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2009年12月30日水曜日

”欠けているものは何かを考えなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、新たな顧客創造のため、イノベーターが行う仕事についての説明。

我々はイノベーションによって、現在提供されている(または提供している)製品やサービスにおいて、”欠けている点”や”成果が思わしくない点”に焦点を合わせ、一見関連性のないものを組み合わせることでそこを補う。

ドラッカー教授は、「イノベーションと企業家精神」の中で、このイノベーションを起こすための着眼点として「イノベーション 7つの機会」を挙げている。

①予期せざること(成功、失敗、出来事)
②ギャップ(業績、認識、価値観、プロセス)
③ニーズ(プロセス、労働力、知識)
④産業構造の変化
⑤人口構造の変化
⑥認識の変化
⑦新しい知識(発明など)

各項目の詳細については「イノベーションと企業家精神」で確認していただくとして、これらの着眼点を元に現在の製品やサービスが”かくあるべき姿”からいかに乖離しているのかを、まずは知覚することからイノベーションはスタートする。

”現状と理想のギャップ”を知覚することは殆どの人が日常生活の中で自然に行っている。問題はそこから先。

”本当に理想の状態はどのような状態を指すのか?”
”具体的に、どの様な方法でその状態を実現するのか?”
”何を組み合わせれば、より少ないリソースで最大限に結果を出せるのか?”

…といった問いに対する答えを見いだす必要がある。

個人的に、このプロセスに必要不可欠だと思うのは、以下の3つの要素である。

①より良い明日を心から願う”未来力”
②人に喜びに貢献したいという”他喜力”
③全ての体験に優劣をつけず、学びを次に活かす”流用力”

一見何もない空き地で友達と遊ぶ子供が新しい遊びを考える時のような、純粋かつ自由な発想が新たなイノベーションを生み出すための重要な鍵を握っていると思うのだ。


Today's Question.
Q:大好きだけどあまり流行っていないあのお店、繁盛させるためにあなたが無償でできることは何ですか?

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1月1日”組織の精神はトップから生まれる。”
明日、大晦日はお休みさせていただきます。8月のスタートから約120日間、当ブログをご愛読いただいたみなさまには心より感謝いたします。来年またここでお会いしましょう。それでは、チェンジリーダーのみなさま、よいお年を!(^_^)

2009年12月29日火曜日

”「同族企業」にとってのキーワードは「同族」ではない。「企業」である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、昨日に引き続き「同族企業」について。国内全企業の9割以上を占める一族によって運営される同族企業が守るべき4つの原則(以下参照)。上手に運営するためには”家族”ではなく、”ビジネス”として再認識することにある、としている。

①一族の人間は、それ以外の者と比べ、少なくとも同等の能力と勤勉さが必要である
②経営チーム(役員や経営幹部)のポストの一つは必ず一族以外の人を就かせる
③重要な地位を一族以外の人に任せるのを躊躇しない
④会社承継について、外部の仲裁者を”一族以外”かつ”現業の取引関係以外”で持つ

上記の内、①と③については当然との認識が浸透していると思うが、個人的に特に重要だと感じるのが②と④だ。

②については、中長期的に考えても適任者を探したり育成すると良いと思う。たった一人でも一族以外の人間がいることで、役員会の場が単なる家族会議にならなくて済むはずだ。これがすぐに実現できなくとも、まずは自分が”仕事の上では一族との間に一線を引いて”プロとしての意思決定に徹することで、ある程度は対応可能かと思う。

一族で行う役員会についても、ドラッカー教授が言うとおり「私は」ではなく「我々は」の言動を貫こう。

④については特に深刻な問題だと考えている。私の周囲を見ると、多くの中小企業のトップ(65~75歳位)はまだ健在であったり、継承者不在のためか、承継プロセスを開始するきっかけが掴めていない。

当社含め、私の周辺で比較的早い段階でスムーズに承継できている企業は、兄弟が協力して承継している場合ぐらいではないだろうか。

残念なことに、トップ(勿論多くの場合は父親)は口では「後継者が育たない」と嘆きながら、実は「死ぬまで現役」と決心しているのではないかとまで感じる様な言動も目立つ。

こうした組織では現状のまま時間だけがずるずると過ぎており、トップの個人的趣味や夢を実現する場になってしまっていたりする。

仮に後継者(多くの場合、息子や婿)がいたとしても、組織内でいつまでも重要な権限と責任を与えられないため、仕事を通じて成長できない自分自身の将来に大きな不安を抱えており、モチベーションも極めて低い。

さらに、しばらくすると現業とは殆ど関係のない、地域の団体等から非営利活動への参加依頼の声がかかる。30〜40代の最も貴重な時間の大部分を、比較的”責任の薄い”現業以外の組織に投じてしまうのだ。

この状態が長引くと、「能力がある自分が会社を継げない原因は、自分ではなく、自分をとりまく環境にある」という認識が強まってしまい、経営者として極めて重要な”自ら全責任を負う習慣”の体得がますます難しくなってくる。

これはあまりにももったいないと思う。実際、事業承継には様々な専門知識が必要となるため、後継者本人だけで進めるのは困難だろう。各当事者の複雑な感情や資産管理も含めて総合的に判断できる、誠実かつ中立的なコンサルタントに出会うと安心だ。(希望があれば、紹介可能です。)

さて、事業承継の話で終始してしまった感があるが、要するに同族だからといって、他の組織と較べて特別なことなどあまり無い。難しいことではあるが、個人的な感情はさておき”組織として、なされるべき事は何か?”が役員会で議論されるまでは、いつまでも社内の失笑や憤りを招くばかりの組織になってしまうだろう。


Today's Question.
Q:トップが後継者や社員を信頼していますか?
Q:役員会の開始時間が守られていますか?

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12月30日”欠けているものは何かを考えなければならない。”
今年も残すところあと2日となりました。明日はイノベーターの仕事について。お楽しみに。

2009年12月28日月曜日

”世界中においてほとんどの企業が同族企業である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「未来への決断」からの抜粋で、同族企業についての説明。明日のページで紹介されている”同族企業が守るべき重要な留意事項”に繋がる内容となっている。

ドラッカー教授は「マネジメントに関わる文献や講座の多くがプロの経営者が経営する企業に向けたもので、同族企業に関わるものが殆ど無い」としている。

本来、我が国の税法上の定義として、同族企業は「上位3人の株主が保有する株の合計が全体の50%を上回っている企業」となっており、必ずしも一族で経営している企業を指す言葉ではないようだ。

この定義によると、全体の約99%は”同族企業”と言うことができるが、その中でも親族一族による経営を行っている企業は9割を上回ると言われている。

日本は数百年以上続く長寿企業の数が、世界で類を見ないほど多い国で「老舗大国」として有名だが、そうした老舗企業の殆ども一族によって代々受け継がれており、大企業も含め、国内の全企業でおよそ9割の企業は一族によって運営されているのだ。

マスコミによるネガティブな印象だけが強い同族経営だが、個人的には同族でない企業には真似できない様々な強みを持っていると感じている。ただ、多くの同族企業はそうした”強み”を自ら実感しておらず、一族特有の”甘え”に依存して運営してしまうため、社内に失笑されるような経営になってしまう。

役員会において一族だからこそ生じる”軸のブレ”がプロフェッショナルな意思決定を歪めてしまうのだ。これは非常に残念なことで、我々はそうした状況においても、「組織のために何がなされるべきか?」という点に集中しなければならない。

社員が安心して仕事に取り組めるような環境を作るため、同族企業の経営者は何を心得るべきか?明日のページで紹介されている4つの原則を参考にしよう。


Today's Question.
Q:一族の活動が社員を失笑させていませんか?

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12月29日”「同族企業」にとってのキーワードは「同族」ではない。「企業」である。”
同族企業が守るべき4つの原則について説明されています。明日もお楽しみに。

2009年12月26日土曜日

”自由と安全が両立しないならば大衆は安全を選ぶ。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、我々が”自由”と”安全”の両立が期待できない場合、”自由”を放棄し、”安全”を選択してしまうことについて触れられている。

このページはドラッカー教授が若干29歳で発表した処女作「経済人の終わり(1939年)」からの抜粋であり、ナチス・ドイツ勃興によるファシズム全体主義が台頭する最中で出版された。

ちなみに、全体主義に馴染みのない方もいらっしゃると思う。下記リンクから大筋の説明をお読みいただければ、現代にも通じる何かを感じることができるのではないだろうか。

「全体主義とは、民衆一人一人の自由、権利を無視しても国家の利益、全体の利益が優先される政治原理、およびその原理からなされる主張のことである。」(Wikipedia「全体主義」)

ナチス・ドイツによる全体主義勃興も、何もヒトラー1人が個人的によるものではなく、何らかの明確な意図に基づいてシナリオが作られた様だ。

ではヒトラーが現れる直前には何が起きたのか?そこにはニューヨークの株価暴落に端を発した世界恐慌(1929年)があった。中でもドイツ国内におけるダメージは甚大で、失業率は30%を上回っていたらしい。

各国、それぞれの方法で恐慌から抜け出す道を模索する中、ドイツやイタリア、日本は戦争に活路を見いだしてしまったのだ。(とはいっても、この3国だけの意図で戦争が勃発したとは信じ難いが。)

全くといって良いほど稼働しなくなっていた工場で働いていた膨大な数の失業者達は兵器の生産や兵士になることで職にありつける様になったのだ。

自らが選んだ政党が、後にこのような信じられない暴挙に出ようとは、当時の国民は誰も想像もしなかっただろう。しかし、これこそが極限的な状況の中で”安全”を優先し、”自由”を放棄してしまった結末なのだろう。

こうして書いていて、当時の状況が今とあらゆる面で酷似していることに気づき、ある意味非常に不安になった。ナチス・ドイツによる全体主義に較べるとよほどマイルドに感じられるが、それだけに我々が気づかぬ内にシナリオが進行しているようにも思える。

それでは今、我々にできることはなにか?

一人ひとりが、自らが本来自由な存在であることを再認識し、”責任ある選択”によってそれを守り抜くことができることを共有することが大切なのかもしれない。


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12月28日”世界中においてほとんどの企業が同族企業である。”
明後日もお楽しみに。

2009年12月25日金曜日

”信仰は人に死ぬ覚悟を与える。しかし、同時に生きる覚悟を与える。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「すでに起こった未来」からの抜粋で、信仰(または信念)によって得られる”死ぬ覚悟”と”生きる覚悟”についてのお話。

原著「The Daily Drucker」でのタイトルは「The Unfashionable Kierkegaard(流行らないキェルケゴール)」となっており、実存主義の先駆者として有名な哲学者、セーレン・キェルケゴール(1813〜1855、デンマーク)の死に対する思想について触れられている。

なぜ”Unfashionable(流行らない)”となっているのかは定かではないが、個人的には彼の思想が人の生き方に責任を持たせる視点であったことから、あまり積極的に受け入れられず、一種の皮肉としてこのようなタイトルにしたのではないかと考える。

実存主義が芽生えるまでの哲学や宗教は、「死は避けられない絶望であり、死後神に救われるためには今を良く生きなければならない」といった考え方であった。

実存主義は、「実存は本質に先立つ」といい、人はみな予め本質(目的)を定められた存在ではなく、”自由の刑に処された”孤独かつ自由な存在であることを受け入れる。避けられない死までの期間をいかに充実させるのかは「今、現にここに存在している私」にとって自由であると説く。

ドラッカー思想の根底に脈々と流れる、私が最も好きな思想「責任ある選択によって真の自由を得ることができる」という概念は、この実存主義にヒントを得たものなのだろう。厳しさの先に待つ無限の可能性を持った世界を一日も早く実現するため、与えられた機会に全身全霊で強みを発揮していきたいと思う。


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12月26日”自由と安全が両立しないならば大衆は安全を選ぶ。”
時に人は自由を自ら放棄してしまう、というお話です。明日もお楽しみに。

2009年12月24日木曜日

”人間の実存は、個と市民という2つの実存の緊張状態においてのみ可能である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、処女作「経済人の終わり(原著1939年、日本版1963年)」からの抜粋で、人の実存についてのお話。

原著では、「キェルケゴール(1813-1855)は、人の存在(実存)は、魂を持つ”個”と、社会における”市民”との狭間に生じる緊張状態によってのみ実現する。」といった説明から始まっている。

このページで話されているとおり、「人が樹木における一枚の葉であったり、社会という肉体の一つの細胞でしかない」と考えれば、人の死について理解することはできる。しかし、それを簡単に受け入れられるかと問われれば、そう単純ではない。

ここでドラッカー教授(執筆当時、なんと29歳!)は、信仰(Faith)によって人は存在する」としている。(個人的にはここで使われているFaithという言葉は”信仰”といった宗教的な概念よりも”信念”や”確信”に近い意味ではないかと思う。)

理性や理屈を超えて「不可能は可能になる」という確信や、「時間と永遠が一体となって生と死には意味がある」という確信によって初めて人は存在しているのだ、としているのだ。

こうして書いていて、小学校の頃に仲良くしていた女の子が、中学に進学してまもなく白血病で亡くなった時の事を鮮明に思い出した。

彼女は小学2年生の頃、イギリスから帰国して私がいたクラスに転入してきた。とても色白で目がブラウンだったため、英語しか喋ることができない彼女が本当に日本人なのか疑ってしまうほど、その姿はイギリス人そのものだった。

そんな彼女は転入後、クラスの全員が信じられないほどの努力を重ね、4年生の時点で国語を含む全ての成績がクラスのトップになっていた。ミニバスにも熱心で、あらゆる事に対して全身全霊で努力する姿はみんなのお手本だった。

英語も話せず、成績もスポーツもそこそこだった私に「Katsumiがクラスで一番好き。」と全員の前で言ってくれた彼女。「将来はスウェーデンの大学を出て、国連で働きたい。」という明確な目標を持っていた彼女がなぜ、病に苦しんだあげく、命を落としてしまったのかは未だに理解ができない。

しかし、彼女はたしかに今も存在している。何事にもひたむきだった彼女の生き様は、それに触れた者全員を通じて社会に受け継がれている。


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12月25日”信仰は人に死ぬ覚悟を与える。しかし、同時に生きる覚悟を与える。”

2009年12月23日水曜日

”救いたりうるものは万物への愛 すなわち精神的なものへの信仰である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、今からちょうど50年前に出版された「変貌する産業社会(1959年)」からの抜粋。精神的な価値への回帰について書かれている。

多くの人にとって物質的豊かさの実現が現実のものとなりつつ中で、再び精神的な価値への回帰が必要とされている事を告げている。

1959年という年は終戦から14年後、1973年のオイルショックまで続く長い高度経済成長期が始まりつつあった年である。

1956年には日本の経済白書で「もはや戦後ではない」といった表現が使われ、宇宙ロケットの発射やバービー人形発売など、爆発的に”物”に対しての価値感が高まっていたという背景がある。

また経済的な急成長の一方で、全体主義者等の支配的洗脳を通じて脅迫や暴力、紛争が絶えず繰り返され、一人ひとりの人権が損なわれていることも想像できる。ドラッカーはそうした中でこそ、「人間とは何か」を改めて問い直す必要性があるとしていた。

人間は単に生物学的・心理学的存在であるだけでなく、神の定めた目的を達成するための創造物であり、神の意志に従う精神的存在であることを再認識してはじめて、現状の中で人間として生き長らえることができるから、人間個人にとっても精神的なものの価値を重んずることが再び必要となってきている。そうすることによってはじめて、肉体的に人類の絶滅が差し迫ってきても個人の存在、目的、責任はその価値を失わないで済むことになる。(P.F.ドラッカー著、現代経営研究会訳「変貌する産業社会」ダイヤモンド社)


”神”という言葉が出てきて違和感を感じる方が多いと思うが、この後の説明では「宗教に帰れ」というメッセージはそう単純な話ではない、としている。

私の解釈では、ドラッカーがこの章を通じて最も伝えたかったことは、人類が「真の自由」を勝ち得るためには体や頭だけでなく、心を重んじる必要がある、といったメッセージだ。

”神の意志”を意識する多くの宗教のように、人として取り組むべき根源的なテーマと向き合うことで、はじめて我々は自らの力で歩み出すことができる。力や知識を誇示したり、なにかに流されたり、権利を主張したりするのではなく、”責任を受諾”することによってはじめてその人の尊厳が保たれ、真の自由や幸福を手にすることができるのだ。

さて、ドラッカーがこの本を書いたちょうど50年前の状態、今の社会とどれほどの違いがあるのだろうか。

以前、”歴史は高次のものとなって螺旋状に動く(12月3日参照)”というページがあったが、まさにその通りであると実感している。一見平和であるように見える今も、全体主義的支配力はより巧みに仕組まれ、今まで以上に「目に見えない力」となって一人ひとりの心さえも支配してしまっているようにも思える。

心の支配から逃れ、一人でも多くの人が「人はどこに向かうべきなのか?」という問いに対する自分なりの考えと自らの強みを持ち寄り、その実現に向けてみんなで切磋琢磨することで真の自由な社会、すなわち”責任ある選択”のできる社会を目指したいものだ。


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12月24日”人間の実存は、個と市民という2つの実存の緊張状態においてのみ可能である。”

2009年12月22日火曜日

”よいことを行うには よい業績をあげなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「「マネジメントー課題、責任、実践」」からの抜粋。タイトルは「社会的責任の限界(Limits of Social Responsibility)」についての説明で、組織が”よい行い”をするためには、”良い業績”をあげなければいけない、といった内容となっている。

実例としてこのページで紹介されているのは、1984年にインドのボパールで史上最悪の科学工場事故を引き起こしてしまった事で有名なアメリカの老舗企業、ユニオン・カーバイド社の工場(米ウェスト・バージニア)の話だ。

失業緩和のために設立した旧式の工場では利益が出ず、その後の環境対策への要求に対し、抵抗する結果になってしまった。

公式HPを見ると、この工場は1947年に、それまで第二次世界大戦(1939-1945)のはじめより政府に向けてブタジエン&スチレンゴムを供給するための工場を購入したとされており、購入した時点で既に時代遅れの工場であったことが窺える。

終戦直後なので、産業の少ないウェスト・バージニアには大量な失業者が発生していたことや、安い労働力が手に入ったであろうことは容易に想像できるが、組織外の環境は常に変化するわけなので、その時代に即した組織に変化させなければならない。

余談だが、実は当社の創業も1948年に戦争で障害を持つ人やご主人を失った方が働ける”授産所”としてのスタートしたが、その後の時代の変化によって純粋な株式会社として会社設立するに至った。

現業の発展より商工会議所やロータリー、ライオンズクラブ、青年会議所等々、様々な団体での活動を重んじて熱心に取り組む経営者がいるが、我々は現業そのものが社会貢献であることを忘れてはならない。

現業に危機が迫っているときに、その様な外部での貢献活動から離れられない場合、それは単なる「趣味」である。

身の丈にあったレベルで「よいこと」ができるよう、気をつけようと思う。


Today's Questions.
Q:経営状況に合わせて社会貢献活動の規模を変化させていますか?
Q:組織や経営者の貢献活動が内部でどのように評価されていますか?

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12月23日”救いたりうるものは万物への愛 すなわち精神的なものへの信仰である。”
社会の精神的回帰について。明日もお楽しみに。

2009年12月21日月曜日

”内部告発には二面性がある。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、内部告発のもつ二面性について説明。ドラッカー教授は、「不正なことを公にする権利は誰もが持っているし、法律違反等の”重罪”と言える程の不正については公にすべきである。しかし、それ以外の内部告発を奨励すると、信頼関係を傷つけることになる」といった見解を示している。

ちなみに、原著「The Daily Drucker」の本日のタイトルは、”The Whistle-blower”となっている。直訳すると「警笛を鳴らす人」という意味で、内部告発者や密告者を指す。

ドラッカー教授は、原著において”重罪”の定義を以下のように説明している。

”部下やその友達、子供、妻が黙っていられない程、著しく正当性を欠いたり、法を犯したりするような上司や組織の不正”

たしかに、最近のニュースではこれらに当てはまらない様な、比較的小さな問題についても当事者間で対処されることなく、公になっているように感じる。

多くの場合は上司や経営者が再三の訴えを放置してきた結果だろう。しかし事細かな点について個人が告発といった権利を行使することにより、組織の存続に影響が出てくるのであれば、慎重に判断しなければならない。

被害者本人や告発者の気を晴らすことはできるかも知れないが、組織に関わるその他の人の生活を危険にさらしたり、主たる顧客に多大な迷惑をかけてしまう可能性もあるのだ。

実際の所、我々はこうした状況を予防することしかできない。そのためには内部告発を奨励するのではなく、諸問題の対処を淡々と進められる”チームづくり”が重要だ。

万一、何らかの問題を知らされても、「え!本当か!?それは大変だ!」と個人的な好奇心に流され、事を荒立ててしまってはいけない。

その問題を組織全体の問題として扱い、「なるほど、ではどうしようか。みんなで検討しよう。」という雰囲気があれば、チームの成長機会として活用することができる。

日常的にこうした話し合いを継続することで、取り扱われる問題のレベルがより高度になり、以前では誰もがタブー視してきた事柄を比較的気軽に自己解決できるようになると感じている。


Today's Questions.
Q:興味本位で告発者の話を聞いていませんか?
Q:自らタブーを生み出していませんか?

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12月22日”よいことを行うには よい業績をあげなければならない。”
明日からクリスマスを意識したページが続きます。お楽しみに。

2009年12月20日日曜日

”社会的機関は最適化ではなく最大化を目指す。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「イノベーションと企業家精神」からの抜粋で、タイトルは「善への誘惑(The Temptation to Do Good)」となっており、最大化を目標にすることの危険性について触れられている。

このページで触れられているとおり、多くの公共サービスは費用対効果を無視してでも”使命の徹底”を道義的に死守しようとする。万が一、一人でもサービスを受けられない人が存在するのであれば、何倍ものリソース(資源)を投じて、それを実現しようとする。

しかし、我々が手にできるリソースはあくまでも有限。際限なく”完全”を追い求めれば、組織自体の存続が危機にさらされることになってしまう。

つまり、”完全なる目標”の達成が、目的達成の障害にもなり得ることを理解する必要があるのだ。

絶対的な目標達成のために貴重なリソースが不必要に浪費されていないか?我々はその兆候を敏感に察知し、未だ最適値に達しない場合には、新たな戦略によって臨機応変に対処しなければならない。

我々は最大化ではなく、最適化を目指すべきであり、そのためには、「いかなる成果を最適値と呼ぶのか」を明確にするべきだ。遠くとも達成可能な目標値(または状態)を設定し、「使命を達成した。」と皆で確認できる地点を定めておく必要がある。


Today's Questions.
Q:完全を追い求めるばかりに貴重なリソースを浪費していませんか?
Q:完全を追い求めるばかりに優秀な人材が流出していませんか?

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12月21日”内部告発には二面性がある。”
内部告発の奨励は組織の信頼を弱体化させます。明日もお楽しみに。

2009年12月19日土曜日

”提携は成功した後 深刻な問題を生じやすい。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「未来企業」からの抜粋で、提携成功の後に生じやすい問題について、5つの原則(以下参照)を守ることによって大抵は予防可能である、とされている。

提携の5つの原則:
①自らの目的と、提携の目的の両方を明確にする
②いかにして提携をマネジメントするのかを合意しておく
③誰が提携をマネジメントするのかを決めておく
④提携についての責任の所在を明確にしておく
⑤意見の不一致をいかに解決するかについて合意しておく

冷静に考えるとまったくお粗末とも言える話だが、たしかに提携前には真の目的について自らの組織も、相手の組織も明確になっていないことが多々あるように思う。結果、両組織が提携によって実現したいと思うビジョンが共有されない内に”結婚”してしまう。

提携当初はそれなりの成果を上げられるが、その後、「え、あなた方はそちらに行きたかったんですか? わたし達は行きたかったのはこちらだったのですが……」というベクトルの不一致が顕在化してくる。

また、提携している仕事が安定していたとしても、両組織の他の仕事の状況変化が提携関係に及ぼす影響は極めて大きい。全体の仕事の中で、その組織にとって”この提携”がどのように位置づけられているのか?

その温度差を常に感じるためには、TV電話やメールだけでなく、実際に経営幹部が行き来することが大切であると思う。提携先との定例の打ち合わせには交互に経営幹部が(できれば現場のリーダー等も連れて)相手組織を訪れるかたちが望ましいだろう。

そして、そこで感じた若干の違和感をタブーにせず、腹を割って話せる対等な信頼関係を築いていきたいものだ。


Today's Questions.
Q:相手側の組織は、提携を通じて将来どのようになりたいと感じているでしょうか?
Q:そのビジョンを相手に伝えていますか?
Q:両組織の現場リーダー層同士は仲が良いですか?

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12月20日”社会的機関は最適化ではなく最大化を目指す。”
”絶対”を目標にすべきではないというお話。明日もお楽しみに。

2009年12月18日金曜日

”事業において重要なことは法的な所有関係ではない。経済連鎖である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、所有ではなく、提携や合弁等、パートナーシップとしての海外進出の有効性について。海外進出においては、経済と政治を分離して考慮することの重要性について書かれている。

今後はますますグローバル化が進み、中小企業においても数カ国を股にかけて仕事するといったケースは当たり前になってくるものと思う。ドラッカー教授は、その拠点を全て独資に拘って構築しようと思っても難しいと説いている。

当社にも過去に苦い経験があるが、全く異なる政治や文化の中、純粋な経済活動以外に配慮しなければならない要素が無数に生まれ、その調整に必要となる時間や費用は当初の想定の何倍にもふくれあがってしまうことがある。

我々は海外進出を図る時、「なぜ独資で拠点を確保する必要があるのか?」と自ら問う必要があるだろう。

純粋に、事業戦略としての”なされるべき”海外進出だろうか?

企業買収の際と同様に、財務戦略として考えているのであれば、今一度パートナーシップによってその目的を実現する方法を再考すべきだと思う。海外進出にかかるコストは予測不能な場合が多いからだ。

以前、インドネシアのジャカルタにあるジェトロ(日本貿易振興機構)の事務所を訪れた際、こう言われた。

「もし万が一、この国で事業所を持つことを検討されるなら、まずは御社の経営幹部の誰かが最低でも2〜3年、ビジネスは何もせずこの土地に住んでから検討しないと、失敗する確率が高いでしょう。」

インドネシアはあまりに物事の考え方や商慣習が日本と異なるため、まずはそれに慣れる必要があるということだった。人員も多く、海外進出に慣れた大手なら分かるが、中小企業には極めて難しい。

どの国にも、日本のような”全国民に一貫して認識されている常識”の様なものは存在しない。まずは進出の目的を明確にし、”ローカル・ルール”は可能な限りローカルに任せる。パートナーシップによって目的の経済活動に集中する仕組み作りを検討しよう。


Today's Questions.
Q:なぜ独資での海外進出が必要なのでしょう?
Q:パートナーシップだと、何が障害になりますか?


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12月19日”提携は成功した後 深刻な問題を生じやすい。”
提携の5つの原則についての説明です。明日もお楽しみに。

2009年12月17日木曜日

”買収された側は「彼ら」に対して身構える「われわれ」になる。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、企業買収を成功させる6つ目の原則についての説明。買収後数ヶ月の内に両社の人間を相互に異動させ、昇進させることの重要性について書かれている。

このページには、買収した側と買収された側の間に生まれる「目に見えない鉄のカーテン」が消えるのに一世代を要する、と書かれているが、私が知る限り、それ以上続いている組織も存在するようだ。

本日のページを通じてドラッカー教授は、”一人ひとりが買収を機会として捉えられる環境を整えなさい”と伝えている。

たしかに、長く”鉄のカーテン”が続いている組織には「(買収には)何のメリットも無かった。メリットがあったのはトップだけだ。」という雰囲気が蔓延しているように思え、社員の目に情熱が感じられない。

しかしこれでは優秀な人材から出て行ってしまう組織となり、加速度的に弱体化してしまう。買収後、優秀な若手のマネジメントや専門家の流出を防ぐには、今まで以上のやりがいを提供することが必要なのだ。

ドラッカー教授は、ハーバードビジネスレビュー( 1965年 11-12月号)の「企業が魅力的であるために」という論文において、「優秀な若者が求めるのは、やりがいと機会、知的且つ金銭的見返り、社会的且つ倫理的リーダーシップである。」とし、このように語っています。

「私は『あの新入りに(優秀な若手マネージャー)この仕事は小さすぎる。もっと大きな仕事にしよう。』という声を聞いたことが殆どありません。しょっちゅう耳にするのは、『あの若造には、この仕事は重すぎる。もっと軽めな仕事をさせよう。』という声です。」(ピーター F. ドラッカー)


買収後は、双方の優秀な人間を入れ替え、”今までと同様の仕事ぶりでは処理できないレベルの難しく重要な任務”を与えよう。その結果、優秀な人材はその場に初めてメリットを感じ、リーダーとしての能力を自ら高める必要性を感じるのだと思う。


Today's Questions.
Q:トップ自らが買収後の組織を一つの大家族として捉えられていますか?
Q:「あの仕事は優秀な彼でないと…」といって、同じポジションで仕事をさせていませんか?


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12月18日”事業において重要なことは法的な所有関係ではない。経済連鎖である。”
本日で企業買収についてはおしまい。明日からは業務提携についてのお話です。お楽しみに。

2009年12月16日水曜日

”買収された側のトップにしてみれば事業は自分の子供である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”も、「マネジメント・フロンティア」からの抜粋で、企業買収を成功させる5つ目の原則についての説明。企業買収後、買収された側の組織に1年以内にトップマネジメントを送り込むことの重要性について記されている。

本日の内容によると、買収された側のトップは一旦買収が完了した後にすぐ組織を去ってしまう可能性が高いので、それに備えてなるべく早い段階で買収した側からトップマネジメントを送り込むことが重要、ということだった。

説明されている通り、買収される側の社長がオーナー社長であれば、会社に対する思い入れは強いとしても、大金を手にしているし、人の下で働くことはできない。雇われ社長であれば別の組織に移動できる。

買収した後も、それまでそこにいたトップに組織運営を任せるようなことがあってはいけないのは誰にも分かることだと思うが、この点が重要であると経営者に認識されてきたのは、ここ数年のことではないだろうか。

それまでの買収では現場で「社名は変わったが、他は何も変わらない。」といった言葉をよく耳にしたものだ。

数年前までは、”買収=敵対的買収”という誤った認識が当たり前になってしまうほど、上手な買収をする組織が無かったように感じる。

しかし最近では、少なくとも私の周辺で見る製造業の買収は、純粋に事業戦略に基づいた買収が多く、プレスリリースに先立って頻繁に両社のトップや管理職層(部長クラス)が打ち合わせを行いながら戦略を詰めていると聞いている。

確執が全くない買収など無いだろうが、こうした慎重かつ誠実な人間関係の構築が、買収後の組織運営を円滑にするための鍵を握っているに違いない。タイトルの通り、買収された側のトップからすれば、事業は自分の子供の様なものであって、そこで働く人がぞんざいに扱われるようでは買収は失敗に終わってしまうはずだ。


Today's Questions.
Q:異なる業種でも通用する様なリーダーを育成していますか?
Q:そうした分野でリーダーを勤める可能性について、その人は自覚していますか?

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12月17日”買収された側は「彼ら」に対して身構える「われわれ」になる。”
買収後の人事異動と昇進についてのお話です。明日もお楽しみに。

2009年12月15日火曜日

”企業買収には事業間に体質の一致がなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”も、「マネジメント・フロンティア」からの抜粋で、企業買収を成功させる4つ目の原則についての説明。買収される側の事業や価値観に対して敬意を持つことの大切さについて書かれている。

”財務ではなく事業で。”という第1の原則も大切だが、個人的には、この第4の原則が企業買収の成否を大きく左右する鍵を握っている様に思う。というのも、買収後の組織を訪れるあらゆる人(顧客、取引先業者など)が事務所に入って瞬時に感じられる程、この”心の溝”は外部に露呈されることになるからだ。

では、なぜこのような溝が生まれるのか?

その全ての責任は買う側のトップにあるのだろう。買収のプロセスを通じて表面化する現場の人間関係ほど、買う側の”トップの器”をそのまま投写するものは無いかも知れないと常々感じている。

トップが買収を意識し始めるその瞬間から、人としての対等性が全くと言って良いほど失われているように感じる。それはまるで「車のハンドルを握ると乱暴になる人」の様に、それまでは温厚だった人(経営者)が変わってしまうのだ。組織の名の下に、相手の組織や人を自らの下においてしまう。

しかし、事業の目的は”顧客の創造”であり、買収の目的もより多くの顧客を創造するための意思決定のはずだ。

なぜトップは買収を意識するとそうなってしまうのか?

買収するという事実が「勝者の証」のごとく、”目立つ”からではないだろうか?こうした相手に対する敬意の欠如が引き起こす”心の溝”をより強く感じる組織のトップは、”戦い抜いてきた雇われ社長”であることが多い。

買収は新たな顧客創造のために実行するにも関わらず、有頂天になってしまい、それを自らの功績であると勘違いしてしまう。これは自ら事業を興す難しさを知る創業社長にはあまりないことだと思う。

中小企業の間にも買収は身近な存在になってきているので、いつその様な展開があるかは分からない。本日のページを通じて分かった事は、買収のための心の準備は、今始められるということ。いかなる場面であっても、対等性を重んじた行動に徹し、その時に備えていきたいと思う。

最後に原著「The Daily Drucker」にて、本日のページの最後にある部分を引用しておこうと思う。

Sooner or later, ussually sooner, a business requires a decision. People who do not respect or feel comfortable with the business, its products, and its users in variably make the wrong decisions. (P.F. Drucker, "The Daily Drucker", p.381, Harper Business)

遅かれ早かれ、(多くの場合、すぐに)事業において意思決定が必要となる。変化するビジネスや製品、消費者に対して敬意を払わなかったり、違和感を感じる人は、誤った判断を下してしまう。(同上 中村克海訳)



Today's Questions.
Q:車を運転すると強気になったりしませんか?
Q:業者の方を下に見ていませんか?

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12月15日”買収された側のトップにしてみれば事業は自分の子供である。”
買収後、放置してはいけません。明日もお楽しみに。

2009年12月14日月曜日

”企業買収には共通性 少なくとも類似性が必要である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、買収における多角化には何らかの共通点や類似性が必要である、といった内容。

”金による所有では不十分”とする昨日の内容と同様に、市場、技術、業務プロセス等のいずれかにおいて共通項がなければ成功することはない、とドラッカー教授は断言している。

本日のページには高級市場で多角化を図るフランス企業の話が取り上げられているが、最近のニュースでは、Appleによる買収が予定されるデジタル音楽のストリーミングサービスのLala社の話が良い例だと思う。

Appleは現在、iTunes Music Store(iTMS)を通じて楽曲などのダウンロード販売をしている。一方でLala社は1曲10セントで無期限ストリーミング再生できるサービスを販売している。

技術的視点で見ると、両者のビジネスモデルは似て非なるものだが、勿論この買収でもっとも大きな共通項は「音楽が大好きな人達」といえるだろう。

Lala社のサービスがあれば、今までのように、自分がCDから録音したり、ダウンロードして購入しなくても、iPhoneの様な通信機能と小さなメモリを持つ端末があれば「いつでも、どこでも、どんな曲でも、”いくらでも”」聴くことが可能になるのだ。

2005年に登場したiTMSが我々にとっての音楽を一変させた様に、再び大きな変革が起きるのではないかと思う。そして、この恩恵を受けるのは従来の顧客だけではない。

これまでの顧客が一部の「音楽が”大好きな”人達」だったと考えると、今後は「音楽が好きな人達」にその裾野が広がるのではないだろうか。


Today's Question.
Q:パートナー(恋人・夫婦・取引先等)との間で見つけられる共通項はどのようなものでしょうか?

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12月15日”企業買収には事業間に体質の一致がなければならない。”
精神的な側面が企業買収の成功を左右します。お楽しみに。

2009年12月13日日曜日

”企業買収は、買収する側が買収される側に何を貢献するかによって成否が定まる。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメント・フロンティア」からの抜粋。買収する側から買収される側に提供されるべき”貢献”の重要性について書かれている。

よく企業買収のニュースが流れると、「ああ、あの会社(買収する側)が儲かっていて、儲かっていないあの会社(買収される側)を買ったんだ。」という認識が広まるが、実際はそう単純でない。

本日のページでは「金で十分ということはありえない。(Money by itself is never enough.)」とされている。両者の強みと補われるべき点をよく把握した上で、買収する側が買収される側に何らかの強みを提供できなければ、その買収は失敗に終わる可能性が高いという意味だ。

マネジメント能力、技術、設備、市場、流通など、資金以外にいかなるリソースをもって貢献ができるのか。買収される相手が喜ぶものをいかに提供できるのか。

こうして考えると、ある意味、買収も”(パートナーとしての)顧客の創造”なのかも知れない。買収される側の企業は”主たる顧客”ではないが、”パートナーとしての顧客”という視点で考えれば、その協力を得て初めてシナジー効果が実現するわけだ。

買収される側の立場を深く理解した、心の通ったマーケティングが、社会にとって有益な企業買収を増やすためのヒントなのかも知れない。


Today's Questions.
Q:家族に対し、(あなたは)いかなる強みをもって貢献していますか?
Q:組織に対し、(あなたは)いかなる強みをもって貢献していますか?

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12月14日”企業買収には共通性 少なくとも類似性が必要である。”
企業買収には何らか「・・つながり」が必要です。明日もお楽しみに。

2009年12月11日金曜日

”企業買収は成功してしかるべきものである。しかし、実際に成功しているものは少ない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、企業買収を成功させる方法についての説明。約一週間は企業買収と提携に関する説明が続く。

当社にとって企業買収の話はあまり身近とは言えない。しかし、これらのページを拡大解釈することで、組織内部にも応用することができると同時に、企業買収自体についても以前より前向きに考えられるようになった。

ドラッカー教授は、企業買収はもっと成功していてしかるべきであり、多くの失敗の原因は以下の6つの原則を守っていないことにある、と言う。

①財務戦略ではなく、事業戦略に基づいた買収か?
②買収する側が、買収される側に貢献できるか?
③両者が何らかの強みを共有できるか?(市場、マーケティング、技術、卓越性等)
④買収する側が、買収される側に敬意を持っているか?
⑤買収した側が、買収された側に、遅くとも一年以内にトップ・マネジメントを送り込んでいるか?
⑥買収した側と買収された側で多数の人を昇進させているか?

企業買収は、”財務的な戦略”に基づく一方的な攻撃という悪いイメージだけがメディアを通じて浸透してしまったが、社会にとっては”なされるべき”買収も身近な場所に多々あると思う。

例えば、近所で美味しい飲食店。美味しくて安い食材の仕入れルートや料理の腕は類い希なものがあって、経営者は真剣そのものであっても、マーケティングやマネジメント、技術継承の知識が全くないことから経営難に陥っていたりする。

この様な”社会にとって「残すべき強み」”を残し、強化する事が、良い買収や提携によって可能なはずだ。

企業買収の後の組織を訪れると、あらゆる人の表情が暗く、お互いに弱みを指摘しあっていて、それが永遠に続く気配さえ感じるが、事業戦略無しに、全くの財務戦略のみで企業買収が行われることは非常に稀だと思う。

事業戦略的に何らかの意図があったはずだが、現業を担う現場にその意図が全く伝わっていなかったりするのだ。説明不足の状態が長引けば長引くほど、溝は深まってしまう様だ。

人間関係と同様、対等な立場で改めてお互いの持てる強みに焦点を合わせ、社会にとって重要な強みの強化に集中していただきたいと常々感じる。


Today's Question.
Q:どの様な組織を買収したら、上記6つの原則をクリアできますか?他業種も含めて検討してみましょう。

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12月13日”企業買収は、買収する側が買収される側に何を貢献するかによって成否が定まる。”
明日は”財務より事業”というお話なので、お休みします。明後日またお会いしましょう。

2009年12月10日木曜日

”投資と人事が、優れた業績をあげるか貧弱な業績しかあげられないかを左右する。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、投資と人事について。11月23日の”全体と未来にかかわることはトップマネジメントの専管である。”の中で、トップマネジメントによって意思決定されるべき3つの仕事(下記)について触れた。

①市場と価値観の決定
②資金の配分
③人材の配置

ドラッカー教授は、トップマネジメントは上記3つの様に、常に組織の全体と未来に関わる仕事に集中するよう勧めている。

本日のページはその内の2つ。投資(資金配分)と人事(人材配置)という”経営リソース”の再配置におけるフィードバック分析の必要性について触れられている。大きな意思決定は効率低下等の一時的な(場合によっては恒久的な)リスクを伴うので、それらの意思決定が結果どうであったかを確認する責任がある。

単に上記の3つの仕事をすれば良いというわけではなく、ドラッカー教授は、これらの仕事の責任は全てトップ・マネジメントにあり、環境や人(部下)に失敗の責任を押しつけてはならない、と強く言う。

ことに人事については、長期に渡って影響をもたらす意思決定であるため、じっくりと時間をかけて判断すべきだ。

ドラッカー教授のコンサルティング経験の中でも、プロの経営者として有名な、GMのアルフレッド・スローンJr. (1875-1966)(Wiki
による人事に対する慎重な意思決定スタイルは、その後のドラッカー思想に多大な影響を及ぼしたようだ。

分権制や権限委譲で有名なアルフレッド・スローンJr.は、人的リソース最大化のため、GMという巨大な組織の職長クラスまでに至る人選に彼のかなりの時間を割いていたというから驚きだ。

誰よりも効率を重んじたアルフレッド・スローンJr.が、人事にそれだけの時間をかけたという事実。明日行う意思決定の精度を高めるため、彼がどれだけフィードバックを重んじていたか容易に想像ができる。


Today's Questions.
Q:トップ自ら、意思決定の失敗と向き合えていますか?
Q:いかにしてその様な失敗が再発しない様にできますか?

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12月11日”企業買収は成功してしかるべきものである。しかし、実際に成功しているものは少ない。”
なぜ企業買収は失敗するのでしょう?明日もお楽しみに。

2009年12月9日水曜日

”誰かにできることは他の者にもできるということである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、ベンチマーキングについて。ドラッカー教授は、まず手始めとして、昨日登場したEVA(経済的付加価値分析)とベンチマーキングの手法を活用し、自らの組織の競争力を知るのは大事なことだ、と説明している。

Wikipediaによると、"ベンチマーク"とは元来、測量において利用されてい”水準点”を指す言葉だそうだ。工事の際、動かないものを基準(ベンチマーク)としてその他の位置を決定するのだが、現代の「ベンチマーク」は、それらの比較プロセス全体を指して使われるのが一般的だ。

組織運営において、確かにベンチマーキングによる指標の比較は有効だが、数値化することによって失われるものがある事も、我々は知っていなければならない。

数字は、人の依存を生む。

組織の内外にはあらゆる数字が転がっているが、手当たり次第に数値化できそうなものからベンチマーキングを始めると、際限なくムダな作業にリソースを割くことになりかねない。

”顧客不在のスペック主義”に走ってはならない。

われわれの使命は何か?
われわれの顧客は誰か?
顧客にとって価値あることは何か?
われわれの成果は?

この辺りの問いを意識しながらベンチマーキングすることによって、より少ない指標で使命の達成への選択と集中が可能になるのだと思う。


Today's Question.
Q:あなたの組織のベンチマーキングは”顧客の創造”に繋がっていますか?

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12月10日”投資と人事が、優れた業績をあげるか貧弱な業績しかあげられないかを左右する。”
ドラッカー教授は、トップは人事に最も多く時間を割く必要がある、としています。明日もお楽しみに。

2009年12月8日火曜日

”資本コストを超える利益を生み出さないかぎり富を創出したことにはならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、生産性をより正確に把握する方法として、EVA(経済的付加価値分析)について説明されている。

個々の活動において”本当に利益が出ているのか”把握できなければ、正しい評価測定ができず、未来に向けた資金計画も”絵に描いた餅”となってしまう。

ドラッカー教授は、一見、利益を上げているかのように見える活動も、資本コスト(資本の調達や維持に必要なコスト)を上回っているか確認することで、真の利益率を把握するべきである、としている。

”資本コスト”とは、調達資金が自己資本の場合は、配当金やキャピタルゲイン、他人資本の場合は借入金の支払い利息等を指し、通常はパーセンテージで表す。

EVAの算出方法
「経済的付加価値=(税引後営業利益)-(投資資本×資本コスト率)」

私のような財務の素人であっても、「全ての出費を差し引いた上で、利益がどれだけ出ているのか?」というEVAの概念は至ってシンプルで社員にとっても分かり易い。部門別会計においても活用できそうなので、今後少しずつ導入を検討していこうと思う。

注:固定資産やリースに対しては別途注意が必要


Today's Question.
Q:EVAで計算すると赤字になる部門がありますか?

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12月9日”誰かにできることは他の者にもできるということである。”
明日はベンチマーキングのお話です。お楽しみに。

2009年12月5日土曜日

”問題は技術ではない。ものの考え方である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、価格主導型コスト管理の重要性についての説明だ。

11月17日のページで紹介されていた通り、自動車の大量生産で有名なヘンリー・フォード以前の自動車は、独占的な地位の下、意図的に生産量を抑えることで価格を引き上げるのが常とされていた。

売る側の視点によって、必要なコストを積み上げ、そこに欲しい利益を乗せたものが価格とする方法を「コスト主導型価格設定」と呼ぶ。

一方で、最近発表されているハイブリッド自動車は、競合メーカーの価格を意識しつつ、同様の自動車を求めるターゲット層に受け入れられる価格を設定し、その価格で利益を確保するためにはどの様なコスト管理を行うべきかを決定する。これが「価格主導型コスト管理」である。

経済連鎖全体を考えれば、今日の価格設定は後者の「価格主導型コスト管理」が主流となる。

勿論、卓越した専門技術によって”関所”をつくり、高い価格設定をすることは可能だが、以前”関所戦略”について書いた際にも触れた通り、顧客を無視した価格を設定することで、顧客や競合メーカーが他の道を探す隙を与えてしまうので常に気をつける必要がある。


Today's Questions.
Q:あなたの組織ではどちらの価格設定が主流ですか?
Q:現行の価格に対し、顧客はどう感じているでしょうか?

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12月8日”資本コストを超える利益を生み出さないかぎり富を創出したことにはならない。”
明日と明後日の2日間は、以前の記事と重複する部分が多いため、お休みさせていただきます。次回は12/8(火)、EVA(経済的付加価値分析)についての説明です。お楽しみに。

2009年12月4日金曜日

”価格とコストに関する情報を抜きにして成果を上げることはできない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、ABC原価計算(Activity-Based Costing)等の新しい視点によるコスト管理についての説明だ。

ドラッカー教授は、顧客にとっての価値と、それを提供するために要した資源についての把握なくして成果を上げることはできない、としている。

また従来の会計手法は、単に金銭の動きを記録するにとどまっていたが、現代のコスト管理においては、事業の目的や成果を明確にし、活動に変化をもたらすことが可能になるという点で、従来とは全く異なるとし、その代表的なコスト管理手法として、”ABC原価計算”や"EVA:経済付加価値分析(Economic Value Added)"等について触れている。

この2つについては比較的分かり易い説明を見つけたので、そちらをご参照いただきたい。

ABC原価計算(ITproより)
EVA:経済付加価値分析(CIO Onlineより)

先日、スタッフ部門(非収益部門)と現業、現業部門(収益部門)について触れたが、本日の内容のように、スタッフ部門の仕事であっても、スタッフ部門の人間が現業をより深く理解することによって、大幅な財務体質改善を図ることが可能になる。

そのためにも、スタッフ部門(特に経理)のベテランを現業部門に移動させると効果的だ。現業部門の人間はどうしても積み増し式だけのコスト主導型に固執してしまいがちなのに対し、スタッフ部門の人間が現業を理解し始めると、組織が目標とする利益を確保するために、「どの活動を、どのように変える必要があるのか?」と探ることができる。


Today's Questions.
Q:あなたの組織では、”コスト”を、何種類の視点で比較していますか?
Q:それがどのようにして、組織の意思決定に影響をもたらしていますか?

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12月5日”問題は技術ではない。ものの考え方である。”
明日もコスト管理のお話として、”価格主導型コスト管理”についての説明です。お楽しみに。

2009年12月3日木曜日

”歴史は循環する。だがもとの位置に戻ったかに見えても内容はより高次のものとなる。それは螺旋状に動く。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、繰り返される様に見える歴史は、常に高度化しながらコークスクリューのような道を辿るため、既存の組織において起業家精神の育成が不可欠である、といった内容となっている。

私は「今回の『世界同時不況』は、前回の不況『ITバブル崩壊』とどの辺りが違うと思いますか?」という問いをタクシーに乗ると運転手の方に聞くようにしている。

赤坂で聞いても、地元(静岡)で聞いても、似た答えを聞くことができた。大方彼等の答えは、「スピードが全く違う。」というもので、その詳細は以下の様なものだった。

「ITバブル崩壊の時は、みんな何が起きているのか分からず、不況の実感がじわじわ浸透した感じがあるけど、今回は全く違ったね。リーマン破綻のニュースが流れた次の日の朝から、お客さんが全く乗らなくなっちゃったんだよ。そんな時には給料が減ってるわけじゃないはずなのにね。」

確かに製造の世界でも、あのニュースが流れた途端、業界全体が急ブレーキをかけたようにストップした感があった。多くの人が同じ媒体を見ている日本の情報伝達速度は他国を圧倒するものがあると思う。どんな僻地に行ってもトップニュースが数日内伝わる様な国は他に存在しないのではないだろうか?

今回は、深刻な不況がたった一晩にしてやってきたわけだ。

この様に、同じ様に見える不況にも必ず以前とは異なる点が存在する。「不況の後にはかならず好景気がくるものだ。だからじっとガマンしていればいい。今までもずっとそうだった。」という方もいるが、個人的には「本当にそうですか?」と感じる。

不況の定義とは何か?これは本当にイレギュラーなのか?今までの不況と何が違うのか?その環境で生き抜くには、今何をする必要があるのか?万一、それ(不況)が当たり前になったら、どの様に生き延びるのか?という問いから目を背けてしまう傾向がある。

様々な事象にアンテナを張りながら、これらの問いの答えを探し続ける義務があると感じるのだ。ドラッカー教授がこのページを通じて伝えたいのは、常に考え抜き、脅威を機会として捉えなさい、というではないだろうかと思う。


Today's Questions.
上の問いをご参照ください。

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12月4日”価格とコストに関する情報を抜きにして成果を上げることはできない。”
ABC原価計算等、コスト管理についての説明です。明日もお楽しみに。

2009年12月1日火曜日

”もしそれが意味ある変化であるならばいかなる機会をもたらすか。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、社会生態学者(Social Ecologist)についての説明だ。

自らを”社会生態学者(または観察者)”と称していたドラッカー教授は、”すでに起こった未来”を敏感に察知しながら、あえて変化の先頭に立ち、その作り手となることが現代のような乱気流の時代において生き残る唯一の方法だ、と説いた。

そして本日のページでは社会生態学者の仕事として、以下の3つを挙げている。

①すでに起こった変化で通年に合わないものは何か?あるいは、パラダイム・チェンジ(ある時代の集団を支配する考え方が劇的に変化すること)は何か?を問いつつ、社会を観察すること。
②その変化が本物であることを示す証拠があるか?
③もしそれが本当であるなら、いかなる機会をもたらすか?

何十年も同じカタチで続いてきた社会構造が、一気に転換する時、多くの人は「知らぬ間に…」と言うが、実はその兆候はあらゆる場所で、あらゆる人に目撃されている。

自分が興味のある領域だけに注目してしまいがちな我々は、直接的に関係のない(と誤解している)事象については全く鈍感になってしまう。しかし、社会で発生する全ての事象はシームレスに繋がっており、人が無理にカテゴライズ(区分)しようと思っても全く意味をなさない。

特に最近ではインターネットの普及やマーケティングの高度化等により、産業間の敷居が低くなる一方だ。一部の分野で生じた変化が、瞬く間に他産業に大変革をもたらしている。

スポーツの世界に目を向けてみると、世界記録が大きく更新されるブームがどの種目にも必ず存在する。誰かが新たな方法を見いだすと、今度はアマチュアも含め、多くの選手が似たような(またはそれを上回る)記録を連発するのだ。

私が思うに、この成功のヒントは革新的な方法を見いだす選手が自らの種目をどの抽象度で捉えているのか、という点に隠れていると思うのだ。

心→技→体→道具→他のコーチ→他の選手→他のスポーツ→全く他の分野

といった具合に、自分の内側からどれだけ外側に向かって目を向け、「何かヒントがあるに違いない…」と探求できるか?こうしたアンテナを張り巡らせる選手は、好成績を生み出すばかりでなく、スランプからのリカバーも早い。

これはある意味、社会生態学者的な活動だと思う。実際に、各スポーツ界でトップレベルの選手は、自分の種目を一歩も二歩も引いた場所から観察し、自身がそのスポーツを道具に”いかにして世界に貢献できるのか”を常に考えているように映る。

このように事業においても、社会生態学者として大切なことは、”変化の渦”には入らず、常に離れたところから起きている事象を見つめ、そこで見いだした仮説を検証し、次なる行動に活かす、という一連のプロセスに責任を持つということなのだと感じた。


Today's Question.
Q:「これは仕事に関係ない。」と言いますが、本当ですか?

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12月3日”歴史は循環する。だがもとの位置に戻ったかに見えても内容はより高次のものとなる。それは螺旋状に動く。”
明日は本日の内容と重複するため、お休みとさせていただきます。明後日をお楽しみに。

2009年11月30日月曜日

”ミドルの減量を開始せよ。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、中間管理職層のスリム化と組織のフラット化についての説明。

ドラッカー教授は中間管理職層(以下、ミドル)のスリム化の為には、ポストが空いたらしばらく静観し、問題なければそのままポストを廃止することを薦めている。

またもう一つの方法として、若いミドルに対して仕事の内容をより挑戦的にしたり、他の部門を管理させたりすることで、その時点での昇進は無くてもやりがいを感じられる職場作りを薦めている。

当社でも以前は元気の良い団塊世代がミドルの多くを占めていた。その当時はなかなか若い者に何かを決定するようなチャンスが廻ってこないため、若いスタッフには常に不満や当時のミドルに対する不信感があったように思う。

また当社の過去に例を見ると、ミドル層で空いたポストに外部で実績のあった人を中途採用したことで失敗に終わるケースが多かったため、たとえポストが空いても絶対に新しい人を入れず、経営者やその他のミドルが兼任するか、社内から選出するという(社員から見れば全くいい加減な)方法を徹底してきた。

同時にリーダーと呼ばれる主任クラスの人を増やし、並列にして協力してもらうことで、複数人数によってミドルの役割を兼任させることができている。

最近、あるリーダーにこんなことを言われたことがある。

「自分が昇格すると、組織の運営がやりにくくなる。会社が期待する仕事はよく理解し、頑張るので、給料も役職もそのままではダメですか?」

昇進から逃げるには出来過ぎたコメントだと思ったが、この言葉は、単に「昇格による自立からの逃げ」としては片付けられない深い意味を持っていると感じた。本人はそれほど気づいていないが、こうした言葉は1グループのリーダーが組織全体を見ながら初めて言える言葉だったからだ。

彼にとっては昇格や昇給が第一の目的ではなく、組織が円滑に回すことが優先されている。この状態を目指してきたにも関わらず、実際にそう言われると驚いてしまった。

社内に一人でもこのような感覚の人が育ってくると、組織の雰囲気は音を立てるように変わっていき、(極端な話)ミドル不在でもなんとか運営可能になってくる。

そして彼等(または彼女等)ではどうしても決定できない領域(会社方針や組織全体におけるリソースの再配置等)の障害物を迅速に取り除くことが経営者にとって重要な仕事だと思う。


Today's Questions.
Q:ポストが空いたら、急いで埋めることが優先されていませんか?
Q:昇格させなくとも、若者達に成長の機会を提供できていますか?

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12月1日”もしそれが意味ある変化であるならばいかなる機会をもたらすか。”
ドラッカー教授は自らを”社会生態学者”であると言っていました。社会生態学とは一体?明日もお楽しみに。

2009年11月29日日曜日

”PRという言葉自体が、広告、宣伝、マスコミ対策など好ましからざる意味をもつにいたった。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、PR(Public Relations)の役割について説明されている。

原著では「”パブリック・リレーション”は、誇大広告、プロパガンダ(布教)、隠蔽の意味を持つに至った。」というサブタイトルになっている。

”パブリック・リレーションズ”と言うと、兎角組織から社会に向かった一方通行のコミュニケーション(大げさな宣伝やマスコミ対策等)が仕事であるように認識されてしまっているが、ドラッカー教授は本日の説明を通じ、本来PRの役割はそれだけではない、と伝えている。

組織の一つ一つの行動は、社会(社員、消費者、市民等)に何らかのインパクト(影響)を与える。そこでパブリック・リレーションズは、組織の活動に対し、社会で生じる微妙な感情の揺れをつぶさに評価し、次なる意思決定に活かすために重要な役割を担っているということだろう。

パブリック・リレーションズは、あくまでもCSR(企業の社会的責任:Corporate Social Responsibility)に基づいた上で社会の信頼獲得を目指さなければならない。WikipediaではCSRを以下の様に定義しており、本日の内容を理解するのに適切な説明だと思うので引用しておきたい。

企業の社会的責任( 英記:CSR: Corporate Social Responsibility)は、企業が利益を追求するだけでなく、組織活動が社会へ与える影響に責任をもち、あらゆるステークホルダー (利害関係者:消費者、投資家等、及び社会全体) からの要求に対して適切な意思決定をすることを指す。(ウィキペディア「CSR:企業の社会的責任」)


コミュニケーションにおいては”聞く”ことが重要であるのと同様に、パブリック・リレーションズにおいても社会の声を聞くところからスタートする必要がある。彼等を驚かせたり、感心させたり、説得したり、欺いたりすることが本来の役目ではない。


Today's Questions.
Q:組織のリーダーがステークホルダーの上に自らを位置づけていませんか?
Q:内外の”信頼”において、持続可能な組織でしょうか?

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11月30日”ミドルの減量を開始せよ。”
中間管理職層の省力化と組織のフラット化に関わるお話です。明日もお楽しみに。

2009年11月28日土曜日

”現業の実績がなければ信頼を得られず理論家として片付けられる”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、スタッフ部門の人選において気をつけるべき点について紹介されている。

昨日も触れたとおり、スタッフ部門とは収益に直接的に関わる業務を支援する部門で、一般的には総務、経理、人事、法務、生産管理等、管理業務を担当する部門を指す。

ドラッカー教授は、このスタッフ部門の重要なポストに、現業(収益部門)の経験が全くない者を任命してしまうと、その者は現業を卑下し、非生産的になってしまう、と伝え、スタッフ部門と現業部門での人事異動を薦めている。

スタッフの仕事に五年から七年携わった後は現業に戻す。再びスタッフの仕事につかせるときは、現業の仕事を五年以上こなした後にする。そうしないかぎり、やがて人形遣い、用人、黒幕となる。(「マネジメント・フロンティア」より)


たしかに当社でも”デスクで働く人”が、”現場の人”を自分より下に見てしまったり、現場の人に人事的な側面について相談を受けたりする場合が見られる。100人程度の組織でもこうした光景が見られるのだから、大手ではさらにその溝は深いのではないだろうか。

最近当社ではスタッフ部門のベテランスタッフを現業部門のリーダーにすることに成功している。その他にも、都度現場の仕事を手伝える環境を整え始めているところだ。

全く毛色の異なる仕事ではあるが、スタッフ部門で得た経験は、現場の改革には新鮮な風を吹かせてくれる。サッカーの様な柔軟なフォーメーションで、お互いの仕事を協力できる組織風土を作っていきたい。


Today's Questions.
Q:スタッフ部門の人が、現業部門の人を、自分の下に位置づけていませんか?
Q:どの様にすれば、両部門の間で人事異動が可能ですか?

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11月29日”PRという言葉自体が、広告、宣伝、マスコミ対策など好ましからざる意味をもつにいたった。”
PR部門の本当の仕事とは?お楽しみに。

2009年11月27日金曜日

”スタッフ部門の仕事の目的はただ1つ 現業に貢献し、組織全体の業績に貢献することである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、”スタッフ部門”について。スタッフ部門は、収益に直接的に関わる業務を支援する部門で、一般的には総務、経理、人事、法務、生産管理等、管理業務を担当する部門を指す。

ここでドラッカー教授は、スタッフ部門に具体的な目標を持たせ、縮小させることを強く薦めている。スタッフ部門の肥大は、現業部門(収益活動)の効率低下を招いてしまうからだ。

プロフィット(収益)部門とノンプロフィット(非収益)部門という分け方をするなら、スタッフ部門は(例外を除き)ノンプロフィット部門に属することになる。

たしかに、当社の状況を考えてみると、本来は現業のプロフィット部門に集中しているべき経営者(私も含め)や管理職が、スタッフ部門の仕事にかなりの時間を取られているという現状がある。

なぜ我々は管理業務を知らぬうちに増やしてしまうのだろうか。

先にもご紹介(8月23日 記事参照)したエーワン精密(HP)の様な高収益企業を見学すると、事務所の雰囲気がその他の企業と全く異なる。スタッフ部門の人員の少なく、淡々とした静かなムードの中、ある事務員は自分のデスクで現場の作業を手伝っていたりするのだ。

商社の様な、営業活動が主な組織では比較的「プロフィット v.s. ノンプロフィット」の人数比について議論になる(勿論商社では殆どがプロフィット部門に属する)が、正直なところ製造業ではあまりこうした話題を耳にしたことがない。

この辺りを更に意識することで、当社でもかなりの潜在能力が眠っていそうなので、朝礼で説明し今後は全員で意識していきたいと思う。

Today's Question.
Q:あなたの組織では「プロフィット v.s. ノンプロフィット」について議論していますか?

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11月28日”現業の実績がなければ信頼を得られず理論家として片付けられる”
スタッフ部門に任命すべき人についてのお話。明日もお楽しみに。

2009年11月26日木曜日

”コミュニケーションの向上は送り手ではなく受け手によってもたらされる。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、コミュニケーションの基本について。ドラッカー教授は、聞く者がいなければコミュニケーションは成立せず、それは”ノイズでしかない。(There is only noise.)”と説明し、”受け手”こそがコミュニケーションの鍵を握っていることを伝えている。

・人は知覚できるものしか知覚しない。
・人は受け手の言葉(言語または用語)でしか意思疎通ができない。
・人は期待しているものしか見たり聞いたりしない。

It always demands that the recipient become somebody, do something, believe something. If it goes against her aspirations, her values, her motivations, it is likely not to be received at all or, at best, to be resisted. (P.F. Drucker, "The Daily Drucker", p.360, Harper Business)

コミュニケーションは、常に”受け手”を誰かに変えたり、何かをやらせたり、何かを信じさせたりしようとする。もしそれが相手の願望、価値観、やる気に逆らうものの場合、それは全く受け入れられないか、良くても抵抗されることになる。(同上 中村克海訳)


考えてみると、組織内に限らずとも、確かにあらゆるコミュニケーションには必ず目的があるように思える。

このブログの読者の多くはTwitterユーザなので、Twitterに見るコミュニケーションについて少し触れてみたい。

Twitterでは「投稿」を指す「tweet(直訳で”鳥のさえずり”)」という行為を、日本では”つぶやく”と表現しているが、この”つぶやく”には個人的にどことなく違和感を感じていた。

本日のページを読んで気づいたが、その違和感は、”つぶやく”と言う行為は相手不在の中で行われる行為であると認識されているからだと確信できた。

実際、個人的には「Twitterには(全く目的のない)”つぶやき”は、ほとんど存在しないと感じている。

本来”Tweet(鳥のさえずり)”という言葉の意味には相手を探すという明確な目的があるわけで、必ず受け手が存在する。つまり、”Tweet”にはマーケティングが前提としてあり、相手を無視した”つぶやき”はノイズになり得る。

著名人などにはあまり当てはまらないかもしれないが、それ以外のユーザがTwitterで短期間にフォロワー数を増やすには、相応のマーケティングが必要となる。(無論、多ければ良いというわけではないが。)そのユーザの軸となる目的や、その目的に呼応する相手(受け手)への配慮なしには困難だと思う。

ヘビーユーザにマーケッタ(マーケティングの専門家)やコンサルタントが数多く存在する理由の一つは、自らの投稿の内容によってリプライ(返答)やフォロワー(支持者、購読者)の数が変化するTwitterは、マーケッタが自身のマーケティング能力を確認&開発するには格好の場なのかもしれない。

このように、「コミュニケーション=マーケティング」と考えてみると、深層心理学的にも納得できる部分が多々あり、今までに見えなかったことが色々と見えてくる。

最後に、マーケティング(Wiki)という言葉の意味が一人歩きしがちなので、Wikipediaによる定義を、本日のテーマを意識しながらじっくり再読してみようと思う。


Today's Question.
Q:今、発しようとしている、その言葉の目的は何ですか?

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11月27日”スタッフ部門の仕事の目的はただ1つ 現業に貢献し、組織全体の業績に貢献することである。”
明日もお楽しみに。

2009年11月25日水曜日

”組織内の活動は組織全体への貢献によってすべて位置づけなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、”組織への貢献”によって分けられる4種類の活動とその優先順位の考え方について。組織で行われている様々な活動を区分し、どの活動を優先させるべきかが説明されている。

成果活動
成果に直接/間接的に関わりのある測定可能な活動

支援活動
他の部門にとっては必要不可欠だが、自ら成果を生まない支援的活動

衛生&家事活動
成果と直接/間接的に関わりのない付随活動

トップ・マネジメント活動
経営者による意思決定や、その他の活動

ドラッカー教授は、成果を生む活動の中においては、直接的に収益に繋がる活動(key activities)を優先させ、仕組み化を図る必要であり、重要でない活動(nonkey activities)が優先される事があってはならない、としている。

本日のページ、原著「The Daily Drucker」のアクションポイントには「成果活動を見える化し、支援業務が成果活動より上位になってしまっていることを認識して下さい。そして福利厚生活動を従業員に委譲することを検討して下さい。」と書かれている。

スタッフ自らが優先順位を決めることで、全員で「何が先んじられるべきか?」を共通認識として育むことで、あらゆるムダを排除し、全員の強みを「なされるべき事」に集中させることができるということだろう。

こうして書いていて、以前視察に訪れた亀田メディカルセンター(千葉県鴨川市)の事を思い出さずにいられない。この病院が「最も尊ぶところ」として挙げているのは、「患者さまのために全てを優先して貢献すること」である。

このような事を明記しているホームページはよく見るが、この病院に行くだけで、スタッフの一人ひとりが”本気”でそれに取り組んでいることがひしひしと伝わってくるはずだ。みなさんも是非機会があれば訪問してみて欲しい。

良い意味で、常軌を逸したこの病院。リゾートホテルと病院を融合させた様な、夢の施設だった。そこで私が見た特徴を紹介することで、この施設の”優先順位のあり方”を感じていただければ幸いだ。

・東京駅から無料高速シャトルバス(約20本/日)
・玄関でドアマンが車いすの患者をサポート
・総合病院にも関わらず、予約すれば診察まで約20分
・足音が響かないよう、廊下は全て絨毯張り
・スタッフの廊下と患者の廊下が別
・廊下はギャラリーとして利用
・全室個室制
・食事のメニューは画面操作で決める
・イタリアンレストラン
・バー(主治医の許可があれば飲酒可能)
・世界中で名医をヘッドハンティング
・医師や看護師が殺到している
・霊安室は天に最も近い場所として、海が一望できる最上階

等々、他にも様々な特色があったが、すべては患者の側から見て「こんな病院があったら…」という夢の一つ一つを実現するための活動に集中しているように見えた。視察から帰宅後、妻に「死ぬときはこの病院がいい。」と説明したのを憶えている。


Today's Questions.
Q:組織で最も優先されるべき仕事は何ですか?
Q:それを全員が理解していますか?

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11月26日”コミュニケーションの向上は送り手ではなく受け手によってもたらされる。”
ドラッカー流コミュニケーションの捉え方。明日もお楽しみに。

2009年11月24日火曜日

”事業ごとに組織を組み立てられなくとも疑似分権制がある。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、ドラッカー教授が”疑似分権制(simulated decentralization)”と呼んでいる、部門別独立採算制についての説明だ。

現組織を分社化し、独立採算にすることが難しい場合であっても、部門を一つの会社と捉えることでその損益を擬似的に計上する手法で、管理業務等の部門間で行われている活動についてはコストに20%の利益を上乗せする等して取引することを薦めている。

これは京セラの創業者、稲盛和夫氏による「アメーバ経営」を身近に学ぶことができる我々日本人にとっては非常に理解しやすい話だ。

稲盛氏の公式サイトを見ると、アメーバ経営の誕生についてこう述べられている。

京セラが急速に発展し、規模が拡大するなかで、私は、ともに苦楽を分かち合い、経営の重責を担う共同経営者がほしい、と心の底から願うようになった。そこで、会社の組織を「アメーバ」と呼ばれる小集団に分け、社内からリーダーを選び、その経営を任せることで、経営者意識を持つリーダー、つまり共同経営者を多数育成した。(稲盛和夫公式サイト「アメーバ経営とは」より)


そして、「アメーバ経営」の目的については以下の3つが挙げられていた。

  1. 市場に直結した部門別採算制度の確立
    会社経営の原理原則は、売上を最大にして、経費を最小にしていくことである。この原則を全社にわたって実践していくため、組織を小さなユニットに分けて、市場の動きに即座に対応できるような部門別採算管理をおこなう。

  2. 経営者意識を持つ人材の育成
    組織を必要に応じて小さなユニットに分割し、中小企業の連合体として会社を再構成する。そのユニットの経営を、アメーバリーダーに任せることによって、経営者意識を持った人材を育成していく。

  3. 全員参加経営の実現
    全従業員が、会社の発展のために力を合わせて経営に参加し、生きがいや達成感を持って働くことができる「全員参加経営」を実現する。

部門別独立採算制を徹底することで、部門別の経営状況を見える化すると同時に、全員の経営感覚を養いながら未来のリーダーを育成することができる点が素晴らしい。

コスト意識が強まることで相互の協力が疎かになる可能性もあるが、その点は昨日書いたように、部門をまたいで見渡せる人間が目を光らせ、会社全体のリソースとして最終的な意思決定をすべきだろう。

当社でもやっとこの取り組みができる体制が整ってきた。最大限の責任と権限をより多くの人に提供することで、優れた経営者育成機関にしていきたいと思う。


Today's Question.
Q:部門別会計に取り組んでいますか?

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11月25日”組織内の活動は組織全体への貢献によってすべて位置づけなければならない。”
組織内の活動をどのように位置づけるべきか、というお話です。お楽しみに。

2009年11月23日月曜日

”全体と未来にかかわることはトップマネジメントの専管である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメントー課題、責任、実践」からの抜粋で、分権型組織においてトップマネジメントが管轄すべきことの説明だ。

ドラッカー教授は、たとえ分権制の上に成立している組織だとしても、全体を見渡す立場にいるトップマネジメントの責任において、組織全体の品位や将来のために意思決定を行うべき仕事があるとし、以下の3つを本日のページで挙げている。

①市場と価値観の決定
・技術、市場、製品の選択
・棄てるべきビジネスの選択
・価値観、信条、原則の決定

②資金の配分
・重要な資金(key resource of capital)の配分決定
・調達と投下

③人材の配置
・主要な人材(key professionals)の配置
・人を重んじた人事方針の決定

いくら独立採算で各事業が順調に進んでいる様に見えても、その全体像を掌握する者(トップ・マネジメント)に仕事が無いわけではないと言うことだ。明日のため、常に全体を見渡しながら上記の3つを修正し続ける必要がある。

また、組織に存在するあらゆるリソース(経営資源)は、それがどの部署にあったとしても、”組織全体”で保有するリソースであり、再配分は自由にできることを忘れないようにしたい。

上記3つのいずれかにおいて、”なされるべき選択”を行われると、大方の場合は部下から強い反発が伴う。これがある意味”合格のサイン”であると言えるだろう。

なぜなら、組織全体にとって重要な意思決定は、”変化”によって生じる一時的な弱体化や問題を、現場の人間が真っ先に感じるからだ。社員が、売上や利益の低下、工数の増減、顧客の変更、方針転換、優秀な人の移動等を嫌うが当然だと考えるべきだ。

しかし、かといって”現状維持”を欲して組織を現状のまま放置したのでは、結果的に維持できなくなり、そもそもこれではトップ・マネジメントの存在意義は無いのと同じだ。

組織においては階層によって視点が違うのが当然であり、上記の3つの仕事はトップ・マネジメントの仕事であることを、トップ自身も、そして組織全体でも理解している必要がある。

そうはいっても、例えば、優秀な人材を現在の部署から外し、将来のためのプロジェクトに起用する等という指示に対する上司の反発は凄まじい事が多いと思う。

そうした場合、当社で試すのは、NLP(Wiki)の”ポジション・チェンジ”にヒントを得た方法だ。

本人(幹部や管理者)に”社長の座”に座ってもらう。もちろん組織的にではなく、物理的に、”会議室で社長がいつも座る椅子”に座ってもらい、「あなたが社長だとします。会社全体を見渡しながら決めるとしたら、どうしますか?」という問いを投げかける。

その結果、多くの場合はトップ・マネジメントの主旨を大方理解してくれたり、「それであれば、こういう方法も…」と、手持ちの情報を元に、より良い手段を見いだしてくれる事も多々あるのだ。


Today's Question.
Q:トップとその他が、トップの管轄が何であるか理解していますか?

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11月24日”事業ごとに組織を組み立てられなくとも疑似分権制がある。”
明日はアメーバ経営の様な、部門別独立採算についてのお話です。お楽しみに。

2009年11月21日土曜日

”分権制の強みの1つが若いうちにトップ要員を識別できることである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、分権制による権限委譲とそれが実現するリーダーの育成について。

ドラッカー教授は、”大規模かつ複雑な組織を小規模かつ単純な複数の事業に分割する”ことにより、責任を伴った権限を与える機会を増やすことで、組織を人材育成機関として機能させましょう、と伝えている。

大きな責任を抱えながらも、なされるべき事を自らの意思で選択できる人は、見ていて実に美しい。組織は仕事を通じてその様な人を育み、輩出する力を持っているという意味において、まさに”無限の存在”である。

私の仕事には、”働いている人”と話す機会以外にも、”入社する人”と”退職する人”と話す機会がある。退社する人を見ていつも自分に問うのは、「当社がその人の強みを存分に引き出すことができたのだろうか?」という問いだ。

残念ながら、この問いに対し、自分自身が満足できたことは未だかつて一度も無い。常に、「あの部署を任せられたのではないか?」とか、「あの人の教育を任せられたのではないか?」という後悔に似た問いが頭をよぎる。

チャレンジングな仕事を任せることで、より”責任ある選択”ができる人に育てることができたのではないかと感じているのだ。

会社運営の醍醐味は、”顧客に感謝された”瞬間よりも、”人の成長の瞬間を、近くで見ることができた”瞬間に感じる。

その”成長の瞬間”というのは、多くの場合、何らかの課題を目の前にして延々とスタッフ本人の抵抗が続いた後、ある日突然やってくる瞬間を指す。

「俺(私)、やります。」

責任ある仕事ほど、その者に自立を余儀なくする。今までのように言い訳できないことを無意識で感じるからこそ、その人は悩み続け、逃げ続けるのだ。

しかし自分との葛藤の末、この言葉が聞ければ、その人の成長はまずは一安心だ。あとは全力で進むのを見守りながら、障害となる部分を支援していけばよい。

いかなる仕事でも強制的にやらせてしまう方法の方が、その時点では速いかもしれない。しかし、私はあえてこの”自ら選ぶ瞬間”を辛抱強く待つことにしている。一方的な命令では得られない”加速度的な成長”が後からやってくることを信じているからだ。

大規模な組織ではないので、そう簡単に事業を分割させることはできないが、今後もより多くの”選択の機会”を提供し、一人ひとりが”経営者”の如く意思決定できる環境を整備していこうと思う。


Today's Questions.
Q:今日、トップが居なくなっても組織として機能しますか?
Q:事業部の独立採算について話し合われていますか?

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11月23日”全体と未来にかかわることはトップマネジメントの専管である。”
明日はお休みとなります。明後日のDrucker365は、「トップマネジメントの専管」について。あくまでもトップマネジメントが決定すべきこととは?お楽しみに。

2009年11月19日木曜日

”組織は道具である。専門分化することによって自らの目的遂行能力を高める”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「ポスト資本主義社会」からの抜粋。専門性を高めることで社会に対する貢献力を向上させることができ、多角化によって力を分散させるべきではない、といった説明になっている。

このページでドラッカー教授は、米国肺臓協会や心臓協会等を例に挙げ、これらの医療系組織が成果を上げているのは専門に特化しているからであると説明している。

考えてみれば、国内には200万社近い会社組織の他、無数の個人事業者や非営利組織が存在する。それらのほぼ全てが”何らかのニッチ(自然生態系で言われる「適所」)”を探して旅をしているようなものだ。多角化しながらいくつものニッチを担当できるほど甘くはないはずだ。

子供の頃に親しんだ、”フルーツ・バスケット”という椅子取りゲームを憶えている方も多いと思う。実はこのゲーム、社会における事業の”選択と集中”に酷似しているのだ。

このゲームでは予め全員がりんご、みかん、バナナなどに分かれており、鬼の子が「りんご!」と言ったら、りんごの子だけが速やかに移動して今までと違う椅子に座らなければならない。

ここで幾つかの椅子で迷ったり、沢山の子が取り合いをしている椅子に座ろうとすると、競争に負けて座れなくなってしまう。

一つの椅子を見つけたら、その椅子だけの事を考え、座れたとしても、しっかり椅子をつかんで自分が椅子から放り出されないようにして身を守ったものだ。

事業においても、脇目もふらず選んだことに集中しなければならない。

ちなみに、フルーツ・バスケットというゲームには鬼が「フルーツ・バスケット!」と叫ぶことができるルールがあったのを憶えていらっしゃるだろうか?この号令の時は、りんごも、みかんも、バナナも全員が椅子を立ち、違う椅子を探さなければならない。

そして、今まさに”社会”という名の”鬼”が「フルーツ・バスケット!」と叫んでいる様に感じざるを得ないのだ。我々全員が、どの椅子に自らの組織が座るべきなのか、白紙の状態から考えなければならない。

ある程度の競争は避けられない。しかし、今どき「これなら確実に儲かるから…」という安易な考えだけで、戦えるほど幼稚な市場ではない。取っ組み合いの喧嘩をしている間に、座れる(座るべき)椅子はどんどん他の組織に取られていくのだ。

なるべく早い段階で、自らの組織が一生大切にしたいと思える椅子を見つけ、しっかりと椅子に重心を乗せることによって、より高いレベルで社会の助けになれる様な組織を育てていきたい。

特定の顧客が、特定の目的で課題を抱えた時、「これについては、あそこに相談すればよい。」「これを買うなら、あそこしかない。」と言われるようになければならない。

Today's Questions.
Q:一生付き合えそうな”椅子”を見つけましたか?
Q:もし、自らの組織が今日消滅したら、どれだけの人に、どの程度の悪影響を及ぼすことになるだろうか?

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11月21日”分権制の強みの1つが若いうちにトップ要員を識別できることである。”
明日は都合によりお休みをいただきます。明後日の更新をお楽しみに。

2009年11月18日水曜日

”階層の終わりなる言葉を耳にする。あきれた馬鹿馬鹿しさである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「企業とは何か」、「明日を支配するもの」、「イノベーターの条件」からの抜粋で、階層(hierarchy)と平等(equality)についての説明だ。

このページでドラッカー教授は、「階層を伴う現代社会は不平等だ。」とする”平等主義者”を批判し、文末で以下のように説明している。

For the very concept of justice implies rewards graduated according to unequal performance and unequal responsibility.(P.F. Drucker, "The Daily Drucker", p.352, Harper Business)

真の公平とは、平等ではない能力と責任に合わせた、段階的な報いを指す。(同上、中村克海訳)


組織には、パートタイマー(以下、パート)と同等の責任レベルを期待する管理職もいれば、管理職と同等の責任レベルを期待するパートも存在する。

現場が忙しくなると、前者は頭で考えずにパートの作業を手伝い、後者は、忙しくなると他のパートと恒久的な対処策を練る。

私はこのような光景を目にすると、前者には「タイムカードを用意しましょうか。そもそもその作業速度ではウチのパートは勤まりませんが…。」と厳しく皮肉を言い、後者の上司には「彼女(または彼)の正社員登用を検討しましょう。」と伝える。これが真の平等だと思う。

組織には本当に様々な人がいるのだ。

自らの意思でより正しい選択を追い求め、それが厳しい選択であっても楽しみながら成果を出す人。義務感に駆られ、「これこそが正しい選択なのだ」と苦しみながらも何とか突き進もうとする人。人一倍"”自由”を求める傍ら、自分では選択せず、人の責任の下に居座る人。自ら選択はしないが、言われたことには常に笑顔で頑張る人。何を言われても不満な人。等々…

これらの人々に対する報酬や対応が完全に一律化されたとしたら、自立した能力の高い人と、依存を求める能力の低い人が同時に組織から去ることになるだろう。

私は、自らの意思で”なされるべき事”を見つけ、責任ある選択のできる人には、いくらでもチャンスを提供できるような組織にしていきたいと思う。これまでは管理職の立候補制にしてきたが、本日のページを読んでみて、パートの方にも正社員登用の意味をよく理解してもらい、立候補制にできる様な組織にしたいと感じた。

Today's Questions.
Q:責任を伴う選択ができる人にチャンスがある組織になっていますか?
Q:優秀な人が辞めていませんか?それはなぜですか?

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11月19日
”組織は道具である。専門分化することによって自らの目的遂行能力を高める”
多角化のリスクと成果を上げる”選択と集中”についてのお話です。
明日もどうぞお楽しみに。

2009年11月17日火曜日

”社会的な事象のなかで真に意味のあるものは定量化になじまない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、定量化(Quantification)の限界について。ドラッカー教授は、大切なことは往々にして数値化(定量化)できないとし、ヘンリー・フォードによる自動車の大量生産と低価格化が我々の社会に及ぼした、”計り知れない”影響について紹介している。

The most important reason why I am not a quantifier is that in social affairs, events that matter cannot be quantified. (P.F. Drucker, "The Daily Drucker", p.351, Harper Business)

私が”数字屋”ではない最も重要な理由は、社会で最も重要な事柄は数値化(定量化)できないからである。(同上 中村克海訳)


我々が毎日目にするニュース、新聞記事、広告、包装、資料、検査結果等々、身の回りで目に飛び込んでくる数字の一つ一つをじっくりと観察してみよう。

その大半は純粋に起きていることをそのままを表現するために生まれたのではなく、”特定の人が、特定の人に、特定のメッセージを伝えるために集計された数字”であることが容易に感じ取れるはずだ。

数字は、人の意思決定に甚大な影響を及ぼす。人は数字に依存し、”その数字に責任を負わせる”ことで、重大な意思決定を下している。

我々は、映画を興行成績で選んだり、車は燃費で選んだり、マンションは面積で、会社は資本金で、デジカメは画素数で、美味しい店はメディアで紹介された回数で、みかんは糖度で選んだりしてしまう。

作られた数字による洗脳によって、我々の脳は”感じる→考える”のプロセスを半ば強制的にスキップさせられ、即座に”行動する”ことを急かされているのだ。

このような環境下、我々の知覚能力は急激に退化しているに違いない。

数字という、情報のかけらだけを信じ込むのではなく、今そこで起きていること全てを感じ取る力を、今一度取り戻す必要がある。そのために、今できることは何だろうか?

個人的にお勧めしたいのは、しばし”数字のない世界”に身を置いてみること。できれば自然の中で時計も持たずにのんびりしてみると良いと思う。都会にいてそれがなかなか難しいのであれば、カフェでのんびりしながら歩いている人達を観察するのも良いかもしれない。

電車の中であれば一切の広告に目を向けない努力をしてみるか、それが難しければ、車内吊りの情報を見て、そのままを受信するのではなく、「誰が、誰に向け、何の目的でこの数字をここに提示しているのか?(そして或る答えを見いだせたら)…だとすると、将来の社会にどういう影響があるのだろうか?」と考えてみるのも良いかもしれない。

とにかく、一旦目を閉じ、耳を済ましてみると、今まで聞こえなかった未来の足音が聞こえてくるのだと思う。


Today's Questions.
Q:無添加の情報を全身で感じ取っていますか?

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11月18日”階層の終わりなる言葉を耳にする。あきれた馬鹿馬鹿しさである。”
真の平等とは?明日もお楽しみに。

2009年11月16日月曜日

”自然発生的に生ずるものは混乱、摩擦、不手際だけである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、組織構造について。ドラッカー教授は”正しい組織構造”を追求するのではなく、仕事に最適な構造を探し、確認し続けることを薦めている。

そしてその上で、守るべき原則についても紹介されている。

①透明な構造
誰もが構造を理解できる組織。

②最終的な決定権を持つ者がいる
最終的な意思決定者が明確な組織。

③権限=責任
権限には、責任が伴う。

④上司は一人
誰にとっても、上司は一人。

個人的には、ここでドラッカー教授が説明しているニュアンスよりも、フラットかつ有機的な組織が日本では実現できると思っている。

人は、どうしても”頼りがいのある壁”に寄りかかってしまうものだ。多くの組織構造のように、頑丈で変化に乏しい構造を継続すると、そこにいる人は本質的な問いを忘れてしまうように感じる。

部署間の敷居など”古い組織構造”のムダな箇所は常にそぎ落とし続けることで、事業の目的が”顧客の創造”であることをみんなで実感できる、バリアフリーで柔軟な組織が理想的だ。

当社でも、ある事業部の”完全バリアフリー化”を目指してきたが、近々やっとのことでそれが実現する見込みが見えてきた。我々が”完全バリアフリー”というのは、事業部全体を、場所的にも、組織構造的にも一つの大広間にしてしまうという試みだ。これにより、営業と製造の区別も無くなる予定だ。

ここでモデルにしているのは、攻守で担当が変わるアメフト式ではなく、常に選手による自己判断がベースになり、お互いを補完し合いながら動き続ける(判断し続ける)”サッカー型組織”だ。

サッカーでは、常に変化する相手チーム(事業で言えば、顧客や市場等の外部環境)の動きに自分のチームの組織を順応させる必要がある。ポジションは各自持ち、その担当に必要な技術を日々強化しているが、試合においては過度にポジションに依存することがない。フィールドのどの場所においても、自らの”強み”を活かす方法を意識している。

お互いがお互いの仕事ぶりに声を掛け合うことで、常にベクトルの修正をしているし、フォワード←ミッドフィルダー←ディフェンダー←キーパー←監督と、戦況をより冷静に客観視できる順で指示を優先させている。

完全なフラットとはいかなくとも、”他の部署でも自らが貢献できる場所があることが見える”環境を整えることで、自然と相互の協力が活発化してくるのではないかと思う。そのためには、企業体だけでなく、さまざまな異なる組織を参考にしていこう。


Today's Questions.
Q:メンバーが自由な(責任を伴った選択ができる)組織ですか?

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11月17日”社会的な事象のなかで真に意味のあるものは定量化になじまない。”
定量化の限界についてのお話です。お楽しみに。

2009年11月15日日曜日

”正しい方向づけを行うだけでなく間違った方向づけをなくさなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”では、目標達成における下(部下)から上(上司)へのコミュニケーション手法として、”マネジメント・レター”というものについて紹介されている。

昨日は”明確な目標設定”の隠れたリスクについて触れたが、目標を持つこと自体が危険であるというわけではないので、誤解の無いようにしたい。組織で活動する以上、目標や達成イメージ(以下、ヴィジョン)を全員で共有し、それぞれの強みやリソース(資源)を集中投下する必要がある。

しかし、目標の共有ができても、ヴィジョンの共有が欠けることによって発生する”意識のズレ”は、達成までのプロセスにおいて、いかんともしがたいムダや障害を発生させてしまう。

昨日登場したペーターと山羊たちのことを今一度思い起こしていただきたい。彼等は定量的な目標なしに(極端な話、ヴィジョンのみで)目的を達成している。

定量的な目標だけでは、アルバイトによる”ビラ配りの配布ノルマ”の様に、せっかくの労働が全くのムダに終わってしまう可能性もある。”いかなる状態を実現するために、今何が必要なのか?”をそこに関わるすべての人で、常に問い続けるのが効果的だ。

ドラッカー教授は、上司と部下の目標やヴィジョンに大きなズレを生じさせないよう、本日のページで紹介されている”マネジメント・レター”の活用を勧めている。

そして、マネジメント・レターには以下の要素を盛り込むことを示唆している。

①上司の目標
②自ら(部下)の目標
③自らに期待されていると思う水準
④目標達成のために行うべきこと
⑤目標達成のために障害になっていること
⑥組織が行っていることで助け(または妨げ)になっていること
⑦上司が行っていることで助け(または妨げ)になっていること
⑧目標達成のために次の一年間で行うべきこと

何度かここで紹介した当社の”振り返りシート”には上記の要素も大きく盛り込まれている。部署のテーマを冒頭に、自らの良かった点(○)と次月より良い結果を出すための具体的行動(!)をリストし、上司に確認印をもらう。

そして勿論、部下のベクトルのズレについては、口頭でも良いので必ず1対1で話し合う様、上司に勧めている。


Today's Questions.
Q:数値目標だけでなく、ヴィジョン(達成イメージ)を共有できていますか?

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11月16日”自然発生的に生ずるものは混乱、摩擦、不手際だけである。”
組織構造における守るべき原則についての紹介です。明日もお楽しみに。

2009年11月14日土曜日

”目標は絶対のものではない。方向づけである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、目標の使い方について。ドラッカー教授は、目標は大事だが、それによって組織を拘束させてはならないと伝えている。

目標は絶対のものではなく、方向を示すものである。命令されるものではなく、自ら設定するものである。未来を決めるものではなく、未来をつくるために資源とエネルギーを動員するためのものである。(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「マネジメントー課題、責任、実践」より、ダイヤモンド社)


目標は、使命達成までの通過地点であるべきだが、”目標とその達成までの道のり”をあまりに固定化してしまうと、組織全体の依存を招くことになりかねない。

あまりに”道を舗装”してしまうと、メンバーの思考停止を招き、イノベーションが起こりにくい環境が生まれてしまうのだ。

この例えとして、私がよく話すのは「アルプスの少女ハイジ」に登場する”ペーターと山羊たち”の話だ。ペーターがリーダー、山羊がメンバーだとする。

ペーターの役割(使命)は、村の山羊たちを丘の上の連れて行き、そこに生える柔らかで美味しい草を食べさせること。丘のてっぺんに到着すると、いつものんびり昼寝するペーターの周りで山羊たちが嬉しそうに草を食べるシーンが印象的だ。

さて、目標地点までの道筋は大方では決まっているが、山羊たちはペーターを追い越しながらも、実に自由気ままに楽しみながら坂を上っていく。ペーターに「こっちだよ。」と注意されるのは、群れから著しく遅れた山羊や危険な崖に近づく山羊だけだ。

ペーターは、ヤギ達に細かいスケジュールを強いるわけでもなく、通る道を一つに限定しているわけでもなく、理想の歩く姿勢を定めているわけでもない。それでも毎日、ペーターはこの難しい任務を果たしているのだ。

そして、これを実現しているのは、山羊たち頭に”美味しい草を食べている”イメージ(以下、ヴィジョン)が明確に描かれているからだろう。そのヴィジョンを持てているからこそ、生まれたばかりの(経験の浅い)子ヤギ、ユキちゃんのように迷子になってしまわず、寄り道はしつつも最後には頂上に到達することができるのだと思う。

私の組織で目標としているのは、このペーターと山羊たちの関係だ。確固とした目標やプロセスを構築することによって、本質が失われてしまわない様、寄り道や新たな発見をしつつも、常に本質については全員が共通言語で話し合える組織を育てていきたい。


Today's Questions.
Q:明確な目標が組織を拘束していませんか?
Q:詳細なスケジュールに囚われるよって、”すでに起こった未来”に鈍感になっていませんか?

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11月15日”正しい方向づけを行うだけでなく間違った方向づけをなくさなければならない。”
上司へのコミュニケーション手法、「マネジメント・レター」について。明日もお楽しみに。

2009年11月12日木曜日

”マネジメントの成果は5つの仕事で決まる。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”も、「マネジメントー課題、責任、実践」からの抜粋で、マネージャーの”5つの仕事”が紹介されている。

①目標を設定する
②組織化する(仕事の分類と分担)
③チーム作りと動機付け
④評価する(評価基準を定める)
⑤人を育成する(自らを含めて)

本日の内容は、ページに書いてある通りの内容なので、ここで一つ一つの項目に対してのコメントは必要ないと思う。詳細については本で確認していただきたい。

しかし、どれも当然だと思いつつ、この5つを並べてみて気づいた事が一つあった。④の評価は、”継続的な活動のレベルアップ”を図る上で極めて重要な仕事にも関わらず、これに特化して教えているセミナー(研修など)があまり見かけないことに気づいたのだ。

こうしたセミナーがなぜ少ない(流行らない)のかを考えるのは別として、我々は公平公正に物事を評価するのがあまり上手でない。人の作ったものに文句をぶつけるのは簡単なことだが、自らの組織の活動を定量&定性的に、ニュートラル(中立的)な視点で評価できるマネージャーは少ない。

しかし、マネージャーやその部下達が冷静にフィードバック分析(自己評価)ができるようになると、上からの指示をかなり減らすことができ、メンバーにも参加意識が芽生えるので、組織は一気に自立してくる。

やること自体にではなく、成果に対して焦点を合わせるようになってくるのだ。フィードバックについて、当社で取り入れているシンプルかつ効果的な手法(○と!)は、10月14日の”フィードバックが並の人間に一流の仕事をさせる。”で紹介したので、未読の方は是非お試しいただきたいと思う。

つい先日、当社が出展した展示会の反省会を参加したメンバーで行った。ホワイトボードに○と!だけを書くだけで、私のファシリエイト(議事進行)を殆どせずにも、メンバーだけで次なる具体的行動項目を明確にすることができた。


Today's Questions.
Q:あなたが最も得意としているのは?どの仕事ですか?
Q:どのようにすれば、最も欠けている仕事のレベルアップができますか?

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11月14日”目標は絶対のものではない。方向づけである。”
明日の内容に対しての感想は、本日の記事と重複するので、お休みさせていただきます。明後日の「ドラッカー 365の金言」は、目標によって、完全に活動を拘束してはならないというお話です。お楽しみに。

2009年11月11日水曜日

”娘の嫁ぎ先を探すのであれば娘が最高の妻となる男でなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメントー課題、責任、実践」からの抜粋で、事業売却における注意点について説明されている。”事業売却”というと大手に限られた話のように聞こえてしまうが、必ずしもそうとは限らない。

事業の”選択と集中”を推進する中、自らの組織にとって不要な事業が明らかになってくることがある。そうした事業を切り離す際、我々が注意すべき事は、「(自らが)要らないからといって、汚れた状態で、梱包もせず、説明書もない状態で人に贈ろうと思うな。」とドラッカー教授は言いたいのではないだろうか。

自らの組織の”強み”を発揮させるためには、自組織が得意とする分野に絞り込んでゆく必要がある。効率の悪い事業や仕事については廃棄していくわけだが、単純に「儲からない」からといって他社に投げつけてしまうのは全く得策ではないと思うのだ。

その事業や仕事も、社会においては何らかの重要な役割を担っているわけで、自らの組織が「儲からない」からといって、あえて他の組織で「儲からない」事業にすべきではない。

よって、「儲からないので切り離すべき事業や仕事は何か?」という利己的な問いだけではなく、「他の組織に任せるべき事業や仕事は何か?」と問うことで、一気に手離れをよくすることができるはずだ。

事業売却や営業譲渡には必ずその事業の新たなる担い手となる買い手(顧客)がいる事を忘れてはいけない。我々にはそのためのマーケティングが必要なのだ。

アウトソーシング(外注)を検討する際も、同様の意思決定が必要となる。

当社で”なかなか利益が出にくい部品”の加工がある。当社の場合は比較的精度の高い部品を得意とするため、あまり高精度でない(単価も安い)部品の加工に貴重な設備を占有させてしまうと、利益が出にくいと同時に、お客様が当社の旨味を十分に味わいきれない状態が発生してしまう。

これは、自らの組織から見れば、「儲からないなぁ。」で済むかも知れないが、顧客や社会の側から見てみると直ちに改善すべき点になるはずだ。

よって、当社がまずすべきことは、今までその部品の加工をしてきた上で培った特有のノウハウを可能な限り”買い手側”に開示、その加工に必要な備品等も提供(又は貸与)、軌道に乗るまでの加工指導、等である。それらを検討して初めてその仕事が他の組織に売れてゆく(手離れする)と思うのだ。

中長期的に見て、”買い手側”にとって良い仕事にならないのであれば、社会のエコシステム(循環型生態系)は近い将来崩壊してしまうだろう。その悪影響はいつしか必ず自らの組織にも廻ってくるはずであり、こうした点にはそれぞれの組織が十分に注意を払うべきだと思う。

あまりにもこの点について我々は利己的になりすぎて、お互いの足を引っ張っていることにそろそろ気づかなくてはならない。儲からないからといって、”売り手”が棄てる事業や仕事に、いつまでも”買い手”がつくと思ったら、それは大きな間違いである。


Today's Questions.
Q:どの組織に、どの事業を任せるべきですか?
Q:そして、あなたの組織はどの仕事で強みを発揮すべきですか?

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11月12日”マネジメントの成果は5つの仕事で決まる。”
マネジメントの基本についての紹介です。明日もどうぞお楽しみに。

2009年11月10日火曜日

”現在行っていることの廃棄は体系的に行わなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「体系的廃棄」について。すべての活動において、廃棄を目的とした定例会議を開く会社が紹介されている。

組織を生命体として捉えれば、我々は今行っている活動の代謝を高め続ける必要がある。そのためには自らを陳腐化し、ムダな贅肉は定期的にそぎ落とすことで、しなやかに環境に順応していかなくてはならない。

製造業やサービス業では生産性向上のために定期的に実施される「5S活動(Wiki)」というのが有名だが、”体系的廃棄”とはいわば、”知識労働における5S活動”とも言えるのかも知れない。

そして、5S活動の中でも「赤札作戦」という活動があるが、この赤札作戦が最も知識労働における5S活動の参考になるのではないかと思う。ここで簡単に説明しておきたい。

赤札作戦とは、「あるモノを、”いるモノ”と”いらないモノ”に仕分ける」全社的活動で、(方法は様々だが)あるモノ全てに赤札を貼り、一定期間内(1週間、1ヶ月、1年間)に使用したものの札を剥がしていく。期間を過ぎても札が残っているものは廃棄するか、使用頻度に考慮して置く場所を変更する、といったシンプルで効果的な活動だ。

ちなみに、赤札作戦に似た豪快な活動では、一旦工場内にあるモノを(設備も含め)全てを工場の外に放り出し、その時必要なモノだけをその都度工場内に持ち帰るという方法があるらしい。この活動をすると、殆どのモノが1ヶ月以内に工場に戻らず、多くの作業員も手持ち無沙汰になってしまったという話を聞いた。

では、いかにして知識労働における赤札作戦を実行できるか?上記のように、一旦全て止めてみるというのも手かも知れないが、あまりにリスクが大きいので、今日からでも始められる方法を考えたい。

知識労働はモノの様に存在自体に札を貼ることはできないので、意図的に可視化してやる必要がある。

①あらゆる活動のリストを作成する
(組織全体で時間を取られている順に並べる)

②リストの上から、以下の問いに照らし合わせていく。
Q:もし今やっていなかったとしたら、同じ方法で始めるか?
Q:やめたら、直ちに顧客に迷惑がかかるか?

③両方の答えがNOであれば、一旦止めてみて様子を見る。

一点、注意したいのは一部の階層の人間だけでこの決定をすべきでないという事だ。様々な階層の人の意見が参加できるよう工夫することで、組織全体としてその活動がどの様な意味を持つのか再認識することができるのだと思う。

また知識労働における活動は、長期間に成果を出す活動と、短期的に成果を出す活動が存在するので、短絡的に捨ててしまうのではなく、常にその辺り(長期、短期、その成果)の議論がなされていることに大きな価値があると思う。

最後に、リーダーは振り向かない。「じゃあ、今までは何だったんだ・・・・。」という過去の時間に浸かった台詞を口にせず、「どうやってこの空いた時間を活かしていこうか?」といった方向で考えよう。


Today's Questions.
Q:今の事業、やっていなかったとしたら、また参入しますか?
Q:今の顧客、付き合っていなかったとしたら、また取引しますか?

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11月11日”娘の嫁ぎ先を探すのであれば娘が最高の妻となる男でなければならない。”
事業売却のお話です。お楽しみに。

2009年11月9日月曜日

”未来は望めば起こるわけではない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”も昨日に引き続き、「マネジメントー課題、責任、実践」からの抜粋で、今日の思考と行動に未来を折り込む大切さについて説明されている。

The future requires decisionsーnow. It imposes riskーnow. It requires actionーnow. It demands allocation of resources, and above all, of human resourcesーnow. It requires workーnow.(P.F. Drucker, "The Daily Drucker", p.343, Harper Business)

”未来”は、”今”、決定を必要としている。”今”、リスクを課している。”今”、実行を必要としている。”今”、リソースの分配(特に人材)を要求している。”今”、仕事を必要としている。(同上 中村克海訳)


”未来”と向き合うのは辛い。それは”今”を否定することになりかねないからだ。しかし、”今”とは異なる”未来”は望もうと望まざると、いつかは必ず組織の外からやってくる。

ならば、未来にはやみくもに逆らわず、身(組織)を委ねる事を楽しみ、合気道のようにその力を応用することを考えよう。ドラッカー教授も「変化はコントロールできない。できるのはその先頭に立つ事だけである。」としている。

考え方次第で”脅威”は”機会”になりうる。

昨日の展示会の話の様に、”すでに起こった未来”を察知するためには、少しだけ特殊なアンテナ(心構え)が必要だと感じている。それは、”起こっていること全てにラポールを取る”(8月31日の記事参照)というアンテナだ。

自らの事業の根底を揺るがすような”不都合な事実”であっても、”それはなるべくしてなっている。”と淡々と受け止め、粛々と”今”を修正し続けよう。


Today's Questions.
Q:今、なすべきことは何ですか?
Q:今、なさざるべきことは何ですか?

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11月10日”現在行っていることの廃棄は体系的に行わなければならない。”
有名な”体系的廃棄”に関する説明です。明日もお楽しみに。

2009年11月8日日曜日

”重要なことは、いかなる未来を今日の思考と行動に折り込むかである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、未来のための戦略的プランニングにおいて我々が注意すべき点について説明されている。

ページのタイトル部分に”不確実性時代”とあるが、先の見えない現代において生き残るには”変化を読む眼”、すなわち”すでに起こった未来”を察知する能力がクリティカルといえる。

我々の身の回りには、やがてやってくる環境変化のヒント(氷山の一角)が散在している。そのヒントを感じながらも、いつまでも見過ごしていると、恐れていた変化の波に足をすくわれてしまうことになりかねない。

The question that faces the strategic decision-maker is not what his organization should do tomorrow. It is "What do we have to do today to be ready for an uncertain tomorrow?"(P.F. Drucker, "The Daily Drucker", p.342, Harper Business)

戦略的意志決定者にとって重要な問いは、「明日、組織が何を行うのか?」ではなく、「不確実な明日に備え、我々が今日しておかなければならないことは何か?」である。(同上 中村克海訳)


先週、興味深い”すでに起こった未来”を見た。場所は東京ビッグサイト。東京国際航空宇宙展に出展中の当社ブースは入り口付近にあり、会場に訪れたばかりの来場者を観察する機会を得ることができた。

ここで感じたのは、航空宇宙産業について全く知識のない来場者が非常に多かった点だ。来場者の服装や質問の内容から、それらの方々がどの辺りの業界関係者かを感じ取ることができた。

服装はスーツではなく、カジュアルなジャケットで、肩から鞄を肩から提げている。取引先を探すというよりは、学びに来ている雰囲気で、質問についても以下のようなものが多かった。

・どうやってこの様な(高精度な)部品を加工できるのか?
・設備はどんなものを使用するのか?
・航空宇宙産業に参入するにはどの様な資格が必要なのか?
・部品の単価は?
・多品種少量生産は儲かるのか?
・営業はどうしているのか?
・顧客と話し合いながら仕様を決めるのか? 等々

質問の全てに丁寧に答えた後、今度は逆に質問してみると、予想どおりその方々が新規参入を目論む自動車部品メーカーの社長さん達である事が分かったのだ。

なぜ彼等がこのような展示会に来るのかは容易に想像が付く。長引く不況と電気自動車の台頭により、自動車の販売台数だけでなく、自動車の部品数も数分の一になることが予想されている。

自動車部品メーカーの多くは売上の8〜9割以上を自動車部品の生産に充てているため、それらの部品が不要になってしまう事で、非常に多くの部品メーカーが廃業を余儀なくされてしまうことが予想されている。

今後の成長産業と言われている航空宇宙産業への参入を目指すのはある意味、当然と言えるだろう。

同展示会の体験から学べる未来のワースト・シナリオを想定してみたところ、「数年以内に(これまでは付加価値の高かった)航空宇宙部品の業界にも熾烈なコスト競争が始まり、5年後には深刻な値崩れを起こしている。その時には利益が出る部品はごくわずか。」といった恐ろしい光景がある種、自動的に見えてきた。

この仮説を踏まえ、今日の組織の活動を変化の波に耐えうる体制に変化させなければならない。このケースでは、新たな人脈作りや加工の高度化、他産業への進出によるリスク分散等だ。

”知覚する”ことはアンテナさえ張れば誰にでもできるが、そこで感じたことに向き合い、責任を持って行動に変えられるかが、組織の環境順応力が問われる重要なポイントなのだと思う。


Today's Questions.
Q:目の前で起きている”すでに起こった未来を”感じないでいようと思っていませんか?

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11月9日”未来は望めば起こるわけではない。”
本日の内容とも重なりますが、重要なので。明日もお楽しみに。

2009年11月7日土曜日

”荒野にしがみつく人の多くは屍しか残せない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”も、「非営利組織(Managing the Non-Profit Organization)」からの抜粋で、”しがみつかない”戦い方の大切さについて描かれている。

このページをより深く理解するためには、9月3日の投稿をご参照いただきたい。

この内容に、「リーダーは時として、部下達と共に戦っていた”戦場”に背を向け、一人丘の上に向かわなければならない。」と書いた。体裁の良い現実逃避をしながら、部下と戦場で同じ戦略を継続することで、”組織の失明”を招く恐れがある。

この話は、”リーダーが率先して戦略の陳腐化を行わなければならない”という意味につながる。

(同じ戦略に)”しがみつく組織”に共通して言えるのは、ワンマン経営や上司によるトップダウン型の風土だと思う。大抵は”意見を言いにくい(または言ってはならない)風土”が定着した結果ではないだろうか。

こうした組織では、一人(もしくはごく一部)の人間で戦略を練っているため、少ない知恵でやっとのことで編み出した戦略を、あたかも芸術品の様に”愛でる”傾向がある。

「(自分が考え出した)この戦略が間違っているはずはない…。」といって、部下や周りの忠告を一切受け付けない雰囲気をつくるのに長けている。戦略を変えることなく、ついには強引にスタッフや顧客を変えようとしてしまうのだ。

これは、実は組織のどの階層でも日々発生しており、我々にとって、組織の全員からこの様な偏愛を切り離すことは極めて重要な仕事である。 ”作品”への思い入れが強いことによって、組織の活動が急速に社会から乖離していく危険性を持っているからだ。

そもそも戦略さえも成果を生むための作られる”ツール”でしかない。それを改良しても想定した効果が見られないのであれば、”生みの親”が率先して戦略を破壊し、白紙から組み直す勇気を持たなければならない。

もう、一人だけの脳で考えるのを止めよう。より多くの人の脳を結集してアイディアを集める一方で、より本質的な問題点(タブー)を笑って話せる環境を育もう。

戦略の失敗は、単に一つの”実験の失敗”に過ぎない。「上手くいかない事が分かったことがラッキー。」と思い、「はい次〜。」という気軽な感覚で次の戦略に躊躇なく移行できる組織を育もう。


Today's Questions.
Q:あなたの組織はどのような戦略にしがみついているでしょうか?

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11月8日”重要なことは、いかなる未来を今日の思考と行動に折り込むかである。”
未来をいかに今日の意思決定に反映させるか。明日もお楽しみに。

2009年11月6日金曜日

”聖アウグスティヌスは奇跡を求めて祈り、成果を求めて働きなさいといった。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「非営利組織の経営(Managing the Non-Profit Organization)」からの抜粋で、「戦略(Strategy)」についての説明だ。

このページでドラッカー教授は、使命(Mission)や計画(Plan)は善意(善き決意)にすぎず、成果を生むためには戦略が不可欠である、と言っている。

「計画が知的な遊びに終わっていることが多いことに気づいた。」(P.F.ドラッカー)

そして、”計画(Plan)”という言葉を使うことによって、それを作ること自体が仕事になってしまう危険性についても触れており、あえて行動を前提としてイメージできる”戦略(Strategy)”という言葉を使う様になった、といった説明であった。

「戦略であれば、期待するものではなく、働くためのものであることがはっきりしている。」(P.F.ドラッカー)

これは個人的にも実体験として経験がある。以前、中小企業向けにITコンサルをしていた折、その組織の社長と幹部の方々に対してオーダーメイドした企画をプレゼンする機会が多かった。

その際、開業当初は資料のタイトルでよく悩んだ。なぜなら、感覚的にだが、「○○○○のご提案」というタイトルで企画書を出すと、なぜかお客様(特に幹部社員)からダメだしをされ、契約に至らない事が多い気がしたのだ。

そこで、「○○○○戦略のご提案」と、”戦略”という言葉を付け加えてみたところ、たちまち契約までが円滑になった。

まずこちら側の資料の作り方が変わった。少ないリソースで確実に成果を出せるようなシンプルな資料にすることができたのを憶えている。そして、プレゼン時の雰囲気も変わった。

社長始め、幹部社員が「ここについては誰に担当させよう。」「ここについては、こういう風に変えてやればうまく行くはずだ。」と、契約がまだ決まっていないにも関わらず、既にその戦略を実践しているかのように前向きな意見が交わされるようになった。

コンサルタントという立場は、いかに顧客の側になれるかが常に課題となるが、この「戦略」という言葉を用いることによって、組織の一員として成果を生むためのアイディアを惜しみなく提供することができ、それが顧客にも伝わったのかもしれない。

使命や計画という言葉だけでなく、小さなプロジェクトであっても戦略という言葉を使ってみるだけで、全員参加の活動が促され、今まで見えなかった何かが見えてくるのではないだろうか。


Today's Questions.
Q:戦略がありますか?
Q:組織のメンバーはそれを知っていますか?

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11月7日”荒野にしがみつく人の多くは屍しか残せない。”
”しがみつかない”戦い方についての説明です。明日もお楽しみに。

2009年11月5日木曜日

”未来のための予算は好不況にかかわらず一定に保つ。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「明日を支配するもの(Management Challenges for the 21st Century)」からの抜粋で、”未来予算(Future Budget)”についての説明だ。。この中でドラッカー教授は好不況に関わらず、未来の顧客創造に繋がる活動のため、一定の予算を別枠で確保しなさい、としている。

未来の顧客創造に繋がる活動とは、主にマーケティング&イノベーションを指すと考えて良いだろう。新たな顧客を見つけ、その顧客が必要とする商品やサービスを生み出すプロセス全体がそれにあたる。

記憶が定かではないが、オーディオブック「P.F.ドラッカーと考える21世紀の経営」(もしくは「日本企業への警告」)のインタビューにおいて、インタビューアーが「未来に対する予算の重要性について本で説明されているが、その額をどの様に決定したらよいか?」という問いを投げかけた。

ドラッカー教授は「未来への投資額は、最低でも、”過去行った事”に対して支払わなくてはならない金額を上回る必要がある。」といった回答をしていた。

注:上記の正確なソースについては後日追記予定。

残念ながら弊社では今のところ、これについての取り決めが全くされておらず、昨年末からの不景気の中、どのコストを削減し、どこを削ってはならないのかが明確でなかったので、早々に検討していきたい。

さて、”未来予算は、過去に対して支払う金額を上回るべきだ”という言葉で思い出すことがないだろうか?

先日登場した、ドラッカー教授が最も重要視する”時間”の使い方についても、彼は同様の説明をしている。”未来の時間(明日をつくる時間)”と”過去の時間(過去に行ったことに対処する時間)”の関係に非常に似ている。

そして、時間と金…となると、ひょっとすると経営に関わるすべてのリソース(経営資源)について、同じ事が言えるのかも知れないと感じた。

一般的に言われるリソースは、ヒト・モノ・カネの有形資産である3要素が挙げられるが、最近ではその他の無形資産となる情報・知識・時間・技術・知恵・ブランド等が加えられてきた。

自らの組織における、これら全てのリソースの”未来対過去配分”をそれぞれ考えてみると、その大半が赤字である事がよく分かる。

本日のページを読み、資金だけでなく、それぞれのリソースの、いわば”未来配分”を別枠で確保した上で、明日に繋がる意思決定をしていく重要性に気付くことができた。


Today's Questions.
Q:未来に繋がる別枠予算を確保していますか?
Q:どのリソースに”未来配分”が欠乏していますか?その結果は?
Q:どのリソースに十分な”未来配分”が確保されていますか?その成果は?

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11月6日”聖アウグスティヌスは奇跡を求めて祈り、成果を求めて働きなさいといった。”
戦略についてのお話しです。お楽しみに。

2009年11月3日火曜日

”情報は、事業の定義が前提としているものの有効性を知るために必要とされる。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、組織が必要とする情報についての説明だが、読んでも少し難しいページだ。

原著を見てみると、”Gathering and Using Intelligence(情報の獲得と活用)”といったタイトルになっており、ドラッカー教授は、情報は組織の戦略における”Assumptions(仮説)”を検証するために必要であり、必要とあらば外部の専門家を使うと良い、としている。

では、この場合の”仮説”とは何か?仮説を立て、検証する力、いわば”仮説力”というのは組織運営において非常に重要な意味を持つように思う。我々は「これをこうしたら、何にどの様な影響が出てくるだろうか?」といったシミュレーションを常に続けなければならない。

今日行う我々の意思決定は、明日にはあらゆる物事を変化させている。もし明日、今日と同じ情報を前提に意思決定した場合、誤った判断に繋がる可能性が高まるからだ。

端的に言えば、「自組織の”今”に対する、我々の認識がずれていないか?」ということを生の情報を元に検証しなければならないということだ。

ドラッカー教授は、以下3種類の仮説を確認するよう、勧めている。

①社会、市場、顧客、技術等、事業に関わる外部環境の仮説
②組織特有の使命(Mission)に関わる仮説
③使命達成の為に必要とされる、自らの組織の強みに関わる仮説

これらの情報は社内にいるだけで見極めることは至難の業だ。脅威は常に組織の外からやってくる、という言葉からも分かるように、外部の情報に敏感になり、”仮説力”を大胆に発揮することで、想定外なリスクを低減していけるのではないだろうか。

また、組織を通じて関わるすべての方と対等な人間関係を築くことで、外部に高精度な危機察知センサーを持つこともできる。組織の使命をそれらの人に理解していただき、何かそこに影響を及ぼすような情報があれば、即座に届けてもらおう。

組織を守り発展させることができるのは、結局は「人」なのだ。


Today's Question.
Q:組織の置かれた”今の状態”を正確に捉えていますか?
Q:どの様にすれば、より正確に把握できますか?
Q:だれがその情報を持っていますか?

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11月5日”未来のための予算は好不況にかかわらず一定に保つ。”
明日は内容が重複しますので、お休みとします。明後日は未来予算について。どうぞお楽しみに。

2009年11月1日日曜日

”象はノミと違って身長の何倍も飛び上がることはできない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”では、選択と集中についての説明がなされている。組織においても選択と集中がいかに大切であるかという点について再認識させる内容だ。

組織は一時にわずかの仕事にしか取り組めない。組織構造やコミュニケーションの工夫ではどうにもならない。組織では集中力が鍵である。 (P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「断絶の時代」より、ダイヤモンド社)


”組織”というと、構造を工夫することで、一度に様々なことを平行して進められる様に思えるが、実際は非常に難しい。取り組みを増やすことで、リソースの集中投下やフィードバックが手薄になってしまい、いつまでもなかなか満足いく成果を上げることができない。

「今後、半年間のテーマは○○で、これに全員で集中しよう。」と伝えた方が、よほど分かり易いし、少しずつでも確実に前進できる様だ。ただそれ故に、何を最優先させるのかは非常に重要だ。

ドラッカー教授は「経営者の条件」の中でも、「成果をあげるための秘訣を一つだけ挙げるならば、それは集中である。成果をあげる人は最も重要なことから始め、しかも一度に一つのことしかしない。」(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「経営者の条件」より、ダイヤモンド社)とし、「時間の収支は常に赤字である。」といかに限られた時間に対し、やらなければならないことが多いのかを冷静に分析している。

みなさんは、「ドラッカー 365の金言」と原著「The Daily Drucker」の表紙には”砂時計”の絵が描かれているのにお気付きになっただろうか。そしてその砂は下に落ち始めている。表紙をめくって、最初に目に飛び込むのは、空白のページ中央に一言で記された、「汝の時間を知れ(Know Thy Time.)Peter F. Drucker」というメッセージだ。

タイトルや装丁、ページ構成など、この本の全てにおいて、ドラッカー教授が人生を通じて我々に本当に伝えたかったことを”集中”させることに成功している。

自らの人生において、あと何回、”選択と集中”ができるのかを考えると、現在の取り組みが本当に”最優先で選択し、集中すべき”活動なのかを真剣に再考する必要があると感じた。

Today's Questions.
Q:何を選択し、集中していますか?
Q:優先されるべきでない活動にリソース(資源)を浪費していませんか?

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11月3日”情報は、事業の定義が前提としているものの有効性を知るために必要とされる。”
明日はお休みさせていただきます。明後日の更新をお楽しみに。

2009年10月31日土曜日

”NPOにおいて理事とは、地位ではなく責任である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”では、NPOにおける理事の役割について触れられている。ドラッカー教授は、「理事とは、地位ではなく責任である。」とし、使命、有給スタッフ、ボランティアに対して責任を負う様、伝えている。

NPO法人(特定非営利活動法人)ではなくても、誰もが何らかの非営利組織において理事や役員などの”リーダー的役割”を担当しなければならない場面が出てくると思う。私自身も現在、厚生年金基金や幼稚園、地元地域等の非営利組織において理事や役員をしている。

そうした活動の中で判断に迷った時、本日のページのメッセージを意識するだけで、より正しい意思決定ができるようになるので、みなさんにもお勧めしたい。

まず、非営利活動の理事や役員といった役割は、一般的に、自ら申し出ることによってその役割に就く事はまず無いのではないかと思う。ある日突然、「○○さん、あなたに是非ともお願いしたいのですが。」と言われ、大抵の場合は、それを免れることはできない。

自ら積極的に選択したわけではない組織から声がかかった時、人は色々理由を言って反射的にそれを躊躇してしまうが、これには若干の矛盾を感じる。

選出の方法は様々なので、一概には言えないかも知れないが、少なくとも、「この人であれば間違いないだろう。」という判断から自らの所に話が来ているはずだ。それを忙しくなるからという理由だけで無碍に断るのは、”結婚式の祝辞を頼まれて断るような行為”と同様ではないだろうか。

勿論、本業を脅かしてはいけないが、日頃その相手(非営利組織)の活動による恩恵を(間接的にも)受けて来たわけで、その活動を運営する側に立つ機会を与えられたのであれば、まずは謹んで受け、倍返しするために尽力するのが、人として当然であると思うのだ。

逆に考えれば、”自分だけが良ければ良い”と思って行動を徹底している人に、そのような役柄はなかなか廻ってこない筈だ。その様な声は、”来るべくして自分に来ているのだ”と思い、せっかく受けるからには、その組織の使命を深く理解し、自らをその下に置いて全力で貢献していきたい。

もう一点、非営利組織の理事会または役員会に入った際に注意すべき事は、その組織の活動について、自分に知識があろうとなかろうと、自分が「重要な意志決定者の一人」であるということだ。よく分からないからといって意見を言わないと、まったく貢献することができないし、かえって組織の足手まといにもなりかねない。

せっかく貴重な時間を割いて参加するのであれば、その時間を”未来の時間(明日をつくる時間)”で満たしたい。

私にとっては、先述の厚生年金基金の理事会から学ばせていただくことは計り知れない。何千人もの加入員とその事業主によって積み立てられる莫大な資産の運用を決定する場であるが、金融取引に全くの素人だった私でも、”いかに理事会がより良い決定をできるか”を追求する点は、企業のそれと同じであることが最近実感できてきた。

「使命達成のため、より正しい意思決定のために、今、何が必要なのか?」「それはどの様にして得られるのか?」

このような、誰にでも考えられるような幾つかの問いを、他の理事や役員と共に愚直に考え、行動し続けることにより、より持続的に成果を上げられる非営利組織を、我々自身の手で育んでいくことができるのだと思う。

Today's Questions.
Q:あなたは現時点で、いくつの非営利組織の運営に関わっていますか?(見落としている可能性があります。)
Q:あなたの生活は、いくつの非営利組織の恩恵を受けているでしょうか。

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11月1日”象はノミと違って身長の何倍も飛び上がることはできない。”
何でもできるわけではありません。全ては集中力に鍵が。お楽しみに。

2009年10月30日金曜日

”募金とは資金源開拓のことである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、NPOの資金源開拓について。募金による資金繰りが仕事になってしまいがちなNPOについて注意すべき点が描かれている。

このページで触れられている通り、NPOの主たる資金源は募金から成り、企業や政府の資金源とは異なる。

残念ながら、個人的には数十万程度の募金活動しか経験がないため、細かい点については分かりかねるが、相手に非営利組織の存在意義を理解してもらい、多額の募金をしてもらうというのは本当に大変な事だと思う。

募金してもらえるか否かによって、そのNPOの存在価値が明確になってしまうのだ。「この活動を支援すべきだ。」と思ってもらうには、昨日の投稿でも触れた通り、強力なマーケティングが必要だろう。

マーケティングとは相手の側に立つことが必要、というわけで、本日は支援企業側として考察してみたいと思う。NPOといっても活動内容は様々なので、全てに当てはまることではないかも知れないが、個人的な意見としてお読みいただき、皆さんからの意見や感想などもいただければと思う。

もし私が支援企業の側であるなら、募金を単なる資金援助では終わらせないだろう。募金はある意味、自らの組織に新たな事業部を設置することと同じ意味を持つのだと思う。

当社の資金というリソースと、NPOが保有するリソースを融合させることで、当社の使命達成能力を強化させることができるからだ。

私なら、

・いかにそのNPOが当社の使命を理解しているか?
・当社の使命達成に拍車をかけるのに最適なNPOか?
・最も成果を上げられるNPOか?
・社会的に見て、その事業を、そのNPOにリードさせるべきか?
・自らの子供をそのNPOで活動させたいと思うか?
・ステイクホルダー(組織の利害関係者)にも同様に理解を得られるか?

などを自らに問うことによって、どの程度の投資をすべきかを決定していくだろう。

上記の事から、NPOは企業の使命達成請負人の役割も担うことが理解できる。だとすると、NPOは本質的には企業にとって、「外部の人間」であってはならないのかも知れない。


Today's Questions.
Q:あなたのNPOは、支援企業の事業部として機能し得ますか?
Q:少しずつでも多くの企業から支援してもらえれば良いと思っていませんか?

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10月31日”NPOにおいて理事とは、地位ではなく責任である。”
理事は責任を伴った選択をする義務があります。お楽しみに。

2009年10月29日木曜日

ブログにTweetボタンを設置しました!(Drucker365)

 
いつもDrucker365をご愛読いただき、誠にありがとうございます。

毎日、Twitterを通じて多くの方々においでいただき、日々感想をいただけることは、私にとってこの上ない幸せでございます。

しかし、実は一点、8月にブログを開始してから私がずっと気になってきた事があったのです。それは、せっかくお読みいただいてもどうしても一方通行になってしまいがちで、お読みになった方同士でお互いの意見や感想を交わしたり、考えを深め合ったりすることが困難な点でした。

そこで、当ブログの読者の大半はTwitterユーザであることから、各Postの後に「Tweetボタン」を設置させていただきました。このボタンによって、各PostへのTweet数を把握したり、他の方々の感想を読んだり、それにReplyしたりが自由にできるようになりました。

ご投稿いただくことで、ボタンにTweet数が表示されるようになりますので、その数が多い場合はその分、議論が白熱した(?)ことがある程度把握できます。

これで、ネットを通じた「毎日開催!『ドラッカー 365の金言』ワークショップ」の出来上がりです。(笑)このように、誰もが、いつでも参加できるドラッカーのワークショップは、まだ国内に存在しませんので、心おきなく闊達な意見交換をしていければと存じます。

最初はTweetボタンを押した後、英語が多いので、心配される方も多いかも知れませんが、「Tweetmeme」という急成長している米国のサービスですので、安心していただけるかと思います。

なお、本件につきまして、ご不明な点はTwitterを通じてお受けいたしますので、お気軽によろしくお願いいたします。

注:Twitterのアカウントをお持ちでない方は、こちらからご登録ください。

それではまた明日、これからはみんなでDrucker365でお会いしましょう! ;-)

”マーケティングとはサービスの受け手の側に立つことである。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、非営利組織(以下、NPO)のマーケティングについて。営利目的の営業活動にくらべ、非営利活動には、より相手の立場に立ったマーケティングが不可欠となる。

原著「The Daily Drucker」の本日のページで、ドラッカー教授は、非営利組織について以下のように説明している。非常に興味深い箇所なので、引用したい。

The nonprofit institution is not merely delivering a service. It wants the end user to be not a user but a doer. It uses a service to bring about a change in human beings. It attempts to become a part of the recipient rather than merely a supplier.(P.F. Drucker, "The Daily Drucker", p.329, Harper Business)

NPOは、単にサービスを提供するするのではなく、ユーザーに利用者としてだけでなく、行動する人になってもらうことを目的としている。NPOは、人間に変化をもたらすためにサービスを活用し、サービスの提供者としてだけでなく、同時に受益者になろうとする。(同上 中村克海訳)


ここで感じたのは、非営利活動だとしても、”価値”としての”Profit(利益)”を目論んで活動していることを、相手にしっかりと伝えなければいけない、というメッセージだ。

NPO活動において、周囲に協力を要請したり、サービスを提供すると、必ずと言っていいほど耳にするのは、「なぜ(ボランティアで)そんな事をしているの?」といった一種の猜疑心から発される質問だ。

せっかくこちらから今までにない素晴らしいサービスを提案しても、協力者やユーザーの「なんで?」という猜疑心を取り払うのに時間がかかり、プロジェクトがスローダウンしてしまう、ということを今まで何度か経験してきた。

このページに登場する有名な詐欺師の言葉、「ブルックリン橋は、贈るより売る方がやさしい。」からも分かる通り、我々はどこかで「ただより高いものはない。」という意識を持っている。

そのため、この”猜疑心”を取り払うためのマーケティングなしには、良くできた非営利サービスも円滑に広めることが困難だ。優れた商品を値札無しに陳列しても評判にはならないのだ。

マーケティングとは、相手(受け手)に乗り移ることによって、自らの組織(提供者)にしてほしいことをそのまま感じ取り、実行するまでのプロセス全体を指す。

マーケティング不在のNPOは、つい「我々はみな、こういうところで困ってるんです。だから、こういうサービスがあったら便利じゃないですか。どう考えてもあなたにはリスクがないのに、なぜ協力(または利用)してくれないんですか?」と自らの都合を前面に出して相手を追い詰めてしまう。これではエゴ丸出しの押し売り(sales)だ。

なぜそうした活動を始めるに至ったのか?サービスの提供者と受益者、双方のメリットとデメリットは?この辺りを率直に見える化できれば、”無形の支払い”を済ませる事ができる。

まずはその”無形の支払い”を済ませ、より円滑に豊かな社会を構築していこう。

追記:そういえば、当ブログについてもその辺を明確にしておく必要がありますね。後日、明記したいと思います。


Today's Questions.
Q:「無償の愛」は存在するのでしょうか?
Q:NPOであることによって、気持ちの上で相手の上に立ってしまっていませんか?

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10月30日”募金とは資金源開拓のことである。”
本日は投稿が遅くなりまして、ご迷惑をお掛けいたしました。明日は、募金による資金繰りが仕事になってしまいがちなNPOについて注意すべき点が描かれています。明日もどうぞお楽しみに。

2009年10月28日水曜日

”顧客以外のステイクホルダーに対しては政治的に対応しなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、顧客以外のステイクホルダーとの関わり方について。ドラッカー教授は、主たる顧客の満足を追求する一方で、その他のステイクホルダー(利害関係者)の満足をバランスさせる必要がある、と説いている。

自らの主たる使命に関しては最適化を求めなければならない。何が受け入れられるかではなく、何が正しいかを考えなければならない。しかし、顧客以外のステイクホルダー(利害当事者)に関しては、拒否権を行使されないよう政治的に対応し、満足化を求めなければならない。(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「乱気流時代の経営」より、ダイヤモンド社)


ステイクホルダーとは:組織において、その活動に影響を受ける個人または法人、団体を指す。一般企業の場合、顧客、消費者、従業員、労働組合、株主、投資家、債権者、金融機関、関連企業、取引企業、競争企業、業界団体、行政、監督官庁、地域住民などがステークホルダーである。

「経営者に贈る 5つの質問」の中で、顧客には①「主たる顧客」と②「パートナーとしての顧客」の2つがあるといった説明がある。この後者が、本日の内容で言う、「顧客以外のステイクホルダー」だ。上に挙げたように、一口に”ステイクホルダー”といってもそこには極めて多様な人々が含まれることを改めて注意したい。

われわれの組織の貢献は、こうした「パートナーとしての顧客」の貢献によって実現している。

よって、組織のトップが「主たる顧客」との関係を優先させるが故に「パートナーとしての顧客」に対し、過剰に犠牲を強いる状態が続くと、組織の弱体化を招く恐れがある。

それぞれのステイクホルダーが、組織に何を求めているのか?彼等(または彼女達)が組織に求めているものを、一概に「お金だ。」と言い切るのはあまりにも安直すぎる。お金だけで満足させることができるのはごく一部の人であり、そうしたステイクホルダーは、組織にとって永続的な”真のパートナー”にはなり得ないだろう。

”良きステイクホルダー”は、「(自分の存在が)組織の邪魔になってはいけない。」ことを無意識の内によく理解していると同時に、その組織に対し、崇高な意味での”価値”を期待しているように感じられる。

その組織は、「自らの成長や夢の実現に役立てられる組織なのか?」を常に見極めようとしている。

われわれは、そうした組織を支える人の大きな期待を意識しつつ、それぞれのステイクホルダーが満足していただける様なカタチにバランスさせていく必要がある。

ツイている組織は、組織とステイクホルダーが一つの家族の様に団結して見え、そこに関わるすべての人が、それぞれの強みを結集している。

今日も仕事を通じて関わる”すべての人”と強みを結集し、よりよい明日を築いていこう。


Today's Questions.
Q:パートナーとしての顧客は、あなたの組織にそれぞれどのような価値を期待していますか?

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10月29日”マーケティングとはサービスの受け手の側に立つことである。”
真のマーケティングとは?明日もお楽しみに。

2009年10月27日火曜日

”知識労働者とは同じ1つの階層である。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「新しい現実」からの抜粋だ。知識労働者の政治的位置づけについての説明となっている。

多数派でありながら、いかなる政治勢力とも無縁で自由な存在である知識労働者。収入に違いがあるとしても、経済的社会的には同じ一つの階層に属する、とドラッカー教授は言っている。

いかなる職種であろうと、人に事細かに指示を受け、その通りに仕事をこなせばよいという仕事に就いている人は少ない。日々の仕事の中で様々な選択を強いられるわけで、そうした意味において、先進国で仕事に就く殆どの人が、知識労働者であると言える。

一人ひとりがセルフ・マネージャーであり、自らの経営責任を担っているのだ。

また、資本家という意味においても、われわれ知識労働者は組織の一員として年金基金を通じ、莫大な資産を間接的に運用する立場にある。

われわれは、知識と資本を有する資産家であると言える。

しかし、原著”The Daily Drucker”のACTION POINTにあるように、この巨大な”知識労働者層”を支持者の対象とした政党が存在しないのはなぜだろうか。

そのような政党が存在した場合、どの様な施策を提案するのか? 
この点については、もうしばらく考えてみようと思う。

Today's Questions.
Q:”知識労働者党(仮称)の党首として、あなたならどのようなマニフェストを策定しますか?”

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10月28日”顧客以外のステイクホルダーに対しては政治的に対応しなければならない。”
いかにして顧客以外のステイクホルダーに満足してもらうべきか。お楽しみに。

2009年10月26日月曜日

”労働組合が活力を取り戻すには自ら根本的に変身しなければならない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、労働組合の存在意義について。この中で、ドラッカー教授は「強力なマネジメントを必要とする現代社会においては、強力な労働組合が必要である。」とし、急速に変化する労働環境に即した労働組合活動が必要であることを示している。

労働組合の目的は、労働者の雇用環境の向上や諸条件の維持改善にある。しかし、近年は著しくその存在感が薄れてきており、全労働者に占める組合員の比率も、戦後は半数を超えていたが、現在では20%に満たない状態で、今なお低下し続けている。

では、どのような変化が労働組合員の弱体化を招いているのだろうか。

・組合のネガティブなイメージ
・特定政党への投票
・社会保障制度の一般化
・国内の生活水準向上
・非正規雇用者層の増大
・組合の要求内容と現実との乖離
・労働基準法等、法令遵守の意識向上
・ワンマン経営の減少
・経営状況の可視化
・会社側による雇用環境向上

少し考えてみても様々な要素が考えられる。

上記のそれぞれが労働組合の組織率の低下を招いていることは容易に想像できるが、個人的にこの中で特に問題として大きいと思うのは、労働組合が、急増するパート・アルバイト・派遣・契約・嘱託といった非正規労働者にとってメリットのある組織になっていない点だ。

過去20年間において、非正規雇用者の割合の推移を見ると、男性が8%だったのが20%近くに、女性では38%だったのが、今では半数以上に急増している。

しかし、労働組合の多くは中高年の正規雇用者で構成されており、積極的な非正規雇用者の保護は、自らの首を絞めることになると考えてしまうため、肥大するそれらの労働者を守ることができずにここまで来てしまったという感じだ。

以前に比べ、従業員を大切にする経営者も増え、一見労働組合は不要に見えるかも知れないが、検討すべき課題は従来とは異なる場所で発生している。その辺りについて建設的に意見を交わせる労働組合は組織全体にとってもメリットが大きい。

改めて労働組合の使命は何か?、顧客は誰か?、顧客にとっての価値は?といった問いについて整理する必要があるのではないだろうか。


Today's Questions.
Q:労働組合でなければ実現しないことは何ですか?

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10月27日”知識労働者とは同じ1つの階層である。”
知識労働者の政治性とは?明日もお楽しみに。

2009年10月25日日曜日

”環境保護を目的とする援助こそ最も生産的な国際協力にちがいない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、環境保全における国際協力のあり方について描かれている。原著”The Daily Drucker”の本日のタイトルは、”Government in the International Sphere”となっており、”球体”としての地球全体を見据えた、強い意思決定機関の必要性を伺える。

われわれは、海洋汚染、地球温暖化、オゾン層破壊など、人類の生存環境の破壊をともなって生産された財の貿易を禁ずることにより、それらの行為を事実上禁止することができる。(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「断絶の時代」より、ダイヤモンド社)


このページで重要なのは、地球がこのような機関を手にするには「国家主権の犠牲が必要である。」という点だ。地球を意識して意思決定をするためには、「国」という概念を捨てる必要があるのだ。

たしかに、国という「壁」を無視して考えることができると、我々の取り組みは大きく変化するはずだ。地球全体を住みやすい場所に戻すためには、各国の強みを最大限に活用する必要がある。

しかし、なぜこの実現が難しいのか?

われわれは他者に協力しないための「壁」を作る(あるいは見つける)のに長けている。「壁」は、国だけでなく、先日の記事で登場した宗教や政党のほか、性別、人種、学歴、会社、部署、思想、収入・・・等々、様々なカテゴリーによって作られ、人々はそれに依存することで、自分自身の良心の声から身を隠してしまう。

「あの人(または人達)は(私とは異なる)○○だから。」と言って逃げる。

では、なぜ協力から逃げるのだろうか?

ひょっとすると、我々は資本主義によって世界の全てが「ゼロサム・ゲーム」でしかないのだと、信じて疑わなくなってしまっているのかも知れない。

特に政治家の国家間交渉からは、それを強く感じさせられる。未だに「私の国からこれをあげるから、あなたの国からはこれをよこしなさい。」などといつまでもやっているのだ。問題が悪化するスピードの方がよほど早いのは当然だ。

今世界が必要としているのは、全地球規模で意思決定できるリーダーである。自国の利益を最優先させる国には難しい。この点において新しい米政権は従来より賢く映るが、強烈な愛国心を植え付けられたアメリカ国民には地球レベルの意思決定など極めて難しいはずだ。

私は、これまで世界中の方と付き合ってきた経験から、冷静且つ客観的に考えても、われわれ日本人がこの仕事の中心的役割を担うべきであると考えている。

これは決して私の愛国心から来る安易な”希望”ではなく、この国の歴史、気質、風土、地理的環境など、様々な視点から見て、思うところなのだ。まずは我々が地球規模の意思決定を始める事で、地球が「ノン・ゼロサム」である事を立証できると信じている。


Today's Questions.
Q:地球規模の意思決定において、真の愛国心をどのような行動で活かすことができますか。

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10月26日”労働組合が活力を取り戻すには自ら根本的に変身しなければならない。”
労働組合の存在価値とは?お楽しみに。

2009年10月23日金曜日

”民営化の目的は政府の再生にある。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”も、「断絶の時代」より。タイトルが”民営化の目的”となっているが、原著”The Daily Drucker”では”Government Decentralization(政府の分散化)”というタイトルとなっている。

Decentralization(ディセントラライゼーション)という言葉は、Centralization(中央集権化、中央集約化)の反対で、分権化、分散化などの意味である。

分散化というと、政府の弱体化を招くのでは、との印象があるが、実際はそうではない。政府は”頭脳”として重要な意思決定をより適切に下す一方、事業などの「実行」に関わるあらゆる部分については民間に委託すべく進めることで、”明日をつくる”組織を作ることができるはずだ。

これは会社組織においても全く同様だ。「社員には任せられないから…。」と言いつつ、いつまでも社長が事細かな仕事をしていれば、大局で見る機会を失い、どれも中途半端に終わってしまう。脳は脳として、手足は手足として役割に徹することで組織は前に歩き出すのだと思う。

また分権化、分散化というと、”丸投げ”と誤解してしまいがちだが、仕事や権限を委譲する側は、成果を公正に評価する事が前提となる。

このDecentralization(ディセントラライゼーション)は、今後の組織運営改革の要になってくるのではないかと思う。フラットで柔軟な体制をつくり、いかにしてより多くの重要な権限を委譲し、今までにない成果を上げる一方で、未来を見つめ続けられる組織にできるか。

静かなカリスマ性を持った次世代型組織(および、リーダー)が、社会に必要とされている。


Today's Questions.
Q:政府が存在しなかったら、何に困りますか?それはなぜですか?
Q:政府の仕事で民営化できない仕事は何ですか?本当に民営化できませんか?
Q:成果の公正な評価なしに、丸投げして終わっていませんか?

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10月25日”環境保護を目的とする援助こそ最も生産的な国際協力にちがいない”
明日はお休みさせていただきます。明後日をお楽しみに。

2009年10月22日木曜日

”政府は形式を重視する。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「断絶の時代」からの抜粋。「政府はお粗末な経営者である」という一文から始まる本日のページは、政府の役割について説明されています。

政府の役割は、重要かつ意味ある意思決定を行うことである。社会のエネルギーを結集することである。問題を明示することである。選択を提示することである。すなわち、統治することである。(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「断絶の時代」より、ダイヤモンド社)


政治について疎い私にも、かつての政治ニュースは読むに堪えない内容の議論ばかりだった。税金を浪費しながら、延々と低レベルな論争にうつつを抜かし、まさに”重要かつ意味ある意思決定”が全くと言っていい程なされていなかった様に思う。

しかし、政権交代後は話題の質が一変した。議論の内容が個々の”意思決定”についての論争に変わってきている。多少荒削りだが、今の政党は前を向いている。前政権に較べ、未来の時間(明日をつくる時間)が圧倒的に多いように見えるのだ。

”社会のエネルギーを結集する”および、”問題を明示する”という意味においては、体制がある程度整い次第、党を越えて公平公正な見解で意見を交わし、協力しながらよりよい意思決定ができる様な環境の構築を期待したい。

10月17日の記事で宗教について触れた。タイトルは、”宗教は、神の王国を捨ててまで社会を受け入れることはできない。”というものだった。これを政治に変えてみると、分かり易い。

”政治家は、政党を捨ててまで社会を受け入れることはできない。”

宗教と同様に、社会は政党に関係なく、有機的に絶え間ない変化を続けている。より正しい意思決定のため、全ての議員から、政党という依存対象を排除しなければ、本当の”エネルギーの結集”は実現できないのではないだろうか。

議員数は大幅に削減し、近い将来、国の意思決定においても民間の非営利組織がその大半を担う日が来るかも知れない。


Today's Questions.
Q:あなたがこの国のリーダーだとしたら、最初に取りかかる仕事は何ですか?

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10月23日”民営化の目的は政府の再生にある。”
引き続き、民営化についてのお話です。お楽しみに。

2009年10月21日水曜日

”政府は制定者、促進者、保険者、支給者ではなくなった。自ら実行者、運営者となった。(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、イギリスの国民健康保険制度を政府主導の制度改革の可能性について書かれている。このページで紹介されている、ドイツ帝国の初代宰相オットー・フォン・ビスマルク(1815-1898)(Wiki)と社会保険制度の成り立ちについてWikipediaに端的な説明があった。興味深いので、引用しておこう。

社会保険制度の創設
世界で最初の社会保険制度は、1880年代に創設されたドイツの社会保険制度である。当時、イギリス等に比べて経済的に後進国であったドイツは、急速に産業革命を進め経済的発展を図るために、労働運動を抑圧する必要があり社会主義者鎮圧法が制定された。その反面で、労働者にアメを与えること(福祉向上)とし、宰相オットー・フォン・ビスマルクは、1883年に疾病保険法、1884年に災害保険法、1889年に老齢疾病保険法を制定する飴と鞭政策を採った。イギリスは、古くから「友愛組合」という名の共済組合が発達しており、労働者の生活もわりあい恵まれていた。しかし、20世紀に入り、ドイツ、アメリカ等の後進資本主義国が発展し、世界経済市場で競争が激化し、労働者の生活も圧迫されたため、デビッド・ロイド・ジョージは、1911年に国民保険法(健康保険と失業保険)を制定した。失業保険は、世界で最初の制度である。19世紀末から20世紀初頭にかけて、ヨーロッパの多数の国々で社会保険制度が整備された。(ウィキペディア(Wikipedia):「社会保険」


今日、日本を含め、世界の先進国において無くてはならない社会保険制度の基礎は、この”鉄血政策”で有名なビスマルクによって発案されたという事実には驚いた。彼の人柄を表す逸話があったので、こちらも紹介したい。

沼に嵌って溺れている友人から助けを求められたところ、銃を向け「その沼は底なし沼なので助けようとすれば二人とも溺れ死んでしまう。せめてもの友情で苦しまないよう一発で殺してやる」と言い放った。驚いた友人は、懸命に泳ぎ自力で沼から這い上がってきたといわれる。この話が実話かどうかは確認されていないが、冷静で計算高く目的のためには荒っぽい手段も辞さないビスマルクの手腕を示す逸話として残っている。

一見、酷く乱暴な話だが、我々が彼から学べることは多い。方法云々は別として、彼はいかなる場面においても瞬時に成果を出している。

ビスマルクについて調べてみると、彼がいかに優れた交渉力の持ち主だったのかを実感することができた。彼は一瞬にして相手よりも相手を理解し、必ず相手に何らかのメリットを提供することで自らの組織の目的を果たしていた様だ。

「政治主導」「国の介入」「政府主体」という言葉には思わず拒否反応を起こしてしまいがちだが、それは単に我が国の政府が、民間や非営利に較べ、”目的を達成し得ない意思決定機関である”と認知された結果だ。

社会の構造改革に一番近い立場の「政府」が、国民や社会全体に対し、”なされるべき事をする”気高い意思決定機関であれば、我々日本人はグローバル社会においてより重要な任務に就くことができるのではないかと思う。そして新しい日本として生まれ変わるのは今からでも決して遅くはない。

ドラッカー教授は生前、世界をリードするべき国として日本に大きな期待をしていた。われわれ一人ひとりがその意味を改めてよく考える必要があると思う。


Today's Questions.
Q:どの様にすれば、現政権が正しい意思決定ができるようサポートできますか?

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10月22日”政府は形式を重視する。”
タイトルどおりの内容です。本日の内容にも関連する内容です。お楽しみ下さい。

2009年10月20日火曜日

”利潤動機は物に対する支配欲を満足させる”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「企業とは何か」からの抜粋で、利潤動機による”物”に対する支配欲の妥当性と、人に対する支配欲の危険性についての説明となっている。

このページを通じて、我々がまず受け入れなくてはならないのは、”経営者の意思決定が組織を変え、社会の何千何万という人の人生に良くも悪くも深く影響を及ぼす”という紛れもない事実であろう。

社員、社員の家族や知人、顧客、取引先、地域住民等、そしてその子孫と、それが小さな組織であったとしても、その組織に直接的、間接的に接触する人の数は我々の想像を大きく上回る。

組織としての一つ一つの意思決定が、それらの人の行動を変化させるものであることを肝に銘じなければならない。だからこそ、組織の意思決定は、自由や平等といった人の根源的欲求に基づくものであり、一種暴力的な独裁によって人の心や生活を支配することは、社会的にも許されない事であると思う。

「暴力的独裁」というと非日常的なフレーズに聞こえるかも知れないが、実際は殆どの組織において、毎日のように発生している事ではないかと思う。

私の解釈では、経営者(または意志決定者)が「われわれは」ではなく、「私は」を起点に考えられた意思決定は、その全てが何らかの形で「暴力的独裁」に繋がる危険性を持ち合わせていると考えている。

組織において絶大な権力を持った経営者は「私はこうしたい。」と、公器としての組織を個人的な希望だけで意思決定を行ってしまう。雇われる側からすれば、その指示に従わなくてはならない一方で、経営者の”趣味”に人生を切り売りすることの無価値感に襲われているはずだ。

そうした組織は、遅かれ早かれ、”知識労働者不在の組織”になるだろう。

組織は、何千何万という人々を自由にも、不自由にもする力を持ってる。経営者は、組織を自らの上に置くべきであり、万が一、自らの下に置くのであれば、いかに有能であろうとも、社会から拒絶されることになるはずだ。


Today's Questions.
Q:あなた(意志決定者)は、組織の上にいますか?下にいますか?

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10月21日”政府は制定者、促進者、保険者、支給者ではなくなった。自ら実行者、運営者となった。”
イギリスの保険制度の運営についての解説。月末に向け、非営利組織についての話が続きます。お楽しみに。

2009年10月19日月曜日

”経営陣が大金を懐に入れつつレイオフを行うことは社会的にも道義的にも許されない”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、経営陣の報酬について。資本主義といえども、経営者が一方では人をクビにしながらも、所得格差を20倍以上つけることの愚かさ、危険性について説明されている。

組織内の所得格差を二〇倍以上にするなと何度もいってきた。これを越えると憤りとしらけが蔓延する。(中略)人間として生き、人間として遇されるということの意味は、資本主義の金銭的な計算では表せない。金銭などという近視眼的な基準が、人生と生活の全局面を支配するなどということは許されざることである。(P.F.ドラッカー著、上田惇生訳「ネクスト・ソサイエティ」より、ダイヤモンド社)


グローバル企業の役員報酬について調べてみると、欧米の主要企業における役員報酬はストックオプション等も含め、一般的な社員の実に200倍以上にもおよぶことが珍しくないとのことだった。

多くの欧米企業では、オーナーと経営責任者(CEO)が異なり、優秀なCEOを高額な報酬を餌に迎え入れることで、短期的な利益の最大化に重きを置いている。また従業員よりも株主が重要であるとして、当たり前のように人員削減しながら利益を拡大させることにより、株価を上昇させ、当然自らの報酬も上げることになる。

一般社員との所得格差は広がるばかりで、この辺りが本当の意味で問題視されるようになってきたのはつい最近のことだと思う。

一方、日本の経営者はオーナーの場合が多く、海外に較べ、経営者の流動性が極めて少ない。また社員、株主、取引先等のステークホルダーの他、社会との調和を考慮すると、報酬を上げすぎると諸問題に繋がることを知っているし、そもそも欧米企業の様な高額な報酬を望む経営者自体、少ないのではないだろうか。

日本の経営者について、この辺りが海外の経営者にとって全く理解の及ばない神秘であり、日本企業の強みの一つだと思う。

2006年の時点で、GMの役員報酬が約7億に対し、トヨタの役員報酬は約8千万程度。この差は大きいが、トヨタ生産方式を学ぶと、この額にはある意味、納得できる。トヨタでは多能工化を促し、限定した専門家が育つことを良しとしない。よって優秀な1人の人材よりも一般社員10人による知恵を大切にする。

意思決定の機会を分散することで、組織で結論を見いだすからだ。

日本の中小規模の企業においても、オーナー経営者のリスクが大きいからといって、組織内にあまり大きな所得格差を作ってしまうと、その分運営に悪影響が発生すると思われるので、十分に注意したい。また、いかに自らの報酬額を内密にしようと努力してもあまり意味がないと考えた方がよい。

より正しい意思決定のためにも、自らの報酬額には一定の上限を設けておくのが賢明だ。

最後に、少し極端な例かもしれないが、参考までに新渡戸稲造の「武士道」より、私が好きな部分を引用して終わりにしたい。

どんな仕事においても報酬を払う今日のやり方は、武士道の信奉者の間では広まらなかった。なぜなら、武士道は無報酬、無償であるところに仕事の価値があると信じていたからだ。精神的な価値にかかわる仕事は、僧侶にしろ、教師にしろ、その報酬は金銀で支払われるべきものではなかった。それは価値がないからではなく、金銭では計れない価値があったからである。(新渡戸稲造著、岬龍一郎訳「武士道」PHP研究所


”富は知恵を妨げる”という知恵は、武士の間では常識だったのだ。


Today's Questions.
Q:あなたの報酬が組織にしらけを生んでいませんか?
Q:報酬の他にも、あなたの特権が組織の知恵を妨げているとしたら、それはどの特権ですか?

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10月20日”利潤動機は物に対する支配欲を満足させる”
利益至上主義が、人と物に対する支配を加速させる、というお話です。お楽しみに。

2009年10月17日土曜日

”宗教は、神の王国を捨ててまで社会を受け入れることはできない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「経済人の終わり」より、宗教の弱みについての説明が紹介されている。センシティブなメッセージなので、まずは特に重要な箇所を引用しておきたい。

宗教は、いかなる社会においても良心たりうる。しかし宗教は、神とともにある魂の王国、神の王国を捨ててまで社会を受け入れることはできない。この点にこそ、社会における良心としての宗教の強みがあるとともに、社会における政治勢力、社会勢力としての、いかんともしがたい弱みがある。(PFドラッカー著、上田惇生訳「経済人の終わり」、ダイヤモンド社)


ここで、私個人が学生時代に経験した極端なエピソードをご紹介したい。

私が卒業した大学は、米ヴァージニア州の田舎町にある小さなプライベート・カレッジであったが、主力となる学部のユニークさから、この大学には全米から一芸に秀でた学生が集まっていた。私の記憶では全学生のおよそ1/3が地元の学生で、残り2/3が他州や海外からの生徒だったように思う。

アメリカ南部の田舎町(特に私が居た地域)といえば、全米でも最も信仰心が非常に強い家庭が多く(多くはプロテスタントのバプティスト派)、在学中、度々地元の学生とその他の学生の間で終わりのない激しい宗教論争が繰り返されていた。

この際、私が感じたのは、信仰心が強い生徒達にとって宗教は、両親を通じて今までずっとその人を育ててきた大きな”心の支え”であり、聖書が”社会の生々しい現実から身を守るための”楯”になってしまっている、ということだ。

同時に、彼等(または彼女達)にとって、日曜礼拝に行かない人や、無神論、無宗教の人間などもってのほか、といった感じであり、その様な人は「いくら笑顔でいい人に見えても、いずれは地獄に堕ちるべき、道徳心のない者」という態度が私にも垣間見えた。

冗談のようだが、これが今も米国のような先進国で起きている現実なのである。

確かに宗教によって我々のあるべき姿を提示したり、心の平安を提供することができるかも知れない。しかしそもそもの目的が人の幸せを願う者なのであれば、それが人々の思考を拘束し、自由や平等を奪うような事は絶対にあってはならないと思う。


Today's Questions.
Q:現代における、宗教の強みとは何ですか?

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10月19日”経営陣が大金を懐に入れつつレイオフを行うことは社会的にも道義的にも許されない”明日はお休みさせていただきます。明後日またお会いしましょう。

2009年10月16日金曜日

”決定的な権力が正統性を欠くとき、社会は社会として機能しない。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「産業人の未来」からの抜粋で、自由、平等、気高い権力に基づく組織制度こそが、自由、平等、気高い社会を生むことができる、といった説明となっている。

当社の組織運営に関わり始めてから、10年が経とうとしているが、その間には、”性悪説”に基く意思決定を社員に押しつけ、失敗した経験も多々ある。

各プロジェクトがうまく進まないことを社員のせいにして、懲罰的な制度を設けたり、くだらない理由で人の配置を変えることで、問題の再発防止を期待する一方、社員との信頼関係を大きく傷つけ、成果から自らの組織を大きく引き離していた。

しかし、コミュニケーションや心理学について学ぶ中で、”強みに焦点を合わせる”ドラッカー思想と出会い、「やはり、そうなのか。本当に”社員は社長(経営者)の鏡”だったのだ。」と痛感した。

組織においては、一つ一つの意思決定に、それを行う者(多くの場合は、経営者や幹部)の魂が宿る。何らかの制度を発表する場合、それを言い渡されたスタッフは、制度そのものの目的に加え、非常に多くのことを直感的に感じ取る力を”全員が”持っている。

・それは私たちにとって、どの様なメリット(自由&平等、収入増、成長、深い絆、安定等)があるのか?
・なぜ経営者はそうした制度を作るに至ったのか?
・経営者は何を目論んでいるのか?
・会社の将来にとってどうなのか? 等々...

もちろん、一つ一つの意思決定にこれらを整理して考察するようなスタッフはいないが、そうした制度を発表されたスタッフの表情を見れば何らかの違和感に気付くはずだ。

その”違和感”に嫌悪感が帯びているように感じられるのであれば、意志決定者は、それがどこから来ているのかを再考する必要があるだろう。なぜなら、もしそれが、社員の自由、平等、気高さを脅かすものであるならば、遅かれ早かれ、その意思決定は無駄に終わるからだ。

さて、経営者でも幹部でもないという方は、先程の”社員は社長の鏡である”という言葉を見て少々がっかりしてしまったかもしれない。しかしドラッカー教授は、成長においては、”上司と部下の距離は一定である”といった言葉も残している。

「自分(上司)はさておき、部下の成長を。」というのは成立しないということだ。よって、部下が気高い意思決定を継続することによって、いつしか上司もそれに従い、正しい意思決定をするようになるものと信じている。

以上のことから、より自由で平等な、気高い社会を望む人は、まずは自らが属する最も身近な組織(家族、会社、非営利組織、地域等)において、これらを重んじることから始めよう。その小さな活動が、いつしか社会全体を動かす事に繋がるはずだ。

個人的には、この数年で、世界中で急速にその兆候が見え始めてきた様にも感じられる。


Today's Questions.
Q:より自由で平等な、気高い社会のため、あなたにはどの様な貢献ができますか?

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10月17日”宗教は、神の王国を捨ててまで社会を受け入れることはできない。”
宗教の役割についての説明です。お楽しみに。

2009年10月15日木曜日

”意思決定のレベルには、2つの原則がある。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”では、意思決定を”行動に近いレベル”で行うことの重要性について説明されている。

われわれは、つい高いレベルに居座りながら、現場の意思決定を行ったり、低いレベルに居座りながら、高いレベルの意思決定をしてしまいがちだが、ドラッカー教授は、問題の中身をよく見ながら、視点の高低を柔軟に変化させ、なるべく行動に近い低いレベルで意思決定することが重要だ、としている。

一眼レフのカメラで例えると、常に単焦点レンズを使うのではなく、ズームレンズを使い、対象物によって最も理想的な状態で見える場所を探しましょう、という感じではないだろうか。

そして、意思決定の対象となる問題を、以下の4つの分類に分けて検討し、どの程度のレベルで意思決定すべきかを考えることを勧めている。

①意思決定が影響する時間の長さ
②意思決定が影響する範囲(部門、分野等)
③定性的要因の数(価値観、信条)
④問題の連続性(例外的・一般的)

以前、9月3日の記事において「リーダーは時として、部下達と共に戦っていた”戦場”に背を向け、一人丘の上に向かわなければならない。そしてそこから戦場をしばし観察する必要がある。」と書いたことがある。

まさにこの時が、”ズーム”を変える瞬間だ。現状維持を続けることによって、問題が深刻化したり、機会を逸する場合は新たな意思決定が必要となり、リーダーは視点のレベルを変える(この場合はズームアウトする)必要があるのだ。

経験上、日本には「低いレベル」に居座りたいリーダー、海外では「高いレベル」に居座りたいリーダーが多い様に思う。対応する相手(問題)に合わせ、われわれは心地よい場所に執着することなく、視点を変えることで大きな成果を生む事ができるのだと感じた。

以前、NHKの「プロフェッショナル」に登場した、京都市立堀川高等学校の荒瀬克己校長は、良き黒子として場の空気を感じ取る名人に見えた。そして彼は最後に、「プロフェッショナルとは、『やるべきときにやるべき場所にいて、やるべきことをしっかりする人。そして人事を尽くして天命を待つ。そういう人だと思います。』」という言葉を残してくれた。


Today's Questions.
Q:常にズームを変えて、対象となる問題を見ていますか?

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10月16日”決定的な権力が正統性を欠くとき、社会は社会として機能しない。”
組織の正統性についての説明です。お楽しみに。

2009年10月14日水曜日

”フィードバックが並の人間に一流の仕事をさせる。”(P.F.ドラッカー)

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、重要な意思決定の継続的レベルアップについて紹介されている。ドラッカー教授は、期待する成果を記録しておき、9ヶ月後あるいは1年後にそれを現実の成果と対比(フィードバック)させる事で、継続的に意思決定において一流になることができると伝えている。

個人的に思うのは、目標が達成できる時と、できない時の違いは、「組織のメンバーが目標となる『より魅力的な状態』をいかにありありとイメージできているか」という点ではないかと思う。そのイメージが定量的であれ、定性的なものであれ、リアル感に欠けたり、魅力あるカタチで理解されていないと、その目標を達成するのは難しい場合が多い。

この点において、当社ではまだまだ仕組み化が十分で無い様に思うが、今まで実践してきたのは、マインドマップで目標とする状態を共有したり、それに向けた個々の状態を”振り返りシート”という名の、○(良かった点)と!(改善するための具体的行動)が書かれているだけのシートを毎月の締日に書いてもらう、という方法だ。

大人数の部下を持つプレイング・マネージャーが、部下の一人ひとりとコーチングで目標の達成状況の把握やフィードバックを行うには限界があるし、無駄が多い。真の成長とは、誰かに演出してもらうのではなく、一人ひとりが自分の成長と真っ正面から向き合うことで実現するのだと思う。

決してコーチングの効果を否定するわけではないが、克己心が強い日本人には、過度のコーチングはかえって邪魔になってしまうのではないかと思う。日本人は外国人に較べ、自らの成長や精神状態に第三者が介入することを生理的に嫌う傾向が強いと思うのだ。そのため、フィードバックは主として自分で行える環境を整備してあげた方が、本人の自信にも繋がってくることを実感している。

さて、先程の「振り返りシート」だが、なぜ○と×ではなく、○と!なのかは、このブログを読まれてきた方には、なんとなくご理解いただけるのではないかと思う。フィードバックにおいては、×(良くなかった点)を詳細に明文化しても意味がないと考えるからだ。

×(良くなかった点)を探すことで、脳が逃げてしまい、言い訳じみてくるため、真因は闇に葬られる。その結果、この思考は”過去の時間(明日を創ることのない時間)”となってしまう。×ではなく、!(改善するための具体的行動)を自分への”誓い”として考えることで、目指す状態との乖離を埋める方法を積極的に考え、”未来の時間(明日を創る時間)”にできる。

この「振り返りシート」の運用で注意すべき点は、①「特になし」という記入を許可しない事と、②○と!を可能な限り同じ量を書く事である。いずれも自分の成長具合に、文字通り”真っ正面から”向き合うために必要不可欠な条件だと思う。

さて、当社では色々な場面で「それ、○と!で教えて。」と言えば、大抵「え〜、…分かりました。」という反応でA4一枚にまとめてくれるようになってきた。かたくなに拒否されないのは、このシートによる”セルフコーチング”によって、思いがけない発見があることを本人達が理解しているからではないだろうか。

自己管理によって、人は初めて前に向かって着実に踏み出すことができるのだと思う。


Today's Questions.
Q:目標達成時の光景を、組織でイメージできていますか?
Q:自分の成長に責任を持たせていますか?

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10月15日”意思決定のレベルには、2つの原則がある。”
明日のDrucker365は、行動に近いレベルで意思決定することの重要性について。お楽しみに。

2009年10月13日火曜日

”アイクもかわいそうに これからは命令どおりにはいかないだろう。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、”意思決定の前提”の陳腐化を自らが現場に出向いて確認する大切さについて説明されている。

タイトルは、ドワイト・アイゼンハワー(愛称:アイク)が大統領に当選した際、前任のハリー・トルーマンから出た言葉で、大統領として、これまでアイゼンハワーが大切にしてきた”現場主義”を貫く事の難しさを語ったものだ。

本日のページが引用されている箇所を読み進むと、以下の説明がある。

自ら出かけ確かめることは、決定の前提となっていたものが有効か、それとも陳腐化しており決定そのものを再検討する必要があるかどうかを知るための、唯一ではなくとも最善の方法である。われわれは意思決定の前提というものが、遅かれ早かれ必ず陳腐化することを知らなければならない。現実は長い間変化しないでいられるものではない。(PFドラッカー著、上田惇生訳「経営者の条件」、ダイヤモンド社)


われわれ、知識労働者にとって最も重要な仕事の一つ、意思決定には必ず”決定の根拠”が必要となる。そして、”決定の根拠”は、選択した直後から腐り始めるということだ。”決定の根拠”の腐り具合によっては、”決定”そのものがその意味を失うことにもなる。

よって、われわれにとって、意思決定が重要な仕事であるように、”決定の根拠”の腐り具合の確認も、同様に重要な仕事であると言える。最終的な意思決定は自らが行うのと同様、”決定の根拠”すなわち現場・現物・現実の確認も自らが行うのが理想的だ。

この点については製造業が進んでいる。トヨタ生産方式では「三現主義(現場・現物・現実)」あるいは「現場現物主義」と呼ばれ、トップ自ら即座に現地に出向き、五感を駆使して現物・現状を見ながら本質を見極め、素早く意思決定することの大切さが徹底されている。

ITの進化により、意思決定の現場は危険にさらされている。より生産的且つ責任ある選択のためには、それが非合理と言われても顧客や現場に自ら足を運び、生の情報を掴みたい。


Today's Questions.
Q:決定の根拠は、自分で得た情報で構成されていますか?
Q:以前の意思決定の根拠が、もう腐っていませんか?
Q:自然の中で五感を磨いていますか?

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10月14日”フィードバックが並の人間に一流の仕事をさせる。”
明日は意思決定の継続学習についての紹介です。お楽しみに。

2009年10月12日月曜日

”意思決定を行ってからその中身を売り込むのでは満足な実行は期待できない。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、「マネジメントー課題、責任、実践」からの抜粋。意思決定において、関係のある人全てを巻き込むことの重要性について説明されている。

本日のページでドラッカー教授は、「この点では日本的経営に見習うべきである。日本では最初から全員を巻き込む。」と、日本企業の紹介をしている。

我々の様に、国内の組織運営にどっぷり浸かっていると、まだまだ情報共有が不足しているように思えるが、海外の組織と比較すると、日本の組織のメンバーに伝わる情報量は圧倒的に多いことが分かる。

中国の製造業を例に取ると、トップと現場の作業員の年収は100倍以上も異なることも全く珍しくなく、そうした人達の間で、日本の様に対等な立場で十分なコミュニケーションが交わされること自体、非常に稀だ。

そうした職場では、悲しい程に両者のラポール(信頼関係)は築かれていない。上司は「部下に情報を教えるのであれば、自分の仕事の存在価値が危うくなる。」と思い、部下は「自分にそれほど大事な情報を渡すのであれば、まずは給料を上げてくれ。」と思ってしまうようだ。

よって中国の他、世界中の殆どの国では旧態依然としたトップダウン式のピラミッド型組織構造が当たり前で、部下が自ら考えて行動するような事自体、海外では御法度に近いものになっている。

そのため、海外の会社の多くでは”Job Description(職務記述書)”といった書類に極めて詳細に職務内容や、行ってはいけない事を記してそれを守らせる方法がとられてきた。

しかし、この手法も、急速に変化を続ける社会に順応するためには邪魔な存在になりつつあり、機械的なピラミッド型組織から、より有機的でフラットな組織への取り組みが先進的な組織で見られるようになってきた。

”Job Description(職務記述書)”から、”Position Description(職位記述書)”に変更し、役割を明確にしながら部署間を柔軟に動けるようにしたり、Googleの様に、完全に自由な時間を増やしたりすることで、開発を加速させる企業も急増している。

話を元に戻そう。こうした、有機的でスピーディーな組織には”知りたい情報にいつでもアクセスできる状態”というのが、極めて重要だ。

例えば、「ちょっとしたことを調べるのに、職場のパソコンやネットは使えず、図書館に行かなくてはならない。しかも事前に調査許可を役所からもらえないと本を貸してもらえない。」というのでは、調べる方も許可する方も疲弊してしまう。

知識労働には個々に必ず”選択”が伴う。選択が増えれば増えるほど、雇う側も、雇われる側も、大方では同じ方向を向いている、ということを信じ、お互いを信頼し、”なるべく早い段階から”情報をオープンにしなければならない。それによって初めて組織の絆も強まり、加速度的に成果を出しやすい有機的組織が育っていくように思う。

ハーバード・ビジネス・レビュー(ダイヤモンド社)の2008年8月号に「フェア・プロセス:協力と信頼の源泉」という論文は、非常に参考になった。中でも印象的だったのが、危機的経営状況において再建を狙う工場の話だった。

この話に登場する会社の経営者層は、社員に余計な心配をさせない様、社員に経緯を説明せず、生産性向上のコンサルタントに調査させていた。ろくに挨拶もしない無言でメモを取るコンサルタント達に、工場のスタッフは「きっと、リストラが始まるんだ。」という噂が蔓延してしまう。結果、トップへの不信感を募らせてしまった。

その後、改善活動が上手く進まず、その原因がフェア・プロセス(経緯の開示といった意味だろうか)の欠如にあったことに気付いたトップが、全員に向かって謝罪し、それから徹底的に情報を開示することで危機的状況を乗り越えることができた、という話だった。

世界中、起きていることは同じなのだな、とつくづく感じつつ、「”性悪説”に基づいて運営する組織は近い将来、完全に淘汰される」ことを確信した。


Today's Questions.
Q:部下や上司を信じる前に、自分自身を信じていますか?
Q:「だったらもっと早く言ってくれれば良かったのに。」と言われていませんか?
Q:重要な情報を扱う部下の真剣な眼差しを見ていますか?
Q:半年後、部下に今までより重要な情報にアクセスさせることができますか?

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10月13日”アイクもかわいそうに これからは命令どおりにはいかないだろう。”
アイゼンハワーが大統領に当選したとき、前任のトルーマンがこう言ったそうです。それはなぜか?明日もお楽しみに。

2009年10月10日土曜日

”間違った問題提起への正しい答えほど修正の難しいものはない。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、誤った問題提起に対応する危険性について説明されている。

本日のページでは、労働災害についてデータの集計方法を誤った工場が紹介されている。組織運営の場においては、こうした”問題提起そのものが間違っている”場面というのは極めて多く、組織の時間を浪費させ、急速に弱体化させる大きな原因になりかねないので注意していきたい。

我々に持ち込まれる様々な問題は、そのそれぞれが「なるほど、そういう問題もあるのだろうな。」というもので、相談される側に中途半端に問題解決力があったり、面倒見が良かったりすると、「よし、分かった。そういう時はね…。」と、早速問題解決に乗り出してしまう。私自身にもこの傾向が非常に強かった。

一方、私の兄は、何か質問すると、すぐには教えず、「調べてごらん。」というタイプで、部下から持ちかけられた問題を聞いても、まず「本当に?本当にそうなの?」と問い返す。真因が掴めないと動かないのだ。私としてはそれに苛立つことも多々あったが、結果として彼の方法がより効率的であることに気付いた。

幸い(?)、最近では彼と話さなくても、頭の中で「本当に?」というささやきが聞こえる様になってきてしまった。

表面化している問題(あなたの下に持ち寄られた問題)は、海面上に見えた氷山の一角であって、そこを取り除いたとしても、異なる部分が浮かび上がってくるだけなのだ。このそれぞれを個別に対処していたのでは埒があかない。

また、こちらの依頼無しに、いつも詳細なデータ作成をしているスタッフには特に注意したい。まず、なぜそういった行動(統計を取る)に至ったのか?を確認していくと、単に時間をもてあましている場合や、何らかの交渉のために膨大な時間をデータ作成に費やしている場合が殆どだ。いずれにしても、直ちに現作業を中断させ、”未来の時間(明日を作る時間)”に置き換える必要がある。

これまでの経験からして、”間違った問題提起”の大半は、”個人的な期待や願い”から生まれる事が多い。真の問題とは言えない問題に、組織の多くの人が貴重な時間を割くようなことがあってはならない。


Today's Questions.
Q:その問題は本物ですか?
Q:明日に繋がるデータが作られていますか?

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10月12日”意思決定を行ってからその中身を売り込むのでは満足な実行は期待できない。”
明日はお休みさせていただきます。明後日は、実行に関わりのある人全てを巻き込む大切さについての紹介です。お楽しみに。

2009年10月9日金曜日

”最も多く見られる誤りは一般的な問題を例外の連続とすることである。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、意思決定における、問題の種類の見極め方について紹介されている。問題がどの種類に属するのかを把握できないと、いつしか(昨日紹介した様な)大規模な外科手術が必要になってしまうからだ。

個人的にも、この”見極め”ができるようになってから、時間の使い方が大きく変化したように実感している。

ここでドラッカー教授は、問題には大きく分けて2つの種類、”一般的な問題”と”例外的な問題”があるとしている。

そして、”一般的な問題”については原則と手順を通じて解決し、”例外的な問題”については、その状況に従い、個別の問題として解決しなければならない、とし、この2つを更に4つの種類に細分化して説明している。

①一般的な問題の兆候に過ぎない問題
②当事者にとっては例外的だが、実際には一般的な問題
③本当に例外的で特殊な問題
④例外的に見えるが、一般的な問題の始まりでしかない問題

まず①だが、職場で起こる殆どの問題がこの種類だ。各職場で日々、膨大な数の問題に対処しているが、その問題の真因は実は別の部署に潜んでおり、問題が発生している職場だけではそれを根本から解決することができない。組織全体を見た上で解決をしないことには、問題はいつまでも組織全体を蝕む。

②は、当事者にとっては馴染みのない問題で、対処に困るが、見る人によっては当たり前、という問題だ。「経営者の条件」では”合併の申し入れを受けた”場合が紹介されているが、他にも様々な場面で見られる。

トヨタ生産方式等のカイゼン活動では、当事者が「もう何を工夫しても絶対無理だ。」とパニックに陥っていても、専門家からすると「なぁに、そんな時はこういう方法もありますよ?」といくつも引き出しがあることに心から驚く。このように、②の場合は、他から学べば良い。

③は、本当の意味で”あり得ない”問題を指す。”全く予測できなかった問題”や”誰もが気づきも、考えもしなかった問題”と考えればよいだろう。よって、大地震さえも(地域によって異なるが、)「真のイレギュラー(例外)か?」と聞かれると、素直には頷けない。事前にダメージを予測し、ある程度はそれに準備できることだからだ。こうした問題は個別に対処する必要がある。

④は、③の様な例外的問題に見えて、今後連続して表れてくる一般的問題だ。基本原則さえ押さえれば一挙に解決する問題にも関わらず、「特殊な問題だ。」と個別に対処することで、常に火消しに廻ることになってしまう。

この様に、本当に例外的な問題というのは極めて少なく、殆どの問題は基本的な原則によって対処可能な”一般的な問題”ということが分かる。きめ細かい意思決定をしなければならない状態は、問題を”例外”として捉えているからであって、”一般的な問題”であることを認めない限り、永遠に同じ場に居ることになるのだ。

「経営者の条件」の同じ箇所で、ドラッカー教授は、「成果をあげるエグゼクティブは、多くの意思決定は行わない。(中略)原則や方針によって一般的な状況を解決していく。」と言っている。


Today's Questions.
Q:その問題は、本当の意味においてイレギュラー(例外)と言えますか?
Q:どの様にすれば再発を予防できますか?

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10月10日”間違った問題提起への正しい答えほど修正の難しいものはない。”
正確な情報によって行動しないと、大きな過ちに繋がるといった内容です。お楽しみに。

2009年10月8日木曜日

「高校生にドラッカーを贈る」(9月分集計結果)

 
いつも当ブログをご覧いただき、誠にありがとうございます。
先月のアフィリエイト集計結果が出ましたので、ご案内申し上げます。

[9月分]
発送済み商品合計:9
紹介料合計:¥647

お買い上げ、誠にありがとうございました!

今回特に嬉しかったのは、当ブログの教材である「ドラッカー 365の金言」が4冊もご注文いただけたことです。日々の生活にドラッカー思想を積極的に取り入れようとされる方が増えてきたことを肌で感じております。この場をお借りして心よりお礼申し上げます。

ブログ上でもご案内の通り、紹介料合計はドラッカー学会の「高校生にドラッカーを贈る」運動に全額寄付させていただきます。この運動の詳細については近日紹介予定ですが、噂によると、年内に出版予定の高校生にも親しみやすいドラッカー本を贈ることになる模様です。学会にて発表がありましたら、皆さんにもお知らせいたします。

会社等、組織でドラッカー本を多数ご購入される場合は、是非とも当ブログよりご注文ください!

”優れた外科医が不要な手術を行わないように不要な意思決定を行ってはならない。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”では、意思決定の必要性を精査することの大切さについて、外科医の手術を例に説明されている。手術には機能低下等のリスクが伴うので、手当たり次第にメスを入れてはならない、という内容だ。

ところで、本日のページで紹介されている内容のように、自らの組織を、社会の中で生活する一人の人間に例えると、それまでとは異なるかたちで”なされるべき事”が見えてくる。

その人(自組織)が、どの様な環境で、誰に、何を期待され、それに対し、その人は何を考え、どの様に行動しているのか?また、どの様な行動をすべきなのか?

こうした視点で自らの組織を、(組織の)内側からではなく、外側から擬人化して見てみると、誤った感情を伴わずに客観視できる。”その人”がたった一人で生活するのであれば見過ごせる事も、社会の一員として生活することを冷静に考えてみると、時には手術が必要になる。

ただし、このページで言われているように、手術は必ず何らかのリスクを伴う。生産性が一時的に低下したり、組織内に衝突が生まれたり、場合によっては辞めていく人も出るかも知れない。それを覚悟した上で、施術の必要性を問わなくてはならない。

このページでは外科医が施術の判断する際の3つの基準が紹介されている。

①自然治癒したり、安定する見込みがあるのであれば、定期的にチェックすればよい。
②進行性の病で、手術しなければ生命の危険があるのであれば、直ちに手術を行う。
③進行性のものでもなく、生命に危険もないが、自然治癒するわけでもない場合は、機会とリスクを比較し、手術の必要性を検討する。

ここで、興味深いのは最後の③だ。ドラッカー教授は、「これが最も多く見られるケースだが、この時の判断に一流の外科医と並の外科医の差が表れる。」と言っている。

確かに、今までの経験から感じるのは、②の様な緊急性が高い問題への対処は他の理解も得やすく、比較的円滑に進む。また、その”手術”は非常に忙しいため、それに関わる人は「これこそが仕事だ。」と、陶酔してしまいがちだ。

しかしこれは非常に無駄が多いし、組織全体の体力を著しく低下させる。こうした手術をしながら、我々が自らに問わなくてはならないのは、「本当にこの手術は避けられなかったのだろうか?もし避けられたとしたら、どの時点で、誰が、どのように手を打っておけば良かったのか?」という問いだ。

重大な問題の多くは、ずっと前からその兆候があったにも関わらず、何らかの理由で見逃されてきたはずだ。そしてその結果、今、患者(自組織)が目の前の手術台に乗っているだけなのだ。

「すでに起こった未来」は、問題の発見にも活用できる。いかに目の前で起きていることを敏感に知覚し、その意味を問うことによって、日夜問題の”火消し作業”に翻弄されることから免れ、より多くの時間を”未来の時間(明日をつくる時間)”に充てることができるのだろう。

そして大切なのは、問題の兆候を察知するのは、その組織を構成する”全ての人”であり、日々の健康チェックを通じて何らかの変化を知覚することができる。外科医だけでこうしたわずかな変化を把握するのは極めて難しいのだ。

Today's Questions.
Q:大規模な手術を密かに楽しむことで、本当の”為されるべき事”から逃げていませんか?

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10月9日”最も多く見られる誤りは一般的な問題を例外の連続とすることである。”
今年も残すページが少なくなってきましたね。明日は、問題の種類についての説明です。どうぞお楽しみに。

2009年10月7日水曜日

”1つでも必要なステップを省くと意思決定はできの悪い壁のように崩れる。”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、意思決定プロセスのリスクを低減するために踏むべきステップについて紹介されています。

意思決定には以下の6つのステップがある、としています。

①意思決定を行うべきときを知る
②本当の問題についてのみ行う
③問題を正しく定義する
④何が正しいかを考え、何が受け入れられやすいのかを考えない
⑤やがて妥協が必要になることを覚悟しておく
⑥実行の手配がすむまでは決定したことにならないことを知っておく

①について、ドラッカー教授は、「意思決定は外科手術である。」(「経営者の条件」)としている。必要ない外科手術をすると組織そのものの体力を消耗させてしまうので、本当に必要と思われるとき、すなわち放置しておくと事態が悪化する場合や機会を逃してしまう場合に思い切って行わないといけない。

②③については、「なぜ?」を繰り返し、問題の心因を突き止めることで、”問題の種類”を見極めることから始める。問題の種類については「経営者の条件」のP.165より4種類の問題の紹介があるので、そちらを参照いただきたい。

④⑤については先の投稿でも説明させていただいた通り、”正しい”ことを徹底的に追求することが大切である。また、どこかの時点で妥協が必要になるが、それが”正しい妥協”なのか、誤ったものなのかを見極めましょう、という意味だ。

⑥は、意思決定は実行をもって初めて”意思決定した”ことになる、ということだ。こちらについても先日の投稿で紹介してきたが、実行を担うのは、殆どの場合、意志決定者とは異なる人間であるため、その者がしっかりと理解し、能力に見合った行動に落とし込まないと、成果が出にくい、という事になる。

個人的に最もクリティカル(致命的)だと思うのは、やはり最初の「意思決定を行うべきときを知る」だろう。これを見誤ったり、部下に十分な説明をせず進めようとすると、結果として大きな妥協を強いられることが多い。どの様な意思決定にもリスクが伴うので、丁寧に取り組みたい。


Today's Questions.
Q:これまで行ってきた重要な意思決定を、上記のプロセスに照らし合わせるとどの辺りに改善の余地がありますか?
Q:手当たり次第にメスを入れて組織が弱っていませんか?

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10月8日”優れた外科医が不要な手術を行わないように不要な意思決定を行ってはならない。”
少し前後しますが、本日の①にあたる内容です。お楽しみに。

2009年10月6日火曜日

”意思決定においては意見の対立がなければならない”

 
本日の”ドラッカー 365の金言”は、意思決定における対立の重要性について紹介されている。我々は日頃、何らかの決断をする際に議論に参加する全員の意見が一致するようファシリテイトしてしまう。しかし、本日のページで紹介されているGMのアルフレッド・スローン Jr.(1875〜1966)のファシリテイト(議事進行)は全くの逆だ。意図的に意見が対立する様、議論を進めさせている。

そして、その目的は以下の3つにあると、ドラッカー教授は言っている。

①組織の囚人になることを防ぐ
②代案を手にする
③想像力を引き出す

たしかに、何らかの結論が出てしまうと、我々は全く考えようとしなくなってしまう。何となく落ち着いてしまい、他の方法や、隠れたリスクに目が行かなくなってしまう。

以前、「脳は、欠けている部分を無意識の内に埋めようとする。」といった話を聞いたことがあるが、その例として、商品の価格付けについての話があった。

我々がよく目にする1,980円、39,800円といった、半端な数。プライスタグをこのように半端な数に設定することで、脳は一種の不快感を示し、「あと少しでぴったりになるのに。」と、その数を埋めよう(安定させよう)とする作用が働くらしいのだ。

その結果、自らが購入することによって、その数を補填しようとしてしまうらしい。これらの価格がもし、2,000円や40,000円だったとすると、その状態で満たされているため、新たな行動(この場合、買うという行動)に繋がらないというのだ。

議論の場でも同じ事が言える。声が大きい者の、”何となく正しそうな”意見に従うことによって、周囲との衝突を避け、その決断によるメリット&デメリットや、他の方法を考え抜くことから無意識に逃げてしまう。

しかし、安易に固めようとせず、”不安定な状態を楽しめる組織”というのは、実は極めて難しい。日頃よりトップが問題や意見の対立を期待し、自由な議論を奨励する環境を作り続けなければならない。

個人的には、議論の場で、誰かが最もらしい意見を言った際、それを聞いている人たちの表情をよく観察し、反対意見を引き出す様に工夫している。

議論の際、口火を切る者が決まってくるが、その意見を聞いた周囲の人が若干目線を落として、頷いていたのが止まる人が見つかる。そんな時、きっと頭の中では「(でもなぁ・・・・・・・・。)」という思考が展開しているのだろう。

そうしたときは、私が「え〜〜〜〜、本当にそうかなぁ・・・・。○○さんだったら、どうします?」という具合に聞いてあげると、その人から反対意見が出やすくなる。まずは出た意見に軽く反対してしまうのがオススメだ。

他にも、あえて下座や部下と同じ場所に座ったり、自分の椅子を少し後ろにずらして座る事によって、自分の発言力を意図的に低下させたり、なるべくスーツを着て参加しない、安易に時計を見ない、腕を組まない等々、小技はたくさんやってきた。

しかし肝心なのは、全員が均等に反対意見を出し合える雰囲気をつくり、全員で考え抜けるような場を提供することで、それを継続することによって、組織の自立を促すことができるのだと思う。


Today's Questions.
Q:”やるため”の衝突ではなく、”やらないため”の衝突になっていませんか?
Q:正しい意思決定より会議の終了時間を優先させていませんか?
Q:意思決定の際に意見を言わず、後々不満を言うことを許していませんか?

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10月7日”1つでも必要なステップを省くと意思決定はできの悪いかべのように崩れる。”
意思決定のステップについての説明が続きます。明日もお楽しみに。