ですか?(品質・コスト・納期など)
Q:あなたが顧客なら、どの様な方法でその不満を解消するでしょうか?
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2月5日”ネクスト・ソサエティは目前にある。”
明日もお楽しみに。
2010年2月3日水曜日
”今日において重要なのは肉体労働者でない人たちの生産性である。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ポスト資本主義社会」からの抜粋。
本日のページでは、製造現場における生産性を科学的に分析し改善する「科学的管理法」で有名なアメリカのフレデリック・ウィンズロー・テイラー(1856 - 1915)が登場している。
弁護士のあとを継ぐ予定だったテイラーは、ハーバード大の法学部に入学するも、目の病にかかり、弁護士への道を断念。工場現場で働くことになった彼は、肉体労働の生産性の低さに驚き、設備や行程の改善活動を通じてそれを”Taylor Shop System”という管理手法として体系化した。
この、カイゼンの父とも言える、フレデリック・テイラーは”肉体労働に知識”を適用することに成功し、大幅な生産性向上を実現した。これにより、ビジネスの主役は肉体労働から知識労働へと移行し始めたのだ。
しかし、この成功の結果、今度は知識労働の生産性を向上する必要が出てきた。
”成果を生むために既存の知識をいかに適用するかを知るための知識がマネジメントである。”(P.F. ドラッカー)
ムダな知識労働を排除し、いかにリソースを最大化し、より大きな成果を生み出すのがマネジメントだ。
今の仕事の効率化を考えるだけでなく、「本当にその仕事が必要なのか?」「そもそも、何のための仕事なのか?」といった事を追求することで、不要な仕事を廃棄しながら明日につながる仕事により多くの時間を割くことで、知識労働の生産性を継続的に高める必要がある。
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2月4日”これからの新技術はあらゆる種類の知識からもたらされる。”
明日もお楽しみに。
2010年2月2日火曜日
”新しい現実を機会としなければならない。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「乱気流時代の経営(原著:Managing in Turbulent Times)」からの抜粋。
ここでドラッカー教授は、”新しい現実(new realities)”は、誰かの期待や幻想によるものではなく、一方的かつ自動的にやってくるものであり、それと正面から向き合うことができる者のみが大きな成果をあげられる、といった説明をしている。
新しい現実、つまり社会の変化は、勝手にやってくる。
それ自体は我々のように感情を持たない。
未来の社会が「今のままであってほしい。」「こうであってほしい。」「こうあるべきだ。」と(特にリーダー達が)強く願ったとしても、”より危険な乱気流”を生じさせ、周囲を路頭に迷わせるだけだ。
合気道の如く、相手(この場合、”新しい現実”)の本質を理解し、受け入れ、応用することでより粘り強い組織にすることができる。
…と言うのは簡単だが、自分だけでなく、組織全体でこれを実現するのは実際の所、至難の業である。
なぜなら、そもそも我々は動物であり、”現状維持”の機能、いわゆるホメオスタシス(恒常性)が体の機能として備わっている。
他の動物のように自らの”生命の危機”を感じた時は、反撃や逃走等、異なる行動に出ることができるが、ビジネス組織においては”生命の危機”ではなく、”組織の危険”に基づいて早い段階から従来と異なる行動を始めなければならない。
組織でこれを実現するには、まず全体がこうした事を認知することが大切だ。
①”新しい現実”は感情なしに一方的にやってくる
②感情だけではね除けようとしても、新たな矛盾が生じるだけである
③変化からの回避は、人に備わった当然の機能である
④ビジネスでは生命の危機ではなく、組織の危険に基づく必要がある
⑤変化と向き合えた者(又は組織)だけが、それを武器にすることができる
⑥変化への順応を楽しむことも可能である
我々の脳は、まずは”新しい現実”を拒否する。しかし、仲間と勇気をもって正面から観察してみると、そこには必ず次の一手につながるチャンスが見えてくるはずだ。
Today's Question.
Q:レクリエーションなど、何らかの活動の運営を任せることで、組織が”新しい現実”と親しむ方法がありますか?
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2月3日”今日において重要なのは肉体労働者でない人たちの生産性である。”
明日もお楽しみに。
2010年2月1日月曜日
”われわれは新しい現実へのわたる峠を越えつつある。”(P.F.ドラッカー)
(1/27〜30の間、中国に出張しておりましたが、中国当局による検閲のため、当ブログサービス”Blogger”全体へのアクセスが全くできず、更新が滞ってしまいました。読者の皆様には大変ご迷惑をおかけ致しましたこと、深くお詫び申し上げます。)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「断絶の時代(1968,1969)」「新しい現実(1989)」「ポスト資本主義社会(1993)」からの抜粋。
このページでは、我々が今まさに目の当たりにしている”数百年に一度”の時代の大転換が、世界的なビジネスの構造変化と共に訪れることについて説明されている。
ドラッカー教授は、我々の世界観、価値観、社会構造、政治構造、芸術、制度は数十年で少しずつ変化しながら、次の全く新しい世界に移行する準備をする、としており、人口動態に見る労働力の変化についても触れられている。人口動態の確認は世界のトレンドを掴むためにとても有効であるとしていた。現時点の出生状況が労働力に影響し始めるまでおよそ20年かかり、それまでに備えることが可能だからだ。
生前、ドラッカー教授は特に先進国における出生率の低下による深刻な労働力不足を予測し、先進国は、知識労働の生産性向上(つまり”工夫による効率化”)と外国人の受け入れによって不足した労働力を補うことになるだろう、としていた。
そのため、学生が減る方向にある高等教育機関にて社会人が学び、知識労働の生産性を向上できるような環境整備が必要であるとしていた。
今後、日本を含む先進国では少子高齢化が急速に進み、発展途上国では人口は増え続け、2050年には世界の総人口は90億人に増えるとの見通しがされている。1950年の時点では25億人だったので、このたった100年間で世界の人口が約3.6倍に増える計算だ。
人口についてはネット上に様々な視点でグラフが存在するので、それらを確認し、今後の意思決定に大いに役立てたい。
Today's Question.
Q:急速に進む少子高齢化。あなたの事業に今後どの様な影響を及ボス可能性がありますか?
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2月2日”新しい現実を機会としなければならない。”
やがて訪れる新しい現実を敵とするか、見方とするか?明日もお楽しみに。
2010年1月26日火曜日
”継続と変革の両立こそ 文明にかかわる中核の問題である。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「すでに起こった未来」からの抜粋。
本日のページには「アメリカの民主政治」の著者でありフランスの政治思想家、アレクシス・ド・トクヴィル(1805 - 1859)(Wiki)や、イギリスのジャーナリストで思想家のウォルター・バジョット(1826 - 1877)(Wiki)が登場し、ドラッカー教授自らが名付けた「社会生態学(social ecology)」のルーツはこの2名の姿勢や思考、手法にあった事が説明されている。
ドラッカーの言う”社会生態学者(social ecologist)”は、”物見の役”の様な存在を指している。社会や人にやがて訪れる変化の兆しを誰よりも早く知覚し、それが真の変化であることを確認する。そしてその変化を機会として多くの人に知らせる。
”社会生物学(sociobiology)”という言葉をWikipediaで調べてみたところ、ドラッカー教授によく似たエピソードを発見した。自らが見張り役になることで群れをライオンから守るシマウマの話だ。興味深いので下に引用しよう。
またシマウマの群れでは見張り役がいて、ライオンの接近を鳴き声や身振りで群れに知らせるという。そのような目立つ行動を取ることは、まず敵の注意を引くので危険であると考えられる。それに、敵を見つけたら、黙って逃げ出した方が早く逃れられるし、他の仲間を身代わりにすることもできるであろうとも思われる。このように、自分を犠牲にして他者を助ける行動を利他的行動とよび、その例は多い。(「Wikipedia」”社会生物学”)
上の話は本日のページを理解する上でとても分かり易い。見張り役のシマウマは、群れの存続のために状況の変化をいち早く察知して「ここに居てはならない!」と、(この場合、逃げるといった)新たな行動を他に知らせている。
仲間達が寝ていたり、草を食べていたりと、安心している時にそれを中断させてでもすみやかに逃げる様に伝える役柄は、色々な意味でリスクが大きい。用心深いだけでは遅かれ早かれ仲間の信頼を損なうだろうし、鈍感であれば仲間は安心できない。失敗の結果、仲間に排除される可能性もある。
天敵が少しずつ攻撃を進化させてくると同時にそれを自らがまず理解し、群れに正確な情報を知らせる必要がある。
人と社会も常に連鎖して変化を続けている。その中で、すでに起こった未来を多元的に受け入れ、そこにチャンスを見いだす方法をドラッカー教授が教えてくれている。精度の高い変革を継続し、自らの群れ(組織)を守り切りたいと思う。
Today's Question.
Q:今のままで持続可能でしょうか?
Q:仲間の反感を恐れ、組織を不安定な状態にすることから逃げていませんか?
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1月28日”ヘンリー・フォードは 事業にマネジメントは必要ないとの信念ゆえに失敗した。”
明日はお休みとなります。明後日の「Drucker365」をお楽しみに。
2010年1月25日月曜日
”知識労働者は自らの成長に責任をもつ。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「創生の時」からの抜粋。
「創生の時(Drucker on Asia)」という本は、ダイエー創業者の中内功氏とドラッカー教授が1994〜95年に渡って手紙でやり取りした内容を往復書簡としてまとめている。
個人、企業、社会に今後いかなる変化が訪れるのか、といった点について二人が率直な意見を交わす様子が新鮮な一冊だ。
さて、本日のページには「自己再生」というタイトルが付いている。”技能”より”知識”を重んじる現代の労働において、知識の価値は急速に陳腐化してしまうので、常に自らを再生(reinvent)する必要がある、といった内容だ。
ドラッカー教授がここで、「活性化(revitalize)ではなく、あえて再生(reinvent)という言葉と使いたい。」という様に、「より良く…」だけでは通用しない時代が既に訪れている。
現在携わっている仕事が5年後も同じやり方であると自信を持って言える様な仕事など殆どないように感じられる。長年働くことを考えれば、たしかに”自己再生”し続ける必要がある。
理屈では理解できる。しかし、そう簡単に自己再生といっても、人はいくつも全く違うことができるわけではない。よって、仕事自体が数年で様変わりしていくのは、本人にとって非常に大きなストレスとなりかねない。個人的に感じるのは、仕事にプライドを持って取り組む人ほど、変化に対しての精神的ダメージが大きい。
なぜなら、今まで培ってきた技術や知識が、変化の波に全否定されたかのように捉えてしまいがちだからだ。この点、仕事を与える側も十分に注意しておかなければならないと感じている。
強みに基づいた”自己再生”でないと、失敗する可能性が高い。
例えば、当社の工場ではここ数年、現場作業のローテーションをかなり本格的に行っている。これまでは各工程をベテランの力だけに頼っていた20種類近くの異なる仕事を、その部署の作業者全員が担当できるようにしている。
このような管理方法を改善により、生産性向上はもとより、パートの方が比較的平等に休めるようになったり、苦労を分かち合う事でチーム感が高まったりと様々なメリットがある。
しかし、これだけだとベテランにとっては”活躍しにくい職場”になってしまい、比較的ベテランが辞めてしまいがちなことが判明した。本人にとっては「あなたが居ないと困る。」と言われていたのが、(極端に言えば、)「あなたが居なくても大丈夫。」と言われているようなものだからだ。
この経験から、我々管理者には、作業者本人の”喜びの本質”がどこにあるのか?を見定める必要もあるということを学んだ。
他の作業員に較べ、難しい作業を圧倒的なスピードでこなす人にはそれなりの目的や理由が存在する。何らかの強迫観念に駆られている場合はその必要がないことを理解してもらう必要があるし、それを楽しんでいる場合には他の仕事を通じて同様の喜びを得てもらう必要がある。
大変な仕事を担当しているからといって、その負担を軽減するだけではその人の喜びの本質を理解できてないということだ。まずはその人の強みが今の仕事にどう活きているのか?という点を見定め、新たにその強みを発揮できる場所を探す必要があるのだ。
確かに本人の”生まれ変わる”意志は重要だと思うが、「本人の強みをもって取り組めば今まで以上に活躍できるはず」であると上司が信じられなければ、”自己再生”は非常に難しい様に思う。
今までと全く異なる仕事をすることになった人には、少なくとも「あなたのこういう強みを、次のこの仕事で、このように活かして欲しいと思っている。」としっかり伝える必要があると思う。
Today's Questions.
Q:強みに基づいた人事異動をしていますか?
Q:仕事が数年で様変わりする可能性を全員に伝えていますか?
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1月26日”継続と変革の両立こそ 文明にかかわる中核の問題である。”
明日は”社会生態学”について。お楽しみに。
2010年1月22日金曜日
”ケインズは財の動きに関心をもち 私は人の行動に関心を持った。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”も、「すでに起こった未来」からの抜粋。
一昨日(1月20日)の記事と同様、ドラッカー教授は”経済”の重要性には理解を示しながらも、それがあくまでも手段に過ぎず、目的にしてはならないことを伝えている。
経済は絶対的な決定要因ではなく、制約要因に過ぎない。経済的な欲求や満足は、重要ではあっても絶対ではない。そして何よりも、経済活動、経済機関、経済合理性は、それ自体が目的ではなく、非経済的な目的のための手段にすぎない。(「すでに起こった未来」より)
上の引用で気になるのは「非経済的な目的」という言葉。原著「The Daily Drucker」では「noneconomic (that is, human or social)」とある。
要するに、”経済学”という一つの側面しか見ない机上の学問をもって、”人と社会”といった常に揺れ動く存在を完全に説明することはできないことをドラッカー教授は伝えたかったのではないだろうか。
このページに登場するジョン・メイナード・ケインズ(1883-1946)。ケインズの”有効需要創出”理論では、景気が悪いのは需要が低下しているからであり、新たな需要の創出に政府が関与することで、雇用や経済を回復することができる、としていた。
実はアメリカの第32代大統領フランクリン・D・ルーズベルト(任期:1933-1945)によって実現した”ニューディール政策”は、世界恐慌に苦しむアメリカがそこから脱出を図るため、このケインズの理論に基づいて実行されたものだった。
世界中で今まさに行われているとおり、やみくもに国債を発行しつつ、公共事業を増やし、法律を変えた。
学生時代、私たちはこの”ニューディール政策”について、政府主導の景気回復策として希に見る成功事例として華々しいストーリーのみを教えられたが、事実はそれより程遠いものだったようだ。
失業率は1930年代後半になっても失業率は依然として低下せず、過剰な生産設備は動かないままの状態が続いた。
結果、ケインズが恐れていたとおり、1941年12月8日、ルーズベルトも真珠湾攻撃に端を発する太平洋戦争を通じて戦争による需要創出に乗り出してしまった。
(無論、アメリカだけが悪かったわけではなく、世界中が戦争を通じて大量な犠牲者を生みながらも雇用の確保するに至った。)
ナチスドイツの勃興を目の当たりにしてロンドンに移住したばかりのドラッカー(当時は投資銀行勤務)が、ケインズの講義を聴講したのは1934年のこと。彼はアメリカの未来も予測していたに違いない。
今、世界はまた同じ様な悲鳴を上げながら、当時と同じ様な道を歩んでいる。
「誰のための、経済なのか?」
我々、一人ひとりが問われている。
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1月25日”知識労働者は自らの成長に責任をもつ。”
明日、明後日の2日間はお休みとなります。次回は25日(月)となりますので、ご了承下さい。ではみなさん、よい週末を。
2010年1月21日木曜日
”今日利益をあげている事業が明日は金食い虫になる。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「すでに起こった未来」からの抜粋。
「イノベーションこそ経済の本質である」と説いたシュンペーターを紹介しながら、彼の有名な言葉「創造的破壊(creative destraction)」について説明している。
変化とイノベーションの経済にあっては、利益は、マルクスとその理論がいうような労働者から搾取した余剰価値ではない。それどころか、利益は雇用と所得の唯一の厳選である。シュンペーターの経済発展の理論は、イノベーターだけが真の利益を生み出すとした。ただし、そのイノベーターの利益は短命であるとした。(「すでに起こった未来」より)
よく「企業とは利益を追求する組織である」と言われるが、一見もっともらしく聞こえるが、昨日の内容の通り”人の本性(または本質)”を踏まえて考えると、その定義には様々な矛盾が生じてくる。
ドラッカー教授は、組織の目的が利益なのではなく、利益は組織を維持発展させるのに必要な”条件”である、といった説明をしている。
我々は往々にして「細かいことは良いから、まずはとことん利益を上げてから、その利益に従って新たにやることを考える」という手順を踏んでしまいがちだ。
しかし、ドラッカー流には、「組織の使命達成のため、来期いかなる取り組みが必要か?という視点から今期の創出すべき利益を算出する」という順番となるのだ。
「変化はコントロールできない。できるのはその先頭に立つ事だけである。」というドラッカーの言葉はあまりにも有名だが、シュンペーターが説いたとおり、イノベーションが他を陳腐化し、社会に変化をもたらす。
利益を明日のイノベーションに投下することで、従来のあらゆるリソースを自らが積極的に陳腐化し、初めて変化の先頭に立つことができる。
Today's Question.
Q:昨日を棄て、明日をつくるために十分な投資ができていますか?
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1月22日”ケインズは財の動きに興味を持ち、私は人の行動に関心を持った。”
明日もお楽しみに。
2010年1月20日水曜日
”人の本性と、その社会における役割と位置づけについての理念が、社会を規定する。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「経済人」からの抜粋で、人の本性について。
ここで紹介されているブルジョア資本主義もマルクス社会主義も、あらゆる人が経済のために生き、働き、戦い、死ぬのが当然といった思想の上で成り立っていた。
今でこそ、この思想がばかばかしく聞こえてしまうが、果たして今回の世界同時不況に陥る寸前(今からたった1年程前)も同じようにばかばかしく聞こえただろうか?
たしかにお金は動機の一つではある。しかし、この1年で我々の価値観は大きく変わらざるを得なくなった。お金に対しての信頼感が失われると同時に贅沢品の購入意欲も低下し、最低限の生活ができるだけの収入があればよいと思う人が爆発的に増えた様に感じる。
そういえば、先日当社の社員(30代後半)にこんなことを聞いてみた。
「今から3年前に買いたかった車があったでしょ?その車、今でも欲しいと思いますか?」
彼は、
「あ、いや、要らないですねぇ。」
と、苦笑いしながら即答した。「その車が無くても、自分は幸せでいられる」というのが率直なところだろう。
さて、次に頭に浮かんでくるのは、
「給料を2割増やすが、一切働いてはいけない。」
といった場合、(先程の彼には聞いていないが)いったいどうなるのか?
この辺りが”人の本質”が何であるかを確認するための問いになるのではないかと思う。
反対に、
「給料は2割減額になるが、より重要なポストに就いてほしい。」
というのはどうだろう?自分だったら即答はできない。
ハーバードビジネスレビュー(2008年10月号)で「新しい動機づけ理論」という論文が紹介されていた。組織において以下4種類の欲動をバランスさせることでスタッフのモチベーションを効率的に高められるといった内容だった。
①獲得(報酬、学びなど)
②絆(チーム感など)
③理解(説明、承認など)
④防御(安心、安全など)
これらは人の本質的な部分に強く関連している。①の獲得には金銭的報酬だけでなく、学びなども含まれ、人の動機の中で金銭的報酬がごく一部であることが深く理解できた。
今ほど金銭以外の価値観が重んじられる時代は今まで無かったのではないだろうか。今後、高い給料だけでは本当に優秀な人は寄りつかなくなるだろう。急激な価値観の変化を必然と受け止め、それを機会にできる環境を築いていこう。
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1月21日”今日利益をあげている事業が明日は金食い虫になる。”
明日もお楽しみに。
2010年1月19日火曜日
”位置づけと役割を持たなければ 見捨てられし者、根なし草である。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「産業人の未来」からの抜粋。社会的位置づけと役割の大切さについて説明されている。
For the individual there is no society unless he has social status and function.("The Future of Industrial Man"より)
個人にとって、社会的地位や役割がなければ、社会が存在しないのも同然だ。(同上、中村克海訳)
本日のページには以下の様な興味深い言葉もあった。
He sees only demoniac forces, half sensible, half meaningless, half in light and half in darkness, but never predictable.("The Future of Industrial Man"より)
彼(又は彼女)には、半分賢明で、半分無益、半分明るく、半分 暗い、予想し得ない悪魔的勢力しか見えない。(同上、中村克海訳)
これは明確な社会的地位や役割が無い場合、社会に対して何ら影響力を持つことができないため、常に受け身にならざるを得ないという意味ではないだろうか。
今日のACTION POINTには「退職した人にメールを送ったり、一緒に昼食をとってください。」とある。
もう随分前の事だが、団塊の世代が少しずつ定年退職を迎える中、長年仕事一途でやってきた人の退職後を想像すると、とても心配になることがあった。
「これからこの人は、どういう人達と何をして暮らしていくのだろう?」
多くの場合、本人は「退職したら、これがやりたい」という夢があるが、それはまるで「宝くじが当たったら○○したい」と同じような一過性の内容で、残念なことに建設的な内容であることは極めて少ない。
また「退職してからでないと、それには手を付けられない」と信じ込んでいる事も多く、在職中には全く準備していない様にも見受けられる。
ここで、「(会社として)退職した後の人生は『知りませんよ』でいいのか?」という疑問が浮かんだ。勿論、私の答えはノー。それでは会社という組織がその人の人生を食い潰してしまっているのと同じだと思うのだ。
本人にとってはある意味、大きなお世話かもしれないが、当社に勤めた方には、在職中も含めて何らかの方法で家族や社会に貢献できる人になって欲しいと思うし、常に他の人に必要とされる人でいて欲しいと願っている。
仕事を通じて学ぶことが可能なマネジメント、チーム作り、スピーチ、モチベーション、コミュニケーション、品質管理、カイゼン、問題解決、発想法等々、これらどれもが仕事の生産性を上げると同時に、プライベートにそのまま役立つものばかりだ。
職場で学んでもらうことを、職場ではすぐに使えなくても、プライベートで使い始めるという事もあるだろう。
以前、朝礼の3分間スピーチの場で、女性社員が進路に悩むお嬢さんとの話し合いに(以前、私が講座を開いた)マインドマップを活用したエピソードを披露してくれた。
こうした小さな成功を少しずつ増やしていくコツは、意外と単純な所にあると書いていて気づくことができた。
それは「全ての教育を”プライベートでの活用”を視野に入れて、提供する」という何とも単純な視点だ。
企画する時点で、「スタッフの家族や知人、町内会などで活用できないスキルや知識が仕事で活用できるはずがない」と考えて教育プログラムを組めば、より主体的に学んでくれる状態を創出できるのではないだろうか。
今後も会社を「人に必要とされる人を創出する機関」として活用し、人と社会をつないでいきたい。
Today's Questions.
Q:トップ自身がプライベートの時間を楽しめていますか?
Q:スタッフのみなさんはプライベートで輝いていますか?
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1月20日”人の本性と、その社会における役割と位置づけについての理念が、社会を規定する。”
明日もお楽しみに。
2010年1月17日日曜日
”企業以外の組織は 企業の利益に相当する評価基準を必要とする。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「すでに起こった未来」からの抜粋。
企業以外の組織(主に非営利組織)における評価基準の重要性について書かれている。
ここで説明されているとおり、非営利組織が企業のマネジメントから学べることは多いが、そのままを非営利組織に移植することは難しい。むしろ、金銭的な尺度(予算、募金額、利益、報酬等)だけで活動の成果を評価しにくい非営利組織には、むしろより高度なマネジメントや評価基準が必要である。
人にも色々な人がいる。お金に強い関心を持つ人もいれば、それ以外に興味を持つ人もいる。
前者、”お金に強い関心を持つ人”に「あなたは今、幸せですか?」と問えば、その質問に答える際に意識する評価基準は、銀行の預金残高や資産の合計額等、多くが定量的な(数値化可能な)ものを指すことになるだろう。
しかし、後者、”お金以外に興味を持つ人”に「あなたは今、幸せですか?」と同じ質問をしたら、どうだろう?その人の評価基準は本人の直感に基づいており、確固とした基準とは異なる、抽象的かつ複合的なものに違いない。
私を含め、”数値化できない何か”に対してより高い価値や可能性を感じる人にとっては、数値で管理する評価基準など基本的には不要であり、日々数値化できない価値を見つけることに喜びを感じているのだ。
よって、自分自身が”一人で幸せになる為には”定量的評価基準は必ずしも必要とされないと思う。
しかし、”人”と”組織”は異なる。必ず他人が関わる”組織”においては、現状の評価をそこに関わる人と共に共通の認識として持てなければならない。
スタッフの一人が「とても効果的に社会に貢献できている」と感じる一方で、一人は「全く社会のために貢献できていない」と感じていては、手足がバラバラに動いてしまう組織になってしまう。
営利組織であれば、(それが十分ではないと言っても)”利益”が皆に共通認識される評価基準としてそれなりの役目を果たすかもしれない。しかし、非営利組織については評価基準を他に探す必要から免れることができない。
組織の使命が達成されているかどうかをリアルタイムに把握できる評価基準を設ける必要がある。
しかし、ここで一つの落とし穴ができる。
使命や評価基準を決め、目標を設定することで、組織全体がそこに依存することを我々は忘れてはならない。
常にうごめく社会の中で、組織のあり方や役割、顧客のニーズは常に変化するため、使命や成果の評価基準も常に見直しながら、修正または変更していく必要があるのだ。
非常に骨の折れる作業ではあるが、ドラッカー教授は組織の命運を分ける最も重要とも言えるこの作業を「5つの質問」というかたちで体系化してくれた。
ドラッカー「5つの質問」
①われわれのミッション(使命)は何か?
②われわれの顧客は誰か?
③顧客にとっての価値は何か?
④われわれにとっての成果は何か?
⑤われわれの計画は何か?
常にこれらの質問を意識し、④の「われわれにとっての成果は何か?」に答えるため、より適切な評価基準を探り続けたい。
Today's Question.
Q:使命の達成状況をいかにして可視化できるでしょうか?
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1月19日”位置づけと役割を持たなければ 見捨てられし者、根なし草である。”
明日のページの説明は本日の内容と重複しますので、お休みさせていただきます。明後日の「Drucker365」をお楽しみに。
2010年1月16日土曜日
”マネジメントは成果をもたらすことに責任を持つ。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメント」からの抜粋。
マネジメントは成果を上げる責任をもつ、といった内容となっている。今日は比較的分かり易い内容なので、細かな説明は必要ないと思うが、”マネジメント”の定義が分かり易く記されているのでこれを引用し、少し本日の主題から脱線してみよう。
(マネジメントとは、)ジャン=バティスト・セイのいう起業家であり、ビジョンと資源を成果と貢献に向けて動員する存在である。(P.F. ドラッカー)
ドラッカー教授が「マネジメント=起業家(entrepreneur;アントレプレナー)」としている点が非常に興味深い。
ここで登場する、ジャン=バティスト・セイ(Wiki)(1767 - 1832年)はフランスの経済学者で、「供給はそれ自身の需要を創造する」という「セイの法則」で知られているそうだ。
実はこのJ.B.セイ、「イノベーションと企業家精神」第1章の冒頭にも登場している。
(以前、この本のタイトルは「イノベーションと起業家精神(上/下)」だったが、エターナル・コレクションから「イノベーションと企業家精神」と変更されている。おそらく、「entrepreneur;アントレプレナー」という単語の解釈が時代を経て”起業家”のみならず”企業家”全般を指す様になってきたからだろう。この点は後日上田先生に確認しようと思う。)
J.B.セイは、「企業家(起業家)は、経済的な資源を生産性が低いところから高いところへ、収益が小さなところから大きなところへ移す」とした。
「イノベーションと企業家精神」を読み進めると、ドラッカー教授は、
企業家は変化を当然かつ健全なものとする。彼等自身は、それらの変化を引き起こさないかもしれない。しかし、変化を探し、変化に対応し、変化を機会として利用する。これが企業家および企業家精神の定義である。
(P.F. ドラッカー、上田惇生訳、「イノベーションと企業家精神」ダイヤモンド社)
としており、先程の通り、マネジメント=企業家と考えるのであれば、マネジメントは”変化を利する者”すなわち、”イノベーター”であるといった結論に行き着く。
マネジメントという言葉は、どうしても現状を維持するものとして誤解してしまいがちだが、実際は不確実性の中で常に”創造的破壊”を実行し続ける者を指すというのは、ある意味”目から鱗”だった。
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1月17日”企業以外の組織は 企業の利益に相当する評価基準を必要とする。”
非営利組織の評価についてのお話です。明日もお楽しみに。
2010年1月15日金曜日
”重要なことはできない事ではなくて、できることである。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「現代の経営」、「経営者の条件」からの抜粋で、組織の精神(The Spirit of an Organization)というタイトル。
組織にとって「強み」に集中することの大切さについて語られている。本ページでは、”鋼鉄王”と呼ばれたアンドリュー・カーネギーやルーズベルト大統領の特別顧問、ハリー・ホプキンズが登場し、彼等が部下や同僚の”強み”に集中したからこそ成功したとの説明がされている。
以前、某社長の話で、「パートで部長」になった人の話を聞いたことがある。非常に優秀だったそのパートさんはご主人の扶養から外れないことを条件に、就労時間を短縮することで年収を103万円以内に押さえ、課長に就任。その後、更に就労時間を1日30分と短縮することで部長に昇進したそうだ。
「1日たった30分しか出社できないこのパート部長の仕事ぶりはまさに芸術的ともいえるもので、周りの社員達はその状態について何も不平不満を言うことができない程、見事なものだった」とその社長は語っていた。
元々、このパートさんは周囲から「生意気である」と敬遠されていたところ、社長は本人の”強み”に着目し、重要なポストを任せられるようになった。
部長といえば、経営者と共に組織の重要な意思決定に参加する役柄である。着目点の違いによっては、クビにされていた恐れもあったパートさんが、仕事のできる部長になり得た、というこの話。いかに”強み”に焦点を合わせるべきかを教訓として教えてくれる。
不況の今だからこそ、我々に改めて問われているのは、「いかに今手持ちの資源から最大限の効果を生み出すのか?」という課題だ。
一見ネガティブに思えるものも、それが持つ”強み”に集中して真っさらな気持ちで見つめ直すことで、思いがけない機会(Opportunities)が見えてくるのかもしれない。
Today's Question.
Q:できないことより、できることを口にしていますか?
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1月16日”マネジメントは成果をもたらすことに責任を持つ。”
明日もお楽しみに。
2010年1月13日水曜日
”マネジメントとは一般教養である。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”も「新しい現実」からの抜粋。
この内容でドラッカー教授は、組織の活動を効果的にしたり、よりよい成果を出すためには”マネジメント”を我々の一般教養として認識することが大切であることを説明している。
マネジメントについて理解を深めるには、彼の著作「マネジメント」を覗いてみると、その冒頭部では”マネジメントの三つの役割”が以下の通り挙げられている。
①自らの組織に特有の使命を果たす。
②仕事を通じて働く人たちを生かす。
③社会の問題について貢献する。
(「マネジメント(エッセンシャル版)」P.9 ダイヤモンド社)
このように、マネジメントの役割は仕事の能率を向上させる目的だけに限定されているわけではない。
ドラッカー教授は、本日のページで、マネジメントは社会との関連性に基づいた、人にかかわるものであるからこそ、人間性と社会科学、心理学と哲学、経済学と歴史、自然科学と倫理といった幅広い分野において知識と洞察を身につけなければならない、と説明している。
組織にとっての”一般教養(Liberal Arts)”という捉え方をするならば、マネジメントの役割や意思決定プロセスについては組織のすべての人がある程度理解している必要がある。
なぜなら、すべての人が昇進と共に”人にかかわる仕事”の割合が増してくるからだ。ごく一般的に、経営者や幹部の意思決定プロセスは隠されてしまう傾向があると認識している。
その理由が何であるかは別として、こうした運営では部下にとってマネジメントの意味を理解する機会が極端に少なく、いざ権限委譲することができる段階になって、本人に全く基礎知識が無いゼロの状態からスタートしなければならない。
また、一部の上層部だけがマネジメントを理解し、下に具体的な指示を出しても、その指示が意味するところである目的がその他の者には全く理解できず、”考えることとやること”に矛盾が生じてしまいがちだ。
1日たった3分間で良いので、組織の全員に対してマネジメントの理解を深める教育に時間を割く事を個人的にお薦めしたい。
当社では朝礼時に「ドラッカー 365の金言」を朗読し、私が内容について簡単な説明をする手法をとっているが、これはどの様な方法でも構わない。最初は難しいと思っても、ドラッカー・マネジメントを少し背伸びした方法でみんなで学ぶのが良いと思う。
当初は「なぜ我々が経営の仕事を理解しなければならないんだ。」といった反対も多いかも知れないが、1年間続けるだけで皆どことなくその意味を感じ取り、真剣に耳を傾けるようになるのにあなた自身、驚くことになるのではないだろうか。
※組織へのドラッカーマネジメント教育の導入について、随時質問に応じます。
Today's Question.
Q:固定概念に囚われ、学びの幅を狭めてしまっていませんか?
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1月15日”重要なことはできない事ではなくて、できることである。”
明日のページに対する説明は本日の内容と重複するため、明日はお休みさせていただきます。明後日は「強み」について。お楽しみに。
2010年1月12日火曜日
”意思決定の前提とすべきものが「すでに起こった未来」である。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「新しい現実」からの抜粋。
理論を傾倒するのではなく、”すでに起こった未来”を前提とした実践を重んじることが何よりも大切であることを伝えている。
我々はどうしても”カタチあるもの”を過度に信頼してしまいがちだ。ぼんやりとした捕らえ所のない情報を、誰かが”カタチあるもの(理論やデータ)”に体系化すると、絶大な安心感を抱き、それらに依存してしまう。
しかし、「理論が実践に先行することはない。理論の役割は、すでに有効性を確認された実態を体系化することにある。」と本日のページでドラッカー教授が言うように、すでに起こった一連の事実が理論を形成する。
つまり、今目の前で起きていることが理論として体系化された頃には既に陳腐化している可能性が高いということだ。
今、目の前で起きている変化の”かけら(兆候)”、すなわち”すでに起こった未来”が光だとすると、理論が音のように追いかけてくる。しかし、必ず全ての事象について理論が体系化されるかどうかは、事象が発生している際には分からない事が多い。
ドラッカー教授の本が一部の人に胡散臭い、具体性に欠けると揶揄される理由のひとつに「理論や数字、グラフを提示しない」というのがある。
当ブログの読者ならきっとお気づきだろう。
もちろん、彼は読者の思考を枠組みで拘束しないよう、そうしたデータをあえて用いていない。読者が視覚的に依存する対象を可能な限り取り除くことで、読者の力に対して絶対的な信頼を寄せているのがドラッカー作品の特徴でもあり、重要な魅力の一つだ。
ドラッカーは私たちを信じている。
だからこそ、読んでいて自分でも気づかない内に涙がこぼれたり、ほっと安心したり、自分の内なるパワーがふつふつと沸いてきたりするのではないかと私は感じている。
「今起きていることをそのまま全身で受け止めてください。そしてあなたの力でその意味を考え抜き、自ら行動してください。」
今は亡きおじいちゃんの様に、常に近くで見守りながら、そうささやいているように感じるのは私だけだろうか?
さて、今日はどんな「すでに起こった未来」に出逢えるだろうか。
参考記事:
”情報は、事業の定義が前提としているものの有効性を知るために必要とされる。”
”もしそれが意味ある変化であるならばいかなる機会をもたらすか。”
Today's Question.
Q:”今”と、うまく付き合えていますか?
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1月13日”マネジメントとは一般教養である。”
明日もお楽しみに。
2010年1月10日日曜日
”自立した組織に変わるものは全体主義による独裁である。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメント」からの抜粋。
我々の組織が自立を失うと、たちまち全体主義(Wiki参照)による独裁が蔓延る。我々一人ひとりが明日の自由に向け、責任ある選択を続けることの重要性について触れられている。
重要な箇所なので、引用しておこう。
組織が自立性を失うならば、個人はありえず、自己実現を可能とする社会もありえない。自立性を許さない全体主義が押しつけられる。自由どころか民主主義も不可能となり、スターリン主義だけとなる。自立した組織に代わるものは、全体主義による独裁である。
”自立によって勝ち取る自由と尊厳”という考え方はドラッカー・マネジメントの根底に脈々と流れる基本概念だと思う。
しかし、残念なことに”自立した組織の育成”は、実際のところはそう簡単ではない。なぜなら、昨年12月26日のページで触れた通り、”自由と安全が両立しないならば大衆は安全を選ぶ。”からだ。
つまり、”自立”を前提とした”自由”を選ぶぐらいなら、”依存”することで短期的な”身の安全”を選んでしまい、結果的には自由を放棄してしまうのが大衆の心理であるからだ。
我々はその心の隙を突いてくる一部の強力な勢力から自らの自由を守らなければならない。
12月26日の記事のように、”命の安全”が選択肢というのは極論になってしまい、命のためには自由の放棄も当然と思うかもしれない。しかし、実は”自由の放棄”は非常に日常的な場面に存在する。
即答できないような場面には、自らの思考をスローダウンまたは停止してまで何らかの依存対象を探し、その責任において判断してしまう傾向がある。
例えば職場においては、
・自己評価しなさいと言われ…
→過大評価または過小評価してしまう。
→拒否してしまう。
・目標設定をしなさいと言われ…
→小さすぎるまたは大きすぎる目標にしてしまう。
→他人の目標と較べてしまう。
・同僚の問題行動を目にして…
→直接は注意せず、他の人間に報告(または放置)してしまう。
→あの人が許されるなら、と自分も真似してしまう。
・注意されて…
→「あの人だって…」と言ってしまう。
→「ルールが無いから悪い」と言ってしまう。
・立候補で昇進が決まると言われ…
→「そんな事は上部が決めないのはおかしい」と言ってしまう。
→本来自分が適任だと分かっていても、他の人を推薦してしまう。
プライベートでも様々なシーンでこのような自由の放棄が行われている。
我々は自由(自らの選択)を放棄することによって、自分ではない他の「何者か」に人生を預けてしまいがちなのだ。これではドラッカー教授やキェルケゴールが言った通り、その人の存在自身が危機にさらされることになる。
このような理由から、私は仕事を通じて、”自ら考え抜いて、自ら責任持って選択できる人(自由な人)”を一人でも多くしたいと考えている。
そのためには意思決定の場数を踏むしかない。
権限委譲したり、意識的に選択肢を増やしたり、それらを選択した際に予想されるメリット&デメリットを明確に提示することで、”選ぶ力=自由になる力”が必ずついてくると感じている。
一人のスタッフが自分で選べるようになってくると、彼(または彼女)の目つきは変わり、周囲(勿論、私も含め)に大きな影響を及ぼすようになってくる。この光景を目の当たりできることこそ、組織を運営する者の醍醐味といえる。
人に判断を委ねることなく、自らの人生を自らの責任において謳歌し、真の意味で”存在”し続けよう。
Today's Question.
Q:あなたの良心の下に選択できていますか?
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1月13日”意思決定の前提とすべきものが「すでに起こった未来」である。”
明日(1/12)は本日の説明と重複するため、お休みさせて頂きます。明後日をお楽しみに。
2010年1月9日土曜日
”トップマネジメント以外はすべてアウトソーシングできる。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ネクスト・ソサイエティ」からの抜粋で、トップマネジメントが集中すべき仕事について。
”トップマネジメント以外はすべてアウトソーシングできる。”というタイトルになっているが、アウトソーシングの推奨についての説明ではなく、根底にあるメッセージは、「使命や価値観の確立と主要資源の保全に集中せよ」というものだ。
2002年に出版された本書「ネクスト・ソサイエティ」によると、トップマネジメント(最高経営者層)の責務は、下記の通りである。
方向、戦略、価値、原則、構造、内部関係、外部提携、パートナーシップ、合弁、研究、開発、設計、イノベーション、人と金のマネジメント、政府・世論・マスコミ・労組との関わり
トップマネジメントは上記全てを調整しつつ、組織の3つの側面(①経済機関、②人的機関、③社会機関)をバランスさせることにより、組織を一人の人として社会に存続させることが可能となる。
このページで説明されているとおり、これまで富と雇用の創出が主な目的だったのに対し、ネクスト・ソサイエティ(次なる時代)における組織では、社会機関としての役割がより重要視されてくる。
よって、「組織に魂を吹き込む」のが我々の仕事となってくる。
トップマネジメントにとって、未熟な組織を”一人の自立した社会人”に育て、社会に送り出すのが主たる仕事となってくるのだと思う。
組織運営に必要となる、他のいずれの仕事もアウトソーシングできるが、この”魂を吹き込む”仕事、すなわち使命や価値観、ビジョンの確立についてはトップマネジメントの専管とすべき仕事である。
当ブログの読者には、トップマネジメント以外の方も多いと思う。本日の内容を読んで、いかなる感情が生まれただろうか?
もし、あなたが”アウトソースされるべき他の仕事”ではなく、”組織に魂を吹き込む”トップマネジメントの仕事に少しでも興味を持ったのであれば、それがどんなに小さな組織でも構わない、今すぐその道を踏み出して欲しい。
社会には一人でも多くの”自立した人(組織)”が必要とされているのだ。
良き組織を育成する情熱さえあれば、スキルは必ず後からついてくる。
Today's Question.
Q:誰にもアウトソーシングできないような仕事をしていますか?
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1月10日”自立した組織に変わるものは全体主義による独裁である。”
自由の尊厳のためにも、成果を上げるマネジメントが必要です。明日もお楽しみに。
2010年1月8日金曜日
”知識労働者には自律性と責任がともなう。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「明日を支配するもの」からの抜粋。
知識労働に不可欠な”自律(autonomy)”と”説明責任(accountability)”について説明されている。
昨日の説明の通り、知識労働においては、労働者が”知識”という資産を保有している。組織はそれらの知識を必要とし、労働者もまたそうした知識を発揮できる組織を必要とする。
労働者が保有する資産である”知識”は、意識的に可視化(見える化)しなければ、周囲から把握することが非常に難しい”ブラックボックス”の様な存在と言える。
知識労働者は、組織において知識を発揮させることで報酬を得ているため、そうした”ブラックボックス”を自ら開示し、「自分が今持っているリソース(知識)はこんな感じだけど、他に何がいつ頃までに必要ですか?」と言えなければならない。
また自分だけでなく、周囲の強みにも焦点を合わせ、「この課題にはあなたの力が必要だ。もう少しこれについて知識を得て欲しい。」と言える必要がある。
サッカーを例に見ると、日本代表は異なるチームから選抜されている。同じサッカー選手といえどもそれぞれの専門は異なる。またたとえ同じポジションといえども、それぞれの強みは異なる。
「彼には○○を期待していたのに、実際はできなかった。」といった認識のズレや盲点を埋めるよう、スポーツの世界では強化合宿をする。プレースタイルや技術だけでなく、物事の判断基準や考え方の把握、あらゆる意識の統一を図る。
しかし、何回”強化合宿”を開催したとしても、組織と本人の両方が”自律”と”説明責任”が義務であることを理解していなければ、”本人の存在価値”は組織から欠落し、本人も組織も本来の強みを発揮できなくなってしまう。
試合中のサッカー選手の動きも思い起こして欲しい。(敵味方は関係なく)一人の動きの変化に合わせて、半ば自動的に他の全ての選手の動きが決定される。お互いの動きが見えるからこそ、常に選手一人ひとりが相互の動きを影響し合っているのだ。
自ら感じ、考え、行動し、伝えよう。
Today's Questions.
Q:自分の状況をもっとも詳しく知っているのは誰ですか?それはなぜですか?
Q:組織全体にあなたが考えていることの多くが伝わっていますか?
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1月9日”トップマネジメント以外はすべてアウトソーシングできる。”
明日もお楽しみに。
2010年1月7日木曜日
”資産の保全こそマネジメントの責務である。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、昨日と同じく「明日を支配するもの」からの抜粋。
”資産の保全”はマネジメントの責務だが、本日のページで説明されている”資産”はモノまたはカネなどではなく、組織にとって最も重要な資産といえる「ヒト」しかも”知識労働者”についての内容となっている。
ドラッカー教授は、「人は資産であり、コストではない。」と説いた。
機械等の設備を生産手段とする”肉体労働”に較べ、”知識労働”の生産手段は知識であり、彼等”知識労働者”の頭の中にあり、その許容量はある意味で”無限”といえる。
組織はこれら知識労働者が所有する生産財、”知識”の上に成り立っている。資産の保全や再配分あるいは増強を責務とするマネジメント(特にトップマネジメント)は、いかにしてそうした資産を持つ知識労働者を惹きつけ留まってもらうのかを真剣に検討しなければならない。
Today's Questions.
Q:優れた知識労働者にとって魅力的な環境とは?
Q:今、働いている方々にとって、報酬以外に価値あるものは?
Q:これから働きたい方が報酬以外に組織に望むことは?
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1月8日”知識労働者には自律性と責任がともなう。”
自己管理能力が知識労働者の生産性を高めます。明日もお楽しみに。
2010年1月6日水曜日
”まだ行っていなかったとして 今これを始めるかを問わなければならない。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「明日を支配するもの」からの抜粋で、体系的廃棄を実施する際に便利な問い「まだ行っていなかったとして、今これを始めるか?」について説明されている。
大変有名な問いなので、念のため原著の引用もしておこう。
"If we did not do this already, would we, knowing what we know, go into now?"
(P.F. Drucker, "Management Challenges for the 21st Century
")
まだ行っていなかったとして、かつ今知っていることを全て知っていたとして、今これを始めるか?(「明日を支配するもの ー 21世紀のマネジメント革命」、上田惇生訳)
本日のページでは、直ちに活動を停止すべき3つについても触れている。
①製品、サービス、プロセス、市場の寿命があと数年の場合
②製品、サービス、プロセス、市場が”償却済み(コストがかからない)”であるから続けている場合
③製品、サービス、プロセス、市場が、未来のそれらの邪魔になる場合
そして本日のACTION POINTには、これらの問いを通じて最初の問い、「まだ行っていなかったとして、今これを始めるか?」への答えがノーであれば、いかに愛着があろうとも廃棄の決断をするよう記してある。
実際、当社の製品などにこの問いを照らし合わせると、かなり多くの製品に「ノー」が出てしまうのが現状だ。
これらの問題を薄々は感じてはいるものの、「必要最低限の売上を確保するために……。」といいつつ、こうした衰退期を迎えている市場にダラダラと貴重なリソースを割いてしまっている様に思う。
当社の場合、事業の体系的廃棄は、社員の側から提案される事が多い。実際、最も不毛な戦いを強いられているのは現場であり、彼等自身、何とかしてそこから脱出し、将来のための仕事を少しでも増やしたいと感じているようだ。
私個人、今年の抱負は「見極める」としたが、事業の選択と集中のためにも上記の問いを用いて”見極めて”いくことが今年の命題であると感じている。
Today's Question.
Q:まだ行っていなかったとして、今これを始めますか?
Q:優秀な人が上記3つの様な事業を任されていませんか?
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1月7日”資産の保全こそマネジメントの責務である。”
明日もお楽しみに。
2010年1月5日火曜日
”死臭を防ぐことほど手間のかかる無意味なことはない。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、体系的廃棄について。
「経営者の条件」、「乱気流時代の経営」、「未来への決断」、「明日を支配するもの」からの抜粋ということからも分かる通り、”体系的廃棄”という作業はドラッカー・マネジメントにおける真骨頂の一つともいえるだろう。
このページでドラッカー教授は、人の強みを”第一級の資源”とし、優秀な者を優先して”昨日の活動”から引き揚げ、”明日の機会”に充てなければならないことを示唆している。
時間という資源(リソース)はみな同じ。24時間/人しかない。
しかし、知識労働は肉体労働に較べ、仕事量が見えにくく、あっという間に一日の時間は何かの”後処理的作業”で奪われて行ってしまう。過去に対する処理作業で埋まってしまうのだ。
これでは時間の収支が全くの”赤字”となる。
時間の黒字化を目指すため、すなわち”明日をつくる時間”を捻出するためにも、ドラッカー教授は「優秀な者を明日の機会に充てなさい。」と説くのだ。明日の機会とは新たな顧客を創造する活動(マーケティング&イノベーション)を指す。
そして、そのためには”昨日の廃棄”を体系的に行う必要がある。
定期的に事業を見直し、資源が浪費されている活動や顧客を棄てることで、組織内に時間的余裕を生むのだ。
ある意味、”やめる”という決断は、”やる”以上に勇気が要るものだが、組織の維持発展の為にも、浪費されている優秀な人の為にも、トップが率先し勇気を持って下すべき決断ではないかと思う。
本書「ドラッカー 365の金言」と原著「The Daily Drucker
」両方のカバーに砂時計が描かれていることからも、「汝の時間を知れ」というドラッカー教授の強いメッセージが伝わってくる。
Today's Questions.
Q:今日、メールの確認に何分費やしますか?
Q:その内、何通のメールがあなたの組織の”明日をつくる”メールでしょうか?
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1月6日”まだ行っていなかったとして 今これを始めるかを問わなければならない。”
体系的廃棄の際に使われる判断基準のお話です。明日もお楽しみに。
2010年1月4日月曜日
”あらゆる組織が活動の評価尺度を必要とする。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「断絶の時代」からの抜粋で、活動に評価尺度を持つ重要性について。
営利・非営利に関わらず、あらゆる組織は何らかの目的すなわち”使命”を持っている。組織を取り囲む環境は刻一刻と変化するため、活動自体がそれと同時に陳腐化し、瞬く間に環境にそぐわないものになってしまう。
この”組織の惰性”を防ぐには、自らの組織がどの程度の成果を上げているのかを常に明確にする必要があり、そうした”組織の健康チェック”のためにも、まずは活動を評価するための”ものさし(評価基準)”が必要なのだ。
このページにもあるとおり、「収益性」というものさしは一つの客観的評価基準と言える。企業の場合、「主たる顧客に選ばれているか?」という答えが収益性に”比較的”ダイレクトに現れるため、評価しやすい。個々の活動を収益性という視点で見える化することで、著しく非生産的な活動を体系的に廃棄することも可能だ。
しかし、非営利活動の評価については少し注意が必要だ。なぜなら非営利組織の収益基盤は、一般的な企業のそれとは大きく異なる。一般企業は通常、直接的なお客様、すなわち”主たる顧客”から収益を得る一方で、多くの非営利組織は、スポンサーや市民等からの募金等、”パートナーとしての顧客”からの支援が収益基盤である場合が多い。
よって、収益性やどの程度の予算で活動しているのかというものさしだけでは、その非営利活動の成果をダイレクトに評価するには至らない可能性が高い。
つまり、非営利活動においては、製品やサービスを直接提供する相手となる”主たる顧客”が減少した際、その影響が収益性や予算に現れるまでの”時差”が致命的に長くなってしまうのだ。収益性の悪化を確認した時には”時すでに遅し”ということもあり得る。
もちろん、企業においても同様の事が言える。収益性という評価尺度だけでは十分とは言えず、使命の達成に向け、いかなる評価尺度を設ける必要があるのか、逆に言えば、「いかなる評価尺度があれば、使命の達成レベルが確認できるのか」を問う必要がある。
そうなってくると、組織の使命を再び考え直す必要が出てくるのではないだろうか?あわせて、顧客を誰に定めていくのか?という問いも浮上してくるかもしれない。
ドラッカー教授は、非営利活動が自らの活動を顧みるために、これらの問いを「ドラッカー5つの質問」としてまとめた。
①われわれのミッション(使命)は何か?
②われわれの顧客は誰か?
③顧客にとっての価値は何か?
④われわれにとっての成果は何か?
⑤われわれの計画は何か?
本日のキーワード、”評価尺度”を定めるにあたり、まずはこの「5つの質問」に対する答えを探す旅に(できれば同じ組織の方と共に)出る必要がある。誤った評価尺度を定めてしまうと、経営資源をあっという間に浪費してしまうからだ。
私も本年最初の読書として、この「経営者に贈る 5つの質問」を読み直し、今後の組織の方向性を再検討したいと思う。
Today's Question.
Q:使命と評価尺度がリンクしていますか?
Q:あなたの顧客が価値を感じる瞬間はどこにあり、それをどの様にすれば見える化できますか?
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1月5日”死臭を防ぐことほど手間のかかる無意味なことはない。”
体系的な廃棄のお話です。明日もお楽しみに。
2010年1月3日日曜日
”二葉の草を育てる者こそ人類の福祉に貢献する者である。”(P.F.ドラッカー)
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「現代の経営[上]
」の第1章、冒頭部からの抜粋。成果を上げるマネジメントこそが、自由な社会を創造する、といった内容だ。
このページに現れるジョナサン・スイフト(Jonathan Swift、1667 - 1745)という人物は、かの有名な「ガリヴァー(ガリバー)旅行記」の著者として知られる諷刺作家。我々にとって、「ガリヴァー旅行記」は子供向けの物語という認識しかないが、実は当時の不条理な社会に対して警鐘を鳴らすために描かれた風刺文学(当時、匿名にて出版)であったそうだ。
Wikipediaでは、このガリヴァー旅行記を「全歴史を通じた偉大かつ不朽の風刺文学の一つとして、これまでに書かれた最高の政治学入門書の一つとして、確固として成立している。法における判例上の対立、数理哲学、不死の追求、男性性、動物を含めた弱者の権利等、今日の数多くの議論が、本作には予見されていた。」と説明されている。
まさか「現代の経営」の冒頭部が”ガリヴァー”に繋がるとは思わなかったが、今でも挿絵が目に浮かぶほど好きだった”ガリヴァー旅行記”を、今一度読んでみたくなった。
さて、話を戻そう。
ジョナサン・スイフトの言葉は、膨大な知識で頭でっかちになりがちな我々にとって重くのしかかる。
Whoever makes two blades of grass grow where only one grew before deserves better of mankind than any speculative philosopher or metaphysical system builder.(Jonathan Swift)
推論的な哲学者や難解な体系家に較べ、たった一つの葉しか育たなかった場所で二つの葉を芽生えさせられる者こそ、真の意味において人類に貢献する者である。(同上、中村克海訳)
ドラッカー教授は、”マネジメント”を”資源を生産的なものにすることを託された機関”としている通り、組織のマネジメントをより深く学んでいくことで、それまでは当社の経営資源(リソース:ヒト・モノ・カネ・情報等)を見て「これだけしかないのか…」と社員共々ため息をついていたのが、今では「これだけあれば、なんとかなりそうだね。」という雰囲気になってくる。
全員でマネジメントを学ぶことによって得られる組織全体の精神的安定感の根底には、必ず信頼と絆が生まれる。
組織がそれまでのバラバラの状態ではなく、少しずつ一体感を増し、まるで一つの大家族でいるような不思議な安心感と使命感が芽生えてくるのだ。そしてこの不思議な感覚を他の組織や今まで知り合えなかった方々と共に味わいたくなってくる。
マネジメントは、愛を昇華させるのだ。
Today's Question.
Q:今年、どの様にして組織のマネジメントを強化しますか?
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1月4日”あらゆる組織が活動の評価尺度を必要とする。”
明日もお楽しみに。
2010年1月1日金曜日
”組織の精神はトップから生まれる。”(P.F.ドラッカー)
新年明けましておめでとうございます。
本年も当ブログ「Drucker365」をよろしくお願い申し上げます。
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメント
」からの抜粋で、リーダーの真摯さ(Integrity)について。
人事において、”その人の強みに焦点を合わせなければならない”とするドラッカー教授も、”真摯さの欠如”については唯一の弱みとして、「真摯さに欠ける人間を上司にしてはならない」と言う。(2009/9/20 参照)本日の内容は、もちろんトップの人事においてもそれが当てはまる、という説明だ。
何も複雑なことではない。「『真摯さの欠如』を許さない」という方針からトップだけを除外して適用してはならない。トップを含めた全員を組織の下に置かなければならないのだ。
組織の精神はトップから生まれるからである。組織が偉大たりうるのは、トップが偉大だからである。組織が腐るのはトップが腐るからである。「木は梢から枯れる」との言葉どおりである。(「マネジメント」より)
注:梢(こずえ)は木の幹の先端、木のてっぺんを指す。
実は松下幸之助も、これにとても似た事を説いていた。
絶対に必要なのは熱意や。まず経営者であれば、社員が百人いて皆が熱心だとしても、社長は熱意にかけては最高やないといかん。
(中略)
したがって自分は、知識は最近、だんだんとなくなってきたけれども、この松下電器を経営していこうという熱意だけは、何万という人がいても、いちばん最高のものをもっていないといかんと考えています。もしこれに欠けたら、自分はもう松下電器を辞めないといかん。熱意のない者が最高の地位にいたらあかん、ということを思っています。
(松下幸之助述、PHP総合研究所編「社長になる人に知っておいてほしいこと
」1978年、サロン・ド・関西講演会の質疑より)
組織が社会における”ひとりの人”であると考えれば、その人が社会に向けて放つオーラが輝いてこそ、周囲のあらゆる人を魅了し”強み”を結集することができるのだと思う。
今年も気持ちを新たに、初心で新たな挑戦に挑んでいきたいと思う。
Today's Question.
Q:組織でもっとも真摯なのは、あなたですか?
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1月3日”二葉の草を育てる者こそ人類の福祉に貢献する者である。”
明日はお休みです。明後日のDrucker365は、”マネジメント”が社会を変える、といった内容です。お楽しみに。
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